「俺の映画が……理想が崩れていく……」
こうしてアクア君が項垂れるのは何回目だろう?
五反田スタジオに集まって、僕、アクア君、五反田さんの3人で現在の状況を整理しているのだけど、アクア君の顔が冴えない。理由は簡単。思うように映画撮影が出来そうにないという現実をまざまざと見せつけられているからだ。
「吉住さん、俺が見つけたあのスタジオ、借りれそうですか?」
「スケジュール的にちょっと無理かもですね。大分先まで埋まっちゃってるんですよ。そこまで撮影を先延ばしには出来ないのでここは諦めましょう」
「そうですか……」
こんな感じでアクア君の理想の映画から一歩また一歩と遠ざかっていく。ある時はお金の都合で。ある時はスケジュールの都合で。そしてある時はアクア君の実力不足によって。
その度にアクア君はこうして悔しがるのだ。
でもまぁ政治的なあれこれがほとんど存在しないだけでも恵まれている方だとは思うけどね。
五反田監督がプロデューサーを兼任しているためか、スポンサーについてくれた企業は五反田監督の方針に協力的なところばかり。さすがに予算は少ないがアクア君に自由に映画を作らせてみるという試みを面白がってくれている。
いわゆるスポンサー様の御意向というものを意識しなくて済むという、ある種のパラダイスのような環境なのだ。TV番組を作っていた頃からすると考えられないレベルの自由度。
「五反田さんもやり手ですよね。これだけの資金を得ていながらこれほど自由に映画を作れる環境を整えられるなんて」
「俺は自主製作をかれこれ30年くらいはやってるからな。ノウハウも人脈も揃ってる」
「それを惜しみなくアクア君の為に使ったと」
「勘違いするなよ? 俺はただ映画作りに熱意を燃やしているだけであって、アクアに経験を積ませたい親心とかじゃねえからな?」
「ははは、分かってますって」
ええ分かってますとも。ただの親ばかです。アクア君を思う気持ちはぶっちゃけミヤコさんにも負けてないと思う。
「で、アクア君。こことここなんですが、やはりスケジュール的に厳しいかと。メルトさんとあかねさんが揃う日は埋まっちゃってて」
「マジか……。いやでもここは立地も良いし予算を考えると是非使いたいんだよなぁ……。仕方ない、ここはメルトの出番を削るか…?」
「また妥協だな、早熟」
「うるさい! 今考え直してるんだ、静かにしてくれ」
監督がニヤニヤと面白そうな顔をしながらアクア君を弄っている。監督の苦労を分かってくれて嬉しいんだろう。
キャストについてはアクア君の人脈で高い演技力を持った役者で固めることが出来たけど、今度は売れっ子故にスケジュール調整が難しいという問題にぶち当たる。アクア君を始めとした苺プロのメンバーであればどうとでも出来るが、今回のキャストの中では黒川さんとメルト君のかみ合わせが悪い。
どちらもそれなりに忙しく、絶妙に日程が合わないのだ。
空いている日にちを数えれば二人ともそこそこの日数はある。しかし両者とも空いている日にちを数えてみると実際は撮影可能な日がほとんど無かったりする。そこに撮影現場のスケジュールも掛け合わさってくると……
「無理だろこれ……」
「だな。でもそこを何とかして映画の質を落とさずに撮りきるのも監督に求められる能力だ。踏ん張りどころだ」
「何をどう踏ん張れって言うんだよこれ」
やっぱりアクア君が頭を抱えるのだ。
スプレッドシートにキャストやロケ地のスケジュールを並べてみると、巨大なパズルが出来上がる。全てのシーンを撮影できるようにそのパズルを解いていくのだが、ある程度進んだところで無理と分かる。
そこでどうするかと言えば、やっぱり妥協なのだ。
先ほどメルト君の出番を削ると言ったように、映画の内容そのものを変更すれば撮影自体は可能になる。極論、背景は全部CGにするとか、そもそも問題となるシーンを無くしてしまうとかも可能だ。
アクア君が納得するかは別の問題だけど。
「監督……時間をくれ……」
「ダメだ。早く決めろ。今はまだいいが、いざ撮影が始まってから監督が迷子になって指示を出さずにいたら現場全体が止まるんだぞ? お前昔俺の事散々せっついてきたじゃねぇか。だったら俺を反面教師にして即断即決してくれねぇと筋が通らねぇよな?」
