あとはゆっくりと更新していきたいと思います。
「あっ」
「ん?」
買い物からの帰り道、ふと香澄がそう声を漏らして立ち止まる。その視線を辿っていけば、そこには後ろで髪を結った高校生くらいの女の子が大きな犬──おそらくサモエドだろう──を散歩させながらこちらに向かってきているところだった。
当然のことながら私が二回り以上も歳下の子と面識がある筈もなく、その顔に見覚えはない。
そして向こうもこちらに気付いたのか、香澄へ視線を向けると驚いたような表情を浮かべて小さく手を振っている。
「なんだ、知り合いの子か?」
「そう。同じクラスの美緒。そういえば家がこの辺だって言ってたっけ」
今思い出したとばかりに香澄が苦笑いを浮かべる。
「こんにちは香澄ちゃん。こんなところで会うなんて奇遇だねぇ」
「ホントにね。この辺で会うの初めてだからビックリしちゃったわ」
そうこうしてるうちに私達の前で立ち止まった香澄の友人である美緒さんは目を細めて穏やかな笑みを浮かべ、香澄とお互いに挨拶を交わす。
そんな彼女は間延びした話し方となんだかウチの家族の誰とも雰囲気の系統が違う、良い意味で緩い感じの子という印象だ。
──とか思っているとチラチラと視線を感じる。
「香澄ちゃん、この子って……」
あぁ、そうか。私のことが気になってたのか。
そうと分かれば相手は香澄の友達。こちらもちゃんと自己紹介をしなければならないな。
「コホンッ、えー、美緒さん。いつも香澄と仲良くしてくれてありがとう。良ければこれからも娘を宜し、ムグゥッ⁉︎」
「あ、はははっ! この子は預かってる子で少し変なことばっか言う困ったちゃんなのよ! ね、優ちゃん! 全く困った子だねー! ね、優ちゃん!!」
深々と頭を下げて挨拶を述べていると香澄の手で無理矢理口を塞がれた。
抗議の視線を香澄へと向けるが、逆に香澄から『何言ってんだコイツ⁉︎』と言いたげな非難めいた視線を受ける。
そしてようやく今の自分の姿を思い出し、ヤバいと背筋に冷や汗が伝う。
「む、娘⁉︎ もしかして香澄ちゃん、こんな小さな子にそう言わせてるの……? お、親子プレイ……?」
「違うから! 何で変な方向に思考が飛ぶのよ⁉︎」
「だ、だって……」
数歩後退り、表情を引き攣らせながら香澄から距離を取る美緒さん。どうやら彼女に私の素性がバレるという心配は杞憂だったらしく、ホッと胸を撫で下ろす。
「いや、なに『良かった〜』みたいな反応してんのさ!私が変に誤解されちゃってるじゃん⁉︎」
私が一息吐いてると美緒さんに聞こえないようにか、香澄が耳元で器用に小声で怒鳴る。
「す、すまん……!」
「いや、確かに親子だし間違いじゃないんだけど……というより家で考えた設定ガン無視しないでよ」
おっと、いけない。
「でも美緒さんと桜井さんって面識無いのか? 私の設定だと桜井さんの妹ってなってるぞ。もし桜井さんの知り合いだったら嘘がバレるんじゃないか?」
そう。この設定の問題点は、私という優が桜井綾音さんという香澄の実在の友人の妹としている点だ。
架空人物を作っても良かったが、存在しない人だと有る事無い事付け足したりしてボロが出そうで怖いという香澄の意見から、香澄のオススメということで桜井さんが選ばれたのだ。
それに私の家族向けの優の設定だっただけに、香澄の交友関係に紹介することまでは考慮してなかった。
「大丈夫。美緒は隣の県から引っ越してきたばかりだし、綾音は今は県外の高校の寮住まいだから面識ある筈ないって。それに、綾音の妹ってところ言わなきゃバレる訳ないじゃん」
そう美緒さんにバレないように笑い飛ばす香澄。さっきもそうだが、小声でここまで出来るとは器用なものだ。
「それなら……ゴホンッ。改めまして、私は桜井優と申します。諸事情で香澄っ──姉さんのところでお世話になってます」
美緒さんに向き直って見上げると私は改めて設定を意識した自己紹介を述べる。途中、慣れないせいか香澄を呼び捨てしかけた際に隣から言い知れぬ猛烈な圧が放たれたことを除けば、優としての初めての自己紹介はちゃんと出来たのではないだろうか。
──えぇい、姉さん呼びしただけで息遣いを荒くするな香澄!
