しばらく眠って目が覚めてリビングに出たら、そこにいるはずのないお姉ちゃんと有馬が居た。しかもあかねと3人でテーブルを囲み、何故か険悪な雰囲気だ。
なんなんだ、この状況。
「えっと……あかね。これはどういう状況なんだ?」
「アクア君が倒れたと知ってルビーちゃんが来たのはまぁ当然として、かなちゃんはアクア君に謝りたいって言ってるよ。今日の所はそっとしておいてあげてって言ったんだけどね。」
「それを言うならあかねちゃんもアクアの事そっとしといてあげてよ。ああそれから先輩は早くごめんなさいしてお家に帰った方が良いよ。私はアクアと一緒の布団でお泊りするから心配しないで。」
あかねが質問に答えると、それに呼応するようにお姉ちゃんも口を開く。明確に言葉には出さないものの、2人はそれぞれの言葉で「お前は帰れ」と暗に主張している。
一体なぜここまで喧嘩腰なのだろうか。あかねと有馬の仲が悪いのは知っているので違和感はないが、あかねとお姉ちゃんはそれなりに仲が良かったはず。何か原因が……ってどうせ俺絡みなんだろうな。お姉ちゃんが怒るのは決まって俺を取られたときだ。
そこに思い至れば答えは簡単。あかねは恐らく、俺の感情演技の件を隠そうとしてお姉ちゃんを帰そうとしたんだ。そりゃ怒る。
分かりやすく表情が変わるお姉ちゃんは、怒っている時にはそれなりに怖い顔をする。今目の前に居るお姉ちゃんもまさに戦闘モードと言った感じで鋭い目つきなのだが、ふと急に優しい表情になって俺の身を案じてきた。
「アクア、もう大丈夫なの? 顔色見れば大体分かるけど。」
「ああ、いつも通り時間が経てば治ったよ。もう何ともない。」
「なら良かった。」
今のやり取り、時間にしてほんの10秒程度だが、その10秒間だけいつものお姉ちゃんモードで穏やかな表情と口調だった。なんて器用に入れ替わるんだろうか。視線をあかねに移したお姉ちゃんはもうすでに先ほどまでの戦闘モードに戻っている。
お姉ちゃんの豹変ぶりにあかねも有馬も驚いた様子。だがこの入れ替わりを何度も見ている有馬の方が驚きは少なかったようで、一足先に我に返り、口を開いた。
「と、とにかく、私はアクアにはきちんと謝っておきたいのよ。本当にごめんなさい。家庭の事情とか深く考えずにあんなこと言っちゃって。今後は気を付けるわ。」
「ああ。分かった。悪気は無かったんだし気にしないよ。」
あっさりと謝罪を受け入れる。元々それほど怒っているわけではないからだ。きっかけこそ有馬の一言だったが、フラッシュバックを引き起こした本質的な要因は、俺が自ら過去の記憶を掘り起こしに行ったことだ。あれはほとんど自爆のようなものだった。
「じゃあ謝罪も済んだことだし、かなちゃんはもうここにいる必要はないよね?」
「まあいいわ。さすがに彼女とお姉ちゃん相手に張り合って勝てると思う程私もバカじゃないもの。でも決着がつくまでここで見ててもいいかしら。面白そうだし。」
「負けを認めるなら、まあいいけど。」
このやり取りを見て、あかねがここぞとばかりに有馬を追い払おうとする。キレイな笑顔なのだが、目だけが笑っていない。
これで有馬は脱落。残るはあかねとお姉ちゃんの二人だ。
いや、脱落と言う表現も本来おかしいんだが、この状況、どうみても3人の美少女が俺を取り合うサバイバルゲームなんだよなぁ。俺のために争わないでという少女漫画のヒロインのようなセリフが頭をよぎるが、ぐっと飲みこむ。
残された2人により争いはなおも続く。
「で、ルビーちゃん。後からこの家に押しかけてこんな騒ぎを起こして何のつもり? アクア君が起きてきちゃったよ。」
「それはお互い様じゃない? あかねちゃんだって喋ってたじゃん。そもそもなんですぐ私に電話しなかったの? わざわざこっそり監督の家に連れてきて、アクア独り占めしたかっただけじゃないの?」
「それは……」
言えないだろうな。感情演技のためにトラウマを利用していることをお姉ちゃんに知らせないためにこっちに来たんだ。その点で俺とあかねの意思は一致しており、舞台を成功させるためにこのことは隠し通すと強く決意している。
あかねに目配せをし、助け船を出す。
「俺がお願いしたんだ。ほら、せっかく彼女が甲斐甲斐しく介抱してくれてるって言うのに、お姉ちゃんを呼んでさよならってのもさすがに可哀そうだろ? お姉ちゃんは電話したら絶対にすっ飛んでくるから、内緒にするしかなかったんだよ。」
「要するに二人でイチャイチャしたかったって事じゃん。」
監督もおばちゃんも居るんだから二人きりではない。お姉ちゃんの的外れな反論に対し、あかねが応える。
「そんなわけないでしょ。アクア君が目の前で倒れたんだよ。真剣に介抱してたに決まってるでしょ。」
「じゃあ私を呼んでよ。こういう時こそ私の出番でしょ。」
