とある日の朝。
目を覚ますと、目の前にはお姉ちゃんの寝顔。どうやら目覚まし時計が鳴る前に起きてしまったらしい。
室内とはいえ、布団からはみ出た顔面に感じるのは2月らしい冷たい空気だ。そのおかげで二人分の温もりをたっぷりため込んだ布団は言葉では言い尽くせない程の極上の心地よさとなっている。
ああ、暖かい。お姉ちゃんの体温を感じつつ寝顔を眺める幸せ。もうしばらくこのままで……
「おーいルビー。起きろ。朝だぞー。」
壱護さんが起こしに来た。もうそんな時間か。名残惜しいがこの極楽ともここでお別れだ。
ここ最近、俺とお姉ちゃんを起こすのは壱護さんの役割になっている。
朝だけではない。部屋にいる俺達を呼びに来るのは決まって壱護さんだ。12年のブランクを埋めるべく、積極的に俺達に関わろうとしているらしい。ミヤコさんの気遣いなのかな?
「お姉ちゃん。起きろ。壱護さんが起こしに来たぞ。」
「うーん、あと5分。」
隣で眠るお姉ちゃんを起こそうとするも、お決まりのセリフで二度寝を開始。このまま寝顔を眺めていたい気分ではあるが学校に遅れるわけにもいかないので困ってしまう。
「おい起きろ。学校に遅れるぞ。」
返事をしないお姉ちゃんにしびれを切らした壱護さんがまくし立ててくる。仕方がない、返事だけでもしておくか。
「はーい。今起きるから。」
「その声……アクアか?」
「ん? そうだけど。」
「そ、そうか……」
今更不思議に思うことあるか? 俺とお姉ちゃんが一緒に寝る事なんてよくある事だけど。
と思ったが、そういえば壱護さんがこの家に住み始めてからは初めてだったか。世間一般では高校生になると姉弟で一緒に寝ないのが普通らしいから壱護さんが戸惑うのも無理はないのだろう。時間をかけて慣れてもらうしかないな。
「アクア、起きてるならルビーを頼む。もう朝ごはん出来るからな。」
「はいよ。」
「むにゃむにゃ。」
スタスタと足音が遠ざかっていく。
さて、俺はお姉ちゃんを起こさないと。まずはそうだな、布団を引っぺがしてしまおう。冬の冷たい空気を浴びれば眠気も吹き飛ぶものだ。
ばさっと布団を引き剥がす。
「ううー寒いいぃ! お布団返してぇぇ」
「ダメだ。起きろ。」
ベッドの上で丸まって寒さに耐えている。しかし長くは持たない。数秒もすれば眠気より寒さが勝って起きるしかなくなるのだ。
冬はお姉ちゃんを起こすのが楽で良いな。
・・・
「「「「いただきます。」」」」
壱護さんが我が家に来てから一週間ほど経ち、食卓を4人で囲む光景にも少しは慣れてきた。
伸び放題だった髪を切り髭をキレイに剃ったことにより、おぼろげに覚えている昔の壱護さんと同じ風貌となりなんとなく親近感が増している。発見当時の状態の彼は知らないおじさんにしか見えなかったからこの変化は有難かった。
まぁ、それでもまだ家族と言うにはかなりよそよそしい接し方しか出来ないんだけど。
とりあえず何か話しかけてみよう。
「壱護さんて役者のプロデュースとかやったことある?」
「ああ、一応な。」
はい、会話終了。何とか打ち解けようと頑張ってはいるんだが、エンジンがかからないというか話が広がっていかないんだよなぁ。
壱護さんもなんとなく気まずそうに朝食を口に運んでいる。
「壱護さん! アクアが気まずそうでしょ。何か話してあげなよ!」
「そうね。仮にも父親としてここに居るならあなたの方から歩み寄るべきじゃないかしら。ああ、家族を捨てるような根性なしには荷が重い話だったわね? ごめんなさい。」
「お、おう……」
お姉ちゃんとミヤコさんはいつだって俺の味方だ。
特にミヤコさんは壱護さんへのあたりが厳しい。お姉ちゃんは純粋に俺を思って口を挟んでくるのだが、ミヤコさんは言葉の端々にトゲを感じる。
積年の恨みと言う奴だろう。これは庇えないな。
「お姉ちゃん相変わらず制服着るの遅いよな。」
「複雑なの。何度も言ってるでしょ。」
朝食を終えた俺とお姉ちゃんは制服に着替え、学校の時間。いつも通り玄関に立てかけてある母さんの写真に挨拶し、今日もお姉ちゃんと一緒に学校へ行く。
