今日も今日とてアクアと一緒に学校に行く。
玄関を出る時にはママの写真に挨拶するのが私達姉弟のルールだ。
「ママ、行ってきます」
「母さん、行ってきます」
写真に写るママは今日も変わらず私達を見守ってくれている。
あの写真を撮ったのは確か、私とアクアが幼稚園に入園した時だ。初めて園児服を着た私達にママも喜んでくれたっけ。
あの時はまだ子供どころか赤ちゃんっていう年齢だった。ママがしゃがみ込んで私達を抱き寄せてるけど、それでも頭の位置はママの方が高いくらいだ。軽々と抱き上げられそうなくらい小さな子供。
写真に写るママは19歳。今の私と1歳差だ。背丈は既に追い越して、アイドルとしてもその大きすぎる背中に追いつきつつある。
随分と大きくなったなぁ。私もアクアも。
私たちはもう高校3年生。後一年足らずで卒業だ。私は高校を卒業したらアイドル活動に専念するつもりで、その後の予定は無い。とにかくアイドルをやりきるのが私の人生の目標だ。
卒業後は晴れて高卒。先輩と同じだね。
一方アクアは大学進学に向けて受験勉強中。一足先に早稲田大学に入学したあかねちゃんを追いかけている。
「ねぇアクア。アクアはなんで大学に行くの? あかねちゃんに会いたいから?」
「実は監督の出身校が早稲田*1なんだよ。そこの映画サークルで映画に出会って、今の今まで映画を作り続けてる。監督に協力してくれる友人や会社もそこの繋がりらしいんだ」
「相変わらず映画なんだね」
「それだけじゃない。将来の事を考えるなら大学には行っておいて損はない」
「それが言えるのはアクアがお勉強できるからだよ……」
このこのっとアクアを肘で突っつくが、反応は無い。
何であんな何時間も教科書を読んだり問題を解いたりできるんだろうね? 眠くなったり頭痛くなったりしないのかな? 私なら絶対に体を壊す自信があるよ。
子供の頃から賢いアクアなら出来るんだろうけどさ。
「まぁ、MEMちょも先輩も高卒だし? 全然大丈夫だよね! 友達も受験しない人ばっかりだし!」
「芸能科だもんな。それもそうか」
人間には得手不得手っていうものがある。得意なことで頑張れば良いよね。
他愛もない会話をしながらいつも通り登校する。
学校が近づいてくると、次第に陽東高校の生徒の姿が増えてくる。その中には明らかに一般人とは違うオーラを纏った人も居て、そういう人は大抵芸能人だ。昔はビビって気おくれしていたけど、今では何とも思わない。
いやむしろ。
「おい、あれ星野アクアじゃね? 映画監督で役者の」
「隣は星野ルビーだよな。実物めっちゃ可愛いじゃん」
「陽東高校に入ってよかったわ。あんな有名人を実物で拝めるなんて」
陽東高校の校門を抜けると聞こえてくるのは私達をありがたがる後輩たちの声。まったく有名になったものだよ。
入学した頃は周囲の芸能人のオーラに呑まれそうになったり仕事をしないせいで虐められそうになったりしたものだけど、それも今となっては懐かしい思い出だ。フリルちゃんの登場に教室が沸いたことはよく覚えてる。
今では私とアクアも沸かせる側。ちょっと遠巻きに眺める生徒の間を抜けて颯爽と教室へと歩くんだ。
ガラガラっと扉を開ければ、見知った顔のクラスメイト達。
「あ、ルビーちゃん、アクア君、おはよう」
「みなみちゃんおっはよー」
「おはよう。寿さん」
「今日はフリルちゃんはお休みみたいだね」
「せやね。ルビーちゃんもアクア君も忙しいし、中々4人で揃うこともなくなってもうたなぁ」
「しょうがないよ。もう私達売れっ子だもん! みなみちゃんも忙しいもんね」
「そうやなぁ。嬉しい悲鳴やね」
このクラスで一番出世したのが私。全くの無名から日本屈指のアイドルグループに成長した。アクアは初めから役者として話題になってたけど今では映画監督としても一目置かれている。
みなみちゃんもかなり売れて来てるし、フリルちゃんは変わらず国民的美少女だ。
教室の一角に私達4人が集うと否が応でも視線を集める。それは陽東高校の名物としてではなく、売れっ子のタレントとして。
そんな視線を受け流し、アクアの後ろの席に着く。逞しい弟の背中を眺めながら過ごす学校生活ももう3年目になる。慣れたものだ。
学校で今一番の話題は、アクアの映画だ。高校生で映画監督なんて芸能科でも居ないからね。
アクアが人気者になってお姉ちゃん嬉しいよ。
「早くアクア君の映画見たいわぁ。ルビーちゃんはもう見たんやろ? どうやった?」
「良かったよ! まぁアクアが作ったんだから当然だね!」
「流石やなぁ。あ、そういえば見たで。あの試写会の映像、随分拡散されとったなぁ」
教室がざわっとした。
えっと、私また何かやっちゃいました? というのは冗談として。
この高校でもそうだけど、私とアクアが絡むと何かと話題が巻き起こる。
あの映像というのはアクアの映画の試写会で見せた私とアクアのやり取りの事だ。ミヤコさんに言われてアクアの素の表情を引き出す為に緊張を解いてあげたんだけど、その様子がバズったんだよね。
まぁよくある事だ。だって自慢の弟だし、これくらい当たり前だよ!
「まぁ、アクアが可愛すぎるって事だね!」
「せやね」
でも、学校でみなみちゃんやフリルちゃんとこの手の話をするとアクアがすっごい無表情になるんだよね。
なんでだろ?
