「決まってんだろ。ぶっ殺すんだよ。アイをあんな目に遭わせた奴を。」
目の前の男が怨念たっぷりに吐き捨てる。
「それ本気で言ってるの?」
「当たり前だ。」
「それで仇を討って、後は社長時代に稼いだ貯金でひっそり釣りでもしながら余生を過ごすって? そんな事私が許すと思ってるの?」
「許す許さねぇの話じゃ……」
もう一度手を振り上げれば、壱護は黙った。ちなみに手は固く握りしめている。今度は当たれば頬が赤くなるだけでは済まないだろう。
「すみませんでした。」
「分かればよろしい。」
こうして私はほとんど無理やり壱護を捕獲し、連れ戻すことに成功した。
暴力に訴えるやり方に罪悪感が無いわけではないが、彼の行いによって私が受けてきた精神的苦痛を考えればこんなものでは全く足りないくらいだ。
ビンタで済ませる私はまだ穏便な方だと思う。
・・・
タクシーを呼び、壱護の首根っこを掴んで助手席に放り込む。そして先のやり取りを見て縮こまってしまっているルビーとアクアを
「じゃあルビー、アクア、先に家に帰ってて。私は壱護と話さなきゃいけないことがあるから。」
「うん、分かった。アクアは私に任せて!」
「ミヤコさん頑張れよ。」
本来ならば4人で家に帰って家族会議の予定だった。壱護を3人で取り囲んでフルボッコ……ではなく、心を入れ替えて会社や家族の為に働くよう説得するつもりだったのだ。
しかし壱護の想定外に悪い精神状態を見て状況は変わった。この男を今すぐ子供たちに会わせてはいけない。母親としての勘が私にそう告げている。特にアクアにはどんな悪影響があるか分かったものではない。
壱護を放り込んだ方のタクシーの後部座席に乗り込む。行先は……話し合いが出来ればどこでもいい。
「運転手さん。この辺でお勧めのカラオケ屋はあるかしら? 防音がしっかりしてると嬉しいのだけど。」
「だったらいい店があります。それにしても夫婦でカラオケとは仲が宜しいんですね。」
「それほどでも。うふふ。」
壱護からの冷たい視線は無視だ。
・・・
やや高級なカラオケ屋の一室に入る。二人で話し合いをするのに丁度いいソファーにテーブル。完璧な防音。注文すれば飲食物も出てくる。時間はたっぷり3時間だ。
人一人分のスペースを開け、並んで座る。
「さて、時間はたっぷりあるわ。話し合いを始めましょう。まず壱護、貴方私に言うべきことがあるわよね?」
「……済まなかった。会社と家を捨てて逃げたのは悪かったと思ってる。」
「で?」
「で、ってなんだよ?」
「これからどうするつもり?」
逃がすつもりは毛頭ないけどね。
本人の口から戻りたいという言葉が聞ければそれに越したことは無い。壱護だって後悔しているかも知れないし、あんなことがあったのだから心に傷を負っているのは間違いないんだから。
しかしあの言葉を聞いた今、彼がおとなしく戻るとは思っていない。
「もう俺には関わるな。ルビーとアクアとは仲良さそうだったじゃねえか。俺が戻ったところでギクシャクするだけだ。会社だって上手く回ってるみてぇだしな。」
「そうはいかないって分かってるでしょ。」
全く予想通りの回答で嫌になる。
私が今までどんな苦労をしてきたか、あれだけ怒鳴りつけたのにまだ分かってないらしい。会社は上手く行っているようでその実かなりの綱渡り状態。特にメムさんの労働状況は酷いしB小町は赤字を垂れ流し続けている状態だ。
家族の話だって誤解している。ルビーとアクアは全てを投げ出して逃げた壱護を可哀そうだと言ってくれた。当時4歳で、壱護のことなどほとんど何も知らないであろう二人がだ。
テーブルに置いてあるウーロン茶で喉を潤し、私は語り始める。
「まず会社の話なんだけど、2人ほど過労死しそうな人が居るの。B小町のメムさん、かれこれ半年以上ほとんど寝ないで仕事しっぱなしよ。あまりに優秀で頑張り屋さん過ぎてB小町のプロデュースも動画の企画・撮影・編集を全部一人で背負い込んで、その上彼女自身の個人チャンネルまで運営もしてるわ。最近よく倒れるのよ。」
「おいおい、なんで人増やさねえんだよ。プロデュースだけでもお前か他の社員にやらせりゃ良いだろ。」