「ママ、行ってきます。」
「母さん、行ってきます。」
キッチンから聞こえる水音は壱護さんが皿洗いをしている音だろう。
・・・
「ただいま。」
「ただいま。」
「ただいま。」
3人分のただいま。俺とお姉ちゃん、そして有馬と共に帰宅した。
余談だが、最近有馬はウチに来るときも「こんにちは」ではなく「ただいま」と言うようになった。壱護さんなんかよりもよっぽど斎藤家に馴染んでいる。
「おう、帰ったか。じゃあルビーと有馬は支度して20分後に事務所に集合。アクアは動画編集の仕事があるからなる早でやっといてくれ。」
「「はーい」」
「了解。」
朝とは打って変わって威厳のあるプロデューサーになっている。こんなのでも元は母さんをアイドルにスカウトし、B小町をドームまで導いた敏腕社長なのだ。長く一線を離れていたが、その腕は衰えていないらしい。
俺専用の仕事用ノートパソコンを開けば、そこにはMEMちょからのメール。
『いつもの場所に素材と指示書入れといたから良い感じにやって』
いつもの場所とは壱護さんの指示で新たに導入したファイルサーバーだ。苺プロの事務所だけからアクセスできるファイルストレージであり、高速大容量かつセキュリティーも万全と言う代物。
この12年間、主にネットを使って芸能界の動向を探り、またアイの仇を探していた壱護さんはIT技術の重要性に気付いたのだとか。特に母さんの一件があるので情報が洩れる事はとても気にしている。
「情報セキュリティに詳しい奴以外はこの建物の外部との通信禁止。分からない奴は基本的にここに出社して作業すること。良いな?」
とのこと。
俺は分かってるかって? その程度完璧だとも。MEMちょもこの辺りの技術には明るいので問題ない。つまり分からない奴とは主にミヤコさんの事をいうのだが、その辺はオブラートに包んだ形だ。
導入時はやや混乱もあり。
「ええっとメムさん、このケーブルを挿せばいいのね?」
「そうですよ。もうパソコンの設定も済んでるのでいつもの場所にはアクセスできます。で、外からデータを確認する時はこっちのタブレット端末でお願いします。個人のスマホだとアクセスできないようにしてあるので。」
「わ、分かったわ。とにかくこのPCを使ってれば安全な訳ね。」
珍しくミヤコさんのポンコツな姿を拝むことが出来た。
そしてMEMちょには会社から物凄くお高い動画編集用PCを用意された。
「いいい壱護さん? ここ、コレおいくらするんですかね?」
「さぁな? 細かい金額はミヤコが知ってるんじゃねえか? とにかく、PC屋に一番早く動画編集できるPCくれって言ったらそれになった。有効に使えよ。あ、壊したら弁償だからな。」
「御意!」
これでMEMちょのPCは自前のものと合わせて2台体制。忙しいときには自身のチャンネルとB小町chの2チャンネル分の作業を並行してやれるわけだ。MEMちょが全力で働けばこの程度の投資額などすぐに回収できると見込んでいるのだろう。
ちなみに俺のPCは替えてくれなかった。MEMちょより使えない奴という判定が明確に分かってちょっと悲しい。
動画の編集作業をしていると、撮影の支度を終えたお姉ちゃんと有馬が戻って来た。MEMちょも一緒だ。
「準備できましたー。」
「揃ったわね。じゃあ行きましょうか。今日はダンススタジオで次のライブに向けた練習ね。」
「おう、行ってらっしゃい。」
ミヤコさんも壱護さんも生き生きとしている。
色々な変化やトラブルなどがありつつ、さすがは敏腕社長の壱護さんだ。なんやかんやで以前より仕事が確実に回るようになっている。そして現場が良いと漏らしていたミヤコさんも収まるところに収まったと言った様子。
事務所を出ていくB小町一行を見送り、事務所には俺と壱護さんの二人が残る。
「さて、風呂でも洗うか。」
そしてまたいつものエプロンを慣れた手つきで着用し、我が家のあらゆる家事をこなす敏腕主夫へと早変わりするのだ。
俺はその頭の切り替えの早さを心の中でこっそり称賛した。