三度目の眠りから目を覚ましたソフィは、薄明かりの中で目をしばたかせた。
部屋の照明は最低限にまで落とされているが、夜目の効く彼女は、時計の針もはっきりと見える。
――午前1時。
そのまま視界を巡らせると、隣のノレアはソファの中に埋もれるようにしてぐっすりと眠っている。ニカは定位置で毛布をかぶって横になっていた。
そしてエランは。
「んしょっ……と」
ソフィはベッドから抜け出た。そのまま中央のソファへと歩く。身体はまだひどく重かったが、動けないほどではない。
そして挨拶もなしで、エランの右隣に腰掛ける。
「おや、こんばんは」
やはり彼は起きていた。隣に座ったソフィを見やって、天使のような笑みを浮かべる。
「君、もう歩いていいの? まだ横になってたほうがいいんじゃないかな?」
ただし、その態度はどことなくよそよそしい。まるでこちらと会話をしたくないかのようだ。
まあ、思い当たるフシはある。スレッタへのナンパを邪魔したり、彼のファラクトを無断で調査したりと、短い期間のあいだに何度も彼には迷惑をかけている。煙たがられるのも当然ではあった。
だがソフィはいつもの図々しさで、にやにやと笑いかける。
「なんか眠れないからさぁ。しばらく話し相手になってよ、お兄さん」
エラン・ケレス。いや実際は、整形を施された影武者。
スレッタ・マーキュリーを、否、スレッタの乗るエアリアルを狙ってナンパを繰り返していた気持ちの悪い男。
ガンダムに乗って命を削ることを強要された身でありながら、生き残って逃げ切る気満々で立ち回る青年。
臆病で軽薄で優柔不断でいい加減、とはノレアの評だ。だが彼女はその後、渋々ながらもこう付け加えた。その操縦技術と格闘能力だけは確かだ、と。
そんな相手の瞳を注視しながら、ソフィは尋ねる。
「お兄さんってさ、ガンダムを降りたがってるんだって? ノレアからそう聞いたんだけど」
「そりゃあそうさ。僕は長生きしたいんだ。あんな欠陥マシーンとはさっさと縁を切りたいよ」
語るエランはいつもどおりの飄々とした態度――だがその口調にはどこか憤懣が感じられる。彼がガンダムを嫌っているのは本当のようだ。
それを確認したソフィは、更に踏み込む。
「ガンダムから降りたあとはどうするつもりなの? 生きていくアテなんてあるのぉ?」
「アテなんてなくとも、いくらでも生きてく方法はあるさ。特に、今の僕にはこの顔という武器があるからね」
「顔? 顔が武器? ……目がビーム照射装置になってて、それで銀行強盗でもするの?」
「違うよ。力づくで奪うんじゃなくて、言葉で騙し盗るのさ」
苦笑した後、エランは饒舌に語り始めた。
「たとえばヒモ……いやホスト……じゃなくて、特殊な接客業とかだね。
この顔を武器に、お金はあるけど心が飢えてる連中とお近づきになるんだ。で、そいつらの心の乾きを癒すような言葉を相手に与えてあげるんだよ。すると相手はたちまち気前が良くなって、僕にお小遣いをくれるのさ。たっぷりとね」
「えー? そんな美味い話があるかなあ?」
「それがあるのさ。君が知らないだけで、ね」
エランはひとつウインクしてみせる。
どうも段々と気分が乗ってきたようだ。緑の髪の青年は、芝居じみた仕草を交えて熱心に喋り続ける。
「コツはね、相手をよく観察すること、そして相手の話を注意深く聞くことだよ。相手が何を欲しがってるのか、どんなことにプライドを持っているのか。それを知れば、相手に投げかけるべき言葉なんてすぐに分かるさ」
「ふーん。……なんか、難しそうだね」
「そうでもないよ。まあ、人によって向き不向きはあるけど。
君なんて、割とこういうのに向いてるんじゃないかな。……特殊な、じゃなくて、普通の接客業にね」
「え? 私?」
ソフィは意表を突かれた。まさかここで自分に話が及ぶとは思っていなかった。
目を丸くしたまま、少女は自分を指さす。
「私がぁ? 騙し盗る? 殴って奪うんじゃなくて? ……できるわけないじゃん、そんなん」
「いや普通の接客業の話だから、騙し盗るわけじゃないけどね。
結局はコミュニケーション、他人と関わろうとする能力だよ。で、君にはその才があると思う。
もちろん色々と勉強は必要だけどね。君ならモビルスーツなんかに乗らなくたってやっていけるさ。うん、そっちのほうがずっと――」
そこでエランは急に言葉を切った。一瞬だけ気まずげな表情を浮かべ、そしてすぐ、あからさまな誤魔化しの笑顔を作る。
今までの饒舌さが嘘のように、彼は短く、つぶやいた。
「調子に乗りすぎたよ。ごめん」
「……?」
エランが謝ってきた理由が分からず、ソフィは首を傾げる。
……うーむ。なんなんだろ、こいつ。キャラがブレてね?