「出来ないから困ってるのよ! 人を探すってどうすれば良いの!? アンタみたいに人を見る目があればその辺の仕事に困ってる子を引っ張れば済むんでしょうけどね、私には出来ないのよそんな事! プロデュースだってあなたやメムさんのように上手くは出来ない!」
「お、落ち着け! もう一人居るんだったよな、そいつはどうだ?」
「私よ! もういっぱいいっぱいなの! ネットタレントのマネジメントだけならどうにかなったわ。でも新たにアイドルグループ立ち上げて、プロデュースなんてどうすれば良いか分からないわよ。しかもそれがB小町のリブートユニットでルビーの夢なのよ!? 失敗するわけには行かないの!」
社長という立場上、誰にも相談することの出来なかった悩みを思い切りぶつける。元をたどれば全ては隣に座るこの男のせいなのだから、語気が荒くなるのも当然だ。
一方の壱護はぽかんと口を開けたまま。その表情が余計に私の神経を逆なでしてくる。
「いや、お前ならもっと上手くやれると思ってだな……」
「出来るかぁ! 子供二人育てながらやったこともない社長業いきなりやらされて、会社の状態だって稼ぎ頭のアイさんが抜けたばかりで……! メディアの対応には追われるし壱護しか知らない事もたくさんあって仕事は回らないしでどうしろって言うのよ!」
「あー、俺もあの時はいろいろ限界でよ……。すまねぇ。」
「ああもうっ!! 分かればいいのよ……」
怒りに任せて文句を叩きつけたが、本当に済まなそうな顔をされると怒りが引っ込んでしまう。なんだかんだ壱護に対する同情心もかなりあるのでやはり悪者扱いが出来ない。
「ああ、そういやルビーとアクアは元気にしてるか。」
「それは実際に会って確かめなさいよ。」
「いや、俺なんかがあいつらに会う資格なんてねぇだろ。」
「それはあの子達が決める事よ。昨日話し合ったんだけど、あの子達あなたの事なんて言ったと思う?」
「クズだのろくでなしだのと散々言われてるもんだと思ってたが……その口ぶりだと違うのか?」
「あの子達ね、あなたのことを心配してたのよ。アイさんの事大事にしてたから辛いはずだって。」
「あいつらそんな事を……」
「しかもアイさんの忘れ形見である自分たちと一緒に暮らしたがってるだろうから、戻ってきて欲しいなんて言うのよ? これを聞いてもまだ戻らないつもり?」
壱護からすればいっそ恨まれていた方が楽だったかもしれない。恨まれて、逃げて、復讐心に身を任せながら余生を過ごす。今までの生活を続けられる。でもあの子達はそうはしなかった。それどころか自分たちを捨てた壱護の身を案じている。
壱護に人の心が残っているならここまで言われて無視することは出来ないはずだ。アイの忘れ形見であるルビーとアクアの事を無視して復讐に走るなど愚かだと気づけるはず。
「あーくそっ! そりゃ俺だってアイの子供は可愛いに決まってるだろ。孫みてぇなもんだしな。」
「だったら」
「だがどうしても許せねぇ…! アイを殺した奴が。」
結局はこの感情にどう折り合いをつけるかの話でしかない。彼だってバカではない。頭では何もかもスッキリ忘れて苺プロに出戻りするべきだと分かっているはずだ。
誰にだって割り切れない感情はある。大なり小なり悩みもある。結局のところ、それらの感情とは上手く付き合っていくしかない。社長になって、母親になって、私はそのことが身に染みて分かっている。
「許さなくても良い。忘れなくても良い。その気持ちを持ったままでも良いから戻ってきてくれないかしら? 今の苺プロにはあなたが必要なの。お願い壱護、戻ってきて。」
「良いのかよ。こんなどす黒い感情持ったままの俺で。」
「時間が解決してくれることだってあるわ。」
「……どうせ初めから俺に選択肢なんて無ぇんだろ。好きにしろよ。」
今は無理やりでも良い。いつか壱護がこの決断をして良かったと思える日が来ることを祈るだけだ。
出来る事なら昔のように、上機嫌に酒を飲みながら笑ってくれれば嬉しいけれど。
壱護が改心する未来が見えない……
ちょっと強引に行くしかないのか。