朝、わたしが登校すると教室の前の方で男の子たちが集まっているところだった。
輪の中心には自己紹介でお調子者という印象を受けた
正直わたしの席の近くで騒がないでほしいという気持ちがないわけではなかったが、わざわざあの集団に話しかけに行くのも面倒だったので、わたしは特に反応せず自分の席に向かっていた。
程なくしてこちらの接近に気付いたのか、男子の1人がこちらを見たかと思うと、なぜか顔を凍り付かせた。
それに気づいた周囲の男子たちも彼の視線を追うようにこちらを見たそばから、冷気が伝播するように次々と固まっていく。
──とうとうその場にいたすべての男子が凍り付いてしまったが、状況証拠的にこれってもしかしてわたしのせい? 全く原因に覚えがないけど……。
取り敢えず原因を探るため、困惑しつつも彼らに話しかけようとさらに近づくと、今度は一転男子たちはガヤガヤと騒ぎ出した。
「おい山内! お前久遠ちゃんの後ろの席だろ? なんとかして久遠ちゃんをこの場から離れさせてくれ!」
「無茶言うな池! 確かに席は近いけど俺と久遠に接点は全くないし、そもそも久遠が櫛田ちゃん以外と話してるの見たことねえよ!」
喧噪の中でわたしに言及している声も少し聞こえてきた。
ど、どうしようこれ……。ただ近づいただけなのに大事になってるよね。ひ、一先ず誰か話せる人は……。
そう思い男子たちの顔を素早く確認していくと、入学式の日コンビニで会って以来話していなかった彼の姿を見つけた。
──彼ならきっと。
「清隆ー!」
まず第一にわたしと話したことがある男子生徒であること、そしてコンビニでの会話で感じた思考の深さ。この場を解決するのに最適の人材だ。
普段あまり大きい声を出さないわたしだが、喧噪の中でも聞こえるよう似合わない大声を出し、万が一声が聞こえなかったときのために大きく手も振った。
様々な事柄を一瞬のうちに判断し行動に移したわたしだが、1つだけ考慮し忘れていたことがあった。それも少し前に指摘されたばかりのことを──
「「「清隆ぁ!?」」」
その場にいた男子の目が一斉に清隆へと向いた。
次の瞬間、寛治や春樹を中心として男子たちが凄まじい勢いで清隆に飛び掛かっていった。
「綾小路ぃ! お前、久遠ちゃんに下の名前で呼ばれてる上にあんな親しげに手を振られるとか何事だぁぁ!!」
「おいお前まさか、あの久遠と付き合ってるんじゃないよな!?」
「い、いや。そもそも久遠は誰に対してもあんな感じ……」
「言い訳無用!! くそぉ、俺の、クラスで1番に彼女を作るっていう目標がぁぁぁ……!!」
「ああ、顔は結構可愛いんだし、綾小路でも落とせるくらいなら、俺も積極的に行っていればぁぁぁ!!」
そ、そうだった! こっちだと名前呼びは親しい間柄でしかしないんだった! でもだからって付き合ってるって勘違いされるほどなの!?
さらに混沌とした状況にわたしが狼狽え、その場から動けずに辺りを見渡していると、秀雄が1人だけ取り残されているのに気付いた。
清隆のもとに突撃した男子たちに巻き込まれたからか、秀雄は足元に眼鏡とタブレットを落としてしまったみたいだ。しかも、眼鏡がないとよく見えていないようで、足元に自身の探し物があることに気付いていない。
「これ、落とした……」
咄嗟に拾おうと彼に近づくと、タブレットの画面に映されている文字が視界に入ってきた。
「Dクラス女子おっぱい大きい子ランキング……?」
そうわたしが呟くと、先程よりも強い冷気が辺りを席巻したような感覚がした。
顔を上げると、先程まで清隆に詰め寄っていた男子たち全員が極寒の中で凍え死んだかのような真っ青な顔をしている。
……視線をそらし、正面を向いた先にも全く同じ顔色の秀雄がいた。
正直状況が理解できなさ過ぎて逆に冷静になってきた気がするが、一先ずタブレットと眼鏡を秀雄に返す。
「へ? い、いいのでござるか?」
「? いいも何も君のものでしょ?」
わたしが彼の発言の意図を理解できずにいると、秀雄はやたらとしおらしい様子で続けた。
「い、いや……拙者たちは、何というか……女子の胸の大きさで賭けをしていたのでござるよ? その……久遠殿は女子として何か不満とか、止めさせようとかは……」
「ああ、さっきタブレットに書いてあったやつか。別に、好きにすればいいんじゃない?」
わたしがそう言うと、辺りに漂っていた冷気が薄まったような気がした。
ちらりと清隆の方にいる男子たちの様子を見ると、彼らの顔色は幾分かマシになっており、それどころかやや期待に満ちた目でわたしを見ているようにも見える。
……彼らの視線の意味はまったくわからないが、とりあえず言いたいことは言い切ることにする。
「だってこれって要は女子の中で誰が身長高いかで賭けをしてるのと似たようなものでしょ? 一応胸の大きさは服の上からじゃわかりにくいから身長よりかは賭けに向いてるかな。何が面白いのかは全く理解できないけど、別に害はないからいいんじゃない?」
思ってたことを伝え終えて口を閉じると、男子たちは暫くの間静まり返っていたが、次の瞬間爆発したかのような大歓声を上げた。
「「「うおおおおおぉぉぉぉぉ!!」」」
う、煩い……。わたしは思わず耳を塞いだ。
「「「久遠! 久遠! 久遠! 久遠!」」」
一部の男子はわたしの名字をコールし始める始末。
盛り上がる男子たちとは対照的に、教室にいた多くの女子たちの目線は絶対零度に達していた。
しかも、その目線はなぜかわたしにも向けられている。
いや、だから本当になんで!? 男子から喝采を浴びる覚えも、女子から冷たい視線を浴びる覚えも全くないんだけど!!