さて、もう手詰まりかな。お互い言いたい事言いつくし、これ以上新たな展開は望めない。後は勢いに任せて女性特有のロジックもクソもない泥沼の口喧嘩が続くのだ。
ちらっと有馬の様子を確認すると、楽しそうに観戦している。自分の身に危険が及ばない場面では妙に肝が据わってるんだよな。こいつ。
しばらく無益な争いが続いたころ、監督が子供部屋から出てきた。見るからに機嫌の悪そうな顔で、元々怖い顔がさらに凶悪なものになっている。まあ、これだけ騒げば監督も怒るだろう。さすがにオイタが過ぎたか。
「オイお前ら、いい加減にしろよ。人の家でギャーギャー騒ぎやがって。うるさくて仕事に集中できねぇだろうが。」
「カントクは黙ってて。これは私達の問題なの。」
抗議の声を上げるも、お姉ちゃんにバッサリと切り捨てられた。
子供部屋おじさんの言う事って響かねえんだよなぁ。でも一応は映画監督としてそれなりに名の売れた人物でもあるし、これで中々良いことを言う人だ。この状況で俺が頼れるのは最早この人しかいない。
少々頼りないが、賭けてみる価値はある。
「なぁ、監督。このままじゃ埒が明かな―――」
「………俺はお前に凄い演技じゃなくてぴったりの演技が出来る役者になれと言った。それを踏まえてこの3人の要望、意図を、星野アクアはどう読み取る? この状況においてのぴったりとはなんだ?」
「は?」
「分からねぇか? 要するにだ。これは他でもないお前自身の問題だ。その答えを他人から聞いて解決しようなんて甘い考えは捨てるこったな。結局、自分で考えるしかねえんだ。」
監督、逃げやがったな……!
なんか説得力のありそうな絶妙な言い回しで煙に巻こうとしてるけど、要するに面倒だからお前が自分で何とかしろって事じゃないか。これだから子供部屋おじさんは……!
もう良い。自分で何とかするしかない。
幸いなことに、俺がトラウマをほじくり返したという事実は隠せている。ならばあとはお姉ちゃんの機嫌さえ直ってしまえば当初の予定通りだ。あかねには悪いが、ここは俺がお姉ちゃんの味方をすることで場を収めるしかない。
俺はあかねに先に帰ってくれと伝え、最終的にお姉ちゃんだけが残って看病を続けるということで決着がついた。
はぁ、ものすごく疲れた。やっぱりお姉ちゃんに隠し事なんてするもんじゃないな。
・・・
翌朝。
「おはよう。相変わらず仲が良いのねぇ。」
「おはよう、おばちゃん。」
「おはようございます。」
一緒に寝ていたお姉ちゃんとリビングに出ると、朝食の用意をしているおばちゃんが元気よく挨拶してくれた。監督がパパなら彼女はおばあちゃんだ。俺の事を孫のように可愛がってくれる。ルビーはあまりここには来ないので、親戚の子くらいの距離感で接している。
驚くべきことに、16歳にもなる姉弟が一緒に寝ていることに何ら疑問を持っていない様子だ。彼女くらいの年齢になると小学生も高校生も誤差みたいなものなのだろうか。
さて、今日は平日。急遽お泊りすることになったお姉ちゃんだが、学校はどうするのだろうか。
「お姉ちゃん、今日学校どうすんの? 制服とかこっちにおいてなかったよな?」
「うーん。今から家に帰ってもいいけど……めんどくさいし昼から行こうかな。アクアは?」
「俺は元々ここに来る予定だったから学校に行く準備は出来てるよ。」
えーとうなだれるお姉ちゃん。
どうせ空いた時間でデートでも行こうと考えていたのだろう。悪くない提案だがここ最近は東京ブレイドの稽古でかなり学校を休んでいるので、いかに芸能科とは言えそろそろ真面目に出席日数を稼ぐ必要がある。
残念だが学校をサボる選択肢はない。
「まぁそう気を落とすなよ。久しぶりに一緒に寝たじゃん。」
「久しぶりなのが気に入らないんだけど。前みたいに毎日でも良くない?」
「それはほら、さすがに高校生だし。いつまでも一緒にって訳にはいかないだろ。」
最近、身の振り方を真剣に考えた方が良いかとよく考えるようになった。
きっかけは今日あまの打ち上げで聞いた鏑木さんの一言。
『君ももう高校生になるんだろう?いい加減大人になった方が良い。』
あれ以降、ミヤコさんとルビーを食事に連れて行ったり、炎上したり、恋をしたりと、自分の人生について深く考える機会が沢山あった。去年の今頃と比べて、俺はかなり変わったという実感がある。
人前にダサい服装で出ることに抵抗感を感じるようになったし、ミヤコさんやお姉ちゃんに子供扱いされることが何だか気に食わないようになった。嫌いになった訳ではないが、もっと独り立ちしたいというか、適切な距離感を保って、良い感じに仲良くしたいというか……。
これが大人になるってことなんだろうか。
「なぁお姉ちゃん。俺って大人になったと思うか?」
