学校2日目が始まった。いよいよ今日から高校──高等学校は高校と略すのが普通らしい──の授業を受けることになる。
担任の先生がほぼすべての教科を担当するのではなく、教科ごとに違う先生が授業を行うというトレーナズスクールとはかけ離れた授業方式。
まったく何をやるのか想像もできない授業内容。
あらゆることがわたしの好奇心を刺激し、胸を高鳴らせた。
1限目は朝のHRから引き続き、佐枝先生が担当するみたいだ。
わたしはワクワクを抑えきれず、目を輝かせて教壇に立つ佐枝先生を見つめた。
「えー1限目の日本史は私が担当させてもらう。自己紹介は昨日済ませてあるから必要ないだろう。早速だが、授業方針の説明に入りたいと思う。今から配るプリントを前から1枚とって後ろに回してくれ」
そう言って佐枝先生は片面印刷のプリントを最前列の生徒たちに配っていく。
あ、そっか。教科ごとに違う先生が担当ってことは授業方針も先生ごとに違っていてもおかしくないか。
わたしとしては早く授業を受けたいからオリエンテーションは早めに終わらせてほしいけど……。
そんなわたしの願いが通じたのか、プリントを配り終えた佐枝先生は授業時間が半分も過ぎないうちに説明を終わらせてしまった。
「それでは今から授業を進めていきたいと思う。教科書の8ページを開いてくれ。ああ、今から板書もするから適宜ノートを取るように」
やった! 授業が始まった! ワクワク、ワクワク。
「お前らも氷河期という言葉を知っていると思うが、これは現代より約200万年前から約1万年前の間にあった氷河時代の中でも特に寒冷だった時期の名称である」
…………?
「──氷河時代は更新世とも呼ばれ、以降現代までの地質学上の時代を完新世と──」
……??
「猿人とは、直立二足歩行を──」
?????
炎タイプでもないのに完全に頭がオーバーヒートした──
§§§§§
「じ、
午前の授業を終え、わたしは完全に疲労困憊の状態だった。
今日の朝あった授業への高揚感はどこへやら、今ではさっさとオリエンテーションを終わらせて授業に入った佐枝先生と数学の達也先生に恨み節でも出てきそうな勢いだ。
何!? あの展開とかいうわけがわからない作業! そもそも
それに数学って何なの!? 算数じゃないの!?
いや、文字が出てくるまではまだいいよ? 一応スクールでやったし。ただ文字が式の半分以上を占めるとかそんなもの見たことないんですけど!? いくらなんでも文字多すぎるでしょ!?
……ちょっと興奮しすぎた、落ち着こう。
よくよく考えてみれば当たり前だ。ここは高校、そしてわたしはその前段階である中学校の授業すら1回も受けたことがない。授業がさっぱり理解できないのは当たり前だ。
改めて1限目の日本史の授業を振り返ると、この世界がわたしの知る世界でないということが再認識できた。
国名は日本、首都は東京。
ケヤキモールを回ってみてアオガラスやマメパトを見かけたと思ったら、よく見るとそれは似て非なる生き物だったり……。
ここは高度育成高等学校という普通の高校とはかけ離れているだろう場所だが──さすがにわたしも高校でいきなり10万円をばら撒くのが普通だという噂は聞いたことがない──それ以前にわたしが住んでいた世界とは別物の世界だ。
わけがわからない授業、ポケモンがいない世界……。
考えること、わからないことだらけで頭が狂ってしまいそうだ。
それはそうと、お昼の時間になった。
うつ伏せ状態から体を起こし周囲を見渡してみると、クラスにおける約3分の2の生徒が既に教室からいなくなっていた。
今日の昼ご飯をどうするか、それはすでに決めてある……学食だ。
学食もトレーナーズスクールにはないものだった。どんな美味しい料理が出されるのか、興味がある。
そ、それに! ケヤキモールやコンビニ──昨日の小売店はそう呼ぶのが普通らしい──に無料商品が置かれていた以上、学食にも無料のメニューがあってもおかしくない。その調査が主目的だから!
