今日は平日だが、久しぶりに学校から家に直帰した。すると事務所には有馬もおり、久しぶりに俺と有馬とお姉ちゃんの3人が事務所に揃った。
「黒川あかね大変だったわね。大丈夫そう?」
「ああ、なんとか持ち直した。」
「そっ。あ~あ、あのままリタイアしてくれれば良かったのに…。」
「お前さ…」
「あっ! 違う違う! そういう意味じゃなくてだよ!? 商売敵として!」
「だから死ねってか!?ふざけんなよ。」
有馬のあんまりな発言に事務所の時間が一瞬止まったかのような感覚になる。そしてその直後に有馬が弁明するも何の言い訳にもならず、神経を逆なでされた俺は思わず有馬を怒鳴りつけた。
あかねと同じく炎上の被害に遭いメンタルをやられた張本人を前に、なぜその発言が許されると思ったのか。有馬であってもさすがにこれは看過できない。呆れた目で有馬を睨み、怒りの感情を投げかける。有馬もさすがに悪いと思っているらしく、バツの悪そうな顔で目を泳がせている。
そういえばお姉ちゃんの反応が無い。どうしたのかと視線を移すと、そこには有馬を見つめて考え込むお姉ちゃん。無言だけど確実に怒ってるな。これはアレだ。怒りに任せたやつじゃなくて、ちゃんと叱るパターンだ。
「先輩。正座。アクアは私の後ろで見てて。」
「「はい。」」
「先輩、アクアが今までどれだけ苦しい思いをしたか分かってるよね?」
「はい。」
「あかねちゃんが自殺しようとしたのをアクアが助けたのも知ってるよね?」
「はい。」
「なんでアクアのトラウマをほじくり返すような事言ったの?」
「あの…ごめんなさい。ちょっと口が滑ったというか…。悪気は無いんです。」
「先輩が口が悪いのはいつもの事だけど、さすがに今回のは言っちゃいけなかったよね。ほら、アクアに謝って。」
謝罪を促された有馬が怯えた小動物のような目でこちらを見る。有馬を苺プロに誘ってから、こうしてお姉ちゃんに怒られてビクビクしながら謝る彼女を何度も目にしてきた。そんなに怖いなら初めからあんな事言うなよ。
それが出来ないのが有馬なんだけど。
「ごめんなさい。」
「ああ、良いよ。でも気を付けろよ?俺も結構ヤバかったんだから。」
「うん、よろしい。二人とも仲良くしてね。」
なんやかんやで仲直りだ。
お姉ちゃんが居なければしばらく口を聞かないくらいには怒っててもおかしくなかった状況なのに、不思議と怒りは収まり冷静になっている自分がいた。何度見ても凄い。如何に俺がお姉ちゃんを信頼しているとはいえここまで鮮やかに喧嘩の仲裁が出来るなんて、さすがお姉ちゃんだ。
そして俺たちは何事も無かったかのように雑談を続ける。
「それにしても、あかねが有馬の商売敵だなんてな。役を取られでもしたのか?」
「いや同い年で同じ女優業やってる人間としては……目の上のたんこぶって言うかさ、ちょっとは堕ちてこいって気持ちを持つのも分かるでしょ? いわゆるシャーデンフロイデってヤツよ。」
「黒川あかねに、有馬かなが?」
「そりゃそうでしょ。」
有馬はかつて一世を風靡した天才子役だし、その実力は俺も認めるところだ。ここ数年は仕事に恵まれなかったとはいえ、俺が名前も知らないような女優を相手にライバル意識など持つものだろうか?
なぜ?という顔で有馬の方を見るが、あちらも同じようにどうして?という顔で見つめ返してくる。そしてお姉ちゃんは微笑ましいものを見る目でこちらを見ている。いや、にらめっこしてるわけじゃないからな?
やがて有馬は何かに気付いたようで。
「あー……あんた演劇興味ないだっけ。劇団ララライの黒川あかねって言えば、天才役者として界隈では有名でしょうが。」
あかねが天才役者?そんな素振り一度も……いや、そもそも演技をする機会なんてなかったな。そうか、演劇をメインに活動する役者だったのか。俺は自他ともに認める映画オタクだが、演劇には興味が無く、その界隈の役者も全く知らないのだ。
そういやあかねは次の収録からは役作りをして臨むと言っていたな。それも、俺の理想の女性像を参考にすると。母さんのことを思い浮かべて特徴を3つか4つ挙げただけだったが、なぜかあかねは完全にその役を理解したようだった。俺の挙げた特徴にぴったり一致するような知り合いでも居たんだろうか?
