決まった。会心の泣き演技だ。
これ以上ないくらいに完璧な流れであの名シーンの一コマを映像にできた。
アクアは本当にやりきってしまった。プラン通りに現場のすべてを意のままに操り、最高のシーンに仕上げて見せた。
私の目は狂ってなかった。あの日見たアクアの異次元の演技。そして今日目の当たりにした途方もないレベルの演技力と神のごとき立ち回り。やっぱりこの人はただ者ではない。
天才。そう表現するしかない。私の理解の範疇を超えた才能を持っている。
撮影を終えたアクアはすました顔で殴られた頬をタオルで冷やしている。彼にとってこのレベルの仕事は出来て当然だとでも言うのだろうか。これがまだ中学生だというのだから、末恐ろしい。
主演のメルトがアクアを殴ってしまったことを謝罪している。彼はアクアのやったことに気づいていないようだ。
「悪い・・・拳当たっちまったよな、リキっちまって・・・」
「謝らなくていいよ。わざと当たりにいっただけだから。やっぱ演技は感情ノッてなんぼだよな。いい芝居だったよ。おかげで有馬も本気出せたんじゃないか?」
あくまで謙虚に、他の演者を立てるのね。本当に何から何まで私の想像を超えてくる。今日の仕事は、一人の役者として非の打ち所がない。
星野アクア。やっぱりあなたは凄い人だ。
私が初めて出会った、私より演技が上手い男の子。子どものころ共演したあの日から、ずっとあなたの姿が脳裏に焼き付いて離れない。私のちんけなプライドをたったのワンシーンでへし折って、それでも演技の世界に居たいと思わせてくれた人。
私もあんな風になりたいと願って努力を続けてきた。でもどんなに共演の機会を望んでも彼は私の前には現れない。子役としての旬は終わり、私はどんどん落ちぶれていく。もう二度と彼と同じ舞台には立てない。そう思っていた。
彼が再び私の前に現れたのは、そんなタイミングだ。そして私の脳裏に焼き付いているあの異質な演技をさらに超える天才的な仕事でもって、最高のシーンを作り上げて見せた。
悔しいという気持ちすら湧いてこない。ただ羨むしかない。あの日からずっと追い続けてきた天才は、今でもまだ私の遥か先を歩いていた。
「かなちゃん、最後のシーンもういける?」
「あっはい。」
最後のシーンの撮影が始まる。その内容は、画面いっぱいに映るヒロインの顔。その表情だけで何が起こったのかを表現しなければならない。
台本に書かれているのはたった一言。
『主人公に恋に落ちた乙女の顔』
この撮影に向けて研究を重ねてきた表情だ。演技一筋で恋なんてしたことが無かった私は、その感情が何なのか分からなかった。いろんな映画を見て、漫画を読んで、どんな表情をすれば恋する乙女になるのか勉強した。自分の中に無いものは真似するしかなかったから。
今なら分かる。この感情は私の中にある。心を強烈に揺さぶるこの気持ち。これが恋。
私はアクアのことが好きなんだ。
何も演じる必要はない。ただアクアのことを想ってカメラの前に立つだけで良い。カチンコの音が撮影開始を告げても、監督の掛け声で撮影が終了しても、私の表情は変わらない。
またしてもアクアのおかげで、良い映像が撮れた。
メルトだけじゃなく私の感情まで操るなんて。本当に大した役者ね。
・・・
『今日あま』の最終回は大きくバズる事も話題になる事もなく、狭い界隈でひっそりと熱烈な称賛を受けた。
『ドラマ「今日は甘口で」打ち上げパーティー』
ホールの入り口に立てられた看板を確認し、中に入る。広い空間に沢山の大人。まばらに配置されたテーブルにはアルコールも提供されている。演者に裏方、そしてお偉方まで、今日あまという作品に関わった人間が集まっている。
この手のパーティーは子供の頃から何度も経験してきた。一端の芸能人を気取れてご機嫌な様子の母に連れられ、近寄ってくる大人たちは皆私を可愛がってくれた。
演技を褒められて嬉しかった。お母さんも楽しそうにしていた。あの頃は幸せだった。
出来ることなら知りたくなかった。私を可愛がるスタッフも監督もマネージャーも、お母さんでさえ、私の事を商売道具としてしか見ていなかったことを。知名度があるから、数字を取れるから私を使う。私の機嫌を取る。ただそれだけの事だった。