──断じて、食い意地が張ったとか、久しぶりに美味しいものが食べたいとか、そういう理由じゃないから!!
そうしてわたしは席を立ち、学食へと向かった。
途中清隆と桔梗が何か話しているのを見かけたけど、まあわたしには関係ないか──
§§§§§
「結構人いるなぁ」
学食に着くと、結構な生徒の多さにわたしは少し驚いた。
中でも特に混雑している食券売り場に辿り着くと、わたしは自分の予想が的中していたのを確認した。
「山菜定食、ね」
美味しいものを食べたいのは山々だったが、そこをぐっと堪え、わたしは山菜定食の券を購入しカウンターへと並んだ。
数分ほど待ち、わたしは山菜定食を受け取ると、空いている席を何とか見つけ座った。
ぱっと見は無料の定食とは思えないほど普通に食べられそうなものに見える。
絶対に飽きが来そうだが、これだけで1か月過ごせと言われても栄養面だけなら何とかなりそう。
早速箸を持って食べ始めたが、見た目だけで味は激マズかと思いきや味も普通に美味しい。
まあ普段出来合いのものばかり食べていて極々偶にしか料理をしないわたしの舌が鈍っているだけで、普通の高校生からすると不味いと感じるものかもしれないけどね。
食べ始めてから5分経たないぐらいのところで、天井付近にあるスピーカーから放送の音声が聞こえてきた。
「本日午後5時より、第一体育館にて、部活動の説明会を開催いたします。部活動に興味がある生徒は、第一体育館に集合してください。繰り返します、本日──」
部活動の説明会があるらしい。
これまた聞いた話によると、中学生活、または高校生活で一番楽しいのは部活動だと言う人もいるんだとか。
──あれ? わたし、中学とか高校の話を誰から聞いたんだっけ?
……まあいいか。とにかく、わたしは部活動をやったことがないうえ、それほど部活動が楽しいものであるなら俄然興味が湧いてきた。
そうしてわたしは残っていた山菜定食をさっさと食べ終えると、まだ2限も残っている午後の授業への憂鬱さ半分部活動説明会のワクワク半分の気持ちで教室へと戻るのだった。
……今度こそ、この高揚感が裏切られないといいけど──
§§§§§
「皆様お疲れさまでした。説明会は以上となります──」
司会者の女の子の声で会場に少しずつ賑やかさが戻っていく。
結論から言うと、わたしが説明会前に抱いていた高揚感は裏切られることはなく、どの部活の紹介も興味を惹かれるものだった。
ただ、ここで致命的な点が存在した。
そもそもわたしは完全に無趣味であるので、どの部活に入ったとしても心から楽しめるとは思わなかったのだ。新しいことに挑戦する勇気はわたしにはない。
せめてポケモンバトル部でもあれば楽しめはせずとも大会──そもそもこの世界でゲームとしてのポケモンバトルの大会があるかはわからないし、あったとしても高校の部活動として出場できるのかわからないけど──で活躍できただろうに。
だが、現実は無常だ。部活動で青春を過ごすのも良さそうだったんだけどなぁ。
そういえば、最後にあった生徒会の紹介はすごかった。
たしか
──ほんと、わたしってチャンピオンにふさわしくないんだな。
そう思い大きなため息をつくと、視界の端で見覚えのある女子生徒の姿を捉えた。
名前はわからないけど自己紹介のとき出て行った人たちの1人であることは覚えている。黒髪のロングヘア―なので割と特徴的ではあるし。
黒髪の少女は人ごみの中を覚束ない足取りで歩いている。よく見ると目の焦点もあっていないように見える。
「ちょっと君、大丈夫?」
「…………」
心配になったので近づいて声をかけてみたが、反応がない。
「ねえ君君、大丈夫なの?」
今度は肩を少し強めに叩きながら声をかけると、漸く彼女はビクッと肩を震わせると勢いよくこちらに振り返った。