まぁ、そんなことはどうでも良い。天才役者と言われるあかねの演技がどんなものなのか、特等席でじっくり見てやる。
次の収録が楽しみだ。
・・・
「本日よりあかねちゃん復帰になります。」
「皆さんご迷惑おかけして申し訳ありませんでした。頑張りでお返ししたいと思っています。よろしくお願いします!」
長い休養期間を経て今ガチの収録にあかねが帰ってきた。相変わらず緊張はしているみたいだが、すっかり顔色も良くなっている。スタッフの皆から拍手で迎えられ、ほっとした様子だ。これなら大丈夫だろう。
「それではカメラ回し始めまーす。」
とはいえ、久しぶりの仕事。俺がリードした方が良いよな。それにあかねは俺の理想の女性を演じると言っている。今日の収録はこちらから声を掛け、俺と二人でのんびり会話するという流れで良いだろう。まぁ、リハビリ見たいなものだ。
「行くぞ。」
「ええ。そうね、アクア。」
一足先に教室に入り、あかねを呼ぶ。直後に背後からあかねの声が聞こえるが、その声はいつものあかねではなかった。たった一言ではっきりと分かる、明らかに違う。
「ふぁっ…まったく眠いわね、収録早すぎなのよまったく。もうカメラは回ってるのかしら?」
聞き覚えのある喋り方。単語選びからイントネーション、しゃべり方の癖まで、記憶の中の彼女と完璧に一致する。
思わず振り向いた先には、黒川あかね。目も眩む太陽のような笑顔だった。
「てへっ☆!」
黒川あかねについて語る有馬の言葉を頭の中で反芻する。
彼女曰く、
一流の役者しか居ないと言われる劇団ララライ。黒川あかねはそこの若きエース。徹底した役作り、与えられた役への深い考察と洞察。それらを完璧に演じ切る天性のセンス。リアリティショー映えする性格じゃなかったみたいだけど、役者としては『天才』と呼ぶしかない。
…なるほどこれは天才だ。没入型演技の極致。完璧に役に入り込んでいる。
「
「アクア、どうしたの?幽霊でも見たような顔して。」
「いや…」
有馬だ。有馬が居る。思わず名前を呼び間違えてしまいそうなほどに自然な演技。
「アクア、今日は一緒に居ましょ?」
「…うん。」
一瞬で持っていった。キャストも、スタッフも、カメラマンですら。身勝手で圧倒的で、周囲のキャストも呑み込んでしまうほどの存在感。まるで有馬のような強烈な輝き。それが彼女にも…いや待て。
あまりの完成度の高さ、そして有馬かなという人選にあっけに取られてしまったが、よくよく見ると何かが違う…ような気がする。限りなく完璧に近いが完全じゃないというか。
まあ良いか。具体的に何がおかしいと指摘できるわけでもない。気にするだけ無駄だ。
「聞いたわよ。あの動画、何日も徹夜してアクアが作ってくれたって。嬉しいことしてくれるじゃない。ありがとね、アクア。」
「お互い大変な状況だったからな。俺としては得るものもあったし、結果オーライだよ。」
「そっ。ならいいわ。」
「なぁ、あかね。それって有馬の演技だよな。なんで有馬なんだ?」
「そりゃあ、あんたの好きな女の子がかなちゃんだからに決まってるじゃない。どうせ演じるなら理想の女を演じた方が良いでしょ?」
「いや、だからなんで俺の好きな女性が有馬だって分かったんだよ。」
「え?だって太陽のような笑顔とか、完璧なパフォーマンスとか言ってたでしょ?それに苺プロ所属であんたと距離も近いだろうし。……もしかして違ったの?」
「…違う。」
あかねがフリーズした。
これは演技なのだろうか? この状況なら有馬もフリーズするよな…多分。あ、顔もどんどん赤くなってきてる。さすがに素の反応かな? まさかこれも感情演技? いやまさか。
「違ったぁ…」
「すまんあかね。だが、ろくに確認しなかったお前にも非はあるよな?」
「ご…ごめんね。私早とちりしちゃって。」
