机の上に置いていた自分の端末にメールが入ったのを見て、休憩を取っていたグエル・ジェタークCEOは目を細めた。
差出人名はソフィ・プロネ。つい4ヶ月前に地球に降り立った少女からの不定期報告だ。長い会議から解放されたばかりでだいぶ疲労は溜まっていたが、グエルはさっそく端末を開き、報告内容を確認し始める。
「騒音対策か……。やっぱり地球と宇宙では、いろいろと勝手が違うな」
「へえ、文書は稚拙だけどなかなかの情報量じゃん。大したもんだね、この報告書」
「おわっ!?」
横から別の青年に端末を覗き込まれ、思わず身をそらす。グエルはあわてて自分の端末を懐に抱え込むと、不躾な青年に苦言を呈した。
「勝手に見ないでくださいよ、ケレスさん。一応こいつは社外秘なんですから」
「社外秘ぃ? 給料も報酬も支払ってない部外者に作らせた報告書がか? やっすい会社だねぇ、ジェタークも」
「いやまあ、確かに彼女はまだウチの社員でも何でもありませんが……あいつの手術代を払ったのも、人工臓器のメンテ代を負担してるのもウチの部門なんで……」
「オイオイ、だったらその費用をソフィに請求しろよ。その上で彼女ときっちり労働契約を結ぶのが筋ってモンだろうが。あいまいな労使関係はトラブルのもとだし、いざ何か起こったときに誰も責任取れなくなるぜ?」
「…………」
青年の指摘どおりだったので、グエルは何も言い返せなかった。確かにソフィとジェターク社の関係は不透明であり、違法というほどではないにしろ適法とも言い難い。
ただ、この微妙な関係の継続を望んでいるのがソフィ本人なので、グエルにも如何ともし難い話ではあった。彼女自身はグエルへの協力と治療への恩返しを口にしてはいたが、まだジェターク社への入社希望の意志を示してはいないのだ。
「……ま、そのへんは、いずれ本人とも話し合って、法律の文面通りに解決します。できればウチに入社して欲しいとは思ってますが」
「それ以外の選択肢なんて彼女にあるか? 彼女には後ろ盾になる企業もなければ借金を肩代わりできる家族もないんだ。今後まともな人生を送ろうと思ったら、一生ジェタークの飼い犬になる以外に道なんて無いだろ。
それとも、お前が彼女の借金をチャラにでもしてやるか?」
「…………」
またもや辛辣な意見を浴びせられ、グエルは黙り込む。
実際、青年の言う通りだった。ソフィは命こそ永らえたが、人並みの寿命を得るための手術で借金は膨れ上がり、個人で返済できる範囲をとっくに超えている。いちおうは株式会社ガンダムとの合同事業の中での臨床試験扱いではあるが、費用全額をジェターク社が受け持つことは法律的にも不可能だ。
かといって、グエル個人で借金を肩代わりするなど、ソフィ本人が断るだろう――あいつは非常にいい加減なヤツではあるが、子供のくせに妙に義理堅い人間でもあった。
どうしようもないことといえど、人一人の人生を今から縛り付けているようで、グエルは後ろめたいものを感じざるを得ない。
若きCEOが目を伏せていると、眼前の青年がこらえきれないと言わんばかりに笑い出した。
「いやはや、ずいぶんとあいつのことを気にかけるねえ。もともとはお前を襲ったテロリストだってのに」
「……古い話ですよ」
グエルは苦笑した。
彼の脳裏に、4年前の光景がありありと浮かぶ。
以前グエルが偽名を使って潜り込んだ輸送船に、ある日突然、テロリストたちが襲撃を仕掛けてきた。
そのテロリストのひとりが、ソフィ・プロネだった。
「お兄さんさ、さっき私のこと見てたでしょ?」
そのセリフとともにこちらの額に銃口を突きつけてきた彼女の顔は、今でもはっきりと覚えている。人の死をなんとも思わぬ、人を殺すことに何の躊躇もない兵士の顔だった。
彼女の本質は、あれから4年経った今でもあまり変わっていないかも知れない。その必要があり、機会と手段があるなら、彼女は今でも躊躇なく敵を排除するだろう。
あのときと今とで違いがあるとするなら、彼女にとっての身内の範囲だ。スペーシアン全てが敵だったあの頃と違って、今の彼女の交友関係は地球にも宇宙にも大きく広がっている。彼女は決して身内は害さない――その点について、グエルは全く疑っていない。
「むかし言われたことがあったんですけど、あいつ、なんとなく俺に似てるんです。身内に甘くて敵に容赦がない点が特に」
