ここは斎藤家。ルビーの部屋。
その真ん中に静かに立つのはルビーでもアクアでもない、謎の少女。幼い少女の体を持つツクヨミと名乗る神様である。ルビーはつーちゃんと呼んで可愛がっている。
ここにツクヨミが居ることを知るものは居ない。どうやってここへ入ったのかも分からない。
とにかくツクヨミは、一階の事務所を通らねばたどり着けないはずのこの部屋に誰にも見つからずに侵入して見せた。
何故と問うてはいけない。何故ならこれは神の御業なのだから。
部屋の隅、ルビーの学習机には一枚の置手紙。
『つーちゃんへ。今日はB小町のお仕事はお休みでアクアはカントクの所へ行きます。学校から帰ったら私は家で一人になっちゃう。遊びに来てくれると嬉しいな。』
ご丁寧にいくつかの駄菓子まで添えてある。
ツクヨミの口角が上がる。にへぇっとだらしなく頬が緩む。威厳もクソもあったものではない。
もう間もなくルビーが学校から帰る時間となればツクヨミがこうなってしまうのも無理はなかった。あと少しでまたお姉ちゃんに会える。そんな期待感で胸がいっぱいなのだ。
ああ、早く帰ってこないかな♪
などと心の中だけで呟いているつもりのツクヨミだが、顔から全身から楽しみですオーラを全力で放出していることに気付いていないのはいつも通りであった。
トントンと誰かが階段を上がってくる音が聞こえる。
ツクヨミの胸が高鳴る。
スタスタと廊下を歩く音が聞こえる。どんどん近づいてくる。
ツクヨミは扉へ一歩また一歩と近づいていく。無意識の内に。
足音が止まる。扉のすぐ前で。
深呼吸をして気持ちを整えるツクヨミの心境はやはり複雑であった。
この扉の向こうにルビーが居る……! まもなく扉は開き、私はお姉……監視対象へと3度目の接触を果たすんだ。今日こそは神様らしく決める……!
望みは薄いだろうが、まぁ、決意するのは自由だ。そっとしておこう。
ガチャリ
扉が開き、ついにご対面だ。
「あ、つーちゃん釣れた。」
「やぁ、ルビー。久しぶりだね。」
「今日はどんなご用があって来たの?」
「なに、大したことじゃないさ。ちょっと話が合ってね。」
「へー、話。」
「そう、話。最近君の義理の父親がこの家に戻っただろう? 私の働きによって。」
「壱護さんのことね。」
「ところがここに戻った壱護は君たち影響を与えるどころか逆に牙を抜かれてしまった様子でね。ちょっと困ってるんだ。」
「神様も大変なんだね。」
「まぁね。」
スクールバッグを置き、コートをハンガーにかけ、制服を着替えつつ会話は続く。我が家の、それも自分の部屋にいきなり神様が現れるという異常事態にもルビーは全く動じていなかった。
いやむしろウキウキであった。
「じゃ、お菓子食べよっか。一つも食べてないでしょ?」
「お菓子で私を釣ろうだなんてね。さすがにこれは予想外だったよ。」
「効果はてきめんだったけどね。」
「うるさい。ここに来たのは任務の為さ。お姉ちゃんに会いたかったわけじゃない。」
お気づきだろうか。
ツクヨミは今ルビーの事を何と呼んだ? そう。『
当然ながらルビーはそのことに気付いている。さらにはその言葉を発するに至ったツクヨミの心理もお見通しだ。と言うかハナから隠せてなどいないのだ。
「やっとつーちゃんの方からお姉ちゃんって言ってくれたね。」
「あっ、しまった……じゃなくて、これは作戦さ。君を懐柔するためのね。こう呼んだ方が君は私の言う事を聞き入れやすいだろう?」
「世話が焼けるなぁ。この子。」
繰り返しになるがツクヨミの表情は至って嬉しそうであり、全身からは楽しいですオーラを放出している。気づいていないのは本人だけだ。
「まぁいいさ。」
「何がいいんだか。」
「揚げ足を取らないでくれるかな。」
「もーめんどくさいから思いっきりぎゅってして良いかな。」
