有馬の凶行に心を抉られた黒川が心配で様子を見に行ったら、とんでもないものを見せられてしまった。
「ごゆっくり」
幸せそうにイチャつく星野と黒川を背に、俺は控室へと歩き出す。
ララライの妹分として可愛がっていた黒川だが、あんな姿は初めて見た。つい半年前は初めて出来た彼氏とどう接すればいいか分からないとか言ってたが、これ以上ないくらいに彼氏彼女出来てるじゃねぇか。
それと慣れた手つきで頭をなでる星野は、多分相当な女好きだ。俺には分かる。
控室の扉を開けて中に入ると、主演俳優の登場に場の視線が俺に注がれる。まだ何も演じていないのだから、注目する必要などないだろうに。仕事してない時くらいリラックスさせてほしいものだ。
部屋を見渡し、まだ怒りが収まっていない様子の有馬と困り顔の鳴嶋を見つける。
「よう有馬。調子はどうだ。」
「最悪よ。何なのアイツ、あっちから睨みつけて来たくせに、ちょっと反撃したらキレ散らかして。ま、本気で悔しがる黒川あかねのカオは見ものだったけどね!」
「こいつマジで
鳴嶋の意見に完全に同意だ。いくら何でもあれは無い。同年代のライバルを意識する気持ちは分からないでもないが、まさか良かれと思って教えた黒川のインタビュー記事をあんな形で利用するとは。
「こんな使い方するって知ってたら教えてなかった。」
出来ることならこれをきっかけに仲良くしてもらいたかったんだが。これでも一応座長だしな。今更言っても無駄だろうが、一応遺憾の意だけは示しておく。
「なんでそんな黒川に突っかかるわけ?」
「まぁ理由は色々あるけど、こんなの同年代の意地よ。」
鳴嶋の素朴な疑問に有馬が答える。
「別にあかねと共演するのは今回が初めてじゃない。なんでか演る度に揉めてきたのよ。あかねと私は演技の向き合い方から違うし、役柄に対するアプローチも良い演技っていうものの考え方も違う。あの子の演技からは「私が正しい」「貴方は違う」そういう圧を感じるワケ。」
どうやら有馬は黒川に対して並々ならぬ感情を抱いているようで、理由を語る言葉の端々に異様な熱量を感じる。
これが何かの演劇なら良い感じに感情が出てるなと、他人事として聞き流す。興味があるのは有馬の演技だけ。個人的な事情などどうでも良い。
「ほんとーにムカつく。」
だが、こういう強い感情がふとした瞬間に表に出てくる有馬はやはり類まれな才能の持ち主なのだろう。まさに感情の塊。些細な刺激にも敏感に反応し、心の底から激情が沸き起こる。彼女はありとあらゆる感情をその心の中に持っており、それを発露させて演技をする。
何も持たない故に何物にもなれる俺とは真逆のスタイル。
こんな真逆なアプローチをする役者同士でも演技は出来るし舞台は成り立つ。演り方は千差万別、人の数だけ存在する。そのすべてを受け入れて表現する機会を与えてくれる演劇の世界の何と面白いことか。
有馬の激情は止まることを知らず、口は回り続ける。
「天才子役も第二次性徴期過ぎたら只の一般人て言われ続けて、実際私にはとんと仕事が来なくなって。黒川あかねは天才とか言われて今まさに評価されていて、このままだとあの子が正しかったってなるじゃない。」
「因縁の相手ってワケか。」
「安っぽい言い方したらそうなるわね。でも安心して。私はあの子に演技で負けてるなんて一度も思ったことないから。」
そう言い残し、有馬は練習用の刀を手に控室を後にした。
ただの同年代のライバル意識と思っていたが、有馬と黒川の因縁は思っていた以上に深いらしい。座長として仲良くなってもらえればなんて考えは初めから無理筋だったわけだ。
だが面白い。確執の深さはともかく、演技で相手を見返そうという姿勢が良い。黒川共々、感情のこもった良い演技をしてくれるだろう。板上で語り合うのが楽しみだ。
鳴嶋も二人の対決が気になるようで、有馬が控室から去るのを見届けると俺に意見を求めてきた。
「実際姫川さんから見て有馬と黒川、どっちの方が優勢なんです?」
「二人は子役からやってるベテランで、どっちも上手いし優劣つけるだけ野暮だと思うけど。」
「そこをあえて言うなら。」
「黒川は異質な演技するし、天才って言われるだけある。だけど有馬の方が演技と言うものに執着が強い。まぁどっちに転んでもおかしくない。本番の仕上がり次第って所だ。」
―――星野アクアが居なけりゃ、有馬の勝ちだったけどな。
最後の言葉を咄嗟にのみ込んだのは、役者としてのプライド故だろうか。
自分を演技で負かそうとしてくる役者は今までいくらでも居たが、本当に俺以上の演技を見せてきそうだと感じたやつは久しぶりに見た。やはり噂通りの天才。五反田監督の秘蔵っ子として密かに業界で話題になるだけの事はある。
それでもまだ実力は俺の方が上だし、普通に
星野が倒れた時の稽古を思い出す。
「刀を抜け。女を斬られて黙って引き下がるのか。」
「もういい。俺は「鞘姫」の為に戦っていた。「鞘姫」を守れなかった今となっては戦う理由が無い。」
倒れ伏す鞘姫を前に絶望に沈む刀鬼。その絶望の深さたるや。
逆上して斬りかかってくるその気迫が、親の仇かのように俺を睨みつけるその目が、全身から迸る負のオーラが、彼の演技に用いられる情動の異常なほどの強さを物語っていた。
極めつけは復活した鞘姫に歓喜し、泣きながら抱きしめるシーン。
強烈という言葉では足りない、同じ空間に居ることさえ躊躇われるほどの強い感情。果たして俺にあの演技が出来るだろうか? 同じアプローチで彼を超える必要はないが、ならばどうやってあれ以上の演技をすれば良い?
