高校1年生の一学期が半分過ぎたころ、転校生がやって来た。
「東京の高校から来ました。
「黒木、お前の席はここだ」
そしてその女性、黒木綾音は芥の隣の席に座る。
「よろしくね。えーっと」
「星川芥だ」
「星川君、これからよろしくね」
「ああ」
人当たりが良く、誰とでも分け隔てなく接することが信条の芥にしてはぶっきらぼうな対応だった。
その様子を見た芦名愛菜と成沢陽翔は訝しむ。
「芥の様子が変ね」
「ああ。初対面の女子にあそこまで緊張するのは珍しいな」
「もしかしてタイプなのかしら」
「いや、でも芥は……」
二人は不思議そうに顔を見合わせた。
・・・
「よう有馬。調子はどうだ?」
「いつも通りよ。難しい役でもないし心配はいらないわ」
転校生が初登場するシーンを撮り終えて一息ついていた私に話しかけてきたのは、現場を仕切るアクアだ。
役者への演技指導をしたかと思えばカメラマンとカメラアングルの相談をしていたり録音技師と話し込んで音質にこだわりを見せたりと、もう水を得た魚のような活躍っぷりを見せている。
「つまらない役で悪いな。もっと目立てて演技力が出やすい役をやりたかっただろ?」
「まぁ本音を言えばそうね。けど今回は良いわ、アクアとあかねに譲ってあげる。脇役でも何でもやってやるわよ」
「暗黒時代に身に着けた協調性をここでも発揮してくれてるわけだ」
「暗黒時代言うな」
役者として売れなければならないという脅迫的な思いに支配されていた頃、何とかして仕事を取るために鍛えたのがこの協調性だ。
なんだかんだ言って協調性は大事。身に着けた経緯はどうあれこのスキルは私を様々な仕事で救ってくれたのだった。
まぁ私の強みをかき消す呪いでもあったんだけどね。しかしそれはもう過ぎた話。
今では立派な財産となっている。
「悪い悪い。とにかく有馬には悪いが、今回は引き立て役に徹してくれると有難い」
「分かってるわよ。引き立てる相手が黒川あかねっていうのが癪だけど、今回は吞んでやるわ。大事なのは作品の質、でしょ?」
「ああ、その通りだ。頼むぞ有馬。頼りにしてるからな」
「任せなさい。大船に乗ったつもりで安心すると良いわ」
「頼もしいな、じゃあ次のシーンもよろしく頼む」
そしてアクアはすぐに別の役者へと声を掛ける。本当にご苦労な事だ。
一人取り残され、私はぼーっと現場を眺める。
しばらく現場をせわしなく歩き回るアクアを目で追っていたが、そのうち視界から居なくなってしまった。
「謝る事無いのに。こんな面白い現場に呼んでもらえて感謝してるくらいよ」
直接言わないのが私の悪いところと分かってはいるんだけどね。
やっぱり恥ずかしくて面と向かっては言えなかった。
・・・
その日の撮影は無事に終わり、その後も映画の撮影は順調に進んでいった。
1か月の撮影期間の内およそ半分経過したところだが、このままいけばスケジュール通りにクランクアップを迎えられるだろう。実に喜ばしいことだ。
しかしそんな中、ある女が映画撮影のせいで大変な状況に追い込まれていた。
「アクアニウムが足りない……死ぬぅ……」
ルビーお姉ちゃんである。
映画撮影のスタッフとして毎日のように現場に立つルビーだけど、映画撮影に関しては素人。出来ることといえば買い出しやツクヨミちゃんのお守位なもので、アクアと関わる機会はほとんどない。
そしてアクアは映画撮影中はずっと五反田監督の家に泊まっているから家にも居ない。学校では普通に会えるのだけど、撮影の為に休みまくっている為やっぱり中々会えない。
結果、ルビーが死にそうになっているという訳だ。
学校も終わり、これから苺プロに寄ってMEMちょの家に動画撮影しにいくというのに、ルビーがこんな調子では困ってしまう。
「ほらシャキッとしなさいよ。今日は帰ったら動画の撮影でしょ? MEMちょにそんな顔見せたら心配されるわよ」
「先輩ありがとぉ……帰る前にちょっとぎゅってさせて……」
「ちょっとだけだよ。これやったら家に着くまでは我慢しなさいよね」
「保証はできない……」
「そこは頑張りなさいよぐえぇ」
強い強い! ちょっとお姉ちゃん強く抱きしめ過ぎ!