が、それはともかく。
眼前の青年が、ガンダムを降りた後も生きていく方法を知っているということは分かった。だいぶ怪しげではあったが。
次の確認だ。
ソフィは、顔に微笑みを貼り付けたまま黙り込む青年に向かって身を乗り出す。
「お兄さん、接客業のお話はこれでおしまい? なら、別の話に付き合ってよ」
「……ま、いいけどね。どんな話題かな?」
気が乗らない様子のエランの右手に、ソフィはさりげなく左手を伸ばした。
「お兄さんってさ、ノレアに気があるの? やたらと話しかけたり見つめたりしてるよね。なんていうかさあ、気持ち悪いよ?」
軽口をたたきながら、左手の指でエランの右手の甲をつつく。モールス信号――声を使わない方法でメッセージを伝える。
――この部屋、盗聴されてる?
エランは笑みを崩さないまま、不本意そうに肩をすくめた。
「ひどいなあ、そういうのじゃないさ。僕はただ、みんなと仲良くしたいだけだよ。ギスギスしたって誰も得しないもの」
と同時、彼はこちらと同じ方法で、無言のメッセージを返してきた。
――もちろん。監視カメラもある。
やっぱり見張られていたか。
プリンスが自分たちを信用していないという疑念が確信に変わる。ついでに目の前の青年が、見た目通りの軽薄な人間ではないという確信も得る。
「嘘だあ。絶対に色目を使ってたでしょ」
軽口を続けながら次に何を聞くべきか考えていると、今度は向こうがモールスで質問してきた。
――右手は動く?
体調不良を見抜かれたソフィは、ぎくりと動きを止めてしまった。セリフも不自然に途切れる。
と、こちらの沈黙をカバーするように、エランは大げさな身振りを加えつつ言葉を連ねてきた。
「そういうのじゃないけれど、でもまあ、彼女は実際いい子だよ。君を看病してるときなんて本当に甲斐甲斐しくてさ。態度は刺々しいけど根は優しいってタイプだね。そういう子は嫌いじゃない」
芝居じみた仕草で左手を掲げる青年を見上げながら、ソフィは忙しく思案する。すぐに方針を決めなければいけなかった。目の前のこの人物を、信用するか否か。
……今の自分の身体に起きていることを、正直に伝えるべきなのか。
彼がノレアに何らかの思惑を持っているのは間違いない。それが良からぬものでないという保証はない。だが今この状況では――プリンスさえ味方と言い切れない状況では、頼れる相手も他にいなかった。
ソフィは決心し、相手の右手を左指でつつく。
――動かない。たぶん、もう二度と。
するとエランの言葉が一瞬途切れた。軽薄な笑みが曇り、困ったように眉根を寄せる。
だが彼はすぐに唇を吊り上げると、こちらに身を乗り出してきた。
「とにかく、僕はここにいるみんなと仲良くしたいのさ。平穏無事な人生こそが僕の望みだからね。それを君にもわかってほしいな」
そして彼はその長い指で、メッセージを返してきた。
――君はもう、長くない。
エランもまた、データストームによって引き起こされる症例を知る人間の一人だ。そしてペイル社の替え玉である彼は、前任者の死をすでに見たことがある――ノレアはそう語っていた。
だから、彼の見立ては恐らく正しい。
内心でそう認めつつ、ソフィはわざとにやにや笑いを浮かべてみせた。
「はいはい、わかったわかった。そういうことにしておいてあげるよ」
そしてモールスで、別のことをエランに尋ねる。
それは、この相手にもっとも聞きたいと思っていたことだった。
――危なくなったら、ノレアを助けてくれない?
エランが真顔になる。
その様子を見る限り、こちらの質問の意図は十分に伝わったようだ。
と、彼は真顔のまま、胸の前でパチンと手を合わせた。
拝むような仕草で、告げてくる。
「……悪いけど、今のやり取りは彼女には黙っておいてくれないかな。変な誤解を与えるのも嫌だしさ」
即答できない。少し考えさせろ。
そういうことらしい。
ソフィはにやにや笑いのまま、口を開いた。
「別にいーよ。黙っといてあげる」
そしてソファから立ち上がり、エランをあとに残してベッドへと戻る。
たったこれだけのことで、もう身体中に疲労がたまっていた。
右手の指はやはりほんの少ししか動かない。
頭も少しばかり痛い。それもひっきりなしに、だ。
……長くない、かあ。
のそのそと布団を被り直しながら、エランからの忠告を胸中で反芻する。
実のところ、彼から指摘されるまでもない話ではあった。かつて施設で知り合い、戦場ではなく施設の中で死んでいった他の魔女たちも、死の二歩手前くらいの時期にこんな症状を示していたからだ。
頭痛、極度の疲労、末端の麻痺。
自分もほどなく彼女らの仲間入りだろう。もっともあの強烈なデータストームを浴びて即死しなかったのだから、むしろ幸運ではあるのだが。
天井を見上げ、死までの時間を測る。この部屋を出る前か、学園を脱出する前か、地球にたどり着く前か。
いずれにせよ、生きてできることはそう多くはない。
ふと視線を感じ、ソフィは首を右に傾けた。
エランが横目でこちらを見ていた。彼らしからぬ真顔で――否、憂いの表情で。
ひょっとして、とソフィは思う。
あいつが自分との会話を避けていたのは、自分がもうすぐ死ぬことを悟っていたからじゃないのか。すぐに死ぬ人間と親しくなるのが辛かったから、ではないのか。
……意外と優しいのかな、あいつ。
もう少し信用してもいいかもしれないと思いつつ、ソフィは目を閉じた。
睡魔はすぐにやってきて、彼女を眠りの園へと連れ去った。