新たな台本が配られたその日の稽古でアクアが倒れ、黒川と共に早退。さらにアクアの姉がやってきて有馬を連れてどっかに行ってしまった。この難しい台本の演技をこれから何とかモノにしなきゃならないって時に、運が悪い。
「メルト。お前は一旦見学と個人練習だ。」
「ウス」
金田一さんにもこう言われる始末。もう手の施しようがないという事なんだろうか。
結局その日は稽古の時間が終わるまで台本を読み込み、台詞と動きを頭に叩き込む事に時間を費やした。アクアと有馬が居ないだけでこんなに心細いなんてな。どれだけあの二人に頼りきりだったかが分かる。
稽古は終わり、俺はそのまま居残りで練習。少し休憩しようと表に出ると、アクアの姉の友達をナンパする鴨志田さんの姿が見えてしまった。
万が一仕事に支障が出るとマズい。面倒だが、演技で貢献できない俺はこういう細かい部分で取り返すしかないと思い、鴨志田さんを止めることにした。適当に理由を付けて彼を呼び出す。
「鴨志田サーン、金田一さんが来いって。緊急招集!」
「えっマジ……ちょっと待って…」
「金田一さん怒るとコエーんだから急いで!」
またの機会にね、と言いながら女の子から走り去る鴨志田さん。ほっと一息ついた女の子の様子を見るに、連絡先の交換は回避できたようだ。
機嫌を悪くした鴨志田さんが俺の横を通り過ぎる。
「んだよ、稽古はもう終わって……」
「まぁ嘘だし。」
「……」
「あれアクアの姉の友達。手ェ出したらマズいでしょ。」
「何それ。そんな理由で邪魔したの?」
そこから少し口論が続いた。
仕事に支障なんて出るわけないと楽観視する鴨志田さんに対し、プロなんだからそういう細かい部分にも気を配っていかなきゃダメだろと持論をぶつける俺。しかし俺の主張は鴨志田さんに響かないどころか、どぎついカウンターを食らう事となる。
「プロて。ロクに演技も出来ねー奴が俺にプロ語るとか笑う。」
俺の事を心の底から見下す目だった。
「ちゃらちゃらモデルやりながら片手間にドラマやって、今度はコネで舞台のお仕事。なぁ自分が一番下手なの自覚してる? お前が作品の質落としてんだけど。」
何も言い返せない。彼の言う事は全く正しいし、俺自身が今悩んでいることを的確に突いている。
なおもお説教は続く。
「俺は曲がりなりにも実績が評価されてここに居る。で…お前は何が出来んの? 実力ねぇ奴がイキって説教かましてくんの一番ダセぇのよ。姫川さんか星野アクアが言ってくるなら俺だって聞く耳持つけどさ。お前は偉そうに語ってる場合かよ。」
遥か格上の実績と実力を誇示し、この舞台における俺の存在意義や発言力について疑問を投げかけてくる。やはり何も言い返せない。そんなことは自分が一番よく分かっている。
「星野アクアが居なくて丁度良かったよ。やっと言いたいこと言えたわ。」
もう興味はないと言わんばかりの軽い足取りで鴨志田さんはスタジオへと戻っていく。去り際にこんな言葉を言い残して。
「あーあ、あの子胸デカかったのになぁ……やってらんねー」
悔しい。死ぬ程悔しい。
あんなチャラチャラした男に演技力も実績もボロ負けしてて、何も言い返せない自分が腹立たしい。
―――なぁ自分が一番下手なの自覚してる? お前が作品の質落としてんだけど。
「分かってんだよ…そんなの……。
残り2週間、なんとしてでも俺はあいつを見返すと決意を固めた。
・・・
「なぁ、アクア。俺を鍛えてくれ。徹底的に。」
「え?」
後日、俺は早速アクアに特訓を申し込んだ。鴨志田さんも認める実力を持ち、演技に並々ならぬ情熱を燃やす彼ならこの話を受けてくれるはず。
「それってつまり、稽古時間外とかも俺と一緒に稽古したいって事か?」
「ああ、頼む。」