「あ、これはどうもどうも……つかめっちゃ丁寧」
最後に深々と頭を下げる私につられ、美緒さんも困惑気味に深くお辞儀をする。
「あの香澄ちゃん、ちょっと……」
手招きして香澄を呼ぶ美緒さん。呼ばれるがままに香澄が美緒さんのところに行くと、少し離れたところで何やら二人でコソコソ話をしだしてしまった。
その場に残されたのは私と、美緒さんのサモエド犬。
「……お前の飼い主さん、何の話してるんだろうな」
その場にしゃがみ、手持ち無沙汰に首元をやんわりと撫でる。お座り状態のサモエド犬としゃがんだ私の目線が殆ど同じ高さだから、内心改めてその大きさに驚く。
「クゥン」
「んー? 気持ちいいのか?」
犬など数えるくらいしか触ったことがなかったが、サモエド犬が気持ち良さそうな鳴き声を上げたことがちょっと嬉しくて、さらに首元をわしわしと撫でる。
「ウォン」
「うん? どうした?」
返事をするような一鳴きの後、尻尾を大きく振り回し、フスフスと鼻を鳴らしながらサモエド犬が私の周りをグルグルと回る。そのよく分からない行動を見守っていると、ピタッと私の目の前で立ち止まる。
「ウォンッ!」
「うわぁっ⁉︎」
どうしたのかと様子を窺っていると突然、サモエド犬が飛び掛かってきた。
驚いて尻餅をつく私に被さるように、サモエド犬が伸し掛かる。今の私には大型犬の重さに耐えうる力もなく、そのままゴロンと後ろに倒れてしまう。
「痛た……何する」
尻と背中を地面に打ちつけてしまい、相手が動物と分かっていながらも文句が溢れてしまう。だがその声も最後まで紡ぐことは出来なかった。
──倒れた私の胸元に前足を乗っける姿勢のサモエド犬。体重を預けるようにしているせいか、起きあがろうにも重くて全然起き上がれず。
──荒い息遣いとともにサモエド犬の身体が、私の上で小刻みに揺れ動いていて。
──倒れた拍子にセーラー服の裾が捲れて露出してしまったお腹の辺りに、何か柔らかいような固いような熱いモノが擦り付けられているような。
サモエド犬の動きからソレが何なのかを察した私は、ヒュッと息を呑み込む。
「────あ、」
その後、私はこの姿になって初めて悲鳴というものを上げてしまうのだった。
◆
「ウチのゴン太が……ご、ごめんねぇ!」
さっきまでの穏やかな雰囲気と違い、美緒さんが申し訳なさそうに私の視線と合わせるようにしゃがんだ姿勢のまま頭を下げる。
そんな美緒さんの片手はサモエド犬──ゴン太──の頭に乗せられていて、力が込められているのかプルプルした彼女の手によって同じように頭を下げさせられていた。
「いや、その、こちらこそ大声上げて……申し訳ない。それと、えっと……気にしないで」
香澄の背中に隠れるようにしながらそっと顔を覗かせる私の口から、目を伏せながら蚊の鳴くような声が漏れる。
先程のことは、そう。ただのハプニングだ。
私がゴン太を構いすぎたのが原因かもしれないし、ゴン太がちょうどその時期だったのかもしれない。だから誰が悪いとかではなく、ただただタイミングが悪かっただけなんだ。──そう考えて、早く忘れよう。
チラリ、と香澄の陰からゴン太を覗き見る。
「ウォン!」
「ひぃっ⁉︎」
「こら、ゴン太!!」
結局、あれからどれだけ時間が経とうとゴン太が見せる私への執着は収まることを知らず。
顔を覗かせれば吠えられ、声を出せば途端に尻尾を振り、面白がった香澄が私をゴン太の前に引きずり出せば飛び掛からんばかりに暴れ回ってしまったため、これ以上はマズいと美緒さんが半ば無理矢理ゴン太を引っ張って帰っていった。
「このお詫びは改めてー!」
なんて去り際に叫んで行った美緒さんだったが、気にしないで欲しいという本音と、それでもお詫びをするのであれば今度はゴン太抜きでお願いしたい。
「よ、ようやく帰ってくれた……」
路地を曲がり、美緒さん達の姿が見えなくなったことで漸くホッと胸を撫で下ろす。そんな束の間の後、私は傍らへと視線を向ける。
そこには、そっぽを向きながら肩を震わせる香澄の姿があった。
「ぷっ、くくくっ……。お父さんの悲鳴とか、初めて聞いたかも!」
「お前……よくも私で遊んだな!」
「いや、だってお父さんが涙目なって助けてって叫ぶなんて……くくくっ」
面白がってゴン太の前に突き出したことを咎めようと怒りを隠さずに声を荒げるが、香澄はまるで暖簾に腕押し。怒られているという実感を全然抱いていないように笑い声を上げていた。
「こら、いい加減にしろ! 親を揶揄うんじゃない! まったく……」
幾ら言っても香澄には響いていないようで、段々と怒ることも馬鹿らしくなってきた私は付き合いきれないとばかりに踵を返すと、買い物袋を持ち直すと香澄を置いて帰路へと歩み出すことにした。
「ウォン!」
「ヒッ⁉︎」
突如、背後から低い鳴き声とともに背中に大きな何かが覆い被さる。咄嗟のことに私の身体がビクリと強張り、その場で固まる。
「あっははは! 『ヒッ⁉︎』だって〜! またまた可愛い声出しちゃって、ビックリしたの〜?」
「…………っ」
「はは…は……? あ、あれ…優ちゃん……?」
反応を示さない私を不思議に思ったのか、耳元で聞こえる香澄の声が次第に困惑気味なものへと変わっていった。
そんな中、私は背中に香澄を乗せたままその場にへたり込む。
「ど、どうしたの優ちゃ、お父さん⁉︎」
慌てて離れた香澄が私の前に回り込んで顔を覗いてくる。その表情はさっきまで私を揶揄っていたのが嘘のように酷く心配しているようで、眉を顰めていた。
そんな香澄へと私は小さな口を開く。
「…………こ」
「こ?」
「腰、抜けた……」
「え、えぇー……」
香澄のなんとも言えない間の抜けた声が、辺りに響き渡った。