答えはついに分からなかった。認めざるを得ない。あのシーンにおいて、彼は明らかに俺以上の役者だった。
「姫川さん?」
鳴嶋の声で我に返る。どうやら考え込んでいたらしい。
「ほら、行くぞ。そろそろ通しが始まる。」
「ウス。」
久方ぶりに感じる焦りを悟られまいと、気持ちを切り替えて控室を後にする。
最初の通し稽古。まずはお手並み拝見と行きますか。
役者陣のレベルの高さもあって通し稽古は順調に進んでいく。オープニングから新宿クラスタの面々が出そろう辺りまで物語は進み、舞台では今キザミと匁の邂逅のシーンが演じられている。
楽しそうに演技をする鳴嶋。演技のレベルも以前とは比較にならないほど上がっている。星野とつるんで何やら独自に練習を重ねていたが、その成果だろうか。依然として鴨志田朔夜とは大きな実力差があるが、見れないレベルではなくなった。
客席で眺める金田一さんも納得するような顔で頷いている。
少し場面は進み、クライマックスシーン。予定通りに鞘姫を切り伏せ、刀鬼と相対する。
台本通りにうなだれる刀鬼を、台本通りに挑発する。だが星野なら分かるだろう。そこに込められた俺の気持ちが。
もう一度見せてみろよ。同じ空間に居るだけでこっちまで苦しくなってくるような感情の爆発を。全力で来い。勝つと分かって戦いを演じるのに、こっちがやられるんじゃないかと思うような、そんな気迫でかかって来い。
期待を胸に、刀鬼との一騎打ちに臨む。
しかしそこに居るのは至って普通の役者。技量も情熱も卓越しているのは確かだが、あの時見せた強烈な感情を宿していない。これではつまらないと、体で語り掛ける。
―――おい、なんだその腑抜けた演技は。あの時みたいな凄いやつを出して来いよ。
―――あれはとっておきだ。おいそれと見せるもんじゃない。
煽れど煽れど、刀鬼は実力を見せてこない。打ち合い初めて十数秒の後、俺は星野が本気を出すつもりが無いと悟った。そのまま腑抜けた刀鬼を倒し、鞘姫が復活し、通し稽古は終わる。
肩透かしを食らい、俺の気持ちは不完全燃焼のまま心の中で燻ったままだ。
鳴嶋、黒川、星野は稽古が終わるとすぐにどこかへ行ってしまった。これから秘密の特訓をしに行くのだろう。
ならば俺はと有馬に声を掛ける。
「有馬、もう少し稽古しないか?」
「勿論。こっちからお願いしようと思ってた所です。」
こんなに演技にマジになるのはいつぶりだろうな。星野には感謝しなければ。
恐らく星野の感情演技は彼が持つ辛い経験を利用したものだろう。稽古の途中で倒れたのもそのトラウマを引きずりだした結果ということだ。あの演技バカの星野が通し稽古でも実践を控えるところを見るに、ダメージはかなり大きいと見た。
だが、それだけに効果は絶大。想像ではなく実体験から来る絶望の深さは他の追随を許さない。そしてその絶望から解放されたときの喜びは、彼が心の底からそうあって欲しいと願った妄想によるもの。
面白い。星野が捨て身の感情演技でかかってくるならこっちも全力の演技で応えるまでだ。
板上で再び刃を交えるその日に向けて、俺も研ぎ澄ましておかないとな。
姫川さんの方が全体的に格上ですが、例のシーンだけはアクアの方が良い演技をします。しかし捨て身の必殺技なので稽古では封印。本番で解放します。