そのときペトラ・イッタは、終わったばかりの一限目の授業内容を、スレッタ・マーキュリーに教え直しているところだった。
『カテドラル所属、ドミニコス隊司令のケナンジ・アベリーだ。学生諸君らはその場から動かないように』
ペトラとスレッタしかいない教室内に、初めて聞く、落ち着いた、しかし聞く者に緊張を突きつける男の声が響く。
「ペトラさん、今の放送って、……何なんですか?」
椅子に座るスレッタが、不安げにこちらを見上げた。
ペトラにとっては図々しい態度の印象が強い赤毛の少女だが、最近は目的を見失ったせいか、気弱な雰囲気が漂う。
一方のペトラも、余裕のない表情で首を振るしかない。
「わからない。でも今、ドミニコス隊って言った……?」
それは、彼女の敬愛する先輩の一人であるグエル・ジェタークが入隊を目指す部隊の名前。そして、ガンダムに乗るテロリストたちを駆逐する魔女狩り部隊の名前でもあった。
その連想が、ペトラに嫌な記憶を思い出させる。彼女の敬愛するもう一人の先輩であるラウダ・ニールの乗るモビルスーツを、緑色のガンダムが破壊した光景。
――オープンキャンバス襲撃事件。テロリストの乗るガンダムがランブリルングに乱入し、多数の死傷者を出したうえ、グラスレー社のCEOを誘拐していった事件だ。
あの忌まわしい出来事からまだ一週間も経っていない。
「……いや、気にし過ぎだね。大丈夫だよ、たぶん」
不安を無理やり飲み下し、ペトラはスレッタに笑ってみせた。
スレッタは恩人だ。オープンキャンバス襲撃事件のとき、もしスレッタがガンダムと戦ってくれなかったら、あのままラウダは緑のガンダムに殺されていたかも知れない。
そんな相手に余計な心配をかけさせたくない、という思いが、ペトラに気丈な態度を取らせた。
「さあ、まだ復習は途中だよ。動くなって言われたから、動かずこの場で復習を続けよう」
「……はい! お願いします、ペトラさん」
しかしながら、そうして強引に継続した平穏も、わずか3分後には打ち砕かれることになる。
『ドミニコスゥ! お待ちかねの魔女の登場だよぉ!
さっさと出てきなよ、魔女狩り部隊! あんたらが出てこなきゃ、30秒ごとに学園の建物にビームをぶっ放しちゃうよぉ!?』
唐突にスピーカーから刺々しい少女の声が響き、さすがにペトラも浮足立った。
オープンキャンバス襲撃事件のときに破壊された学園内の光景が少女の脳裏をよぎる。
「いっ、今のは……!? 学園にビームを放つ、って……!?」
対照的に、もう一人の少女は、顔に鋭気を取り戻した。
「この声……ソフィさん!? 生きてたんだ……っ!」
赤毛の少女はすぐさま立ち上がり、教科書もタブレットも放置したまま教室外に向けて走り出す。
何が起こったのか分からないペトラは、ほんの数瞬、その背を見送ったが――すぐに我に返り、スレッタの後を追って走り出した。
「水星ちゃん待って! 危ないよ、動いちゃダメだよ!」
スレッタに続いて建物の外に出たペトラは、上空にそいつを見た。
あの事件のときタブレット越しに見たのと同じフォルム、同じ色で、そいつは紫色の別の機体と交戦していた。
「緑色の、ガンダム……!」
ぞっとする。
またあいつがやってきたのか。
この学園の生徒たちを害するために。大切な人たちの命を奪うために。
そしてペトラは、視線を上空から前方へと引き戻す。全速力で走るスレッタの背を注視する。
あの子はまた、あのときのように戦うつもりなのだろうか。自分たちを守るために、あのテロリストと対峙するのだろうか。
でも、あの子の乗機であるエアリアルは今、この学園には存在しない。グエル先輩が決闘でスレッタから奪い、そしてそのままグエル先輩と一緒に地球に行ってしまった。
いくらスレッタ・マーキュリーが凄腕でも、エアリアルなしであのガンダムに勝てるのか……?