ここはビジネスの場だ。役者はお偉方に媚びを売るために、お偉方は金になりそうな金の卵を探すためにここにいる。芸能人が集まるパーティーがそういうものだと知ってから、私はこういう場があまり好きではなかった。
いつものパーティーならこんなに気合の入った格好をすることも無かっただろう。肩から上を大胆に露出したドレスに、大きな赤いバラにリボンが揺らめく髪飾り。柄にもなく髪にパーマをかけるために美容院にも寄ってきた。メイクも完璧。今の私は過去最高に綺麗だ。恋は人を変えるってこういうことを言うんだろうな。
彼はもう来ているだろうか。早くこの晴れ姿をアクアに見せたい。
「よう有馬。気合入ってんな。」
背後から聞こえてきた声に振り返ると、彼の姿が視界に入る。
「やっと来たのね・・・ってなんて格好してるのよ。」
全身黒ずくめのジャージ姿。まだストーカー役のつもりなの?タキシードを用意しろとは言わないけど、学校の制服とかもっとマシな服の一つくらい持ってるでしょ、まったく。
なんというか、天才というのはどこか抜けている人間が多い気がする。あの星野アクアも完璧超人ではなかったというわけか。あ、そういえば重度のシスコンだったわ。
アクアはこの手のパーティーの経験はないんだろう。今までずっと裏方やってたわけだし、監督の秘蔵っ子として表舞台に出す機会を伺っていたから、社交の場なんて初めてで当然だ。私がエスコートするくらいの気持ちで行かなきゃね。
「こうやって見ると・・・改めて多くの人が関わってるんだなって思うな。」
「そうよ。私たちの演技には多くの人の仕事が乗っかってる。結果を出さなきゃいけないし、スキャンダルなんてもってのほか。」
この光景を見て最初に出てくる感想がコレな辺り、やっぱりアクアはアクアだ。初めて見る大人の煌びやかな世界に舞い上がってしまう子も多いのに。自分の知らない世界を見せてくれる大人たちに良いように遊ばれて、勘違いしてしまう女の子も少なくない。
「・・・ちなみにあんた彼女とかいるの?」
「居ないからスキャンダルもクソもない。」
「そ・・・ふーん・・・。」
へぇ、彼女居ないんだ。
「撮影お疲れさまでした。」
「あっ、先生・・・。」
私に声をかけてきたのは『今日は甘口で』原作者の吉祥寺先生。
以前撮影現場で見かけたことがある。ドラマのあまりの出来の悪さに失望した様子だった。演者の私でさえ、こんなドラマを今日あまだとは認めたくなかった。原作者がこのドラマを見て何を思うのか、想像に難くない。
先生にあんな顔をさせてしまったことが悔しくて、でも自分にはどうすることも出来なかった。私もあんなドラマを作ってしまった人間の一人だ。どんな批判でも受け入れよう。罵られたってかまわない。私達はそれだけのことをしたのだから。
「この作品は有馬さんの演技に支えられていたと思います。ありがとうございました。」
恨みつらみの言葉に身構える私に対し、先生は軽く微笑んだ。丁寧にお辞儀をする彼女の口から伝えられたのは、感謝の言葉。
この人は私のことちゃんと見てくれていたんだ。単なる商売道具じゃなくて、一人の役者として。あんなひどい企画に魂を削って作りあげた自分の漫画を貶されたにも関わらず、私たちの仕事を真っ当に評価してくれているんだ。
「最終回は特に・・・。もっと早くあの感じが出てたらとは思いますが・・・。」
嬉しさに涙がこぼれる。私の努力は無駄ではなかった。この人には届いていたんだ。最終回はまぁ、アクアの実力によるものが大きいのだけれど。
私を見てくれる人は確かに居る。役者として心から尊敬できる人も見つかった。私はまだ頑張れる。この芸能界という厳しい世界で、もう少しだけもがいてみたい。
いつかきっと凄い役者になって、私の存在を皆に認めさせてやるんだ。
重曹ちゃんの境遇とか心情はもっと原作でも掘り下げて欲しかった派。
本人が強がってることもあって軽い感じで弄られてるけど、家庭環境も含め結構重い話なので、いろいろ書けることがありそうです。
それはそうと、打ち上げパーティーにジャージで出席するアクア君(原作通り)は一体何を考えてるんでしょうね。