わたしはそう心の中で叫びつつ、このような件を2度と起こさないため、安易に人を下の名前で呼んではならないとより一層強く心に誓ったのだった──
§§§§§
「1位になった生徒には俺から特別ボーナス、5000ポイントを支給しよう」
昼休みが終わって5限目、かなり季節外れに感じるプールの時間がやってきた。
正直さっき体育担当の東山先生が言っていた『泳げるようになっておけば、必ず後で役に立つ』という発言は気になるけど、それよりも5000ポイントだ。
ここで5000ポイント手に入れておけば、安いけど実質タダで新しい服が買える!
色々この学校は怪しい点が多すぎるので万が一のことを考えると下手にポイントを使えず、結局入学以来1着も新しい服を買えていないのだ。これはチャンス……!
まだ見ぬ新着アイテムに思いを馳せながらわたしが久方ぶりに闘志を燃やしていると、もうすぐ男子の第1レースが始まるようで女子たちが応援のためプールサイドに集まっていた。
……やっぱり女子の参加者は少ない。朝の出来事が原因と考えると、結構な罪悪感が湧いてきた。
わたしも観戦のため女子の集団から少し外れた場所に腰を下ろすと、第1レースの顔ぶれを確認する。
2コースには綾小路──流石に朝の出来事があったので名字で呼ぶことにした──がいる。細身ながら思ったよりも筋肉質な体だ。
そして1コースには……あの赤髪だ。頭の幼稚さとは正反対に肉体はゴリランダー並みのものを持っている。
わたしが赤髪の方を睨みつけるように見やると、程なくして先生の笛の音が鳴り響きレースがスタートした。
笛の音とほぼ同時に赤髪はプールに飛び込み、力強く水を掻いてぐんぐんと進んでいく。
フォームはそこまで綺麗ではない。完全に力任せの泳ぎだが、それでも他のコースの男子達より頭1つ以上抜けていた。
「やるじゃないか須藤。24秒97だ」
一切スピードを落とすことなく50メートル泳ぎ切った赤髪に、先生がタイムを告げる。
先生は赤髪を水泳部へと誘うが、赤髪は疲れた様子もなく適当な返事をしている。
──絶対にあいつには勝つ!
マグマのような戦意が心の奥で燃え滾っていた。
その後のレース展開としては、第2レースで平田が1位、第3レースで高円寺が1位となった。
特に高円寺の泳ぎは凄まじく、クラスの誰もが唖然とした様子だった。
そして決勝戦。結果は先程よりも速い泳ぎを見せた高円寺の圧勝。5000ポイントは高円寺の手に渡った。
男子のレースが終わったため今度は女子のレースが始まる。
わたしは1人1人参加する女子の肉体を観察し、自分の
その結果、残った人は4人。
まずは前園と櫛田。と言っても、この2人は他の人と比べると身体能力が高そうなだけで、恐らくわたしにはまず勝てないだろう。
続いて堀北と
まず堀北の方は普通にやったらわたしが僅かに勝利するだろうけど、もし堀北が水泳を得意としていたら、経験値の差で負ける可能性が出てくる。
次に小野寺。彼女は櫛田から水泳部だという話を聞いていて、トレーナーズスクールで水泳の授業をやってた以外ではマリィに偶に誘われたときにしか泳いでいなかったわたしとは、経験値で雲泥の差がある。
純粋な身体能力面だと、観察した結果上半身の筋肉は小野寺の方が優れていて、下半身の筋肉だとわたしの方が圧倒的に発達している。
ただ、ここでネックになってくるのが50メートル自由形での採用率が非常に高いクロールの性質だ。
わたしも水泳に詳しいわけではないので正確なことは言えないが、クロールにおいて推進力の大半を占めるのがストロークだ。
つまり、わたしはこの競争において自分の長所である足の力を十全に使うことができず、相手に劣っている腕の力をメインで使うことを強制されるんだ。
そんな中、わたしが1位を取るためにはどうすれば良いか──
結論が出たところで女子第1レースのメンバーが出揃った。その中には警戒対象である堀北の姿もある。
全員の準備が整ったところで笛が鳴り、レースがスタートした。
現状の1位は堀北。ただ良くも悪くも想定通りのスピードだ。水泳の経験が豊富とは思えない。飛び込みも上手いか下手かで言えば上手いものの、洗練されているとまでは言えなかった。
そして序盤のリードを保ったまま堀北が1位でゴール。タイムは28秒台。やはり想定通りだ。
第1レースのメンバーが全員ゴールし終え、第2レースに出場する女子たちがスタート台の上に登っていく。
わたしもスタート台に向かいつつも実質的な一騎打ちの相手となる彼女に視線を向けた。
──目が合った。
こちらを見ている彼女──小野寺もわたしと同じような観察によってかそれとも直観によってかはわからないが、わたしが唯一の同格だと悟っているようだ。
小野寺はわたしにその男勝りな笑みを見せた。
わたしも不敵な笑みを浮かべる。
──少し、まだポケモンバトルを楽しんでいた頃のことを思い出した。
とうとう、わたしを含め第2レース出場者全員の準備が整った。いよいよ、始まる。
「位置について……よーい……」
ピーッ!