ペトラは再びスレッタを追って走り始める。もし赤毛の少女がテロリストと戦うと言い出したなら、自分がどうにかしないといけない。
彼女を止めるべきなのか、あるいは、ジェターク寮のドックにあるディランザを彼女に貸し出すべきなのか。そこまでは判断できなかったけれど。
スレッタの足は速い。ペトラも全速力を出さなければ、追いつくどころかあっという間に引き離される。
上空の戦闘から目を離し、耳を圧するモビルスーツのエンジン音には聞こえないふりをしつつ、ペトラはスレッタの背だけを見て全力で走る。5秒、10秒、20秒……
直後、異常な衝突音が轟いた。
ペトラは思わず足を止め、再び空を見上げる。
緑のガンダムが真っ赤に発光し、紫の機体めがけて突進していた。
緑と紫の機体は正面衝突こそ免れたが、そのままもつれ合うように戦術試験区域の方へと飛んでいく。
そして。
「ノレア、ありがとう。
私を好きで……いて、くれて……」
校内のすべてのスピーカーから、その声が響いた。
ノイズ混じりの、しかし無線越しとは明らかに音質の違う、少女の声。
メカニック科であるペトラも戸惑いを覚えざるを得ない。スピーカー越しであるにも関わらず、まるで隣から話しかけられたように聞こえる声であった。
「何、今の……?」
見れば、前方のスレッタ・マーキュリーも困惑気味の表情で立ち尽くしている。だが彼女はすぐに瞳を鋭くし、再び走り始めた。どうやらこの近くにある学内用の乗り物置き場へと向かっているらしい。生徒手帳さえあれば誰でも使えるバイクやモビルクラフトが駐車されている場所だ。
「ちょ、待ってよ、水星ちゃん!」
わけがわからないまま、ペトラも再びスレッタを追って走り始めた。
大型のバイク型モビルクラフトに乗ってエンジンを始動させようとしているスレッタに、どうにか追いつく。
呼吸を整える間もなく、ペトラは赤毛の少女に呼びかけた。
「待って! 水星ちゃん、戦うつもり!? 戦うつもりなら……!」
こんなモビルクラフトでは戦えない。だけど、止めるべきか、それともディランザを貸し出すべきか。
そう迷いながら投げかけた質問は、しかしすぐに無意味になった。
本人が目的を否定したからだ。
「戦いはもう終わってます。そうじゃなくて、助けに行きます! ソフィさんを!」
「……へ?」
ペトラは唖然となった。
ソフィって誰? もしかして、あのガンダムに乗ってるテロリストのこと?
その質問を発する前にモビルクラフトのエンジン音が鳴り響く。ペトラは反射的にスレッタの座るすぐ後ろに飛び乗った。
そして気づく。このマシンは授業や決闘で負傷者が出たときに出動する、医療用パックを積んだ特製のものだと。
後方からスレッタの腹部に腕を回すと同時、マシンが走り始める。いわゆる二人乗りの状態になってしまったが、いざというときはサブシートを展開して患者を運ぶこともできるこいつのパワーならば特に問題はないはずだ。校則違反だが。
「事情を説明して! アンタは恩人なんだから、私にも助けさせてよ! ……目的によるけどさ!」
マシンのとんでもない加速度に冷や汗をかきつつ、ペトラはスレッタの後頭部にそう怒鳴った。
モビルスーツのエンジン音はもう聞こえない。どうやらスレッタの言う通り、学園内の戦闘は終息したようだった。
二人乗りで戦術試験区域に向かいながら、ペトラはスレッタから説明を聞き終わっていた。
緑色のガンダムの搭乗者が、ソフィ・プロネと名乗る地球出身の少女であること。
そのソフィとスレッタが、オープンキャンパスで交流したこと。
ランブルリングで本性を表し襲いかかってきたソフィに対し、スレッタはエアリアルで戦い、最終的にソフィの生死は不明となったこと。
そのソフィがいま再び現れ、緑のガンダムに乗り、パーメットスコアを4まで上げた状態で戦闘していたこと。
そして今――おそらくはデータストームの後遺症で、ソフィが瀕死の状態になっているであろうこと。
「あのガンダムの赤い光は、パーメットスコアを4まで上げた証。あの状態のままで戦闘を継続したら、パイロットは自分の命を削ることになります!」
荒っぽくモビルクラフトを操縦しながらそう語るスレッタに、ペトラは戸惑う。
ソフィ・プロネとやらがスレッタの知り合いで、そしてその少女の命が危険に晒されていることは飲み込めた。
だが。
「なんでそのソフィとかいうのを助けに行く必要があるの。そいつ、みんなを殺そうとしたテロリストなんでしょ?」
ましてや、ラウダ先輩に傷を負わせ、フェルシーを死にそうな目に合わせ、そして12名もの人間の命を奪った殺人者だ。そんなやつを助けてやる義理など無い。ペトラにはそうとしか思えない。
だがスレッタは、先程までの気弱な彼女と同一人物とは思えない毅然さで、きっぱりと言い返してきた。
「いえ、助けに行きます! 行かないといけないんです!
