あの筋肉が、帰って来た。
私の天敵。初めて会った時は彼を目にした瞬間恐怖に支配され、ただ泣きわめくことしか出来なかった。ルビーに宥められ、どうにか落ち着きを取り戻した後は一転、面白い講義で心を鷲掴みにされた。そしてJIFの特訓ではダンスの基礎を叩きこんでくれた。
そう、あのゴリゴリのゴリマッチョ、ぴえヨンが帰って来たのだ。
ここは某ぴえヨンのスタジオ。B小町chとぴえヨンチャンネルのコラボ動画を撮影するためにやって来た。グリーンバックのセットには既にぴえヨンがスタンバっており、そのゴリゴリの筋肉をさらけ出している。
私達も着替えを済ませ、ぴえヨンさんに合流だ。
「ぴえヨンさん、お久しぶりです」
「やぁ、みんな久しぶりだね。JIFの特訓以来かな。社長もお久しぶりです。」
「ええ、久しぶり。あの時は本当に助かったわ」
「いやそれほどでも。それにしてもB小町chの伸びは凄いものだね。あっという間に100万人とは驚いた。」
そう、100万人だ。彼のチャンネルは200万人を超えているからまだまだ力関係としては彼の方が上だけど、それが対等になるのも時間の問題なのかもしれない。
初コラボの時は新規アイドルグループを事務所がバックアップするために彼の知名度を利用する形だったけど、今となっては彼のチャンネルにとってもB小町とのコラボは利のある話になってきている。
苺プロの二大看板って感じかしら。大きくなったものだわ。
MEMちょなんかは特に嬉しいだろう。ここまでユーチューブの登録者数が伸びたのはほとんど彼女の功績と言って良いくらいだ。
「ぴえヨンさんにそう言っていただけると嬉しいです! MEMちゃんねるもあっという間に抜かれちゃって、もう嬉しい限りですよ」
「自分のちゃんねるを抜かれて嬉しいのかい?」
「当然です! B小町ですから!」
「ははは、本当に好きなんだね。じゃあお喋りはこの位にして撮影始めようか!」
「「「はい!」」」
今日の企画はB小町の臨時メンバーとしてぴえヨンが加入するというものだ。ご丁寧にぴえヨン用の衣装まで用意して、完全にB小町の一員としてダンスを踊るという、気が触れたとしか思えない意味不明な企画。
考案者はルビーだ。言うまでもない。
ぴえヨンの合図で動画の撮影が始まった。
「皆さんこんにちは! B小町chでーす! 今日は特別企画! ぴえヨンさんが一日だけB小町のメンバーになっちゃいま―す!」
「ピヨピヨピヨ~~ぴえヨンチャンネルぅうぅ!!」
「ちがーう! B小町ch!」
「ア!? そうだった! ごめんごめん。こんにちは! ぴえヨンです。今日は一日よろしくお願いします!」
「うん! よろしくね!」
「はいカット―」
オープニングを取り終えてぴえヨンが着替えの為に移動。次に戻ってくる時にはひよこマスクでビルパンの変質者からB小町の衣装を身に着けた変質者になっているのだろう。
見たいような見たくないような。
「おまたせしました。ちょっと着るのに手こずっちゃって」
ぴえヨンはすぐに戻って来た。まごう事無き変質者の風格だった。
私とMEMちょはドン引き。しかしルビーは大はしゃぎである。この子、色々とおかしいけどギャグセンスも狂っているのかもしれない。妹として何とか矯正してあげられないかしら。いや無理か。私が引きずり込まれる未来しか見えない。
ちらっとMEMちょの方を見ても何かを諦めたような顔。大体同じ気持ちという事か。
「ねぇMEMちょ。お姉ちゃんとしてルビーのあのおかしな感性を直してあげようとか思わないわけ?」
「いやぁ、あれもルビーちゃんの可愛い所って言うかぁ、上手く使えば人気出るって言うかぁ」
「本音は?」
「無理です。諦めました」
ミヤコさんがどうにも出来なかった時点でもはやだれにも手は付けられないんだろう。学校で噂になっている数々の奇行はミヤコさんも知ってるはずだし、それはきっと小学校、中学校で同じだったはずだ。
アクアへの愛故の言動が多いのでそれが原因かと思いきや、意外とそれだけでもない。顔の良さにかまけて頭を使わずに生きてきたともいえるか。
