白い邪神、ゆるすまじ   作:下半身のリキキリン(サイズXS)

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本作の相棒枠。


可愛いのは見た目だけかよ 肋骨かえせ

 新しい生命(いのち)と健全なる肉体を与えられながら、一定の学問を修めた脳と成熟された思考を(およ)そ前世と呼ぶべき場所から引き継いだ人間は、平たく言えば『転生者』という頭痛と眩暈(めまい)が同時に襲ってくるような極めて可笑(おか)しい存在になるのだろう。

 

 輪廻転生の致命的なバグである。

 それが私であった。

 

 一時期は馬小屋に閉じこもり、他者との関わりを断つべく一切の面会を拒否しつつも、(きた)るべき天界の緊急メンテナンスを大人しく待ち侘びたが、音沙汰もなく、あるわけがなく、一年と半月という長い時間を無駄に費やして、ようやく自分の立場を飲み込んだ。

 

 私は転生者だ。

 二度目の人生を手にした御年(おんとし)二十五歳を迎える瑞々(みずみず)しい六歳児だ。意味不明である。成年者の草臥(くたび)れた人格が、未熟な稚児の肉体に宿っているこの(おぞ)ましき状況に、私は言い表しようのない不安を抱えた。

 

 私には前世と称すべき過去の記憶がある。

 愛くるしい幼少時代から恋も淡く散りゆく灰色の学生時代。大学を卒業してからは、葬祭業に関わる会社員として身を粉にして働く日々に追われた。

 そこへ彗星の如く唐突に来訪した刹那的な最期の瞬間は、目を閉ざせば容易く鮮明に蘇るほど、脳裏に忌々しくも焼き付いている。

 

 あれは日本海側から発生した台風がついに本土へ上陸を果たした日のことであった。社畜を自称していた私は、雨にも負けず風にも負けずを体現するような宮沢賢治リスペクトの精神で出勤していた。雨傘が反旗を翻して逆方向にめくれ上がるというアクシデントに苦笑しつつも、職場へ小走りで向かっていた時だった。

 強風に吹き飛ばされたのであろう不純な桃色を輝かせた如何(いかが)わしいマッサージ店の電飾看板にアメリカンフットボールもかくやと思われる痛烈なタックルをかまされた。更にそれだけでは留まらず、相手選手を挟み込む手堅いディフェンスのように、同じく暴風に流されてきたのであろう破廉恥極まる猥褻な図書が足元に滑り込んできたのだ。避けようもなく踏みつけてしまって、私はものの見事に壮大に転倒した。

 

 殺陣(たて)のやられ役のような美しい回転であった。トリプルアクセルもその時ばかりは夢ではなく、突如として脳内に生えてきた審査員たちが同時に十点満点の札を掲げた。金メダルである。私は表彰台で授与されたメダルを怒り任せに叩きつけた。

 後頭部からだったのだろう。打ち所が悪かったのか、私はそのまま息絶えた。何とも度し難い死因である。卑猥なものと卑猥なものに物理的に殺害されたのだ。一族の恥である。末代まで恥である。何なら私で末代である。つまり私が恥である。

 せめて、トラックに轢かれそうになった子供を庇った末に、奇しくも絶命したかった。これでは死ぬに死に切れん。私は決してスケベではないのに、こんな死に方まるで変態みたいではないか。(ただ)ちにやりなおしを要求する。神がここに御座(おわ)しますなら、誠実かつ清潔で紳士な私に免じて慈悲を乞いたい。さもなくば、我が魂は浄土に踏み入れることなく、平将門や菅原道真を凌ぐ怨霊と化し、東京を火の海に変えることも厭わない。

 そのような客観的に俯瞰すると実に無様な悔恨の念を、深紅に染まった視界が黒く淀んで消え去るまで続けた。清廉な祈りが天に届くはずもなく、かと言って恨み妬みを口にしたところで救われるはずもない。私は心のどこかで死という運命を受け入れていた。

 

 されど、世界は続いていた。

 淀みなく(めぐ)る宇宙の輪に、私は囚われていたのだ。

 

 めざめなさい こころ つよきもの よ。

 