「いや、それはやめた方が良い。ほら、私の話を聞きたいだろう? だから距離をつめないで欲しいな。」
ルビーの好きにさせれば、任務はまず間違いなくパーになるだろう。
じりじりと近寄るルビーに対し、なんだかんだ逃げようとはしないツクヨミ。それならそれで良いかなと心のどこかで思ってしまっているらしい。
しかし任務を忘れてしまったわけでもない。
「ぶっ殺す、だったっけ?」
「何のこと?」
ルビーの動きが止まった。さすがに看過できないフレーズだったようだ。
表情からも余裕が消えた。
「とぼけないでよ。斎藤壱護は確かに言ってたよね。君たちに聞こえる声で。」
「ママの仇を討つって話、だよね。」
「ああそうさ。彼は自分の手で君の実の父親を殺すつもりだよ。」
「そんなことはさせないよ。ママを殺された上に人殺しになっちゃうなんて壱護さんが可愛そうだもん。私達家族で絶対に止めるから。」
「本当に止められると思っているのかい? 12年間も彼の心を焼き続けた復讐心だよ? 君らがちょっと頑張ったくらいで消えやしないと思うけど。」
「消す必要なんてないの。ミヤコさん言ってた。ママの仇を恨む気持ちは一生消えないだろうって。でもそれで良いの。その気持ちを抱えたまま、壱護さんは私達と一緒に幸せに暮らすんだよ。」
「綺麗事だね。復讐心がそんな簡単に克服できるものか。」
実の娘のように可愛がっていたアイを殺されたとなれば、その心の傷は一生引きずるはずだとツクヨミは睨んでいた。だからこそ続くルビーの返事は想定外だったことだろう。
「いや、それが結構あっさり克服出来ちゃったみたいなんだよね。」
「え?」
「人生エンジョイしてるよ?」
「はぁ?」
「12年仇を探し続けてたらしいんだけどさ、ぶっちゃけもう見つからないじゃん。12年見つからなくてさぁ、13年目で見つかると思う? って聞いたら、無理だわなって言ってたもん。多分頭ではもう無理だって分かってたんだと思うよ。」
つまり壱護を利用して姉弟を復讐の道へ引きずり込むことなど初めから不可能だったわけだ。どうあがいてもツクヨミの任務は失敗する定めだった。
この少女に真面目な任務など最初から無理だったのかもしれない。あるいは相手がルビーでさえなければ優秀な神の使いだったのかもしれないが、たらればの話をしたところでしょうがない。
シリアスな雰囲気は既に吹き飛んでしまっているのだから。
こうなりゃヤケである。
「ああもうっ! 何でどいつもこいつも私の想定外なねじ曲がり方してんの!? もう無理じゃん! どうしようも無いじゃん!」
「ああー……神様がついにご乱心だー。」
「ご乱心ついでに君に甘えさせて! お姉ちゃん!」
「待ってました♪」
「ふにゃぁあぁ……」
「よしよし。大変だったね、つーちゃん。」
ツクヨミがプライドを投げ捨ててルビーの胸に飛び込む。これにてゲームセット。ツクヨミの肉体に備わる本来の人格に乗っ取られ、あとから無理やり詰め込んだ神の使いとしての人格は鳴りを潜めてしまう。
要するにただの可愛い女の子だ。
「お姉ちゃん、お菓子食べて良い?」
「良いよ。つーちゃんの為に買ってあげたんだから。」
「わぁい♪」
「コラコラ、慌てない慌てない。」
ベッドの上にルビーが座り、その膝の上にツクヨミが座る。
慣れた手つきでルビーがお菓子を手に取れば、ややぎこちない動きでツクヨミの口がそれを受け取る。アクアのようにスムーズには行かなかった。
「動かないで。つーちゃんが動くと上手く食べらさせてあげられないでしょ。口を開けてゆっくり受け取るの。」
「こ、こうかな。ん。
「まだまだ練習が必要みたいだね。」
「むぅ。」
神の御業によってルビーの部屋に侵入して来た神の使いは、今や女子高生に駄菓子を餌付けされるただの幼い少女以外の何者でも無い。
まぁ、ルビーと出会ってしまった以上、これは約束された結末であった。
つーちゃんを落としたぞ。