「ふーん。なんとなく分かる気はするがね。……誰に言われたんだ? そんなこと」
「名前は明かせませんが、軌道エレベーターまでの道を教えてくれた人に。その人も、フォルドの夜明けの関係者でしたが」
「やたらとテロリストと交友関係が広いな、お前」
眼前の青年が呆れたような表情を浮かべる。特に言い返すべきことも無かったので、グエルはただ肩をすくめた。
フォルドの夜明けの戦闘員――周囲からオルコットと呼ばれていたその男は、地球で人質にされていたグエルが宇宙に戻るための旅に途中まで同行し、道案内はもちろん、食糧や服の融通まで利かせてくれた人物だった。
敵であるはずのグエルに、寝返ったわけでもないオルコットがそこまでしてくれた理由は、今でもよく分からない。彼は必要最小限のことしか喋らなかったからだ。
唯一と言っていい例外は、ソフィとノレアに関することだった。どうも彼は、地球のテロ組織が子供を戦闘に駆り出すことに思うところがあったようだ――そうしなければ宇宙との戦力格差を埋められない現実の前に口を閉ざしてはいたけれど。
「あいつはガキそのものだ。ノレアがカバーしてくれなければ、とてもじゃないが扱えん」
道中でソフィのことをオルコットに尋ねてみると、そんな言葉が返ってきた。
男は少し考えて、もう一言、付け加えた。
「だが、ガキとしては大したヤツだ。あいつがまともな家庭に生まれていたなら、
……お前みたいになっていたかも知れんな」
どういう意味です、と問いかけても、オルコットはそれ以上何も語ってくれなかったが。
ソフィと自分の違いはただ単に、生まれ落ちた環境の違いでしかない。
男が言いたかったのはそういうことだと、今のグエルは解釈している。
「もしソフィが孤児じゃなかったら。
孤児だったとしても、まともな養育施設に入れたなら。
オックスアースに目をつけられて、ガンダムに乗せられるなんてことにならなければ。
……そういうことを考え始めると、どうしても」
「だが現実にはあいつは捨て子で、今の地球にはまともな養育施設なんかほとんど無くて、ガンダムに乗ってなければ間違いなく路上で野垂れ死にしてたさ。あいつが今日まで生き延びたのは、ガンダムに乗ることができたおかげだ。
そうじゃないか? CEOさんよ」
「……今日はやけに反応が辛めですね、ケレスさん」
「ま、俺が元いたペイル社も、オックスアースと似たようなことをしてたからなあ。
……いちおう言っておくが、俺自身もペイル社に身元を買われた人間なんだぜ? 強化人士たちほど人生終わった状況じゃなかったとは言え、な」
楽しくもなさそうにそう語る青年を、グエルは見返す。彼は彼で、自分では想像もできぬ苦労を味わってきたらしい。
そんな彼だからこそ、こういう問題では殊更にこちらに苦言を呈してくるのだろう。
「甘ったれるな、現実を見ろ、ということですか」
「そこまでは言わないさ。クソみたいな現実を変えたいと思うなら、変な夢想に逃げるな、とは言わせてもらうけどな」
そしてケレスはコーヒーを口にした。
グエルもまたそれに習い、今まで放置していたコーヒーカップに手を伸ばす。
すでに冷め始めていたコーヒーは、あまり美味とは言えなかった。
「……で、結局どうするんだ? ソフィのことは。
借金をそのままにして、身体だけ治してハイ終わり、なんてつもりはないんだろ? お前も」
二人してコーヒーを飲み終わると、ひとたび途切れた話題をケレスはもう一度持ち出してきた。
どうも彼自身も、あの元テロリストの少女の処遇についてただならぬ関心があるようだ。
グエルはそれについては指摘せず、代わりに、あの少女が2年半前に昏睡から目覚めた直後のことを脳裏に思い描く。
グエルが見舞いに訪れたとき、ちょうどソフィは、病院の人間から自分自身の現状や、彼女が昏睡状態の間に起こった出来事を聞き終えていた。
グエルが少女のベッドの横の椅子に座り、久しぶりだな、と声をかけると、少女はベッドに横たわったまま尋ねてきた。
「なんで私を助けたの?」
スレッタ・マーキュリーに頼まれたから。そして、かつて自分が救えなかった命に悔いがあったから。そう答えると、少女は警戒心を隠そうともせず言い放った。
「正直に言おっか?
