あ、まただ。母さんが見える。
血の匂いがする。お姉ちゃんの泣く声が聞こえる。母さんの体温を感じる。怖い。辛い。苦しい。あの日感じたすべてをそのまま感じる。
「愛してる」
その言葉はもう何回も聞いたよ。
ねえ、死なないでよ。お願いだから。いなくならないで。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
息が出来ない。体の震えが止まらない。辛い。苦しい。母さんの命が尽きようとしているのに、何もできない。指一本動かせない。
母さんが動かなくなる。瞳の輝きが消える。どんどん冷たくなっていく。ああ、そろそろ終わりか。
「お帰り、アクア。大丈夫?手握っててあげようか?」
あの日の記憶から目が覚めると、お姉ちゃんが話しかけてくる。
母さんがストーカーに刺し殺されたあの日から、俺はこうしてフラッシュバックに繰り返し苦しめられている。一度始まったらどうしようもない。現実ではないと頭では理解しつつも、あの時感じていたすべてをただ受け止めることしか出来ない。
お姉ちゃんはそんな俺を記憶から引き戻すことはせず、ただ傍にいてくれる。すべてが終わったとき、優しく声をかけてくれる。それが何よりの救いだった。
事件があってから、俺はずっとこんな調子だ。
「ねぇ、二人が良ければ本当にうちの子になりませんか?」
ミヤコさんから提案があった。俺たち二人を本当の家族として迎え入れようというのだ。
「もちろん二人の母親はアイさんしか居ない。私の事を母親だなんて思わなくても良い。でも私は君たちを自分の子供のように思ってる。どう?」
最初に反応したのはお姉ちゃんだった。目に涙を浮かべてミヤコさんに縋りつく。
やっぱりお姉ちゃんは凄いな。辛いとき、人に素直に甘えることが出来る。性格が良いって、こういう事を言うのだろう。俺には出来ない。
でも、お姉ちゃんと一緒ならできる。いつだってお姉ちゃんは俺を導いてくれた。
「アクア。お姉ちゃんと一緒においで。」
ほら、やっぱり。
「お姉ちゃん。ミヤコさん。」
俺もミヤコさんとお姉ちゃんに駆け寄る。ミヤコさんは優しく抱き止めてくれる。母さんを失った悲しみはすぐには癒えないけれど、こうして寄りかかれる人がいてくれるから何とか今日を生きていられる。
希望なんてない。未来の事なんて今は考えられない。でも、死ぬのは違う。お姉ちゃんが居てくれたおかげでそう思えた。お姉ちゃんが俺を支えてくれたように、俺がお姉ちゃんを支えてあげたい。きっとどちらが欠けてもダメなんだ。
俺たちは、姉弟だから。
・・・
事件から3日も経てば、アイの死亡というコンテンツは消費されつくし、少し早い雪が降り、交通網が麻痺というニュース以降話題に挙げられることも無くなった。
雪が、アイの死を覆い隠すように。
母さんの葬儀は、その知名度から考えると小規模なものだった。どこからか話を聞きつけて、葬儀の会場を母さんのファンと思しき人の群れが取り囲んでいる。
母さんは死んだ。葬式をみて、そんな分かりきったことをあらためて実感していた。
俺とお姉ちゃんは葬儀会場の外の車で葬儀が終わるのを待っていた。窓ガラスから外を眺めているお姉ちゃんの視線の先には群衆に囲われた葬儀会場があった。サイリウムやうちわなどを掲げ、母さんのファンであろう人達が思い思いの方法で追悼の意を表している。
「ママ言ってた。私がアイドルになるんじゃないかって。アクアは私なんかでもなれると思う?」
「なって欲しくない。アイドルになったら母さんみたいに殺されるかもしれない。お姉ちゃんまでいなくなったら俺は耐えられない。」
「うん・・・それでも、ママはキラキラしてた。」
お姉ちゃんは立ち直っていくのだろう。強くて、純粋で、人と支え合いながら上手に生きていける。
対する俺は・・・。
『アクアは役者さん?』
あの時の母さんの言葉が頭をよぎる。
母さんは言ってくれた。俺は役者になるんじゃないかって。子役として演技する俺を褒めてくれた。監督の映画に出演する俺を見て喜んでくれた。
「母さんが言ってた。俺は役者さん?って。お姉ちゃんは俺が役者になれると思うか?」
「きっとなれるよ。アクアの演技すごかったから。お姉ちゃんが保証する。」
当面の生きる理由が俺には必要だ。役者になろう。母さんがそれを望むなら、俺はその道を進みたい。母さんが思い描いた夢を叶えたい。だから、死んでる暇なんてない。
葬式には監督も来てたっけ。良い機会だ。さっそく母さんが残してくれたコネを使おう。
「監督」
「おう、早熟。この度はな・・・なんつったら良いのか・・・」
「別にそういうのは良いよ。代わりにちょっとお願い事があるんだけど。」
「なんだ?」
「俺を育てる気はない?」
「・・・は?」
監督は咥えていた煙草を落としながら素っ頓狂な声で答えた。
・・・
かくして
「おい、まだかかるのか、お姉ちゃん。」
「もーっ、ちょっと待ってってばアクア!この制服カワイイけどフクザツなんだもん・・・。」
「初日から遅刻は勘弁してくれよ。」
「でもほんとかわいいー。」
「・・・スカート短すぎないか?」
「アクアって昔からおっさんくさいよね。・・・あ、そうだ!」
「ママ、いってきます。」
「母さん、いってきます。」
玄関に立てかけられた写真には、幼い姉弟と生前の母の姿。
お姉ちゃんはアイドルとして。俺は役者として。
母さんが残してくれた道しるべを頼りに、俺たちは夢を追いかける。
天国で見ていてくれ、母さん。絶対に凄い役者になって見せるから。
復讐はしません。
ルビーお姉ちゃんのメンタルケアが功を奏し、アクアは前向きに役者の道を歩みます。