だって死んだら終わりなんです! 死んでしまったら、もうそこから何もできない!
謝ることも、償うことも、誰かを助けることも、誰かと話すことも、誰かを抱きしめることも……誰かの隣にいてあげることもできない!
だから、死んでいいだなんて思いたくない!」
ペトラは驚く。
なぜスレッタは、人の命に対してここまで強い思い入れを持っているのか。
なぜスレッタは、そこまでの決意を胸に秘めているのか。
問いかけていいものかどうかペトラが迷っていると、スレッタの方からその理由を話し始めた。
「わたし、思い出したんです。水星に居たときのことを。……そこでずっとやっていた、救助活動のことを」
スレッタ曰く。
彼女がもともと居た水星は、資源採掘の場であると同時に、太陽にあまりにも近すぎる危険な環境の星であり、労働災害が耐えなかった。そんな場所で、彼女は幼い頃から何年も救助活動に勤しんでいたという。
エアリアルを駆って何度も何度も水星の住人の命を助け出し、その実績で以て次第に周囲の信頼を得るようになった。
と同時に、助けることのできた人たちの声を、何度も何度もスレッタは耳にし続けてきたのだ。
「水星でも、死にたい人なんていなかった。
優しい人も、そうでなかった人も、みんな死にたくなかった。
生きて帰れたら、みんな心から喜んでた! どんな人だろうと!」
戦術試験区域にモビルクラフトで乗り込みながら、スレッタが叫ぶ。
「わたしは間違ってたんです。プラント・クエタのときも、ランブルリングのときも。
どっちのときも、戦わないで済む方法を……殺し合わなくて済む方法を、最後の最後まで探さなくちゃいけなかった!」
その言葉の意味は、ペトラにはよく分からない。
分からないけれども、スレッタが何かの答えを見つけ出したということは判った。
先程の授業中も、授業が終わった後も、自分が何をするべきかずっと迷っていた少女は、今は決然と前に突き進んでいる。
「プラント・クエタで銃を構えていた人も、ソフィさんも……死にたくなんてなかったはずなんです!
だったら、まずは命を助けなくちゃいけない! わたしはそうするべきだった……そうしなきゃいけなかった!」
「で、でもさ。そうは言っても、相手はこっちを殺そうとしてくるんだよ? 武器を突きつけてさ。
そんな相手まで救おうとするだなんて……」
思わずペトラが言い返すも、やはりスレッタは前を向いたまま、首を横に振る。
「さっきのソフィさんの声は、友達を想う声だった。大切な人を案じる人の声だった。
わたしはあの声を知っています。水星で何度も聞いた声です。
だからきっと、ソフィさんだってわかってくれるはずです! 殺しあう必要なんてないってことを!」
でもさ、相手が判ってくれなかったら、アンタの命まで危ないんだよ?
ペトラがそう念を押しても、スレッタの答えは変わらない。
「わかってます。でも、それでも……わたしは諦めたくないんです。
命が助かって、喜ぶ人達を知っているから。……助けられなくて、悲しむ人達を知っているから。
わたしはもう後悔したくない! たとえ結果がダメだとしても、わたしができる限りのことをしたいんです!」
「…………」
これはもう、処置なしだ。
ペトラは説得を諦めた。
そして、決意する。
スレッタは恩人だ。その恩人を見捨てるなんてできない。
もし緑のガンダムのパイロットが大人しく言うことを聞くなら、あるいは意識を失っていたなら、自分はスレッタの救助活動を助けよう。
もし相手が敵意を剥き出しにこちらを攻撃してくるようなら、自分はスレッタを守るために行動しよう。……命を賭けるのは嫌だけれど、スレッタを引きずってこのマシンで逃げるなりはできるはずだ。
ペトラはスレッタに片腕でしがみついたまま、もう片方の腕で生徒手帳を取り出す。
片手で素早く通話機能をONにし、グエルとラウダが不在の今、寮長代理を任されている先輩にコールをかける。
スレッタを止めない。スレッタのやろうとしていることを助ける。
その決断が正しいのかなんて判らない。
だが、やるからには全力だ。ジェターク寮のみんなの力も借りて、全力で恩人に報いる。
電話口に出た相手に、ペトラは呼びかけた。
「カミル先輩! いま大丈夫ですか!? ……はい、私は無事ですっ!
で、ですね、救護活動の準備をお願いしますっ! 今すぐにですっ!
安全を確認したら場所を言いますから、大至急で寄越してください! ええ、人員も装備も、ありったけです!」