「年相応じゃないの? ていうか生まれたばかりの時の方がよっぽど大人っぽかったよ。ママのおっぱい飲むようになってからは一気に赤ちゃんになったけど。」
「そんな子供の頃のことよく覚えてるな。確かに前世の記憶はあるけど、今となってはいまいち実感ないし……。お姉ちゃんは覚えてんの?」
「いやむしろアクアは忘れちゃったの? 私はバリバリ覚えてるけど。」
「マジか。お姉ちゃん凄いな。」
同じ転生者だが、俺とお姉ちゃんでは前世と今世の繋がりというか切り替わり方に差異があるようだ。話を聞いた限りではお姉ちゃんは前世のアイデンティティをそのまま引き継いでいる。
一方で俺は少なくとも小学校に上がる頃には普通の子供として生きていた。とはいえ前世の知識はあるので知能や判断力は異常に高かったことを覚えている。監督は確か、ギフテッドとか言っていたっけ。
星野アクアとしての一番古い記憶は何だろうかと記憶をさかのぼっていくが、やはり物心がつくと言われる2歳あたりが限界だ。初めておっぱいを飲んだ記憶などどこにもない。
ひょっとするとお姉ちゃんが小学校あたりから子供っぽさが目立ち始めたのは、前世の自我がそのまま残っているからじゃないだろうか。子供の頃はあんなに大人びていると思っていたのに、今では子供にしか見えない。
双子だというのにお姉ちゃんだけ妙に勉強が出来ないのも不思議だったが、前世のままの頭脳と言う事なら納得も出来る。
多分前世は子供だし、あり得る線だと思う。
「お姉ちゃんが子供っぽいのは前世が子供だったからって事か。」
「は? 何言ってるの? 私は大人のレディーなんですけど。」
この反応は子供で確定かな。
となると、疑問なのが時折見せるお姉ちゃんモードだ。俺や有馬を甘やかしたり叱ったりするときに出てくるあのお姉ちゃんは、もはや2重人格と言っていいくらいに普段とは性格が違う。
お姉ちゃんはいつからあんな風になったんだっけ。
……多分、母さんが死んだ頃だ。フラッシュバックに苦しむ俺を優しく支え続けてくれたお姉ちゃんの姿がまさにそれだ。
もしかすると、記憶を共有した2重人格のような状態になっているのかもしれない。そうでもないとあの豹変ぶりに説明が付かないのだ。
お姉ちゃんは家族を何よりも大切に思っている。そんなお姉ちゃんが俺の苦しむ姿や自殺をほのめかす言動を見れば、ひどいストレスを感じたはずだ。繰り返し強いストレスを感じ続けるうちにそれを避けるように別の人格を作り上げたということではないか。
それこそがあのお姉ちゃんモードだ。誰かが苦しむとき、消えてしまいそうなときに現れる別人格。自分の心を守り、他者の心のケアを行うための存在。
奇しくもこれが星野ルビーとしての最初の自我の芽生えであり、いわば本来の星野ルビーはこちらと言うことになる。
なんだか色々と納得できた気がする。
「さあ! たんとお食べ!」
「はーい」
「いただきます」
朝ごはんが出来た。
少し長い思考を終え、美味しそうな朝食とそれに目を輝かせるお姉ちゃんを眺める。大人とか子供とか、アイデンティティがどうなってるかなんてどうでも良い。俺の大好きなお姉ちゃんは今日も元気に生きている。
「お姉ちゃん、これからもよろしくな。」
「なに、どしたの急に。」
「なんでもない。」
「はー? 意味わかんない。」
願わくば、こんな幸せな日常がこれからもずっと続きますように。
お姉ちゃん2重人格説を少し真面目に考えた結果、ゴローの意識が消失しました。
ちなみに2重人格については明確にそれらしい記載があったのは23話からで、意外と後付けの設定だったんだなーと自分で書いたくせに驚いてます。それっぽい感じの振る舞いはアイ死亡直後から見られたのでそこからルビーのお姉ちゃんモードが始まったことにします。
勢いだけで書いているせいでキャラの設定がぐちゃぐちゃなので、今まで書いてきた文章とコメントを参考に、一旦アクアとルビーの自我の在り方について整理しておくことにします。細かく考えれば矛盾はあると思いますが、無理やり解釈すると以下のようになりました。
星野アクア
ゴローとしての自我は無い。前世の知識は持っているが、知能も生まれつき高い。知能は多分カミキヒカルからの遺伝。
ゴローの自我は消えたのか眠っているだけなのかは不明。
星野ルビー
中身はさりなのまま。小学校までは精神年齢が相対的に高かったが、それ以降は周囲の子供に追い抜かれて相対的に子供っぽくなってしまった。
お姉ちゃんモードが星野ルビーとしての本当の自我。記憶は共有しており、本人は多重人格であることの自覚はない。切り替えは任意なので便利に使い分けている。
本来はアクア同様知能が高く、特に人の感情を理解したり誘導したりするのが得意。こちらも多分カミキヒカルからの遺伝。