自分ができる最高の速度で、スタート台から水中へと飛び込んだ。
妥協は全くしない。ストローク、キック、どちらも全力で。
ゴーグル越しの視界から先行する小野寺が見えた。
流石水泳部、でも──
わたしは事前に考えていた作戦を実行する。と言っても、作戦と呼べるほど立派なものではない。
先程までよりもさらに強く、限界を超えてキック。
確かにクロールではストロークに力を入れた方が効率的だ。だけど、ストローク勝負じゃ小野寺には勝てない。
──だったらたとえ非効率でも、得意のキックでわたしは勝負する!!
強すぎるキック故、大きな水飛沫が上がっているのがわかるけど、関係ない。
速度は先程までよりも明らかに速い。見る見るうちに小野寺との距離が縮まっていく。
やがて20メートルほど進んだところで、わたしは小野寺を抜き去った。
──よし! このまま……。
小野寺を抜いた後も一切スピードを緩めず泳ぎ続ける。
だが、25メートルを超え、30メートルあたりまで来たところでわたしの体に異変が起きた。
手が、足が、明らかに重くなり始めていた。
──くそ! 初めから全力でやり過ぎた代償か!
わたしの疲弊を感じ取ったからか、後ろの小野寺が急速に追い上げてくるのを感じた。
ここに来て漸く小野寺の戦略に気付く。
スタートダッシュで突き放し、そのまま付いて来れないなら良し。
付いて来れるなら、相手に体力を使わせる一方自分は体力を温存し、最終的には勝てる。
完全に掌の上で踊らされて歯噛みしたい気分だったが、悔やむのは後ででもできる。
今はこの勝負に勝つことがすべてだ。
気力を振り絞り、手足を全力で駆動させる。
──残り15メートル。
すぐ後ろに小野寺がいる。
……勝ちたい……!
──残り10メートル。
すぐ横に並ばれた。
……勝ちたい……!!
──残り5メートル。
両者のスピードはほぼ同じ……!
……絶対に、勝ちたい!!!!
──残り0メートル。
勢いよく水面から顔を出す。どうなった? ほぼ同着に思えたけど、どうなった!?
わたしも小野寺も、固唾を飲んでストップウォッチを持つ先生を見上げている。
「……小野寺、24秒99。……そして、久遠、24秒96」
一瞬、どちらが勝ったのかわからなかった。24秒99と24秒96……。24秒99が小野寺で、24秒96がわたし……。ということは──
「やっっっっったああぁぁぁ!!」
わたしは何年振りかもわからないほど久しぶりに勝利の雄たけびを上げた。
勝った! 勝ったんだ!! 普通にやったら勝てない相手に、わたしは勝ったんだ!!
しかも、赤髪のタイムは24秒97だから、あいつに勝つこともできたんだ!!
わたしが勝利の喜びに浸っていると、やり切った顔をした小野寺が声をかけてきた。
「いやー負けたよ。完敗。流石だね……でも──」
小野寺はプールサイドに上がることもできるのにわざわざ水中に残って話をしている。
そしてわたしに手を差し出した。
「──次は負けないよ」
そう言って、彼女は対決前と同じ男勝りな笑みを浮かべた。
……わたしは彼女の手を強く握り返し、目をまっすぐに見つめ、不敵な笑みを返した。
「こっちこそ」
このときわたしに人生初めての戦友ができた、そんな気がしたのだった。
高度育成高等学校学生データベース
氏名 久遠幽戾(ひさとお ゆうり)
クラス 1年D組
学籍番号 S01T004770
部活動 無所属
誕生日 5月30日
評価
学力 D-
知性 C-
判断力 A+
身体能力 A
協調性 D
面接官からのコメント
当校の歴史上類を見ないほど判断力が卓越している生徒である。その一方で常識に欠け、小学校卒業程度の学力しか持ち合わせていないなど、やや歪な面も目立つ。身体能力は非常に高く、特に下半身の筋肉や体幹が大きく発達している。先述したような歪な部分がある点と他者とコミュニケーションをあまり取ろうとしない点からDクラスへの所属が適当と判断。クラスメイトとの交流を通じて、常識の習得やコミュニケーション能力の成長に期待する。