・・・
「ここが新しい事務所よ」
「へぇ」
「おお」
「凄いわね……」
「わーお」
目の前には大きなビル。
ここに居るのはミヤコさんの他に私、アクア、先輩、MEMちょだ。皆仲良く口をあんぐりと開けてビルを見上げている。
何階あるんだろうこれ。20階くらい?
「既にルビーから聞いてると思うけど、最近苺プロも大きくなってきてるし住宅の一部を事務所にするんじゃ格好がつかないでしょ? だからきちんとしたオフィスを構えることになったのよ。この建物はオフィスと住宅が一体となった複合型マンションで、上の階に私達も住む予定よ」
ミヤコさんからの説明。
「んで、私もこのマンションに引っ越すことにしました」
続いてMEMちょ。
良い機会だからという事で、ミヤコさんが見つけたこのマンションにMEMちょも引っ越すことにしたんだって。自分で物件を探す手間も省けたし、事務所も近いからお仕事もしやすくなる。
本当、ちゃっかりしてるよね。
「これならMEMちょがぶっ倒れたらいつでも起こしに行けるね!」
「あはは、倒れないように気を付けるよぉ」
「有馬は来ないのか?」
「私の家は既にセキュリティ万全だから引っ越す理由もないわよ」
「というか先輩はもううちに住んでるようなものじゃん。引っ越しする時はちゃんと先輩も手伝ってよね。私物も沢山あるんだし」
「分かってるわよ」
3姉妹が同じマンションって言うのも面白いと思うけどね。いつでも遊びに行けるしMEMちょや先輩が風邪をひいたら助けに行けるし。
あ、それからMEMちょが借りた部屋なんだけど、ファミリー向けなんだって。当分はアイドル引退しない予定のはずだけど、随分と先を見据えていらっしゃる。
ちょっと気が早いんじゃないかなぁ。
・・・
後日、引っ越しの荷造りが始まった。
まず事務所の方だけど、これは呆れるくらいあっという間に終わった。だって机とパソコンと書類用のキャビネット一つだけだったから。
ネットタレントメインでやってるからデータはほぼデジタル。紙の書類はほとんどないんだよね。
で、今度は自宅の方。
アクアの部屋は元々殺風景で片付いていたから引っ越しの準備もすぐに終わった。元々予想はしてたけど、こういうとき足を引っ張るのは大体私だ。
自分の部屋の荷造りを早々に終え、私の部屋に手伝いに来たアクアが壁を眺めている。
「お姉ちゃん、このポスターどうするんだ?」
「もっていくに決まってるでしょ。もう売ってないんだし、絶対に捨てるつもりはないから」
「だよな。よし、慎重にはがすぞ……」
これがあるから私の部屋と言ってもいい、シンボル的存在。
壁一面に貼っていたママのポスターを一枚一枚剥がして行って、折り目が付かないように丸めて縛る。子供の頃からずっと見守ってくれてたママのポスターが無くなり、真っ白な壁がむき出しになった。
何だろうな。アクアの部屋とほとんど同じなはずなのに、違和感が凄い。
「こうしてみるとやっぱり母さんの存在感ってすごかったんだな」
「だね。なんか凄く寂しいなぁ」
「良いじゃねぇか。また新しい部屋にポスター張ろうぜ」
「うん。そうだね」
ポスターをはがした後もママの年代物のグッズが沢山出てくる。ママが生きていた頃のグッズは全部持ってるから押し入れの中はママでいっぱいだ。
DVD、CD、キーホルダー、クリアファイル、写真集、その他……どんどん出てくる。
「これは宮崎に行った時のDVDで、こっちが埼玉のやつ、このキーホルダーは……」
「アニメとコラボした時のだな」
「よく覚えてるね」
「母さんが買ってきてくれたんだよ。俺も同じものを持ってる」
「……そっか」
グッズと共に蘇ってくるのは、ママと過ごした数年間の記憶。
幸せで仕方がなくて、毎日が楽しみで、寝るのがもったいなくて、次の朝が待ちきれなかった。そんな毎日。
年代物のグッズを押し入れの中から丁寧に取り出していく。一つ手に取ってはアクアと思い出を語り、段ボールに詰めていく。
今でも鮮明に思い出せる。どのグッズがいつできたもので、貰った時にどんな気持ちだったか、アクアがどんな顔をしていたのかまで、全部。無駄な物なんて一つもない。全てに思い出が詰まっている。
嬉しそうにグッズをプレゼントしてくれるママの表情だって、覚えてる。
でもママは、もういない。
「ママ……」
「母さん……」
自然と私たちの目からは涙がこぼれていた。
荷造りを進める手も、そこで止まってしまう。まだグッズは半分も整理できてないのに。
「泣くなよ、お姉ちゃん」
「アクアこそ……ママの事思い出して悲しいんでしょ?」
「まぁ、な」
「おいで、お姉ちゃんがよしよししてあげる」
結局それから夕飯の時間までママのグッズに手を付けることは出来なかった。ミヤコさんが私達を呼びに来たときには、床に散乱するグッズの中心で私達姉弟が身を寄せ合ってすすり泣いていた。
「あなた達……今日はもうその辺にしておきなさい。辛いようなら残りは私が整理するわよ?」
「やだ。全部自分でやる」
「俺も手伝いたい。辛いからって母さんの記憶から目を背けたくはないから」
「そう。なら私からは何も言わないわ。さぁ、夕飯の時間よ。行きましょ」
「「うん」」
荷造りが全て終わったのは、それから1週間後の事だった。