それが高校生になった今でも直ってないということは、もうお察しなのだ。手の施しようがない。
「でもまぁそこがルビーちゃんの魅力ではあるじゃん? いきなり近所の女の子連れて来たりしたときもさすがにどうかと思ったけど、ツクヨミちゃんは結局子役として活躍してるわけだし。なんだかんだルビーちゃんは悪いことはしてないんだから、ああ見えて意外と考えてるのかもよ?」
「あのぴえヨンを見ても同じこと言えるの?」
「ど、動画の再生数は回ると思うよぉ……」
視線の先にはルビーと親しげに話すフリフリの可愛い衣装を着た覆面ゴリマッチョ。普通思いついてもこんな企画やらないわよ。全く。
「ほら先輩! MEMちょ! やるよー!」
「はいはい、今行くわよ」
まぁ、そこがルビーの魅力っていうのは否定しないけど。
・・・
筋肉が、躍動していた。
やることはいつも通りの歌とダンス。それをカメラの前で披露するだけ。ただし、ぴえヨンをセンターに据えて。
デカい、早い、キレがある。近くにいる私には彼の体から発せられる風切り音や地面を踏みしめる音がはっきりと聞こえている。
人が動いた時に出る音じゃない。何かもっと大きな、そう、冷蔵庫とかを地面に落としたんじゃないかって言うくらい迫力のある音と振動が伝わってくるのだ。やっぱりこの男、人間じゃない。
そしてルビーだ。
なんだかとっても面白そう。まるで動物園で檻の傍まで寄って、大型動物の迫力を間近で楽しむ子供の用な顔になっている。
ダンスの動画を何本か撮影し、その日の仕事は終了。
ルビーは相変わらずぴえヨンに付きっきりだ。今日このスタジオに来てからというもの、ずっとぴえヨンの事が気になっており、私にはほとんど目もくれずにぴえヨンばかりと話している。私というものがありながらあのお姉ちゃんは……。
「かなちゃん、ひょっとしてぴえヨンに妬いてたりする?」
「はぁ? 何言ってんの? そんなわけ……」
あまりにバカげた質問だと思い、すぐさま否定しようとした。ぴえヨンに嫉妬? 意味が分からない。一つも被る要素がないじゃないかと。
しかしぴえヨンと親しげに話すルビーを見てるとなんだかこう、胸のあたりがもやもやするって言うか、よく分からないけどあまりいい気分にならない。
「気づいちゃった感じ? ぴえヨンにお姉ちゃん取られて嫉妬しちゃった感じ?」
「笑うなぁ! 別にそんなんじゃないわよ! 私もうすぐ18になるのよ? 成人間近よ? この位で動揺するほど子供じゃないわよ。当然でしょ?」
ルビーの事は好き。それはそれとして私はもう大人になる年齢だ。いつまでもお姉ちゃんに甘えているわけにはいかないだろう。一人の人間として自立していくことも大事だし、立派な姿を見せてルビーとMEMちょを安心させてあげたい気持ちもある。
いつまでもお姉ちゃん達に頼ってばかりの子供だと思うなよ。
そんな気持ちでMEMちょに言い返した。するとMEMちょは私の事を無視して唐突に歩き出した。
「ルビーちゃーん私も交ぜてー」
「あっ、待っておいてかないで!!」
「かなちゃん?」
「……今のは卑怯よ」
そしてくるっと振り向いたMEMちょ。作戦成功、にやり、みたいなあざとい顔でこっちを見つめてくる。しまった! 完全にしてやられたわ!
しかもMEMちょに呼ばれたルビーとぴえヨンまでもがこの光景をしっかり目撃していた。というかスタジオ中の視線が私に集まっている。学校の教室と同じく、その場に居る人が皆微笑ましいものを見る目で私の事を……。
「ごめん先輩。ぴえヨンに会うの久しぶりで先輩に構ってあげるの忘れてた!」
「別に構わないわよ。私の事は気にせずにどうぞ」
「まだ強がるんだネ」
「強がってないったら!」
「そうかい。じゃあルビーちゃん、ちょっとあっちで話そうか」
「あっ……」
「先輩、無理はしないほうがいいよ。ほらよしよし」
気づいたときにはもう遅い。声が漏れていた。きっと表情も良い感じに寂しそうな感じになってるんだろうなぁ。私ってそういう人間だし。
まだまだ甘えん坊な性格は治りそうにないなと、ルビーに撫でられながら思う私だった。