夏コミでの取材の帰り道。電車の中でスマホを取り出し、目に飛び込んできた光景に冷や汗が噴き出る。
とあるツイートがバズっていたのだ。
『やっぱりテレビって最悪。露出系だからって完全に下にみられてる。
東ブレコスの取材っていうから受けたのに前日になってオリジナルで~とか言われてレイヤーへのリスペクト一切感じられない。
準備どんだけ大変かわかってんの?正直ショック……
しばらくコス活動も控えようと思ってます………』
ツイート主は今回の取材を受けてくれたコスプレイヤーのメイヤさん。今回の取材で最も下劣な質問をされたレイヤーさんの一人だ。
僕が取材現場から撤収し、夏コミの会場を出る頃には既に拡散されてしまっていた。気づいたときには既に手遅れ。
炎上が、始まっていた。
・・・
「ただいま。」
家に帰って真っ先に、ミミへ謝りに行った。
「ミミ、入って良いか?」
「良いよ……」
扉をノックして入って良いか確認すれば、一応返事は返ってくる。しかしその声は弱弱しかった。
部屋に入れば、布団にうつ伏せで横たわるミミの姿。持っていったカバンは床に無造作に投げ捨てられており、余所行きのパーカーを着たままだ。
帰って来るや否や、敷いてあった布団にそのまま倒れ込んで、そのまま起きることが出来なくなってしまったのだ。
「ミミ、大丈夫か?」
「疲れた…今日は寝る……」
「夕飯はどうするんだ?」
「食欲ない、いらない…」
すっかり弱りきってしまった妹がそこに居た。
ミミをこんな目に遭わせたのは他でもない僕だ。ミミを人がごった返す真夏のイベントに呼びつけて、会場に一人で向かわせた。
普段は引きこもりのミミをだ。
この様子では数日は回復しないだろう。いや、もしかすると一生引きずるトラウマになったっておかしくない。それほどの事を僕はしてしまったんだ。
罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。
「ごめん……本当に、ごめん…」
「にーちゃん…。にーちゃんは悪くない……。会社のせいだよ…」
「お前は優しいな。今はゆっくり寝てろ。にーちゃんは大丈夫だから。」
精一杯の笑顔を張り付けてミミに見せ、すぐに部屋を去った。
自分の部屋に戻って、入って来た扉を閉める。それと同時に我慢していた涙があふれ出す。ミミの前でだけは絶対に見せまいと耐えていた涙だ。
「うぅ……何で僕はこんなことを……」
大好きな妹を自分の仕事の都合であんなになるまでこき使って、そうしてようやく実施できた取材もメイヤさんのツイートで炎上騒ぎを起こす結果となっている。こんなに頑張って働いているのに返ってくるのは辛い現実ばかり。
僕は完全に努力する意味を見失っていた。
その後は徹夜で動画の編集。当然のようにミミのインタビュー部分は全カットだ。もう漆原さんに何を言われてもいいからミミだけは守ろうと思った。完全に私情だけど、その辺の判断が出来るような精神状態ではなかった。
編集作業は出社時間ギリギリまで続き、結局一睡もせずに会社に向かうこととなる。
慢性的な睡眠不足と極度の精神的ストレスでフラフラになりながらも、僕は律儀に出社する。そして会社で聞いたこの一言で僕のメンタルは限界を迎えた。
「上からの伝達だ。コスプレ回の放送は一旦見送り。局としての謝罪も検討してるそうだ。」
この瞬間、あれだけ身を削って撮影して、徹夜で編集までした努力の結果が無に帰した。それどころかテレビ局全体に大きな迷惑をかける原因にすらなっている。
その事実を理解すると同時、吐き気を感じた。
続いて視界がぐるんと回りだす。少し遅れて体に大きな衝撃。痛いなぁ。誰か僕のこと大きな板のようなもので叩いたのか?
周囲を見回そうとすると、顔のすぐ横に床があるのが見える。
視界が回ったのではなく、誰かに叩かれたのではなく、僕が倒れただけの事だったみたいだ*1。これじゃさすがに働けないな。
あの、今日は休んでいいですか……?