今までさんざんアリの手足を引きちぎって遊んでたガキが、ちょっと気が変わって、アリの一匹を家に持ち帰って、巣箱の中で飼い始めた。でも、明日になったらまた気が変わって、指でぷちっとそのアリを潰すんだろう。
……私から見ると、そういうふうにしか見えないよ、お兄さん」
ひどい言い草ではあったが、言われたグエルは眉ひとつ動かさなかった。地球に住む人々が抱くスペーシアンへの不信の根深さは、すでに何度も目の当たりにしてきたからだ。
だからグエルは、敢えて少女に媚びを売るような態度は取らなかった。
「俺にそんなつもりはない。……と言っても、信じては貰えないだろうがな。
どうすれば地球の人たちに俺たちのことを信じてもらえるか、それを俺も、悩んでる真っ最中なんだ」
正直に、自らの状況を明かす。
ミオリネとの約束により、ジェターク社は地球資本への売却を免れ、グエル他幹部は会社に残留することができた。しかしグループ内の取引先企業のほとんどが地球に売却されたために、結局は他の旧ベネリットグループ企業と同様、日常的に地球側と交渉せざるを得ない状況に追いやられ――地球側の企業や人材とほとんど交流のなかったジェターク社は、業務に大いに支障をきたす羽目になったのである。
戦争シェアリングの縮小に伴う軍用モビルスーツの需要低下も苦境に追い打ちをかけた。ブリオン社との提携による民生用モビルスーツの開発や、地球復興計画への参加など、いろいろと事業の手を広げてはみたものの、やはり地球側との交渉の遅れが黒字化を阻む。
「どうにかして地球の人々と信頼関係を築きたい。きちんと話し合いをしたい。
俺個人の思いってだけじゃなく、俺の会社の命運がかかっているから。
……それが俺の、偽らざる現状ってわけだ」
グエルの言い分を聞き終えると、ソフィは軽くため息を付いた。
ベッドに横になったまま、鋭い視線でグエルを見据える。
「お兄さんの輸送船を私たちが占拠したときのこと、覚えてる? お兄さんが言ってる話し合いって、アレと同じだよ。
相手が口答えしたらいつでもぶちのめせる状況で『話し合い』なんかしても、相手は信頼なんてしてくれないし、本当のことを話してもくれない。そうでしょ?
まずお兄さん自身が地球に降りて、相手と同じ目線に立たなきゃ」
そして少女は、グエルをじっと見つめたまま、こう付け足した。
「で、同じ目線に立った途端、お兄さんは聞きたくもないことを聞かされ続けることになるよ。
恨み節だの、言いがかりだの、ただの愚痴だの、こっちには関係のない話だの、どうでもいい世間話だの。
でも、そんな聞きたくもない話を聞き続けないと、相手は信頼してくれない。途中で話を聞くのを拒否したらそれまで。
そんなんを延々続ける覚悟が、お兄さんにはあるの?」
「……それはお前の経験則か?」
「まーね。私も物心ついたときから何人もガキどもの面倒を見てきたから。ホントは面倒くさいんだけどね」
あーやれやれ、などと首を振ってみせる少女に、グエルは思わず微笑んでしまった。
やはりコイツは一筋縄ではいかない。
そして、この状況でこれだけ言いたい放題言えるのなら、コイツはこれからも地球の人間としての意見を遠慮なく自分にぶつけてくるだろう。
ならば――
「手始めに、お前の話を俺に聞かせてくれ。
お前の見てきた世界を、お前が出会った人々を、俺に教えてくれ」
そう提案すると、ソフィは目を見開いた。
「……お兄さん、本気?」
「もちろん。俺も仕事があるから何時間も連続は無理だが……週に2回は必ずここに来る。そのときに、30分でもいいから、俺に話を聞かせてくれ」
「途中でやめたりしたら、私はお兄さんを軽蔑するよ? 悪口を言いふらすよ?」
「ああ、そうしてくれ。でも、話を聞くのは割と得意なんでな。たぶん大丈夫だ」
そう請け負うと、へえ、とソフィは感嘆の声を上げ、そして初めて笑顔を見せた。
ただし、にやり、という感じの、意地の悪そうな笑みだったが。
「なら、私を治療してくれたお礼代わりに、私がお兄さんをテストしてあげるよ。お兄さんが信用できるかどうか。
もしお兄さんがちゃんと私の話を聞いてくれるなら、お兄さんを認めてあげるし、私の知り合いにも信用できるって紹介してあげる」
ソフィが持ち出してきた条件を、もちろんグエルは吞んだのだった。
グエルは意識を、2年半前から現在へ戻す。
興味深げに身を乗り出すケレスに、にこりと笑ってみせた。
「あいつの今後については、あいつ自身が決めることです。
いま俺に言えることがあるとするなら……一応、あいつのテストには合格しました。だから、ウチを選んでくれるはずだと思ってます」
「……ほお? やけに自信ありげだね、CEOさんよ」
なにやら面白くなさそうな表情の青年をよそに、グエルは自身の端末を覗き込んだ。
スケジュールアプリを開き、そして今月末にまだ空いている日があることを確認する。
「……よし」
グエルはさっそく地球行きの予定を入れた。
工事現場の騒音について自分の目で確認し、迅速に指示を出す必要がある。
そしてそろそろ、自分の将来についてどう考えているか、ソフィ本人に直接確認すべき時期でもある。
二か月ぶりの再会のときは、あいつの友人たちも交えて、未来を相談しあうとしよう。
そう心に決めて、グエルは端末を閉じたのだった。
「よおセセリア、俺だ。エラン・ケレスだ。今いいか? ちょいと頼みごとがある。人を一人、大至急調べといてくれ。
……ソフィ・プロネって元テロリストだ。いま地球でリハビリやりながら現地調査員の真似事をしてるみたいなんだが、交友関係の広さと広げ方に興味があってな。
……ああそうだ。使えそうなヤツなら、ジェタークに入社する前にウチが引き抜くぞ」
「ちょっとケレスさん!? やめてくださいよそういうの!」