 肉体という枷から解放され、剥き出しの魂と成り果てた私の思念は闇の中で、絶え間ない光を感じていた。

 

 ここは じかんも くうかんも こえた わたしの うちゅう。

 

 冷静沈着に現状の理解に努めようとするものの、生命体としての絶対的な格の違いを本能的に知らしめる絶大なる畏怖の音色を前にして、我が魂は(たちま)ち萎縮して震え上がり、思考を放擲してしまう。根源に基づく恐怖心が、私に微かな理性すら許さない。

 だが、この声……脳裏に鮮明に響き渡るような、静謐で(おごそ)かな神秘性を携えた旋律の声に、手放すまいと握り締めていた僅かな正気が強く惹かれるように反応していた。その声には覚えがあった。どこかで聴いたことがあった。記憶の濁流が大きく逆巻き、狂気の手前で踏み留まっていた私にそれを思い出させる。

 

 よく きてくれました。

 

 ま、まさか……なんという巡り合わせか……。

 

 もやしと小麦粉で空腹を慰めながら飢えを凌いでいた大学生時代のことである。風の噂でとある眉唾物な伝承を耳にし、私は得体の知れぬ大いなる存在に憑かれてしまったかのように、(まばゆ)いばかりの後光差したるご尊顔を拝した黄金色の写真を、携帯電話の待ち受け画面に設定した。そこに映るは全くの赤の他人であったが、その者には金運を豊かにする福天にも劣らぬ神秘的な効果が宿っていると言われていたのだ。

 私とて本気にしていたわけではない。どう転んでも話のネタにはなるか程度の浅はかな気持ちだった。

 その凄まじき恩恵が、神にも等しい莫大なるものであることも知らずに。

 冷たい土の中で(なが)らく冬眠していた私の運気は待ち受け画面を変えたその日を境に、龍が天に翔けるが如く見違えるように上昇した。失せものは見つかり、勉学は捗り、病は花粉症の時期が過ぎ、商売はメルカリで古着が売れ、待ち人は……もうこの世におらぬのでどうしようもなかったが、とにかく昨今の私では考えられぬほどの好機に恵まれた。私の口座で孤軍奮闘していた樋口一葉が銀色の玉に変貌し、一時間も経たぬ内に八人もの福沢諭吉に化けたときは、恐怖のあまり両膝を屈し天に(ゆる)しを請うた。心が洗われるようだった。私は地球の裏側まで人々が平等に幸福を得られることを心から願い、(いま)だ終わることのない戦争を憂い、失われていく命たちを想いながら涙を流した。

 

 私の神は、ここにいた。

 信ずるべきものが、この世界にまだあったのだ。

 

 銀玉が弾ける歓喜の騒音を耳にしながら、(しば)し我を忘れて号泣した。幸運という言葉と(たもと)を分かち、華やいだ生活とは無縁の哀れな大学生として細々と過ごしてきた私にとって、それは初恋以来の久方ぶりの幸福であった。

 いつか必ずこの御恩に報いよう。私は写真に映る偉大なる御方へ密やかに誓った。しかし、感謝の一つも伝えられず、社会への惜しみない奉仕や慈善に勤しむ暇もなく、どこにでもいる若々しい社会人のまま頓死してしまった。由々しき事態である。悔いが残る。せめて、あの時の御礼を言いたい──と、心から願う清潔な思念が、ついに奇跡を起こしたか。

 

 その声。

 清く気高く聡明なその御声は。

 あの日、私が待ち受け画面に設定した心の恩師こと……美○明○氏ではないか!?

