とある週末、いつものように苺プロの事務所にやってきた私はルビーと一緒に今ガチの最新話を確認する。
いつもはルビーに付き合って見ているだけでそれほど興味もないのだが、今週の放送からあの黒川あかねが復帰するというので、少し気になっていた。アクアが言うには今回の放送分から何か役作りをして撮影に臨むという事らしい。
彼女は一体どんな演技を見せてくるのか。同年代の女優としては、天才役者ともてはやされるあかねの演技がどんなレベルかチェックしておく必要があるだろう。私はそれに勝たなければいけないのだから。
「先輩、はじまるよー。準備は良い?」
「オッケーよ。再生して。」
タブレット端末をテーブルの上に立て、ソファに私達が並んで座る。簡潔なオープニングが流れ、最初に映るのはやはり復帰した黒川あかね。アクアと共に教室に入り、画面の中の彼女が久方ぶりに声を発するのだが―――
『ええ。そうね、アクア。』
『ふぁっ…まったく眠いわね、収録早すぎなのよまったく。もうカメラは回ってるのかしら?』
『てへっ☆!』
隣に座るルビー共々、黒川あかねが打って出た暴挙に絶句する。どう見ても私だった。一体何を思ったのかその無駄に高い演技力で私を、有馬かなを完璧に再現している。
「ねぇ先輩。これって。」
「信じがたいけど私みたいね。嫌がらせのつもりかしら。」
「まるでそこに先輩がいるみたい…。凄いね。」
まったくひどい嫌がらせだ。もしかすると、私とアクアの関係を知った上での行動かもしれない。
ルビーもようやく状況を飲み込んだようだが、私と違ってあかねの演技に素直に感心している。それはそうだ。役者としてあかねの演技力に負けたくないだとか、アクアと仲良くする女がいて妬ましいだとか、そんなことは考えないだろう。
ルビーがアクアから女を遠ざけるのは、アクアの為を思っての事。アクアが真剣に考えた末の決断であれば力強く応援するのがルビーという人間だ。
だが私にこの映像はあまりにもショッキングすぎる。
画面に映る黒川あかねに鳥肌が立つ。なんという完成度か。まるで自分自身がそこにいるかのような錯覚に襲われ、気分が悪い。これに勝たなくては女優としてのプライドが許さないのだが、勝てるビジョンが浮かんでこない。
さらにルビーに聞くところによれば、公式SNSの炎上と黒川あかねの自殺未遂を経てアクアと黒川あかねの距離が縮まり、この二人はもうカップル成立が確実視されているという。
つまり、私は黒川あかねに負けたのだ。役者としても女としても。
『アクア、今日は一緒に居ましょ?』
『…うん。』
誘うあかねに応じるアクア。早くも二人きりになって教室の隅へと移動する。そういえば番組が始まってから画面にはあかねとアクアしか映っていない。番組側もこのカップリングを推しているというわけだ。まったく、本当に嫌になる。
「面白くない。もうなんか飽きたわ。観るのやーめた。」
もう観ていられなかった。これ以上見たら平静を保てない。
私はソファから立ち上がり、タブレット端末とルビーに背を向けて事務所の出口へと歩き出す。
「そもそも人の恋愛を安全圏から眺めるなんてコンセプトが悪趣味なのよね。誰と誰の掛け合わせが良いとかなんなの?馬主なの?菊花賞狙える馬産ませたいの?はーやだやだもう観ない。アクアの顔も見たくない。ばいばい、さよなら~。」
動揺を隠すための無駄に長い台詞が勝手に口から漏れ出ていく。初めから平静なんて保てていないのだ。みっともないと頭では思いながらも勝手に動く口を止められない。いつもこうだ。心の底から湧いて出てくる激情をどうしてもコントロールできない。
きっとルビーはお見通しなんだろう。
「先輩。」
「…なによ。」
「前にも言ったよね。泣いてる仲間をほっとけないって。」
なんで泣いてることまで分かるのよ。まあいいか。このお姉ちゃん相手に意地なんて張るだけ無駄だ。
