せんせは、アクアの中に確かに存在していた。
それ自体は堪らなく嬉しい。ずっとずっと会いたかったせんせが、目の前にいる。いつの間にか死んじゃってて、アクアがそうなのかと思ったらもうせんせじゃ無くなってて、二度と会えないと思っていたのに。
私健康になったよって言ってあげたい。憧れのアイドルになって、しかもB小町で、メンバーも可愛くて、毎日が幸せなんだよって。
いつも一緒に居てくれてありがとうって、言いたい。
でもせんせはアクアじゃない。
アクアがせんせになるってことは、アクアがアクアじゃなくなるって事だ。
可愛い弟が居なくなってしまうかもしれない。そう考えただけで足元が崩れ落ちていくような感覚に陥る。まるで星野ルビーの人生を否定されるようだ。
じゃあアクアがせんせになったとして、本当のアクアは何処へ行ってしまうのだろう。
本当に消えてしまう事は、恐らくない。アクアも、私も、宮崎で見た可愛い女の子も、2つの人格を1つの体に宿している。転生して来た方の人格ならまだしも、肉体に根付いた本来の人格が無くなることは考えにくい。
冷静に考えればアクアが居なくなるとしてもそれは一時的な事だ。でも今の私が冷静かと言われれば、全く冷静ではない。
「ねぇ、せんせ。アクアは何処に行ったの? 」
「だからさっきから言ってるだろ? 僕……俺は星野アクアだって。」
「誤魔化さないでよ。アクアの事はなんでも知ってるんだから。今のアクアがアクアじゃないことくらいすぐに分かる。」
可愛い弟の人格が今まさに目の前で消えかかっていて、代わりに出てくるのは16年間ずっと会いたいと願い続けた初恋の人。どっちも心の底から大切だと言える二人。その二人が目の前で入れ替わりつつある。
頭がどうにかなりそうだった。完全にパニックになっていた。アクアが居なくなるという妄想に取りつかれてしまった。
だから、こんな言葉が口をついて出てしまった。
「アクアを返して! いくらせんせでもアクアの代わりに出て来るなんて絶対ダメ!」
一瞬遅れて過ちに気付く。でももう遅い。
「………すまん。今日の所はこれで帰るよ。病院を出れば戻れるだろうから。」
アクアが、せんせが一瞬辛そうな顔を見せ、さっさと病室を出ていってしまった。違う、アクアもせんせも悪くない。少し遅れてそう声をかけようとするも、既にアクアは病室を出た後。
その後ろ姿はとっても悲しそうだった。
「私のばかぁ………。」
よく考えなくても今のは言っちゃいけない言葉だった。アクアだって自分の変わりように戸惑う様子を見せていたのに、それを思い切り拒絶するようなことを言ってしまった。アクアもせんせも傷つけてしまう最悪の言葉だ。
でもあの言葉は取り消せない。アクアはもう行ってしまった。
こうして今日の最後の面会が終わった。
・・・
カーテンに囲まれた狭いスペースでまた独りぼっちになる私。気を紛らわそうとタブレットで動画を流してみるが、ちっとも面白くない。アクアの悲しそうな後ろ姿が心の片隅にこびり付いて私の心をちくちくとつついてくる。
気分転換に病院の中を歩いたり、軽くストレッチしてみる。
それでも気分は晴れない。何をやっても、何を考えても、心の片隅には悲しそうなアクアがいる。私が自分の手で傷つけてしまったアクアがいる。
「ごめん。ごめんねアクア。お姉ちゃん焦ってたの………。いきなりせんせが出てくるから………。」
苦し紛れの言い訳をしてみるが、なんの解決にもならない。心の中のアクアは笑ってくれない。私はアクアにひどいことを言って傷つけた。それが事実だ。
そのまま夜を迎え、一晩寝て朝が来る。
何も変わらない。ずっと心がちくちくと痛む。後悔の念が消えない。
「ルビーちゃん! 来たよぉ!」
「あ、MEMちょ。」
「あれ? 元気ないね。お腹の調子良くないの?」
「………うん。お腹がちょっと痛いの。」
転生の事実を隠すためとはいえ、大好きなMEMちょに嘘をついた。別に大したことじゃないけど今の私は大したことじゃなくても心が痛む。ちょっとしたことが響いてくる。
