顔合わせ当日に配られた台本に目を通し、落胆する私。原作漫画をあらゆる角度から考察し、鞘姫と言うキャラクターに対して様々な解釈を試みてきたが、今回の台本で描かれる鞘姫はそのいずれとも相容れない。
これまでの努力が水の泡だ。この台本を踏まえてまたイチから人格を作り上げていかなければならない。
今稽古しているのは渋谷クラスタの面々が新宿クラスタとの全面戦争を決断する重要なシーンだ。刀鬼が鞘姫に指示を仰ぎ、鞘姫が戦いの命令を下す。その時の鞘姫の様子があまりにも好戦的すぎて原作のイメージとは似ても似つかない。
「『鞘姫』、どうされますか。このままだと新宿の奴等に好き放題されてしまいますよ。」
「新宿の連中を! 全員皆殺しにしてやりなさい!!」
「聞いたかお前たち。鞘姫様のご命令だ。我らは姫の刃となり新宿の者どもを残さず始末する。行くぞ。」
私が演じる鞘姫は渋谷クラスタを率いるお姫様だ。
戦いを好まない鞘姫は新宿クラスタとの抗争にも後ろ向きで、友好的な解決策を模索する。しかし破竹の勢いで勢力を広げる新宿クラスタをついに脅威と認め、長い葛藤の末に合戦の命令を下すという物語上でも大きな意味を持つシーン。
私の解釈通りの台本なら、鞘姫を演じる私の一番の見せ場となるはずのシーンだった。
それが今回の台本ではたった一言『新宿の連中を全員皆殺しにしてやりなさい』と命令するのみ。完全にストーリーを観客に教えるだけの役割であり、そこに鞘姫の葛藤を表現する余地は無い。
私の中のイメージと違い過ぎる。
「アクア君。ここの鞘姫が合戦の命令を下すシーンどう思う? 原作の鞘姫とは別人になってるんだけど。思考の過程がすっぽり抜けてるよ。」
「演劇として成立させるために必要な割り切りだろうな。熱いバトルを前面に押し出すために、それ以外の細かいニュアンスはバッサリ切り捨てたんだ。」
「随分ドライに考えるんだね……。」
隣で台本を確認するアクア君に意見を聞くが、さすがに映画製作を学んでいるだけあって考え方が裏方寄りだ。子役時代に少し映画に出演した以外はずっと裏方の仕事をしていたことを考えればこういう反応になるのも当然か。
「俺だってあかねにこんな舞台装置みたいな真似はさせたくないが、脚本家の仕事としてはこれが正しい。従うしかないだろうな。」
「まぁ、わかるけど。」
確かに台本としては間違っていない。心情がどうとか解釈がどうこう以前に、この舞台で鞘姫にスポットライトを当てること自体がナンセンスだ。
こればっかりは仕方がないと自分を納得させることにした。
気になるのは脚本だけではない。
「アクア君。かなちゃんと姫川さんの本読みを見てどう思った?」
「……正直に言っていいか?」
「うん。アクア君の正直な感想を知りたいな。」
「ブレイドに、姫川大輝に勝ちたい。無茶だとは分かってるんだが、アレを見ちゃったらな。」
分かりきった事だった。アクア君の視線はスタジオの端でかなちゃんと談笑する姫川さんに向けられたまま少しも動かない。本読みで姫川さんの番が回ってきてからずっと彼のことを見つめている。
その目を見れば分かる。彼のようになりたい、彼に勝ちたい。そう思わずには居なれないんだ。
姫川さんの演技を間近で見て何も思わないような人間は役者とは言わない。アクア君がこうなる事は必然だった。
「そうだろうと思った。私達も頑張らないとだね。」
「ああ。早く監督の所へ行こう。時間が惜しい。」
「うん。」
私たちは解散してすぐにスタジオを去り、五反田監督の下へ向かった。
・・・
久しぶりの五反田家。
舞台の仕事が決まってすぐに何度か漫画の読み合わせ、もといお家デートをしに来たとき以来だ。相変わらず監督の趣味が全開で、沢山の映画やその資料などが本棚に押し込まれている。
監督に台本の確認をした監督に、アクア君は姫川さんに勝つにはどうすれば良いかと助言を求めた。
「姫川大輝に勝ちたい、と来たか。随分とデカい目標を立てたもんだな、早熟。」
