私が言うのもなんだが、この先生はおかしいと思う。
× × ×
「……は?」
「聞こえませんでしたか?」
「いやいや、聞こえた。もちろん聞こえた。聞こえた上での『は?』だったんだけど」
春の陽気が心地よい昼下がり。
ミレニアムサイエンススクール所属、秘密組織『C&C』の5番目のエージェントである彼女に呼び出されて、先生はシャーレオフィス付近の喫茶店へとやってきた。
2人席について、先生はアイスコーヒーを。目の前に座る彼女はロイヤルミルクティーを頼んでいた。
まずミルクティーを一口飲んでから、表情ひとつ変えずに同じ言葉を繰り返す。
「私とケッコンしてください」
「ちょっと待って」
わからなかった。
先生はありふれた物語のベタな主人公ではない。目の前で無表情を貫きながらも、どこか瞳をきらきらと輝かせているこのメイド……飛鳥馬トキにずいぶん前から寄せられている好意には薄々気がついていた。
しかし彼女がここまでど直球に伝えてきたのは初めてのことなので、多少なりとも動揺はしてしまう。
普段はもう少しアピールも控えめだったような気がしないでもなくないこともないが、なにか心境の変化があったのだろうか。
「私とケッコンしてください」
「落ち着いて、一回」
「私は至って冷静です。ぴーすぴーす」
「……」
段階をすっ飛ばしすぎている。
恐らく一般的であれば、告白、お付き合い、結婚の流れが普通なのだろう。
しかし飛鳥馬トキとはお付き合いもしていなければ、告白をされた覚えすらない。
もしかしてこの子は私のことが好きなのかもしれない……と先生に匂わせる程度の関係性でしかなく、そこに確証はありもしないし、本当は先生の自意識が過剰であったがゆえの勘違いである可能性だって否めない。
「……いや。いやいや。やっぱりおかしいって。さすがにめちゃくちゃだよ、トキ。そもそも君は私の生徒で、私は君の先生だ」
「いいえ、これは論理的かつ合理的な求婚です」
「なにが!?」
取り乱す先生と、目の前で「つまり──」と彼女ならではの結婚についての持論を淡々と展開している飛鳥馬トキ。
先生は小さく息を吐くと、一度気持ちを落ち着かせるためにアイスコーヒーに口をつけた。
「──なので今重視するべきことは先生の気持ちではありません。いかに私が先生のことを大切に想っているか、独占欲とも呼べるほどに先生を愛していること、さらには……」
右から左へと聞き流す。
しかしペラペラと自慢げに将来の展望を語る彼女のドヤ顔は可愛いので、視線は外さない。
カラカラと、グラスの中の氷をストローでかき混ぜて、残ったアイスコーヒーを一気に飲み干すと、先生はようやく飛鳥馬トキから視線を外した。
それと同時に彼女はふぅと息を吐いてから、そういうわけですので、私とケッコンしてください、と何度目かの求婚をした。
「ごめん、どういうわけ?」
「……?」
「いや、なんで君が不思議そうな表情をするんだ」
「……?」
「あのね、トキ──」
「先生。私とケッコンすれば、私は先生のモノになります。先生が人に言えず隠している性癖も、私は全て受け止めてあげることができます。そうです。あんなことやこんなことまで──」
「いやいや! なにも隠してないし、ノーマルだよ! 変なこと言われるとまた周りの人たちに誤解が……」
慌てて彼女の口を塞ごうと立ち上がったが、すでに遅かった。
周りにいた客たちは、先生の方にちらちらと視線を送りながら、ひそひそと話し始める。
『やっぱりシャーレの先生は──』
『生徒に手を出すなんて──』
『足舐め──』
『首輪──』
小石のような、あるいは岩石のような、怪我をしてしまいそうなほど痛い言葉がどこからともなく飛んでくる。
誤解……と完全に言いきれなかった先生はその場で身を小さくして、ほとぼりが冷めるのを待つことにした。