 

 ちがいます。

 

 違った。

 長々と思い出を語ったが、思いっきり人違いであった。

 

 わたしは アルセウス。 あなたたち ひとが そうよぶ もの。

 

 まるで()()()()白き光の幻影が、宇宙を模した永劫の暗闇を引き裂き、私の前に悠然と降り立った。その途端である。兼ねてより躯体(からだ)(うしな)い、闇を揺蕩(たゆた)う霊魂と相成った私は、存在するはずもない心臓を鷲掴みにされる錯覚に陥った。

 もう死んでいるはずなのに殺される。

 コイツにはそれができる。

 私の前に降臨したアル……なんとかと名乗る神鹿のような細長い四足を持つ白い幻影に対して、否応なく警戒心を高めつつ、許される限り思考を続けた。

 この(およ)そ神格と(おぼ)しき異形なる光に、これから何を要求されるのであろうか。世を去った亡骸である私が他者にくれてやれるものといえば、残念ながら皆無である。強いて言えば、ここに実存する私という意識を内包した魂魄と仮定すべきものか。魂を捧げるという悪魔的な行為が如何(いか)なる意味を孕んでいるか、私には想像もできないが、(ろく)でもない結末が待ち受けていることだけは感覚的に察せられる。

 魂の代わりになるものを、(また)はそれと同等の価値になるものを奉げねばなるまい。

 しかし、生前の私はミニマリストを自称するほど経済を回さない罪深き男である。贈呈できる物品は限られている。冷蔵庫に何が入っていただろうか。最後の買い出しは一週間前。ビール缶と茹で卵と竹輪という壊滅的なラインナップだったはず。これでは神に捧げる供物ではなく、中年に捧げるただの肴である。

 御中元で貰った傷みかけのマスクメロンで手を打ってはくれないだろうか。くれないだろうな。あとはもう実家に置いてきた古い遊戯王カードと秘蔵の猥褻な書物ぐらいしか捧げる物がない。

 まさかご興味がおありで……!? いやいや。そんなはずないだろう。矮小な人間如きが満足できる低俗な破廉恥で、神のいきり勃つ劣情を鎮めることができるはずもない。

 となれば、私に残された唯一の命綱は遊戯王カードのみとなった。しかし、これも残念ながら、子供の頃に遊んでいた品物であるために状態は劣悪であり、セロハンテープで補修しているカードもある始末。とてもではないが、金銭的な価値を付与できるものではない。やはり駄目か。魂を捧げるしかないのか。ワンチャン、ブラックマジシャンガールと卑猥な写真集のお手軽自家発電セットで見逃してはくれないだろうか。

 

 あなたが これから おりたつ せかいには ひとが ポケモンと よぶ ふしぎな いきものたちが います。

 

 あれやこれやと深い思慮に(ふけ)っていると、アルなんとかは一方的な会話を淡々と進めてしまって、私は(ほとん)どの内容を聞き逃してしまった。明確に聞き取れた唯一の単語は『ポケモン』だけである。神と(おぼ)しき存在の口から発せられたとは到底考えにくい単語を耳にして、私の脳味噌が一瞬にして真っ白に凍結したことは言うまでもないだろう。

 ポケモン……?

 私の頭の中で宇宙爆誕(ビッグバン)が生じ、謎めいた銀河の上で、ぶくぶくと肥えた大量の黄色い鼠が煽るように社交ダンスを踊り出した。混乱(パニック)である。私は終始無言で酷く取り乱していた。その上で直感的な確信に至った。

 

 もしや、神の要求は『ポケモンカード』ではないか──⁉︎

 

 突拍子もない奇天烈な結論に到達したことについて弁明の余地はない。恐らく、その時の私は軽く発狂しており、直前まで考えあぐねていた題目に引っ張られたのだろう。原理を解明したところで、今はもう虚しいだけなのだが。

 まさか高天原(たかまがはら)でも人気を博しているのか、神ですら手にすることも(まま)ならぬポケモンカード(まこと)に恐るべし、と戦々恐々しながらも、私は苦渋に満ちた表情を崩せなかった。なんせ私はポケモンカードを一枚も所持していなかったのだ。任天堂よりコナミやカプコンにお小遣いを割いていた幼少期の逆張りが死後になって裏目に出た瞬間であった。

 

 あなたには そこで まもりびとに なってもらいます。 わざわいを しりぞけ しゅうえんを くいとめ いのちを つむぐ しめいを たくします……。

 