どんな返事を貰ったかは覚えていない。
目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。
そして僕が横たわる布団の傍にはミミ。目じりには泣きはらした後が見えた。どうやら僕はまたミミを泣かせてしまったらしい。僕は兄失格だ。
っと、そんな事考えてる場合じゃなかったな。
炎上してしまった後では遅いかもしれないけど、謝罪のコメントを考えないと。漆原さんでは誠意ある謝罪のコメントなど思いつきもしないだろうから。ああそれから次の企画の案も考えなきゃいけないんだった。
僕は仕事をしようと布団から起き上がる。
しかしどうも体がおかしい。体だけじゃない、頭も働かない。仕事用のPCを開いて操作しようとするのだが、全く何も考えられないのだ。
あれ? 何をすればいいんだっけ? 確か次の企画の……
ここまで考えてふっと思考が霧散してしまう。もう数秒前に考えていたことすら全く思い出せず、呆然とPCを眺めるだけの間抜けな男がそこに居た。
パタン、とPCを閉じて床に寝転がる。ミミが視界に入る。
「あと何年ADを続ければ良いんだ?」
口をついて勝手に愚痴が漏れ出ていく。
「Dに振り回されて、スポンサーの意向や表現規制でがんじがらめで、奴隷の様に働いて休みもロクにとれない。仮にDになったとしても次の苦労が待ってるだけ。自由なんてない。」
「そんな事無いよ。上に行けばきっと……」
ミミの前向きな言葉に、何故だか無性に腹が立った。
愚痴の勢いは増すばかりだ。止めようと思っても止められない。自分の体なのに、自分の心なのに、勝手に考えて勝手に口を動かしていく。
「サスペンスドラマで崖から落ちて死ぬみたいなの多いじゃん。あれどうしてだと思う? 薬で殺したら医療メーカーのスポンサーが怒るから。包丁で殺したらキッチンメーカーが、車で殺せば車メーカーが怒る。配慮配慮配慮配慮。結局誰も怒らない事故死が一番丸い。キャストの名前を記載する順番がどうの、差し入れの位置がどうの、あれしたら違約金これしたら違約金。そんなんばっか。くだんない監修だらけ。ここに自由なんか無いんだよ。」
ああ、ついに僕は、壊れちゃったんだな。
・・・
翌日もなんとなく会社に行く。壊れた心のままで。
でも建物の入り口で良く分からない胸のざわつきを感じて、思わず踵を返してしまった。しかし家に帰ってもミミを心配させてしまうのでその辺の街路樹を囲むベンチに腰を下ろした。
漆原さんの居ない所で作業する時に良く使ってた場所だ。ルビーちゃんと妹談議をして盛り上がった場所でもある。
生まれて初めての無断欠勤。仮病ですらない、完全なバックレ。
今頃漆原さんブチギレてるんだろうなぁ。ははは。
スマホを確認すれば、例のツイートを発端に漆原さんのセクハラ発言や番組がコスプレイヤーに対して行った仕打ちに関する記事がネットニュースになっている。結構な注目度のようだ。
あー拡散してるなぁ。僕どうなるんだろ。もしかしてクビかもなぁ。
そんなことを呑気に考えながら、ぼんやりと夏の空を見上げる。すぐ近くでは大きな入道雲がもこもこと成長している最中のようだ。太陽も隠れて僕の居る場所は日陰になっている。
地面に視線を落とす。
アリが一匹通り過ぎた。もう一匹。もう一匹。沢山。
しばらくアリを数えていたが、数が分からなくなったので地面から視線を外す。スマホを見てみると4時間が経過していた。面白いなぁ、時間が飛んでる。
今度はまた空を見上げる。
しばらく雲を眺め、そしてもう一度スマホをみるとさらに3時間が経過していた。うん、狙い通りだ。
フハハハハ僕は時間を操る力を手に入れたぞ。
ついに壊れてしまいました。