プロローグ
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亡霊は暗い部屋で一人、遠く離れた国での出来事に思いを馳せていた。
「公瑾は逃げ出したか」
8月の終わり、海の向こうにいる彼の部下にして代理人が襲撃を受けた。中華街にはかなりの防衛策がなされていた筈だが、それを破ってくるとはかなり本腰を入れた攻撃だ。流石に相手も業を煮やしたらしい。
「……ふむ、ここで死なれるのも面白くはないが……」
面白くはない。
「……まあ仕方あるまい」
とはいえ助ける程の事ではないし、何よりまだこちらの準備ができていない。今彼の国に行くのは流石に早すぎる。彼にはあの術もある。自力で生き延びて貰おう。
「それよりも問題はパラサイドールの件か」
つい先日向こうで行われた九校戦では亡霊も裏で手を回していた。そして何も成せなかった九島家とは違い亡霊は目的の七割は果たしている。実験までいかずに潰されたのは残念だったが、成功の範疇だ。
準備段階であっさりパラサイドールをオシャカにされる九島家の情けなさには呆れたものだが、問題は亡霊にも犯人に心当たりがない事だ。
「下手人は四葉の関係ではない……七草には話がついていた……九重八雲か……あるいは他にいるのか……」
パラサイトについてある程度知識を有しており、実験について知っていてもおかしくなくて、九島家の最大級の警戒を突破出来る存在。彼の作り出す舞台にも登場する可能性は高く、調べるに越したことはない。
しかし普段こういう時に調べさせる弟子は現在追われている身。現地の協力者は動かしたばかりで、彼もあまり頻繁に動かすと怪しまれる立場だ。
「……これで漁るか……」
仕方なくヘッドセットを付ける。フリズスキャルブのリスクは承知しているが、広く浅く漁る分には無いも同じだ。
表示される日本の裏でなされる通信の数々。それを流し見ていると、一つの通信が目に止まった。
先の九校戦の新人戦ミラージ・バットでの七草泉美という少女についての分析。別に特段珍しいというものではない。亡霊が引っかかったのは聞き覚えがある名前だったからだ。
「……ふむ、七草泉美か。そういえば前に行方を探させた事があったな」
三年程前に流れた、七草家の末娘の所在が分からないという噂は表よりもむしろ裏の人間を騒がせた。
魔法師の血は重要な情報だ。それも十師族ともなると、国家ぐるみでの誘拐が行われた事もある程に。直系の娘が家出の類をしているなら大チャンスと考え、その身柄を確保しようと考えた幾つかの組織が捜索していたのだ。
亡霊も何かに使えないかと考え探させてみたが、結果は空振り。もう死んでいるか他所に先を越されたかのどちらかだと思っていた。
しかし彼女は生きていて、この情報では仙術を使うらしい。亡霊の中に疑問と、そして嫌疑が浮かんできた。
(七草弘一とは話がついていた。しかし娘が勝手に動く可能性もあるか……?)
考えにくい可能性ではある。そもそも弘一が娘に実験の事を教える筈がないし、たとえ仙女だとしても十五の小娘にやられたというなら九島の無能さは底無しと言わざるを得ない。──いや、底なしの無能という事は既に分かっている以上、ここを過信するのは危険か。
「……まあいい……この小娘が
亡霊は七草泉美への疑いを一旦棚上げにした。どの道本格的に調べる程の余裕はない。容疑でいうなら九重八雲の方が遥かに怪しいのだ。これに関しては協力者に軽く周囲の情報を集めて貰う程度になるだろう。
しかし亡霊の直感は、彼女が自分が開く祭りの主要人物になると理解していた。
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秋が行方不明になってから半世紀。9月に入っても猛暑は衰える気配をみせない。
魔法科高校も二学期が始まり、ここ最近の泉美は太陽が視界から消え去るまで冷房の効いた生徒会室に留まる生活を送っていた。
文明の利器に頼るのは堕落への第一歩、とは思うがこの暑さでは熱中症になりかねない。風紀委員の仕事がある香澄を待つ必要もある。自分にそう言い訳をしつつ生徒会室で一般科目の課題をこなしていると、上級生達は来月の論文コンペの話をしていた。