 ポケモンカードを持たぬ人間に用はないとでも言うのだろうか。

 用無しの烙印を押された私は、得体の知れぬ場所へ赴き、そこで守衛のような役職に就任させられる旨を淡々と伝えられた。

 拒否の一切を許さぬ独善的な物言いは、人智を超えた神らしい身勝手さを()ねており、私は無力にもあわあわと嘆息を吐くことしかできなかった。対話の席にすら着かせぬ圧倒的な上位の存在に目をつけられてしまった己の不運を静かに呪った。

 守り人。

 詰まるところ警備員のようなものだろうか。

 冗談ではない。断固として拒否したい。なぜ、絶命してまで畜生の如き哀れな労働に貴重な血と汗を流さねばならぬのだ。用済みであるならば、手間を取らせた謝礼も含めて、早々に極楽浄土へ案内した(のち)に存分にもてなすが礼儀である。何が嬉しくて死後も再就職せねばならんのだ。ここはハローワークか。私は失業したのではない。失命したのだ。そこを間違えるな。

 

 百歩譲って、死後の就職活動が霊界を満喫するにおいては必要不可欠な条項(ルール)として定められていたとして、この人選には(いささ)か疑問が残る。

 私の生前の職種は、()わば葬儀屋である。他人の憂き目に首を突っ込む我ながら辛気臭い職業である。家族を(うしな)い悲哀に暮れる顧客の顔色を窺いながら、葬儀の見積もりを算盤で弾くような仕事である。

 できると思うか? そんな人間に。

 聞くからに肉体労働を強いられそうな不穏な内容である。高校時代までは確かに一般的には武闘派の不良(ヤンキー)(たぐい)に数えられていた私だが、そこからは心機一転し、今では虫も殺せぬ無償の慈悲に溢れたスーツが抜群に似合う清潔感の日本代表的な紳士へ成長を遂げた。身を呈して何かを警護出来るような人材ではないのだ。履歴書を見直せ、渡した覚えはないけれど。どうやら人事部に問い合わせる必要があるようだ。責任者はどこだ。相談窓口はどこにある。

 

 やはり、神の意向とはいえ、異議を唱えて然るべきだ。

 肉体を喪失して魂魄だけの存在と成り果てた私には、当然ながら口もなければ喉もない。言語の媒体を介したコミュニケーションが物理的に不可能な状態である。しかし、よくよく思い出してほしい。心の恩師である美〇明〇氏と声質が極めて酷似しているため私が勘違いしてしまった際、声に出ずとも我が思考を紐解き、彼奴は否定の返答を伝達していた。

 心を読むとは、流石は神と言ったところか。此方(こちら)としても実に都合が良い。

 私は()ぐに心の中で叫んだ。部署の変更を即刻要求します。というか、ぶっちゃけ働きたくありません。天国への道はどちらですか。お迎えとかないんですか。

 しかし、(いく)ら待てど返事は私に届かない。人事部と検討中なのだろうか。私としては一刻も早くここから解放され、三途の河で黒髪の乙女たちと水をかけ合い、キャッキャウフフしたいだけなのだが。

 (しばら)くすると、宇宙を(かたど)る世界が柔らかな光輝に包まれ、すべてを無に還すが如く緩やかな崩壊を開始する。どうやら私の処遇が(ようや)く決まったらしい。さて、噂に聞く極楽浄土とやらはどのような場所か、期待に胸が熱くなるばかりである。果たして、この私を満足させることができるかな……?

 

 また いつか ちかいうちに すがたを みせましょう。 そのときは きっと……。

 

 あっ、コイツさてはシンプルに無視してんな。

 

 待たんかいゴラァ──と、紳士あるまじき怒号を散らすものの、宇宙を染める白い閃光は憤りさえも溶かして、一切合切を消失に導く。私は速やかに眼前に輝く光の正体を邪神であると見定め、今後は敵として厳粛に対応していくことを心に決めた。次会ったら泣かす。挨拶無しに拳を振るうことも辞さない。

 憎き邪神との一度目の邂逅(ファースト・コンタクト)は、こうして両者の間に激しい軋轢を生みながらも終着した。

 

 やがて、私の意識は気怠げな重力に触れることになる。懐かしき四肢の感覚と色鮮やかな五感に突き動かされ、永久(とわ)に閉ざされたとばかり踏んでいた(まぶた)を上げながら、空気というものをたらふく吸ってみる。

