お姉ちゃんがやろうとしてることは間違っていない。
僕には思い残したことがあるし、それを言葉にしてさりなちゃんに伝えれば胸のつかえが取れ、星野アクアの精神を乗っ取って表に無理やり出ることも無くなるだろう。
しかし事はそう簡単ではない。人の心というのは複雑なのだ。伝えたい気持ちとそれを隠しておきたい気持ちが同時に存在することだってある。
よくある事だろう? 例えば好きな異性が居たとして、素直に「好きです」と言える人がどれだけいるか。あるいは家族や長年連れ添ったパートナーに対して、改まって「愛してる」だとか「貴方は大切な人だ」なんてそう簡単に言えるだろうか?
言いたいことは確かにある。とても強い気持ちだ。大声で叫びたくなるほどに。
言葉にするならこんな感じだろうか。
『僕が推していたのは病室の中で苦しみにもがきながらも目をキラキラさせながらまっすぐ夢を見てた君の事だ。』
『あの時の君はアイよりもずっと眩しかった。』
……言えるか? こんなこと。
まるで漫画か映画の主人公が物語のハイライトでヒロインに告白する時のセリフのようだ。如何に金髪イケメン俳優に生まれ変わったとは言え、映画のセリフでもないのにそんな恥ずかしいことを言えるわけが無い。*1
「せんせ、本当に心当たりは無いの? アクアを押しのけてまで出て来たのに?」
「うーん……分からないなぁ。」
分かってる。本当はめっちゃ分かってる。
しかし怪訝な様子で質問を重ねてくるさりなちゃんに、とぼけた回答でごまかし続けるしかない。
うーんなんだろう、と真剣に悩む姿も可愛いな………ってそんなことを考えている場合ではない。このままだと余計に心残りが増えてしまいそうだ。
『真剣に悩む姿も可愛い。』←New!
畜生。また一つハードルが上がったぞ。
駄目。無理。こんなこと恥ずかしくて言えるわけが無い。ケータイの待ち受けにしただけで散々ロリコンって言われて結構凹んだのに、さりなちゃん本人にこの気持ちを伝えるなんて。
そこからしばらく二人で悩むだけの時間が続く。
「彼女が欲しかった? ナースの人が好きだったとか。」
「そういうのは間に合ってるな。」
「まぁせんせだし女性関係に後悔はなさそうだけど。とっかえひっかえだったんでしょ?」
「君の中の僕はどういうイメージなの。」
「田舎に若い男のお医者さんが居たらモテるに決まってるもん。」
「まぁ当たってるけども。」
確かにモテてはいたが、あれは医者と言う肩書や収入が目当ての女が集って来ただけのことだ。僕自身に大した魅力はない。押しに弱いから何人かの女性と付き合ったりはしたけども。
それすら仕事ばかりで会う暇も無くて、自然消滅するように恋人関係が終わっていった。だからさりなちゃんに入れ込む僕の事を周囲の人間はロリコンと呼ぶことになったんだったか。
「じゃあ何だろう? 病院に来たら思い出すことで、せんせの心残り………」
「なんだろうなぁ。」
お姉ちゃんは可愛らしくうーんと言いながら悩でいたが、何かに気付いたようにぱっと顔を上げた。いかにも「ひらめいた!」といった顔。頭の上にぴかっと光る電球が見えそうだ。
くるっと可愛らしい顔をこちらに向けて、お姉ちゃんは言った。
「もしかして私の事が好きだったとか!?」
「いや別に? そんなわけないだろう。」
まぁ大体そんな感じだよ! 言えないけどな!
当たらずとも遠からず、と言うかほぼ当たっている。
一応弁明しておくが好きと言う気持ちにも色々あって、さりなちゃんに向ける想いはいわゆる恋愛的な意味の好きではない。これはあくまで親愛だ。家族や友人、あるいは仲間。そういう関係の人間に向ける感情である。
僕は決してロリコンではない。*2
「えー怪しい! 反応がちょっと大げさだったよねー。」
「いやいや何を言ってるださりなちゃん。年が一回りどころじゃなく離れてるんだぞ?」
「うーん、これが正解な気がするんだよなー。」
……バレたか?
