ニカ・ナナウラは部屋の隅で体育座りし、膝に頭をうずめる。
部屋の反対側には二人のテロリスト。片方はベッドに乗せられて昏睡状態だが、もう片方は獣のような敵意と警戒心をあらわにして、こちらを睨みつけていた。
正直、生きた心地がしない。
ニカがプリンスの部下たちに囚われ、この部屋に監禁されてから、すでに数日が経過していた。
こちらを仲間の仇と思い込んでいるテロリストとずっと同じ部屋に閉じ込められて、まだ自分が死なずにいるのは奇跡かもしれない、とニカは思う。実際、テロリスト――ノレア・デュノクとこの部屋で最初に顔を合わせたときは、彼女から何度も蹴られ踏みつけられた。プリンスの部下たちが途中で止めなければ、自分はあのまま殺されていただろう。
そのプリンスの部下たちも、自分を死なせるつもりはないようだが、あのテロリストたちと同部屋という自分の境遇を変えるつもりもないようだ。
ここに味方は一人もいない。
むかし小さな部屋に押し込められて、休みもなしでいろんな部品を組み立てていた頃と同じ。いや、それ以下の状況だ。
あの部屋から抜け出したくてこの学園に来たはずなのに、結局はこんなことになってしまった。
もっとも、自分の今の境遇は、自業自得でしかない。それはニカも自覚していた。
アーシアンの孤児が何の見返りもなしにこの学園に入学できるわけがない、なんて、ノレアから指摘されるまでもなく分かっていたことだ。まさかテロの片棒を担がされることになるなんて想像すらできなかったけれど、何らかの犯罪行為への協力を求められる可能性があることくらいは予想できたはずだ。
それに、プラント・クエタのテロの直後に地球寮の仲間たちやフロント管理局にすべてを明かしていれば、ランブルリングの惨劇だって防げたはずだ。
自分が裏切っていたことを、地球寮の人たちに知られたくない。
地球寮の人たちに自分の正体を知られたくない。
そんな甘い考えですべてを秘密にしたせいで、学園に大勢の死者を出してしまった。地球寮のみんなを危険にさらしてしまった。
だから今、彼女の心を占めるのは、地球寮の仲間たちへ謝罪したいという思いと、自首して罪を償うという誓いだけだ。
……そのためにも、生きてここを出なきゃ。
体育座りのまま、ニカは固く決意する。
そのために何をすべきかも、もうわかっている。
この姿勢を維持すること。
ノレアと決して視線を合わせないよう下を向き、そして可能な限り身動きしないことだ。
――かつて自分が閉じ込められていた、あの工場の雑魚寝部屋と同じ要領だ。
身動きすれば、自分を殴って憂さを晴らしたい誰かの注意を引く。
目を合わせれば、そんな相手に殴る口実を与える。
少女はそれを経験則で知っていた。
だから何もしない。相手がこちらに近づいてこようと、どんな物音がしようと、誰が部屋に入ってこようと、何もしない――
「おやおや、相部屋なのかい? 三人も先客がいるだなんてね」
あまりにも意外な声を耳にして、ニカは思わず顔を上げてしまった。
……エラン先輩?
株式会社ガンダムにテストパイロットとして雇われていたはずの青年が、まるで緊張感のない表情で部屋の真ん中まで歩いてくる。
そんな青年に、さっそくノレアが噛み付いた。
「……なぜ貴方までここに?」
「そう邪険にすんなよ♪」
敵意むき出しのテロリストも軽くいなして、彼は部屋の中央の椅子にどっかと腰掛ける。そのまま彼は、この部屋に来た理由を説明し始めた。
「ランブルリングのとき、気づいちゃったんだよね。ガンダムとグラスレーはグルなんじゃないかって。で、カマをかけてみたら大正解!