「学校終わりとかも?」
「あ、うん。」
アクアの目が輝きだす。一つ目の質問にYESを返すといい笑顔になり、二つ目の質問にもYESを返すと確変でも起こったかのように喜び始めた。そして俺の決意など軽々と上回る熱量で前のめりになって話し出す。
「よし分かった。実はすでに稽古時間外にも俺の師匠に稽古をつけて貰ってるんだが、お前もそこに加われ。俺と師匠でみっちりしごいてやる。」
「ああ、分かった。」
俺が言い出す前からアクアは独自に特訓を行っていたようだ。俺より遥かに演技が上手い奴が俺よりも努力しているなんて。あの鴨志田さんでさえアクアの言う事なら聞く耳を持つとまで言うのだから、星野アクアと言う役者はやはりただ者ではなかった。
次の日から俺はアクアの師匠から直々に演技の指導を受けることになった。
・・・
アクアに言われた通り監督とやらの自宅へと到着。玄関には五反田スタジオと書かれているが、どう見ても普通のマンションだ。カッコつけてんな。
インターホンを慣らすと、扉の向こうから強面の中年の男が俺を出迎える。
「おう、いらっしゃい。お前が早熟の言ってた鳴嶋メルトだな。」
「はい。よろしくお願いします。」
「それにしても最近は来客が多いねぇ。ひょっとしてあいつ、カオが良けりゃ男でも良いのか……?」
「なんですか?」
「いや、こっちの話だ。なんでもねぇ。」
あらぬ誤解を受けている気がする。俺はアクアの愛人とかじゃないからな?
確かにアクアはいつも有馬と黒川を侍らせてるし、ついこの前だって可愛いお姉さんと美人な友達がアクアに会いに来ていた。アクアの意思はともかく、奴は間違いなく女たらしだ。
監督にはアクアと仲の良い中性的な少年もそのメンバーの一人に見えているのだろうか。
身に覚えはないが、男に言い寄られた経験が無いわけでもないので簡単に否定できないのが辛いところだ。中性的なイケメンも良いことばかりじゃない。
「よう、来たかメルト。」
「メルト君。こんにちは。」
「おう。黒川も居るんだな。」
五反田スタジオにはすでにアクアと彼女の黒川がスタンバイしていた。そのまま俺たちは挨拶もそこそこに近くの河原へと移動し、演技の特訓が始まった。
高架下のだだっ広い空間で、まずはアクアと黒川が監督に演技を披露する。
さすがと言うしかない。動作の指示がほとんどないシーンでも難なく想像力を膨らませて深みのある演技を披露する。まるで本当にそこに刀鬼と鞘姫が居るような、この河原がまるで東京ブレイドの世界になったような、そんな気持ちにさせられる。
続いて俺の番だが、おっかなびっくりに配られたばかりの台本の通りに演技をするので精一杯。金田一さんからの失望を含んだ厳しい言葉の数々が頭をよぎり、どうしても固くなってしまう。
そんな俺の様子を見て、早くも監督が動いた。
「おいお前ら、演技は楽しいか?」
「はい、楽しいです!」
「楽しいに決まってるじゃん。」
「えっと……俺は、正直しんどいです。」
楽しいと即答するアクアと黒川。あれだけ上手く演技が出来れば楽しいだろうな、と羨ましい気持ちになる。俺はプロとして、作品の質を落とさないようにすることで精いっぱいで、楽しむ余裕なんてない。
「鳴嶋。この二人を見てどう思った? 何でこんなに演技が好きで、演技が上手いのか。お前なりの考えを聞かせてくれ。」
「アクアも黒川も子供の頃からずっと役者をやってるから、演技が上手いのは当然だと思います。上手いから演技も楽しいと思えるんじゃないですか。」
「まずはその考えを改めろ。上手い下手は一旦忘れて、とにかく演技を楽しめ。それが上達の一番の近道だ。」
「え……でも、もう本番までの時間もないのに」
