「じゃあにーちゃんは仕事に行ってくるから」
「うん、行ってらっしゃい」
ミミと僕が苺プロに入って一週間ほど経つが、ミミはこれまで通り僕のサポートの下で配信を続けている。事務作業は完全に僕の担当だから、ミミからすれば事務所に所属してもしなくてもやることは変わらないのだった。
お金の流れが少しだけ変わり、ミミの取り分も減っているのだが、それすら僕の管理下にあるのでミミは気づかない。
にーちゃんちょっとだけミミの将来が心配です。
それはともかく、今日はミミのマネージャーではなく、苺プロのスタッフとしての仕事だ。
この一週間はゆっくり休むことが出来た。ミミのマネジメントは続けていたが、トラブルやイベントなども無かったため僕の作業はほとんどなかった。心も身体もすっかり元気になったという事で、ようやく仕事を任せてもらえるようになったという事だ。
その初仕事は何かというと、アクア君の映画製作のサポートだ。
アクア君は苺プロ所属の俳優であると同時に映画監督の五反田さんのお弟子さんとのこと。演技だけでなく映画製作についても学んでいるらしく、今はその一環でアクア君主導で映画を製作している。
僕のテレビ制作会社で培ってきたスキルが映画製作に役立つだろうという事でミヤコさんからの指名が入ったのだ。五反田さんにも話は通っている。
という訳で五反田スタジオに到着だ。
ぱっと見は普通のマンション。それなりに高級な物件ではあると思うけど、スタジオと呼ぶにはあまりにも普通の物件だ。というか、五反田スタジオってペンで書いただけの紙を表札の上に重ねてるだけじゃん。
とりあえず呼び鈴を鳴らす。するとインターホンから中年男性の声。
「どちらさん?」
「苺プロの吉住と申します。アクア君のお手伝いを頼まれてきました」
「おう、話は聞いてるよ。今開ける」
出てきたのは五反田監督。ボサボサの長い髪を後ろで束ね、無精ひげを生やしたままだ。テレビや写真で見たことはあるけど人前に出ないときはこんな感じなんだなぁ。身だしなみに興味がないタイプか。
五反田スタジオにお邪魔すると、案内されたのは彼の部屋だった。アクア君も中に居た。
「へぇ、ここがあの五反田監督の……」
「子供部屋です」
「おい早熟! その呼び方はやめてくれって言ってるだろぉ!」
「いいじゃん事実なんだし」
「お前はもうちょっと師匠に対する敬意をだな……」
あの、いきなり仲良く喧嘩し始めるのやめてもらって良いですかね。ちょっとそのノリついていけないです僕。
いつも同じようなやり取りを繰り返しているのか、作ったようなセリフの応酬だった。一通り言葉を尽くした後、よしもう良いかみたいな顔で二人が同時に矛を収める。
まるで親子のように仲が良いな。
「……まぁそんなことはどうでも良いか。で、吉住っつったか。これからアクアの補佐として働いてくれるんだったよな?」
「ええ。本業はVチューバーのマネジメントなんですけどそちらはあまり手がかからないので、余った時間で苺プロの仕事のお手伝いをすることになってます*1」
「そうか。その本業ってのはどんな……というかこっちの仕事にどれくらい時間をとれるんだ?」
「機材トラブル以外はリモートで作業できますし、何もなければマネジメントでやることはほとんどありません。こっちの仕事に専念できると思って貰って構いませんよ」
「ほう、それはありがてぇな」
僕の働き方はちょっと特殊なのだ。
苺プロの社員で、ミミ専属のマネージャー。しかしミミはいつも通り家でゲーム実況の配信をするだけならマネジメントなどほとんど不要だ。動画の場合もなじみの編集者さんに素材を投げていつも通りでお願いしますと一言いうだけの流れ作業。