私は再びソファーへと移動し、ルビーのすぐ隣へ腰を落とす。すぐ横を見れば、すっかりお姉ちゃんモードに切り替わったルビーが居る。いつものように大きく手を広げ、ぎゅっのポーズだ。
「おいで。」
「うん…」
「辛いよね。アクアがあかねちゃんと仲良くなって。」
「ううん、違うの…それだけじゃないの…。あかねのあの演技、私には出来ないくらい凄くて…。」
「悔しいんだ?」
「うん…くやしい。」
「今日の所は泣いて、お姉ちゃんに甘えて、元気になろ?」
「ありがと…」
すぐ横のタブレット端末では今ガチの動画が再生され続けているようだが、もはや音声すら聞きたくない。お姉ちゃんの圧倒的なお姉ちゃん力に身も心も溶かされ、悲しい気持ちを癒すのみだ。ああ、やっぱりルビーは凄いわね……。
そのまま数十秒か数分か、私はルビーに身を預け、頭や背中を撫でる感覚やぎゅっと抱きしめられる感覚を堪能した。ルビーは動画を見続けているようで、時々笑ったり突っ込みを入れたりとリアクションを見せている。どうやら私は片手間で癒されているらしい。
ルビーから離れ再び画面に目を移すと、間の悪いことに再びアクアとあかねのツーショット。やっぱりお姉ちゃんの腕の中に戻ろうかと思ったが、思いがけない会話に引き留められた。
『なるほどねぇ、こういうのが好みな訳。参考にさせてもらうわ。ところでアクア、一つ聞きたいんだけど。』
『なんだ?』
『かなちゃんの事は好きじゃないワケ?』
この女、私になりきった状態で私の事好きじゃないのかとアクアに尋ねている。これはもしかしなくても私への当てつけだろう。アクアの隣を勝ち取る恋愛勝負に勝ったことを確信した上で、アクアの口から有馬の事は好きじゃないと言わせる。なんてえげつない作戦だ。
このあとやってくるであろうショックに備え、私はルビーの着ているTシャツをキュッと握りこむ。すでに心の準備は出来ている。気持ちを堪えられなくなったらまたルビーの胸に飛び込む所存だ。
息をのんでアクアの返答を待つ。少し言い淀んだ後、アクアは答えた。
『…まぁ、好きだよ。』
『そう。まぁあんたが誰を好きになろうが関係ないわ。私の魅力で振り向かせるだけなんだから。覚悟してなさい。』
『ああ』
好きって…。今、好きって言ったわよね!?
頭の中でアクアの返事を反復し、聞き間違いではないことを確認する。
うんやっぱり好きって言った。あいつ私の事好きって言った!
ルビーのTシャツから手を離し、勢いよくソファーから立ち上がる。さっきまでの悲しい気持ちはどこへやら。泣いていたことすら忘れ、全力の笑顔で嬉しさを爆発させる。10秒で泣ける天才女優は、10秒で涙が止まるのだ。
「ふふん。まぁアクアが私の魅力を無視できるわけないのよ。やっと気づいたみたいね。」
「良かったね先輩。」
「はー無駄な心配だったわねー。振り向かせるだけとか言っちゃって。私の方が魅力的に決まってんでしょーが♪」
まぁ、この番組ももう少し見てやってもいいかもしれない。アクアは私を差し置いて他の女を求めているなどと訳の分からないことを考えていたが、何のことは無い。彼は私を意識しているのだから、普通にアプローチすれば良いのだ。何を悩んでいたのだろう。
役者としても、よくよく考えたら役を再現するだけがスキルではないんだし、まだ負けたことにはならない。現にアクアは没入型の演技ではあかねに劣るが、作品へのトータルの貢献力は確実に上だろう。何をビビってんだか、私。
つまり、まだまだ勝負はこれからなのだ。役者としても女としても。
あかねが没入型の演技力で勝負しようってんなら、私は違う方法で凄い役者になってやる。恋だって負けてやるもんか。恋愛リアリティショーなどという都合のいいシナリオなんかいらない。正々堂々、正面からあいつを落とす。
待ってなさいアクア。私の魅力で骨抜きにしてやるんだから。
感情のジェットコースター。