「な、何よ!? 私は兄さんに会わなければいけないの。邪魔しないでもらえるかしら……!」
「いやちょっと待って。君、足元ふらついてるし目も焦点合ってないし、1度保健室行った方がいいと思うよ」
わたしの言葉を聞いて少女は一瞬体を硬直させると、何やらぶつぶつと呟き始めた。
「そ、そうね。こんな状態で兄さんと会っても兄さんが私を認めてくれるとは思えない。ここは1度兄さんと会う心の準備を整えてから改めて兄さんと面会する機会を……」
わたしに向けた呟きではなかったが辛うじて聞き取ることができた。
それにしても、改めてこの子の顔を正面から眺めてみると先ほど見た学会長と似ている気がする。これで苗字が堀北だったら兄妹確定でいいと思うけど。
やがて、長髪の子は冷静になったのか改めてこちらに体を向けると、小さく頭を下げてきた。
「ごめんなさい。情けないところを見せちゃったわね。……あなた、もしかして……」
「うん、同じクラス。名前は久遠幽戾。君は? 自己紹介でいなかったよね」
「……拒否しても構わないかしら」
会長の妹なのか確信が持ちたくて自分から名前を尋ねるという慣れないことをしてみたが、断られてしまった。
しかし彼女は小考すると、思い直したようにこう告げた。
「いえ、流石に助けてもらっておいて何もしないのはまずいわね。……
「あ、うんわかった。鈴音ね。よろしく」
何というか、変な人だ。わたしですら名前を聞かれたら一応答えるというのに、それを拒否する人は初めて見た。だいぶ損得勘定にうるさい人でもありそう。
まあそれ以上に、苗字が堀北だったからこれであの生徒会長の妹さんなのは確定かな。慣れないことをした甲斐はあった。
わたしがそのようなことを考えていると、目の前の鈴音は不満そうに眼光を鋭くした。
「気安く下の名前で呼ばないでくれる? そこまで許したつもりはないわ」
「気安く? いや、そんなつもりはないけど」
「そんなつもりはない? あなたまさか、下の名前を呼ぶことが許されるのは親しい間柄だけという常識を知らないわけじゃないでしょうね?」
わたしが首を傾げると、鈴音はあきれたようにため息をついた。
「はあ、いい? 世間一般的には下の名前を呼ぶのは親しい間柄でだけとされているの。小学校や中学校では下の名前で呼び合っても許されていたでしょうけど、ここは高校。もう義務教育じゃないのよ。社会人になるための準備の場として社会のルールには慣れていかないと、わかった?」
何やら長々と説明されてしまった。
「いやちょっと待って。わたしとしては名前で呼び合うのが当たり前で、いきなりそんなこと言われても困るというか……」
「名前で呼び合うのが当たり前? ……あなたもしかして海外生活長かったりする? それなら納得だけれど」
「海外生活……うーん、まあ似たような感じ」
流石に別の世界に住んでいましたとは言えないのでそう曖昧に答えておく。
「なるほどね。まあそれでも、海外の習慣を日本に持ち込まない方がいいわね。郷に入っては郷に従え、When you are in Rome,do as the Romans doよ。とにかく、忠告はしたから。さようなら」
そう流れるような口調で言うと、鈴音──堀北って言った方がいいかもしれない──は長い黒髪を靡かせながら立ち去って行った。
堀北が言ったことを振り返ると、確かに納得できる部分はある。昨日話した桔梗と清隆はわたしが彼らを名前で呼んだとき少し反応が変だった気がするし。
しかしこっちの世界にはそんな習慣があるのか。名前で呼び合うのが当たり前のわたしとしては全く理解できないしすぐにこっちの習慣に合わせられる気はしないが、まあ極力善処することにしようかな。
体育館からだいぶ人も少なくなってきたため、わたしも寮に帰ろうと体育館から離れていくのだった。
……色んなわからないことから目をそらしながら──