そんな先生の頭をよしよしと撫でると、飛鳥馬トキは無表情のままに彼の瞳を覗き込んだ。
「冗談です。やはり先生の困った表情はいつ見ても飽きませんね」
「トキ〜……」
その冗談は他の人たちには伝わっていないんだけど──と、そんな言葉を呑み込んだ。
「……まぁ、いいけどね。トキが楽しそうならそれで」
先生は飛鳥馬トキに甘かった。
まぎれもなく、彼女のことは好きだった。先生と生徒。その足枷さえなければ、彼女から一方的に送りつけられる愛にも、応えていたかもしれない。
「……そうですね。とても楽しいです」
言葉とは裏腹に、飛鳥馬トキはほんの少しむっとした表情で顔を逸らした。
冗談ではなかった。
本当に、彼女は彼の全てを受け止めるつもりでいた。
どのような性癖を持ち合わせていたとしても、驚きも、否定もしない。全てをさらけ出してくれたなら、喜んで受け入れるつもりだった。
ノーマルならそれはそれで構わない。
とはいえ、相当歪んだ性癖を持っているとしか考えられない。
顔もスタイルも悪くない。属性はメイド、尽くし型。秘密組織『C&C』のエージェント。いかなる脅威からも先生を守ってみせられる。
なのに、自分を選ばない理由はなんなのか。
────やはり……
「この先生はおかしい……」
周りの客たちの声と、店内にかかるBGMにかき消されるほど小さな声で、飛鳥馬トキは不満を漏らした。
しかし、ただただ彼は頑なに、確かに先生だった。
× × ×
「私と付き合ってください」
飛鳥馬トキの求婚から一週間。先生の仕事を手伝うためシャーレオフィスへと呼び出された彼女は、書類整理がひと段落ついた午前が終わる1分前に、そんな言葉を投げかけた。
昼食のことで頭がいっぱいだった先生の脳内を、彼女の言葉が書き換えた。
「……いやいや」
口元を引き攣らせた彼の瞳を、彼女は離さない。
じっと見つめたまま、彼から返される言葉を受け止める準備をしていた。
「私は先生で、君は生徒なんだよ、トキ」
胸元に構えたグローブに、ボールは返ってこなかった。暴投だ。
それがなにか? とでも言いたげに、彼女は視線を貼り付けて動かさない。
「それは私の気持ちを抑えつけてまで、優先しなければならないほど重要なことですか?」
「それは……いや、まぁ……大事なのはトキの気持ちだね」
「では全く問題はありませんね」
「……はい」
なんとなく釈然としない先生とは裏腹に、飛鳥馬トキは自慢げに、「ふんす」と声に出して勝ち誇った。
「では、私と付き合ってください」
「はい……。……? ……いや、私の気持ちは!?」
「……」
「なぜ目を逸らすんだ飛鳥馬トキ」
「……」
「下手くそな口笛はやめて」
気がつけば貴重な昼休憩の時間を、もう10分も消費している。
ぐるっとなった腹を押さえると、先生の脳内は再び昼食のことで埋め尽くされていく。
しかしそれも束の間で、飛鳥馬トキから投げかけられた問いが、もう一度昼食を頭から追い出した。
「先生。私の顔を見てどう思いますか?」
「どうとは?」
「可愛いか可愛くないかです」
「可愛いね、とても」
「では私の身体を見てどう思いますか?」
「どうとは?」
「えっちなのかえっちではないのかです」
「えっちだね、とても。特に、いつぞやのバニー姿は最高だった」
まだ2、3ほど問いたいことがあったのだが、言葉が喉に引っかかったまま出てこようとはしなかった。
こほんと小さく咳払いをしたあと、飛鳥馬トキはほんの少し赤く染まった頬を冷ましてから、目を細めて先生にじとりとした視線を向けた。
可愛いと感じることが出来、素直に言葉にすることができるのに。生徒を、『私』をえっちな目で見ることができるのに。
なぜ。どうして。頑なに『私』を自分のモノにしようとしないのか。
バニー姿が好みなら、24時間その姿で先生に仕えることだって厭わないのに。
