日曜日、この日は珍しく朝から真由美が暇そうにしていた。最近パーティーに引っ張りだこで、昨日も帰ってきたのは相当遅かったのだが今日は一日フリーらしい。そしてそれをみた香澄が姉に構ってもらおうとアピールする。
「お姉ちゃん今日買い物行かない?最近渋谷に新しくファッションビルが出来たらしいんだよね」
「香澄ちゃん……あなた、試験は大丈夫なの?」
「うっ!い、いや……大丈夫だよ!理論も平均くらいは余裕だし!!」
これは一応は本当である。時々泉美が教えていることもあって香澄は意外と理論も分かっているのだ。ちなみに泉美は試験とは日頃の勉強を確かめるもの、と思っているためテストの前にわざわざ勉強時間を増やしたりはしない。範囲の復習をするくらいだ。
「まあ良いんじゃないですか?テストが終わったら直ぐに九校戦の練習ですし、今のうちに気晴らしに出掛けても」
「泉美ちゃん……まあそれもそうね。泉美ちゃんもくるの?」
「はい、私も行きます。少し買いたい物もありますし」
「それじゃあお昼も外で食べましょうか。11時ぐらいに家を出るから支度しておいてね」
「はい」「はーい」
なんとなくお出かけが決まったが、考えてみると三姉妹で出かけるのは久しぶり……なんなら3年ぶりかもしれない。香澄とは休みの日に一緒に出かけたりするが、真由美と出かけた記憶はもう遠い彼方にしかない。強いて言うなら入学式だが、あの日は泉美は一人で家を出ている。
たまにはこういうのも良いだろう、と思いながら、泉美は自室に着替えに戻った。
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渋谷についた三人は昼食を適当なフードコートで食べることにした。これは真由美の案で、普段高級レストランに行くことが多い分たまにはこういう所で食べたいとのこと。
「泉美……なにそれ」
「?ただのカレーですよ?」
泉美が注文したのは火山カレーなる、
「いやいやいや、赤すぎでしょっ!?見てるだけで痛いんだけどっ!?」
カレーを見た香澄が何故か騒いでいる。真由美も引き気味に見ているが、このカレーは見た目こそ派手でなにやら注意書きがたくさん書いてあったが、ちょっと辛めのカレー程度だ。そんな大げさなものではない。
「いつからそんな辛党になったのさ。昔はそんなことなかったじゃん」
「どうでしょう……旅先で激辛ラーメンを食べたのがきっかけ……ですかね。まあ大人になったということでは?」
「それは大人になるとは言わないわよ泉美ちゃん……」
しかし言われてみれば別に前世が辛党だったという訳でもない。何故こんなに姉妹と味覚が違うのか、不思議といえば不思議かもしれない。
ちなみに香澄の注文はステーキのライスセット、真由美は意外にもラーメンだった。本当に大衆料理に餓えていたらしい。泉美は朱いカレーをパクパク食べながら言う。
「それで、私は買うものがあるので少し別行動しますが、二人はどうします?」
「?泉美ちゃん何買うの?」
「大したものではありませんよ。紙と……あと墨もですね」
「何に使うのか知らないけど、それオンラインで良くない?」
「良くないです。紙や墨の良し悪しは画面越しでは判りません。そもそも買い物は実物を見て決めたいタイプですし」
「ふーん………それじゃボクたちは服見に行くよ。お姉ちゃん、せっかくだし水着見に行こうよ!」
「そうね~もう夏だし水着も良いわね」
二人は水着を見に行くらしい。香澄は昨日ロアガンの練習で野外演習場の水路に行っている。練習しているうちに普通にプールで泳ぎたくなったのかもしれない。
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二人と別行動をとった泉美は書道道具の専門店に来ていた。墨、と一口に言っても種類が色々あって今回買いたいのは安価で広まっている鉱物油の墨ではなく、松の煤を使った墨汁だ。店員と少し話したが素人のバイトだったのでお帰り頂いて一人で見て回る。
(質が昔より落ちてる気がしますが……店の問題なのか時代の問題なのか)