僕もペイルにいられなくなっちゃったし、匿われる者同士――」
そしてそのタイミングで、彼女の発作が始まった。
「……ぐっ、ぐううううううああああああ!」
「……っ!?」
エランの軽口が止まる。
「ソフィ!?」
鉛筆を握りしめてエランの背後に忍び寄っていたノレアが、すぐさまベッドに戻る。
ニカもまた、思わずベッドの方へ視線を転じる。
ずっとベッドで眠り続けていた赤髪の少女が、派手に身体を跳ねさせていた。
今までにも数回こんな発作を起こす場面を見てきたが、今回のそれは特に激しいようだ。
「あああああああ、うあああああああっ!」
ソフィの足がベッドの上で暴れる。自分を抱きしめるように両腕を巻き付けた上半身が、右へ左へと向きを変える。少女の身体がベッドからずり落ちそうになり、ノレアがあわてて押さえつけた。
「ソフィ……ソフィ……! 大丈夫だよ、大丈夫だから……!」
そう呼びかけるノレアの表情は、こちらを睨みつけていたときとは真逆。気弱で無力な少女のそれだ。今にも泣き出しそうな声で、何度も何度も呼びかけを繰り返す。
だがソフィの発作は止まらない。ノレアの腕をたやすく振り切り、ベッドの外へ飛び出でようと跳ね回る。
その光景に、ニカも思わず腰を浮かしかけた。ノレアを助けなければ、ソフィが怪我を負ってしまうかも知れない。
「…………」
だが、そこまでだった。それより先のことはできない。
彼女らは暴力を振るうだけの人間だ。あの雑魚寝部屋にいた先輩たちと同じだ。言葉なんて通じない。たとえ助けたとしても、恩を感じるどころか逆に怒り狂うような連中だ。
だから、助ける必要なんてない。
ニカは再び、顔を膝頭に埋めた。苦しむソフィを見ないように、泣きそうなノレアの顔を見ずに済むように、と。
「冷やせ! 早く!」
またも意外な声を耳にして、ニカは再び顔を上げた。
エラン・ケレスが、両手に大量の濡れタオルを持ってベッドに駆け寄っていた。どうやらニカが下を向いている間に、予備のタオルを探し出して水道の水で濡らしてきたようだ。
「データストームの後遺症だろ!? とりあえず身体を冷やすんだよ! さっさとしろ!」
いつもの余裕ぶりを完全にかなぐり捨て、青年はノレアに怒鳴る。
怒鳴られたノレアは顔を上げたが、暴れまわるソフィを押さえつけるのに必死で、何も言い返せない。
青年はイライラしたように言い放つ。
「僕がその子を抑える! 君が冷やせ!」
「なっ……ソフィに触るなっ! お前なんかがソフィにっ」
「言ってる場合かよ! 苦しんでるのはその子だぞ!?」
「……っ!」
ほとんど怒声と化したエランの指摘に顔面を打たれ、ノレアが口を閉じる。言い争いをしている状況ではないことにやっと気づいたのだろう。
大人しくなったノレアに代わって、エランがソフィの両肩に手を置いた。男性の膂力に抑え込まれ、ソフィの上半身が跳ね回るのを止める。
その隙にノレアが濡れタオルを当て、ソフィの身体を冷やしていく。
3分ほども経つと、ソフィの発作は治まった。ベッドに静かに身を横たえ、寝息を立て始める。
ノレアが安堵のため息をつく。彼女はソフィの手を取り、無言で俯いた。まるで祈りを捧げるようにして、ソフィの横に立ち尽くしている。
その様子を見て取ると、青年はノレアに余計な茶々を入れることもなく、無言でタオルを片付け始めた。
部屋に沈黙が戻る。
「何なんですか、今の……」
ニカは胸中でつぶやいた。
普段はずっと眠っていて、ときおり急に発作を起こすソフィ。
あれだけ周囲には暴力的なのに、ソフィの身を案じるときはひどく弱々しいノレア。
迷うことなく、そして恐ろしく積極的にノレアを助けに行ったエラン。
そのどれも、彼女の理解の範疇を超えている。
ニカの問いかけに答えは返ってこない。
ただ、タオルを片付け終わったエランがニカの近くを通り過ぎるとき、一言だけ吐き捨てた。
「……嫌なことを思い出させてくれるよ、まったく」
その言葉の意味は、やはりニカには分らなかった。