望むなら、バニー姿であんなご奉仕やこんなご奉仕までしてあげられるのに。
「……」
────やはり……
「この先生はおかしい……」
長考している間に、電話をかけて出前を頼んでいた先生の声にかき消されるほど小さな声で、飛鳥馬トキは不満を漏らした。
× × ×
「毎日お味噌汁を作らせてください、先生」
また一週間が経ち、今度は普通にシャーレへと遊びに来た飛鳥馬トキは、突拍子もなくそんな言葉を投げかけた。
ソファの上で、片手には恋愛小説を。もう片方の手でスナック菓子をつまみながら。
「斬新な告白だね」
執務机の椅子に腰掛け、終わらない仕事量には早々に見切りをつけ、携帯ゲームで遊んでいた先生は、画面から目を離さずに言葉を返した。
「魅力的な告白だと思いますが」
「そうだね、心が揺らいだ」
未だ携帯の画面に集中している先生へ、むっと不満げな表情を向け、飛鳥馬トキは小さくため息を吐いた。
「……先生はおかしいです」
「そうかな?」
「ええ。とても。すごく。かなり、おかしいです」
「そんなに……」
ようやく落としていた視線をあげ、依然として膨れた表情で先生を見つめていた飛鳥馬トキと、目を合わせた。
手にしていた携帯の画面には、ゲームオーバーの文字が浮かび上がっている。
「正直、理解できません。私は完璧かつ最高のメイドであり、エージェントです。そんな私に言い寄られて難色を示す先生を見ていると、異性には興味がないお方なのではないかと疑ってしまいます」
切れ長の瞳が、圧をかけるように先生へと向けられている。
「答えてください、先生。なぜ私を選んでくださらないのですか」
「いや……」
明確な答えというものは、持ち合わせていなかった。
これといって断る理由は、彼が先生であるということ以外には特にない。
彼女を、生徒というフィルターを外して見てみれば、それはそれは非の打ち所がないと言ってしまっても過言ではないほど魅力的だ。
顔もスタイルも完璧。性格もやや面倒くさいところがないと言えばうそになるが、そこも可愛さとしてむしろプラスに捉えることができる。
彼が先生でさえなければ、2人は仲睦まじく、幸せな家庭を築くことができていたであろう。
「……トキは、私のどこが好きなの?」
「わかりません」
「そう……え? わからないのに好きなの?」
「……? はい。しかし、先ほど読んだ小説にも書いてありました。恋とは一体なんなのか──答えは無いのだと。わからないことばかりだから知りたくなるし、わからないから惹かれるのだと」
「いやいや……」
それは屁理屈なのではないだろうかと、思ったが口には出さなかった。
「好きです、先生」
「……うん」
「好きです」
「……ありがとう」
「愛しています」
「……」
──本当は、彼女のことが可愛くて可愛くて仕方がなかった。
最初から、わかっていたことだった。
彼女のことを生徒としてしか見ていなかったのであれば、断る理由はそれでよかったはずなのだ。
君のことは生徒としてしか見られないと、はっきり言えばよかったのだ。
自分が先生であることを理由に出した時点で、答えはすでに出ていた。
──彼が先生でなければ。彼が彼女の先生でなければ。彼女が彼の生徒でなくなれば。
「……時間を、もらえるかな」
卒業を待つだけで。この先も彼女の気持ちが同じであるだけで。事はいとも簡単に、丸くおさまってしまうのだ。
「……つまり、君が卒業したあとなら、という意味で……」
「……っ!」
──恋は盲目だ。
傍から見れば簡単で、くだらないものだとしても、彼ら彼女らは、真剣に悩み、間違え、遠回りさえしてしまう。
すれ違うこともあれば、そのまま離れてしまうこともある。
だからこそ楽しい。
だからこそ悲しい。
だからこそ、恋は面倒くさい。
「先生」
「……どうしたの、トキ」
それでも飛鳥馬トキは────
「ふふ。好きです、先生」