「くっそ……何も言い返せねぇ……!」
愛情たっぷりのしごきはまだまだ続く。
・・・
「どうだ? 監督」
「よしOKだ、これで行こう」
ついにその時が来た。台本が完成、絵コンテは重要な部分のみ作成済み、撮影スケジュールが確定。撮影の準備が整ったのだ。
アクア君は本当によく頑張った。すぐそばで見ていた僕には良く分かる。
彼が周囲の支えを受けながら大きな困難に立ち向かう様子は僕の心を強く打った。いっそこれを取材してドキュメンタリー番組でも作りたいと思ったくらいだ。
五反田スタジオに集まった僕とアクア君は、何か大きな事を成し遂げた感じになってしまっている。あまりの嬉しさに変なテンションになってしまったが大目に見て欲しい。アクア君にとってはそれくらい大変だったって事なんだから。
「アクア君、やっとクランクインが見えてきたね」
「やっと……やっとですよ……」
「本当によくやったと思うよ。君は良い仕事をした」
「シュンさん……!」*1
PCの画面には、アクア君の努力の結晶である撮影スケジュールの完成版が映し出されている。たった一つのスケジュールだが、これを作るために費やした時間と労力は計り知れない。
しかし忘れてはいけないのは、撮影はこれからだという事だ。さらにその後には編集作業だって待っている。僕たちはまだ予定を立てたに過ぎないのだ。
喜んだのも束の間、鬼監督から冷や水を浴びせられてしまう。
「よし、じゃあこれから撮影が始まるわけだが……ぶっちゃけ予定通りには行かない。というか予定通りにいかないのが予定ってもんだ。スケジュール引いたからって安心すんのは早いからな」
アクア君が固まってしまった。隣で聞いていた僕も結構ダメージデカい。まったく、一息つく時間もくれないのかこの鬼監督は!
五反田さんがさらに畳みかける。
「雨が降ったらどうする? キャストが風邪ひいたら? そういえば撮影した映像をメモリーカードごと紛失したやつが昔居たっけなぁ。予算が無くなって映画そのものが無くなっちまったなんて話もあった。これから大変だな? 早熟」
まだまだ困難はいくらでも待ち受けているぞと、改めて強調する。
言葉だけ聞いていれば映画製作のやる気を削ぐためにあれこれ言っているようにも聞こえるが、やはりそこには監督なりの教育論のようなものが見え隠れしている。
一貫してアクア君に負荷をかけ続けているのだ。はたから見ればやりすぎと思う程に。しかし絶対に見放さないし何かあったら自分が何とかするという気概も同時に感じさせる。
必死にやれ、夢中になれ、魂を籠めろ。
監督はこれをアクア君の心の奥底に刻み込んで欲しいのだろう。実に難しい注文だ。言葉で言うのは簡単だが、実践できる人が果たしてどれだけいるか。しかしその経験は今後の人生の大きな糧になるに違いない。
それが分かっているからこそアクア君も冷静についていくことができる。
「そうなんだよなぁ……。今までなるべく考えないようにしてたけど、何も起きないと考えるのは楽観的すぎる」
「しょうがない部分もある。ただまぁ、スケジュール通りにいかないからスケジュールを引かないという訳にはいかねぇしな。ここから先はさすがに俺も積極的にサポートに入る。大抵のトラブルは何とか出来るはずだ。むしろそういう時の対処法なんかも覚えて欲しいと思ってる」
「ああ、頼むよ監督。というか一応この映画の監督は俺じゃなくて監督なんだからな? そこ忘れないでくれよ?」
「分かってる。俺は常に最高の映画を作ることしか考えてねぇってお前が一番よく分かってんだろ? お前にやらせればどんな形であれ面白い映画になると踏んでここまでやらせたんだ。そこはきっちり弁えてるよ」
「なら良いけどさぁ……」
「言ったろ? こき使うって。その通りにしてるだけだ、良い経験になるんだから頑張れよ。それとも何か? もうギブアップってか?」
「あ? んな訳ないだろ。まだまだやれるに決まってる」
「はははっ、そう言うと思ってたぜ」
結局楽しそうなんだよ、この二人は。見ていて羨ましいと思ってしまう程に。
これが青春って奴なのかなぁ。