アクアに責められているような気がするから。
「無理は禁物だよぉ。ってついこの前ぶっ倒れた私が言っても意味ないか! あははは。」
「言えてる! 全くMEMちょは危なっかしいんだから。」
「はーい。気を付けまーす。ぶっ倒れるギリギリをきちんと見極めて働きまーす。」
「だめじゃん。」
「「あははははは」」
表面上は、楽しいやりとり。MEMちょも私も楽しそうに笑ってる。どんよりと曇った気持ちのまま、顔だけ器用に笑って見せる。
「じゃあまたね、ルビーちゃん。しっかり休むんだよ。」
「それはMEMちょの方でしょ。またね。」
なんとかやり過ごした。
心待ちにしていた面会のはずなのに、どっと疲れてしまった。こんな気持ちになるなら会いたくなかった、なんてことを考えてしまう程に。そしてそんな思考に陥る自分が嫌になってしまう。
「ルビー、メムさんから聞いたわよ。お腹痛いんですって?」
「うん、ちょっとだけね。」
ミヤコさんにも嘘をつく。本当はアクアに一言謝りたくてずっとそのことばかり考えているだけなんだけど、それは秘密。
「お大事に。」
「うん。ミヤコさんもね。」
ニコッと笑顔でお見送り。そして扉が閉まった瞬間にスッと無表情に戻る。
転生したとか、前世の記憶があるとか、そんな人に言えない秘密を抱えているせいで余計に苦しい。アクアと喧嘩したから仲直りしたいって素直に言えたらどれほど楽だったか。
罪悪感が消えない。アクアにひどいことを言った。落ち込む自分を取り繕う為にMEMちょとミヤコさんに嘘を吐いた。これから来る先輩にも、多分嘘を吐くだろう。上手に笑ってよしよしして、時間が過ぎるのを待つだけの作業をこなすんだ。
たった一言アクアを傷つける言葉を言ってしまっただけで、世界がこんなにも色あせて見えるなんて。私にとってアクアがいかに大きな存在なのかが浮き彫りになったみたいだ。
「ルビー、来たわよ。お腹はもう大丈夫?」
「そろそろ退院だって。もうほとんど治ってるよ。」
「なら良かったわ。………でも本当に大丈夫? お腹痛いんでしょ?」
「私は元気だよ? ちょっとお腹が痛いけど何ともないって。」
両腕でガッツポーズを決める。
「何だ良かったぁ。アクアの奴めっちゃ落ち込んでたのよ。もしかしてルビーの調子が良くないのかと思ってたけど大丈夫みたいね。あいつ、ルビーの事となると大げさなんだから。」
安心感と喜びが爆発したような眩しい笑顔が向けられる。
こんなに可愛い先輩の笑顔なのに、やっぱり私の気持ちは落ち込んだままだ。アクアの事が気がかりで何も楽しめないし明るい気持ちになれない。
アクアが落ち込んでるのは間違いなく私のせいだ。昨日の言葉を今日も引きずってる。
それでも顔だけは笑顔にして先輩とお喋りを続ける。
「やっぱり先輩は笑ってた方が可愛いね。最近は人気も出て来てるし。」
「ふふん、ようやく世間は私の可愛さに気付いたのよ。ちょっと方向性が思ってたのと違うけど。」
「どう頑張っても先輩は妹系だよ。」
「分かってはいるんだけど、やっぱり憧れってあるじゃない? 私はもっと社長みたいなイケてる女性になりたいというか……」
まぁ、いつも通りの会話だよね。いつも通りならこんな会話がとっても楽しいんだけど今日ばかりはそうじゃなかった。
「じゃあまた。」
「バイバイ先輩。」
先輩が帰っていった。昨日と同じルーティーンなら次はアクアが来るんだろう。
何て言って謝ろうか。
アクアが居なくなるのは嫌。でもせんせが悪いわけじゃない。アクアも悪くない。勝手に私が辛い気持ちになっちゃっただけ。それを素直に言えばいいんだ。
まずはしっかりごめんなさいを言おう。説明はその後。そしてアクアをぎゅってして仲直りして、せんせとお話しして………
そんなことを考えながら私はアクアが来るのを待った。
1時間、2時間、3時間。一向にアクアは来ない。アクアがお見舞いに来ないなんてことは微塵も考えてなかった私は面会時間が終了するまで何の疑問も持たずにアクアを待ち続けた。
そしてやってくる午後8時。面会時間の終了。ついにアクアは来なかった。