背中にじっとりと冷や汗をかきながら平静を装う。
もし僕の気持ちを知られたが最後、あの顔から火が出るほど恥ずかしい台詞をさりなちゃんに言わなければならなくなる。本心から伝えたい言葉なのは間違いないのだが、やっぱりあれは………恥ずかしい。
じーっとお姉ちゃんが僕の顔を覗き込む。
なんという目力。お姉ちゃんの圧倒的な圧力に押されて全てを洗いざらいぶちまけてしまいたくなる。雨宮吾郎でありながら星野アクアでもある僕は、やはりお姉ちゃんには弱いのだ。
しかし僕にも意地がある。意地と言うか、羞恥心だけど。ここは耐えるしか………
「我慢するってことは………やっぱり隠してるな。」
はい、バレました。お姉ちゃん相手に隠し事などハナから無理ゲーなのだ。何をどう頑張っても16年間みっちり調教された身体が否応なく反応してしまう。
隠し事があると分かってからはお姉ちゃんの独壇場だった。
「アクア。出ておいで。ちょっとお姉ちゃん手伝って欲しいことがあるの。」
容赦なくお姉ちゃんモードで攻めてくる。
最初にお姉ちゃんが取った行動は、僕ではなく
恐らく無駄だろうと悟りつつ、精一杯の抵抗を試みる。
「何言ってるんだ? 今の僕は雨宮吾郎だぞ?」
「トリガー、だったよね。あるよ? 可愛い弟を呼びだすためのとびきりのトリガーが。」
そしてお姉ちゃんは手を大きく広げ………あ、駄目だこれ、アクアが出てくる、と思った時にはもう、
「お姉ちゃん?」
「おかえり。アクア。」
「お姉ちゃん!」
「よしよし。お姉ちゃんちょっとお願いがあるんだけど、分かるよね?」
「ああ。任せろ!」
ここで俺が呼ばれた意図は分かっている。
彼には悪いと思いつつ、俺はお姉ちゃんに彼の心の内を全て明らかにした。彼はさりなちゃんに救われていて、どうしようもなく大切で、さりなちゃんをどうしても助けたかったけど助けられなくて………
一度意識してしまえば秘めていた想いが次々と出てくる。
雨宮さんが心に秘めていた思いの丈は凄まじく、すべてを語ろうとすると結構な長話になってしまった。30分しかない面会時間の半分ほどは使ってしまっただろうか。
次々と出てくる雨宮さんの予想外に強烈で重たい感情にお姉ちゃんはパンク寸前だ。顔を真っ赤にしてもじもじと身体をくねらせ、「せんせったら………」などとぼそぼそと独り言を零しながら俺の話に聞き入っている。
話は一通り終わった。しかしここからどうしようか。
「えっと………じゃあ雨宮さんに戻ろうか?」
「あー……戻ったら今アクアが言ったようなことを本人から聞かされるんだよね?」
「まぁ、そうなるだろうな………」
「ちょっと心の準備が出来てないって言うか、想像以上だったかなって………」
「やめとく?」
「うーん………」
流石のお姉ちゃんも即決は出来ないらしい。
かれこれ15分以上お姉ちゃんの腕の中で考え続けた俺は、話も終わった事だし、とお姉ちゃんから離れようとした。しかしそれに気づいたお姉ちゃんにガッチリとホールドされ、身動きが取れなくなってしまう。
どうしたのだろう? 2日ぶりとは言え、15分もぎゅっとすれば満足だろうに。
「お姉ちゃん?」
「今解放したら、せんせが戻ってくるんじゃない?」
「あっ。てことは雨宮さんは……」
「そう、せんせは………」
詰んでいたのだ、初めから。
俺の視線を受けたお姉ちゃんはコクリと頷き、ゆっくりと俺を抱いている腕を解く。
直後に襲ってきたのはあの違和感。
ああ、懐かしい。いつもの病室、ベッドの上のさりなちゃんを元気づけ、あるいは元気を貰いにまた病室へと足を運ぶんだ。そして扉を開ければ一瞬だけ悲しそうな顔をしたさりなちゃんが笑顔を作って僕を迎えて…
………内に秘めた思いを洗いざらい吐かされるという訳だ。
「せんせ、恥ずかしがらなくて良いからね。こっちは準備オーケーだよ。」
真っ赤な顔でごくりと唾を飲むお姉ちゃん。大学受験の合格発表でも控えているのかと思う程の緊張っぷりである。
しかしそんな彼女の緊張ですら俺の心中に渦巻く感情に比べれば可愛いものだ。既に僕の気持ちは全てアクアによって語られている。もうこれだけで恥ずかしさで悶え死んでしまいそうだというのに、それを今から自分の口で言わされるのだから。
これは拷問………いや処刑か。羞恥の火に焼かれる刑。今まさに丸太に体を括りつけられ、足元には燃料となる藁が大量に敷き詰められている。そして火をつけるのは僕自身だ。
「せんせ、早く………」
僕を上目遣いで見つめるお姉ちゃんは至って真剣。僕の思い残しを解消し、アクアを取り戻す為に必死なだけ。
ついに僕は覚悟を決め、羞恥の業火に焼かれる覚悟を決めた。