しかも中々解放してくれない。長時間かつ強めのぎゅっである。
これ、嬉しさとか安心感より苦しさが勝るからあまり好きじゃないのよね。私的にはもっと柔らかく包み込むような感じが好きなんだけど。そこに優しい言葉となでなでもあれば完璧。安らかなひと時を満喫できる。
……ってぎゅっの評論なんてしてる場合じゃない。このままじゃ死ぬ!
放してよ、とルビーの肩をタップ。しかし解放してくれずむしろどんどん締め付ける力が強まっていく。まずい、このお姉ちゃん、アクアに会えなさ過ぎて暴走している!
やばい……マジで苦しくなってきた……
結局私は通りかかったクラスメイトに救出され事なきを得た。
「本当に余裕がないのね」
「だってぇ……アクアがぁ……」
「我慢しなさい。ほら、撮影あるんだから早く帰るわよ」
「はーい」
・・・
その後事務所でツクヨミちゃんを拾い、社長の車でMEMちょ宅へ移動。
3姉妹+ツクヨミちゃんが揃ったことでようやく元気を取り戻したルビーだが、全快には程遠い。そのままツクヨミちゃんを含めた4人で雑談する動画を撮影し、その日のお仕事は終了した。
カメラのスイッチを切り、本物の雑談タイムに入る。
「ルビーちゃん元気出ないねぇ。やっぱりアクたん忙しい?」
「うん。もう四六時中映画の事考えてるみたい。私には分からないから助けてあげることも出来ないしもう大変なんだ。本当はもっと近くでアクアの事見ててあげたいんだけど……」
「お姉ちゃん、うまい棒食べたら元気になる?」
「うん、ありがと。つーちゃんは優しいね。一口貰っちゃう」
「ふふん」
「とにかくね? アクアが頼ってくれた時に万全の態勢でよしよししてあげたいんだけど、私もなんだかんだ結構しんどくて。アクアは今は楽しそうにしてるけどMEMちょみたいに倒れないとも限らないし、そうなった時のことを想像すると怖くって」
「なるほどぉ、それはよろしくないねぇ」
「チロルチョコもいっぱいあるよ? これじゃダメ?」
「ごめんねつーちゃん。お菓子だけじゃダメみたいなの」
「ううー」
東京ブレイドの舞台の時もこんな感じで弱音を吐いたことがあったっけ。本当にどこまでもアクアの事を一番に考えてるのねこのお姉ちゃんは。
これはただ会えないから辛いと言っているわけではない。
アクアの大事な時に自分が力になってあげられないという無力感も上乗せされているように見える。ただアクアに会えないだけならここまでルビーが落ち込むことも無かったはずだ。こう見えて意外と弟離れは出来ている方だし。
映画の撮影は楽しいとはいえハードワークには違いない。MEMちょの前例もある事だし、ルビーが不安になるのも当然だ。
撮影期間中はルビーにとって辛い時間が続くだろう。
私としてもルビーの力になってあげたい。アイドルになったばかりの私をルビーとMEMちょが救ってくれたみたいに。
JIFを目指して3人で必死に頑張っていたあの頃みたいに……あっ、そうだ。
「ねぇルビー、MEMちょ。また3人で苺プロにお泊りするって言うのはどう? ぴえヨンに特訓してもらった時みたいに。丁度アクアも居ないし良いと思うんだけど」
「いいねぇ! それならいつでも動画撮れるし! 朝晩一本ずつ撮影して毎日2本投稿だぁ!」
「ちょっとMEMちょ落ち着いて。仕事人の性がおされられてない。ねぇルビー、良いと思わない?」
「うん。良いかも。お願いしちゃおうかな」
こうして私たちは再び苺プロの事務所で共同生活を送ることになった。
今更ですが映画の内容を真面目に考える必要はあったのだろうか。
撮影終了、良い作品が撮れましたで良かった気がします……