「良いからやってみろって。早熟、匁役をやれ。んで、今日あまでやったように鳴嶋の感情を引き出せ。こいつに演技の楽しさって奴を分からせてやろうじゃねぇか。」
「オッケー。
おう、といたずらっ子のような笑顔を浮かべて監督が応える。阿吽の呼吸で話を進める二人は、師弟を通り越して親子のようにも見える。顔は全く似ていないが面白そうに笑う表情はそっくりだ。
監督の指示通り、アクアが匁となって俺の前に立ちはだかる。さっきまで刀鬼だったのに、少しもその雰囲気は残っていない。
「はじめ!」
監督の掛け声で演技が始まる。匁のセリフからだ。
「どうしても戦わなきゃだめなんですか? 親から無理やり剣を与えられ、こんな戦いに巻き込まれて。僕は戦いたくない……」
「否も応もねぇんだよ。来ねぇならこっちから行くぜ。」
開戦の合図だ。ここから実力では劣るキザミが相手の力量を読み間違え、自分の方が強いと自信満々に切りかかっていく。しかし本編の先の展開を知ってしまっている俺はいまいちそのイメージを掴めないでいた。
一方アクアは俺の一挙手一投足を怯えた目で見つめ、警戒心を表に出して小物感を演出している。素人の俺から見ても、この演技は明らかにやりすぎだ。どうしてこんな台本から外れた演技をするんだ?
浮かんだ疑問は、打ち合いを始めてすぐに解決することとなる。
「ほら、どうした。守ってばっかじゃ勝てねぇぞ?」
「くっ……」
刀を交える毎に不思議な感覚が湧き上がってくる。匁が凄く弱そうに見えてくる。こいつなら余裕で勝てそうだ。そんな気持ちになってくる。
自然と口角が上がり、動きも大振りになる。知らず知らずアクアに誘導され、俺は無意識のうちにキザミと同じ感情を引き出されていた。
勝ちを確信したキザミはひときわ大きな一振りで止めを刺しにかかる。しかしそれこそが匁の狙い。大きな隙がうまれたキザミに対し、必殺の一撃が炸裂する。
「ぐはっ………」
匁の刀、今は稽古中なので木刀だが、その木刀がもろに俺の脇腹へと打ち込まれた。
激痛に倒れ込んだ俺を、匁が見下ろす。アクアの背後にいる監督と黒川には見えていないだろうが、俺だけには確かに見えた。俺を見下し、嘲笑う匁の表情が。
―――舐めやがって! この三下が!
演技ではない、生の感情だった。
湧き上がる怒りと悔しさを刀に乗せて匁にぶつける。対する匁は的確に攻撃を捌き、隙あらば追撃を重ねてくる。どこまでもリアリティのある匁の反応のお陰で、どんどん深く東京ブレイドの世界にのめり込んでいく。
キザミ本人になったかのような錯覚。そうか、これが役に深く入る感覚。動きもセリフも、何の違和感もなく自然と出てくる。
ああ、確かに楽しいわ、これ。
匁に倒されるその瞬間まで、俺は夢中になってキザミを演じ続けた。
「カット! そこまでだ。」
監督の掛け声で俺は目が覚めた。
心地よい疲労感。きっと今の俺は良い顔をしてるんだろう。監督とアクアはしたり顔。黒川も嬉しそうだ。どうやら俺は演技の楽しさを分からされてしまったらしい。
「鳴嶋。どうだ? 演技は楽しいか?」
「……楽しい、です。」
「だよな!」
爽やかな笑顔で俺の気持ちの変化を喜ぶアクア。今日あまに続き、またこいつの思い通りに踊らされたが、今回も悪い気はしなかった。
こんなに楽しいならいくらでも稽古したい。もっと演じたい。もっと上手く、もっと役になりきりたい。
「監督、次のシーンお願いします!」
「ははは、こいつは将来が楽しみな役者がまた一人増えちまったな。いいぜ、みっちりしごいてやる。」
その日、俺たちは日が暮れるまで稽古を続けた。
青春してるなぁ。
アクアは殺陣もきっと上手いはず。刀での打ち合いとか好きそうなイメージです。絶対小学校でチャンバラごっこしてお姉ちゃんに怒られたことある。