 まず、燦々とした日光が瞳を焼いた。

 次いで、風に乗せられた潮の香が鼻腔を摩る。

 朦朧とする視界に広がった景色は、陽を浴びてちらちらとした宝石のような輝きを反射させる水平線で隔たれた大海原と青空であった。青と青。二つの異なる青は夏の季節を彷彿とさせるかくも美しい景色であった。蒼穹の空から降り注ぐ太陽の熱線に、喉をごくりと鳴らして静かに汗ばみ、白い砂浜へ両膝から力なく崩れ落ちた。

 生きている。

 間違いなく命がある。

 死者が何食わぬ顔で現世に立ち竦んでいる異常性を主観的に捉えてしまって、私は手掌を左胸に押し当てながら途方に暮れた。私の新たな心臓は気に病むことなく事務的に鼓動を続けていた。

 

 一先ず、ここを冥界に類する場所だと仮定する。

 いや、そう仮定せねばならなくなった。

 なぜならば、魑魅魍魎と形容すべき邪悪なる異形の怪物が一匹、私の目の前に()も当然のように居座っているのだ。それは60㎝程度の身長をした愛らしい稚児の容姿に()けていた。クリームイエローのような病的な肌をして、大きく(つぶ)らな深紅の瞳を絶えず私に向けている。小さく愛嬌ある顔貌に似合わぬ黒く巨大で禍々しい(くちばし)が頭部から伸び、まるでポニーテールのように背後へ垂らしている。

 こいつは一体なんだ。冥界に住まう妖怪か。はたまた地獄からの使者か。十中八九、危険な肉食獣には違いない。剝き出しにされた歯牙がそれをまざまざと物語っている。本体も大方あの大顎にあるのだろう。

 (たま)らず女々しい悲鳴を上げることなく、咄嗟に顔を伏せた私の沈着冷静な判断力からして、新たな心臓は剛毛に覆われているのかもしれない。とにかく助かった。いや、まだ窮地は脱していない。

 私が眉間を摘まみながら許容し難い非現実的な光景と悪戦苦闘している(かたわ)らで、その妖怪は小首を傾げながら此方(こちら)の顔を覗き込もうと画策していた。小賢(こざか)しい妖怪である。目を合わせまいと顔をサッと逸らすが、少し遅れながらも追随して私の視線を奪おうと回り込んできた。負けじと背を向けると、ぴょこぴょこと小さな歩幅で私の視界に潜り込んでくる。

 目を合わせるとダメなタイプの妖怪と見た。こうなれば徹底抗戦の構えである。金輪際、貴様をこの眼に宿すことはないと知るがいい。

 

「ちぃ~っ」

 

 渚を削る(さざまみ)の心地の良い音に妖怪の鳴き声が重なる。まるで「なんで無視するの」と抗議するような声色であったが、生憎のところ、私は妖怪と交わす冥府の言語学は習得していない。

 私のような通りすがりの亡者にではなく、陰陽師や祓魔師(エクソシスト)に交流を求めて欲しい。そして、願わくば魂を焼かれて滅却されることを祈ろう。供養ならいくらでもしてやる。

 

「……? なんだこれは」

 

 私は小型の球体を見つけた。材質は金属だろうか。上下を紅白で隔てた機械じかけの人工的な球体が砂浜に埋もれている。何となくそれを手に取って、まじまじと眺めてみる。

 

「意外と軽い。そこまで複雑な造りじゃないのか」

「ちぃちぃ〜」

「なんの道具だこれ」

「ちぃっ、ちぃ~と。ちぃちぃ」

 

 妖怪が両手を広げて小さく何度も跳ねる。まるでアピールしているようだ。どことなく「それを私に頂戴」と申しているようにも思われる。無論、ここは心を鬼にして無視(シカト)するのが最適解である。

 

「中央にスイッチがある。爆発物の可能性も捨てきれないが、押してみるか?」

「ちぃちぃ。ちぃぃぃと。ちぃーっ!」

 