僕の出番があるとすればそれは他のVチューバーとのコラボの依頼が来たときや、逆に依頼を出すときがメイン。それもノートパソコン一台あればどこでも対応出来てしまうし、ちょっとメールのやり取りをしたり電話したりするだけの簡単なお仕事だ。
あるいはVチューバーをやるための機材を一新するようなことがあれば僕の出番なのだろうが、そんなことはめったに起こらない。
要するに僕は暇なのだ。制作会社のADをやりながらでも出来てたんだから当然と言えば当然なんだけど。
「じゃあ早速本題に入るんですけど」
そう言ってアクア君は映画の企画書を僕に差し出す。ふむふむ、なるほどこういう感じ。
続いてあらすじと絵コンテ。絵コンテに関してはまだ全体の1割程度しかかけていないという事らしいのだけど……ちょっと量が異常だった。一枚一枚の書き込みもなかなかのものだし、なんというか、情報量が多い。
聞くところによれば彼は生粋の映画オタクだと言うし、これまで見てきた何百という映画のシーンが頭に蓄積されているだろう。曖昧なイメージを徐々に具体化していくという過程を吹っ飛ばして初めから詳細な映像を組み立てられるのかもしれないな。
素晴らしいスキルだ。
絵コンテをパラパラ眺めつつ、あらすじと突き合わせてみると、確かにカバーできている範囲は1割程度と言ったところだった。冒頭から順番に書き進めて行った部分に加え、映画のハイライトとなるシーンとラストシーンが描かれていた。
これが全て書き終える頃にはこの映画に関わるスタッフの中で完璧なイメージが共有されることになるのだろう。
アクア君の頑張りに期待だ。
「で、僕は何をすればいいのでしょう?」
「おい、早熟。なんか指示出せ」
「そこも俺が考えるのか!? さすがに考えてないぞ。今は絵コンテ描くのに必死だしこれが出来ないことには指示の出しようも……。」
「じゃあ今考えるんだな」
思考の海に沈むアクア君。五反田さんはそれを楽しそうに眺めている。それは決してアクア君を虐めるような顔ではなく、むしろ親が子にある種の試練をあたえてそれを乗り越えてくれるのを期待するような顔で。
アクア君も苦しい顔をしつつなんだかんだ監督の言う事に反発はしない。本当に親子みたいな師弟関係なんだな。
しばらく考え込むアクア君だったが結局やることは見つからず、昼ご飯の時間となってしまった。五反田さんの母親の登場だ。
「吉住君も食べてくわよね!?」
「ええっと、僕は……」
「ご飯よそっておくから早く来なさい。アクア君もね」
「おばちゃん、今ちょっと大事な話「冷める前に来るんだよ」……はい」
五反田家の人間はいちいちキャラが濃いな……!
アクア君が渋々食卓に向かい、僕と五反田さんが後に続く。
食卓に並べられた昼食を見てそのボリュームまず驚いた。茶碗に盛られた白米の量は吉住家のゆうに3倍はあるだろうか。うちでは茶碗のふちの高さを超えてご飯をよそうことは無い。
お代わりは遠慮なく言ってねとのことだがこの最初の一杯の時点でお腹いっぱいだ。アクア君はまだまだ若いからだからこれ位余裕なんだろうけど。
喰わなきゃ大きくならない? いやもう成長止まってますんで。
なんだかんだで昼ご飯は美味しかったです。五反田さんのお母さんありがとう。
再び子供部屋に戻る僕ら三人。アクア君はずっと黙り込んでるし、監督はそれを面白そうに眺めるばかり。この家になじみのない僕はどうすれば良いのか分からなくなってしまう。
企画資料やらを読み返しながら頭をフル回転させるアクア君はそっとしておかなきゃいけないから、とりあえず監督と雑談でもしようか。漆原Dと同じ轍は踏まない。人間関係大事、リスペクト大事。
「あのー、監督? 僕ここに居る意味ありますかね?」
「無いな。今の所」
「ですよねー。でも今の所ってことはこの後何かあるってことですよね?」