「今年は五十里先輩と会長が代表なのですよね?」
「うん。僕と中条さんと
「啓は私が守るからね!!」
今日も今日とて生徒会室に入り浸っている風紀委員長(今日は非番)だが、生徒会の代替わりも近いしこの光景も今月で見納めだ。流石に五十里が生徒会を引退したら此処に居座ったりはしない……と思う。
ちなみにほのかの質問にあずさではなく五十里が答えたのは生徒会内部の力関係によるもの……ではなく、五十里が話題の中心だからだ。
全国高校生魔法学論文コンペティション。毎年10月の最後の日曜日に行われる、高校生の発表会のようなものだ。名称が長過ぎて皆論文コンペとしか呼ばない。
日本魔法協会が主催するコンペでは高校生の発表ながら高度な内容の発表もされるらしく、研究者や魔法大学も注目しているらしい。
この発表は各校から代表の生徒が、それぞれ高校の最大限のバックアップを受けて行う(一応事前の審査に通ればフリーで出る事も出来るが、やった人はいない)。今年の代表は五十里で、他の二人は役目としてはサポートだ。
このように、九校戦と並んで魔法科高校の二大行事である論文コンペだが、泉美はあまり乗り気ではなかった。いや、他人の研究を聴くのも好きではあるのだが、しかし
8月の終わり、横浜中華街での一件については名倉が弘一に報告していたのを盗聴したので泉美も知っている。九校戦で会った二人、亜夜子と文弥はどうしているのか少し心配になるが、こればっかりは泉美に出来ることは何もない。
(結局待つだけですか……しかし父様はどう考えているのやら)
──弘一は周公瑾と手を組んでいて、その周公瑾が四葉家の主要人物を殺害した。これは相当マズイ筈なのだが。
(バレやしないと高を括っているのなら痛い目を見る事になりますが……その辺りがどうも考えが甘いんですよね、父様は。まあボンボンだから仕方ないと言えばそれまでですが)
この辺りは泉美の姉である真由美にも似たような所がある(香澄は単純過ぎてそれ以前の問題)。育ちのせいかそういう血筋なのかは分からないが、殴ったら殴り返される、という極めて単純な事への認識が浅いのだ。表の場でならルールが(ある程度)守ってくれる。しかし裏でそれをやると立場も理屈も身を守る盾にはなってはくれないというのに。
そんな事を考えながら上級生の話を聞き流していると、見回りを終えた香澄がバテバテになって部屋に入ってきた。
「お疲れ様で〜す。はぁ〜、暑っっつ」
「香澄、お疲れ様です。水飲みます?」
「ちょーだい。……ふぅ、あーそういや課題の期限かー。……だるっ」
泉美の端末を覗き込んだ香澄が顔を顰める。今やっていたのは数学の課題で、根っからの文系の香澄は教科書を開くのも嫌らしい。
電子書籍の弱点の一つに、"見ようと思わないと目にも入らない"という事があると泉美は思っている。『勉強する気になった時だけ教科書を開く』のであって、『ふと教科書が目に入ったから勉強する』という事は起こりえない。子供の意欲が前提として必要なのだ。
もう高校生なら自己責任とも言えるが、小学生だと親が余程しっかりしていないと書物を読もうともしない子になるのも仕方ないだろう。結果として、この時代は学力の二極化が以前よりも遥かに進んでいた。
魔法科高校でもその例に漏れず、学力の低い生徒は教科書を開かない。そして一般科目は試験の類がなく、課題の提出で査定される。しかも魔法科高校のカリキュラムはパンパンだ。
すると当然、課題は丸写しでいいや、という人間が現れる。実際写す用の過去問が出回っていて、受験の必要がなくなった三年生は殆どがこれのお世話になるらしい。
「課題はちゃんと自力でやって下さいね。写すのはなしです。解けなくても自力で出来るところまでやる、それが基本です」
──が、それは泉美の主義に反する為、香澄の課題も丸写しはしないように見張っている。魔法が使えるだけの馬鹿、では人間社会ではやっていけない。
「え〜……面倒くさくない?数学なんて何に使うのさ」
「最低限の論理的思考を身に付けるためのものです。この程度は一般教養として出来ないと恥ずかしいですよ」
当たり前の事を言った筈……なのだが、二人の会話を聞いていた先輩の一部が目を逸らしたのを見た泉美は溜め息をついた。