「おお、いつものあかねに戻った。」
「言わないで…。」
有馬かなが黒川あかねに戻った。言葉にすると奇妙だが、演技をやめる瞬間のあかねを目の当たりにした実感を素直に言葉にするとこうなるのだ。
恥ずかしそうに顔を伏せるあかね。あれだけ自信満々に、完璧に分かったとまで豪語しておきながら違う人物を演じていたとなればこうもなるだろう。もはや役を演じる余裕もなく、素のあかねに戻ってしまっている。
ここで、遠巻きに俺たちを眺めていたゆきとMEMちょが参戦してくる。二人の楽しそうな笑顔には正直なところ嫌な予感しかしない。絶対俺をおちょくる気だろう。あいつらはあかねの味方だからな。
ニヤニヤしながら近づいてきた二人は、唐突に素人の寸劇のような喋り方で。
「あちゃ~、違ったかぁ。あかね残念だったねぇ。で、アクたんは結局どんな人が好きなのさ?」
「あ、私分かるかも。」
「奇遇だねぇ。私もだよぉ。あの人しかいないよねぇ?」
「じゃあ一緒に言っちゃおう!」
「アクたんの~、」「アクア君の~、」
「お姉ちゃん!」
「待て待て待て待て!!勘違いだ!!」
ああもう大体そんな気はしてたけど! 打ち上げの度にあれだけ仲良く喋ってる所見られたらそう思うのも無理ないけど、本当に違うから!
いやまぁ好きなのは好きだけど、恋愛的な意味じゃないんだよ。
「ええー違うのー?」
「お姉ちゃんが違うとなるとぉ、分からんね。アクたん、答えをプリーズ。」
「はあ……なんの罰ゲームだコレ…。ああ分かった教えるよ、俺の憧れの女性。アイドルグループB小町のアイだ。これで良いか?」
理想の女性を聞かれて、お姉ちゃんを否定した直後に母親を挙げるというのもかなりヤバい気がするが、偽らざる本心なので大目に見て欲しい。まぁ彼女たちは親子だと知らないし、俺の境遇を知っている人はとやかく言ってこないだろう。うん、問題ないな。
答えとなる人物を知り、スマホで画像を探す女性陣。母さんの画像にたどり着いたようで、なるほどこんなのが好みなんだーとかメンクイだーとか、年頃の男子の心を抉る発言が次々に飛び出してくる。なんだこれ公開処刑か?
俺の心にダメージが蓄積していく間にあかねのダメージは回復したようで、彼女はまた有馬になっている。
「なるほどねぇ、こういうのが好みな訳。参考にさせてもらうわ。ところでアクア、一つ聞きたいんだけど。」
「なんだ?」
「かなちゃんの事は好きじゃないワケ?」
「えっと…」
痛いところを突いてくる。
今ガチの撮影も終盤に入り、目下最大の悩みはそこなのだ。俺はあかねが好きだ。この気持ちに嘘はない。普通に考えればこのまま番組のラストであかねに告白する流れだろう。そしてそれはまず間違いなく受け入れられることになる。
しかし、もう一人いるのだ。気になる女性が。この番組への出演を決めてからずっと心に引っかかっていた。
有馬かな。俺が彼女に対して抱く好意もまた嘘ではない。
有馬に抱くそれは、お姉ちゃんや母さんやミヤコさんに抱く好意とはまた違う種類の感情だった。最初はそれが何なのかよく分からなかったが、あかねの事を好きになったときにそれが有馬へ向ける感情と同じであることに気付いたのだ。
困ったことに、俺は有馬のことも好きみたいだ。
「…まぁ、好きだよ。」
「そう。まぁあんたが誰を好きになろうが関係ないわ。私の魅力で振り向かせるだけなんだから。覚悟してなさい。」
「ああ。」
恋愛リアリティショーなんてものに出演してなければなあなあの関係を維持することも出来ただろうが、そうはいかない。黒川あかねに告白するかどうか、番組が終わるまでには決めなければならない。
俺はどうすれば良いんだろうか。
例のシーンはメフィストのイントロを脳内で再生しながら書きました。気づいたらいつもの倍くらい書いててびっくり。