「あるかも知れないってだけだが。早熟が何か思いついたらすぐ動けるようにしとけよ。そのために居るんだろ?」
「ええまあそうですが。やっぱり師匠として彼の事を想って無理難題を吹っ掛けてるところありますよね?」
「まぁな。俺からすれば初めての弟子だしよ。子供の頃から面倒見てるってのもあってやっぱり情は湧くさ。それにあいつは何処までも素直で真っ直ぐで、どんな困難も逃げずに真正面から立ち向かう奴だ。頭も良いし根性もある。期待するなって方が無理ってもんだ」
「それはやはり自身の後継者として?」
「それも考えてはいるが、なんというかもっとざっくりとした考えだ。どこまでも上に行って欲しいんだよ。それが映画監督としてなら嬉しいが別にそうじゃなくても構わねぇ。アイツが輝けるんならどこでもな」
「親心って奴ですか?」
「分かんねぇよそんなもん。親じゃねえんだから。だがまぁ、親は子供の幸せを願うもんだっていうが、そういう感情に近いものはあるのかもしれねぇな」
「そうですか」
五反田さんは認めたがらないけど、それは親心といって良いだろう。アクア君を見つめるその横顔は間違いなく父親の顔なんだから。
言えば否定されるだけだろうから言わないけど。
五反田さん視線の先ではアクア君が色々スマホに打ち込んでいるのが見えた。かと思えばようやくある結論にたどり着いたらしく、急に僕と五反田さんに向き直る。
「吉住さん、ADって何でも出来るんですよね?」
「その言い方はちょっと語弊があるかな。何を言われても断れないって言うのが正しいのであって、何でも出来るわけじゃないからね? その上で聞くけど何かやって欲しいことがあるのかな?」
「はい。俺は当面絵コンテと台本の作成に時間を割かなければいけないので、吉住さんにはその先の作業をお願いしようかと。具体的にはキャスティングとロケハン*2ですね。台本が確定している部分からでいいので出来るところからお願いしたいです」
「なるほど、了解です」
まぁその辺だろうとは思っていた。特にロケハンなんかは経験も多いし力になれるだろう。絶対に取材NGの店に直電するくらいの胆力だってあるし。
キャスティングについてはちょっと自信は無いけど、とりあえず苺プロのメンバーなら断られはしないだろう。演技派の有馬さんは間違いなく頼ることになるだろうし、絵コンテには幼少期の主人公のイラストもあったから子役としてツクヨミちゃんも確定かな?
それ以降のキャスティングについては五反田監督に相談しながらってところかな。必要なら手を貸してくれるだろう。
撮影場所とキャストを押さえれば自然と撮影スケジュールも決まってくるはず。となればスケジュール管理も僕の担当になると見ていいだろう。アクア君が監督なら僕は助監督みたいな立ち位置って事になるのかな。
うんうん、大体わかって来たぞ。
「じゃあアクア君、確定している部分だけで良いから台本と絵コンテを電子データにして渡して欲しいんだけどいいかな? 今は紙で描いてるみたいだけど最終的には印刷して配るだろうから早めにデジタルデータにしておこう」
「そうですね。ちょっと待ってて下さい」
で、僕のノートPCに送られてきたのが作りかけの台本と大量の絵コンテなんだけど、やたら具体的なせいでピッタリ当てはまるロケ地を探すのに苦労しそうな気配。この手の無理難題には慣れているから雰囲気で分かる。
しかしPCから視線を外し、正面を見れば期待に目を輝かせるアクア君の顔。そんなピュアな眼で見られたら手ぇ抜けないって……!
「どうですか、吉住さん。いけそうですか?」
「あはは、まぁ何とかしますよ。どうしても無理ならそのときは相談します」
ああ、アクア君の希望に添うロケ地の調査は骨が折れそうだ。
こっちも割と大変なお仕事の予感。まあAD時代に比べれば屁みたいなものですが。