 一重(ひとえ)に外野から「押せ!」と言われている気がする。

 

「いや、やっぱりやめておこう。なんか怖いし」

「ちぃ……」

「でも、ボタンってなんか押したくなるよな。ちょっと怖いけど押しちゃおうかな」

「ちぃっ! ちぃちぃ~ちぃぃぃ~!」

「いやでも、ひとのものを勝手にあれこれするのは常識的に考えてもどうだろうか」

「ちぃ〜……」

「ああでも押したい。この気持ち、この衝動、晴らさでおくべきか……!」

「ちぃと! ちぃぃと!」

「まっ、押さないんですけど」

「ち、ちぃぃぃぃぃぃーッ!!」

 

 堪忍袋が切れたように飛びかかる妖怪を視界に入れたと思いきや、ガブッという物々しい擬音が(ほとばし)るような新鮮な感覚に私は包まれた。

 一瞬にして闇夜(あんや)が太陽を喰らったように景色が暗転して、何も見えなくなってしまった。(くだん)の妖怪に丸吞みにされたのだと確信に至ったとき、私は紳士あるまじき焦燥っぷりを日の下に晒し、浜に打ち上げられた稚魚の如く身体をくねらせ、滅茶苦茶に暴れまくった。「お助けえええ!」と泣き叫びながら、藁にも縋る一心で握り締めた例の球体を振り上げ、その中央にあるスイッチを人差し指で押し込んでしまった。

 それからの記憶は実にあやふやな様相を(てい)している。

 いつの間にか、私は恐るべき肉食獣から解放されていた。何かが起動した得体の知れぬ金属の球体を決死の抵抗として適当に投げつけたまでは覚えがある。気がつけば、誰もいない海岸で一人尻餅をついて、私は大量の汗に(まみ)れていた。辺りには妖怪の姿は見当たらず、代わりに紅白の球体が無言で足元に転がっていた。

 

 あれは夢だったのか。それとも幻だったか。

 それならそれでいい。とりあえずは安心していいようだな。

 ほんのりと熱を帯びた球体(ボール)を拾い、私は中央のスイッチを何の理由もなく無意識に押し込んだ。

 

「ちいいぃぃぃぃぃぃいいいッ!」

「うんぎゃああああああああッ!?」

 

 突如として上下に開放された紅白の球体から勢いよく飛び出してきたのは、大層ご満悦とお見受けする笑顔を浮かべたあの妖怪であった。私は戦慄した。死を明確に察したといっても過言ではない。

 驚愕と恐怖に打ちひしがれた情けない悲鳴を上げるも効果は薄く、カタパルトから射出された戦闘機のように猛然と襲い来る妖怪を回避することは容易ではなかった。二十四本に及ぶ肋骨が漏れなく粉砕したかと疑われる衝撃に喘ぎ、意識を断たれるか否かの瀬戸際にあるにも(かかわ)らず押し倒された。

 

「ちぃぃぃ〜!」

 

 理由は不明であるが、私は頬擦(ほおず)りされながら尋常ならざる凄惨なる怪力で抱きつかれていた。全身の骨という骨を木端微塵にせんとする圧倒的な膂力(パワー)に縛られ、私の顔色は次第に青ざめていった。もはや、肋骨は形すら残っていまい。後はもう背骨が折られんことを祈るばかりの諦めの境地であった。

 

 朦朧(ぼんやり)とした意識の中で、ある記憶が唐突に掘り起こされる。それはモンスターボールと呼ばれる架空のアイテムで不思議な生き物をゲットする世界中で大人気だったあの作品……。

 

「お、お前……ポケモン、か……ッ」

「ちぃ?」

 

 どうやら、私は転生したらしい。

 それも『ポケモン』の世界に、である。

 (のち)に知り得たのだが、私が図らずも(ほとん)ど不可抗力で捕獲した最初のポケモンは『クチート』という名称らしく、その顎は鉄骨すら嚙み砕くと言われている。

 

「ちぃ」

 

 こいつ、殺す気である。可愛いのは見た目だけかよ。

 




クチートかわいいよね。オマエもクチート最高と叫びなさい(豹変)
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