「あんなのを見せられてやる気が出ないわけが無いんだ。なぁ監督、どう思う? 姫川大輝に勝つにはどうすれば良い?」
「ん-……まぁはっきり言ってそれは無理だろうな。」
「やっぱり実力差がありすぎるか。」
「実力差は当然あるんだが……役のイメージ的にも厳しいだろうな。」
「というと?」
「表情豊かな熱血漢のブレイドと常にクールで無表情の刀鬼ではどちらが役者の技量が出やすいと思う?」
「そりゃ、ブレイドだな。」
「もう一つ。ブレイドは主人公、刀鬼はその敵の一人だ。今回の舞台で観客が感情移入するべきなのはどっちだ?」
「それもブレイドだ。」
「そういうこった。良くも悪くもつまらない役なんだよ。刀鬼ってキャラクターは。」
つまらない役。私が演じる鞘姫と同じだ。
今回の舞台においては鞘姫と同様、刀鬼も記号的なキャラクターに成り下がっている。
主人公のブレイドに立ちはだかる最後の壁。渋谷クラスタの最大戦力であり、鞘姫の懐刀。そんな刀鬼をブレイドが打ち破り渋谷クラスタを配下に収める。その情報さえあればそれ以上の情報は不要。観客を混乱させるだけ。
要するに強い敵。それだけが分かれば良い。
リーダーシップがあって感情表現豊かな
大人しくしているとこういう目立つ人に全部持っていかれる……。虚構も現実も嫌なところで同じだなぁ。
「仕方がない、か。まあ俺は舞台装置的な役割の重要性も分かってるしそういう役回りは嫌いじゃない。ここは潔くブレイドの引き立て役になってやるか。これはこれで面白い仕事だしな。」
「良く分かってるじゃねぇか。俺の英才教育の賜物だな。」
「勝手に自分の手柄にすんなよ。大体合ってるけどさ。」
「合ってるなら良いじゃねえか。裏方とかサポート役を面白いと思える感性は大事だぞ? そういう仕事はいくらでもあるし、そういう事をやる人間はいくらでも欲しいからな。」
さすがは映画監督とその弟子だ。最も重要なのは作品の質であり、演技の良し悪しはその構成要素に過ぎないという考え方をしている。サポートに回って作品の質が上がるなら喜んでそうするのだろう。今日あまのストーカー役のように。
私はあのストーカー役のような仕事を進んでやりたいと思えるだろうか? 恐らく無理だろう。きっと監督や演出の人に説得されて内心嫌がりながら仕事をこなすに違いない。
純粋に演技が好きで演劇をやっている私とアクア君では価値観が根本から違う。
「アクア君はやっぱりすごいね。私なんか役になりきるしか能が無くて、演技を楽しむことしか頭になかった。アクア君を見てると自分が駄々をこねる子供みたいに思えてくるよ。」
「黒川、勘違いするなよ? 要は適材適所だ。サポート役に回れる奴が偉いんじゃない。早熟に裏方の勉強をさせたのはこいつがそれに向いてたからだ。頭が良くて器用で周りを良く見てて、超が付くほどのお人よしだからそういう役者に育てた。黒川が同じことをする道理はねぇよ。」
「でも、鞘姫は刀鬼と同じ敵役で出番も少なくて……」
「それに関しては同情するが、仕方がないことだ。全部が全部うまく行くわけじゃねぇし、やりたい役だけやって生きていけるほど芸能界は甘くない。それだけの事だ。今回は舞台装置に甘んじるしかないだろうな。」
舞台装置。あるいは説明係。仕事としては楽だけど、遣り甲斐は無い。
台本をそっと閉じ、本家東京ブレイドの漫画に描かれる鞘姫の決断を読み返す。
上段にひっそりと佇む彼女は愁いを帯びた表情で目を伏せ、長い葛藤に苦しんでいる。仲間を傷つけたくない。でも敵を野放しには出来ない。組織の長としての決断を迫られる鞘姫の胸中がありありと描かれている。
こんなにも美しいのに。こんなにも心揺さぶられるシチュエーションなのに。これを表現させてくれないなんて。
せっかくかなちゃんと舞台で共演できると思ったのに、早くも不戦敗が決まったようなものだ。せめてアクア君のように引き立て役を楽しめる精神性とスキルがあれば良かったのに、私にはそれもない。
楽しみにしていただけに、落胆は大きかった。