現代の技術力は不純物のない、もしくは少ないものを作ることはお手のものだが、松煙墨の様に不純物を含むのが前提のものはむしろ質が落ちている。そもそも書道自体の需要が激減する中、伝統的な作り方をしている生産者がどれだけ残っているのか。
(糊剤は合成でも良いんですが香料が……龍脳は当然在りませんね……まあ梅か……)
結局妥協ラインの墨を選ぶのに一時間近く掛かったが(墨だけで5000円。『記憶』の頃より値上がりしてる)、幸い紙と筆は品質が向上していて、満足のいくものが直ぐに見つかった。これで予定していた買いものは終了だ。
二人と合流するため真由美にメッセージを送る。二人はこれから適当な喫茶店に行くとのこと。何故か司波兄妹も一緒らしい。またなんかやったんじゃないだろうなと不安になりつつ、泉美は合流するべく位置情報を頼りに歩き出した。
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達也が指定された喫茶店に入ると真由美が恥ずかしげに視線を泳がせ、香澄がこちらを睨んできた。まあ予想できたことだ、達也はこぼれそうになるため息をぐっと堪えた。
──事の発端は十五分前、達也は深雪に連れられて夏服を見に来ていたが、試着室が空いていなかった。すると店員が空いている、
「司波先輩!?何してるんですかこんなところでっ!」
大声で詰め掛かってくる香澄。おそらく試着室には泉美がいるのだろうと思って急いで離れようとしたが、状況は彼が思っていたより少し悪かった。
「ちょっと香澄ちゃん。何を騒いでいる……の」
試着室の扉が開いて出てきたのは泉美ではなく──
──その後、達也は真由美が上げた悲鳴から逃げだし、深雪に呼び出されて今に至る。
もちろん達也もあのまま別れるのは後々もっと面倒なことになると分かっている。きちんと話はしておくべきなのだが、今達也の視線の先でテーブルに着いているのは笑顔の深雪にこちらを睨んでくる香澄、そして動揺を隠せていない真由美。席に着くのを躊躇する光景だ。
「おや、司波先輩。こんにちは」
そう思っていると背後から声をかけられた。振り返るとブラウスにロングスカート姿の泉美が立っている。真由美達とは別行動をしていたようだが合流に来たらしい。ちょうどいいので二人で深雪達の待つ席に向かう。直ぐに注文した飲み物が届いた。
「深雪先輩、こんにちは。姉たちが何か御迷惑をお掛けしませんでしたか?」
「こんにちは、泉美ちゃん。いいえ、むしろ私の方が七草先輩に御迷惑を……七草先輩、お兄様も、申し訳ございませんでした。私がお兄様をあのような場所へ連れて行ったばかりに……」
「いいえ、深雪さんが悪いんじゃないわ。別に……裸を見られたわけじゃないんだし。み、水着なんだから恥ずかしがる方が変なのよね。ごめんね、達也くん。さっきはちょっと驚いただけなのよ」
「いえ、無理もないと思います」
真由美はどうにか年上らしく振る舞おうとしているが動揺がまるで隠せていない。今も頬は赤く、達也と視線を合わそうとしない。
そしてそんな会話をしている横で泉美が香澄から小声で話を聞いている。怒りのオーラに満ちている香澄に対して泉美は他人事の様な反応だ。
「まあ姉さんも落ち着いて下さい。良いじゃないですか、もともと見せる相手もいなかったのですから。むしろ一人とはいえ殿方に見せれてラッキーと思っておけば」
「泉美ちゃんっ!?」
真由美がひっくり返ったような声をあげるが泉美はどこ吹く風だ。この分なら香澄も泉美がとりなしてくれるか、と正直達也は期待したのだが、世の中はそんなに甘くはなかった。
「そんなことより、覗きで思い出したのですが──」
もうこの前置きの時点で嫌な予感しかしない。というか香澄は泉美にどういう風に伝えたのか。と、そんな平和なことを考えていられたのはそこまでだった。
続く泉美の言葉に、達也と泉美を除く三人が凍りつき、達也の思考は日常から警戒へと切り替わった。
「──司波先輩は以前私のことを覗こうとしましたけど、まさか他の人にも同じことをしている訳ではありませんよね?」