「全く酒がうめぇな!ほれ、新居祝いの酒だ!飲め飲め!」
「わー森伊蔵だー。」
「駄目ですよ。アイさんが二十歳になるのは来週。もうちょっと我慢してください。」
「あーそうだったそうだった。」
母さんの仕事は順調。フォロワーも100万人を超えた。世間は母さんを見ている。
新居に引っ越し、ドームでのライブが決まり、社長もこの上なく上機嫌。
「アイが主役のドラマも視聴率上々!B小町全員他の仕事もびっちり埋まって・・・いよいよ来週はドームだ!がははっ!」
それを聞いている母さんも嬉しそうに笑っていた。
・・・
今日はドーム当日。晴れ舞台に備えてゆっくり時間をとれるよう、午前中の仕事は入れていない。昼過ぎまでは家でゆっくりできる。
「ルビー、アクア、今日はね、ママ凄いところでライブするんだよー。」
「知ってる!ドームでしょ!お客さんいっぱいなんでしょ!」
「よく知ってるねールビー。えらいえらい。」
「俺だってそれくらい知ってるよ。」
「もーアクアすねないで。ほらお姉ちゃんがエライエライしてあげるから。」
「母さん、俺にもやってー。」
「はいはい。アクアもえらいぞー。」
「もう!いつもアクアを取るんだから!」
親子水入らず。お姉ちゃんも俺も、アイの晴れ舞台が楽しみで仕方がなかった。
こんな浮かれた気持ちじゃなければ、あの惨劇は防げたのだろうか。
・・・
ピンポーン
呼び鈴がなり、母さんが応対しに玄関へ行く。なんとなく気になり、俺も後についていった。扉の向こうからガチャ、と玄関を開ける音が聞こえる。
俺が玄関に出たときに目に飛び込んできたのは、お腹を押さえて後ずさる母さん。
その奥には黒いパーカーを来た男が立っている。その手には、血まみれの・・・ナイフが・・・。
母さんの足元に血が流れている。ものすごい量だ。どういうことだ。なんで血が。あ、男が持っていたナイフ。それで刺されたのか。母さんが、ナイフで、刺された・・・。
「ふはっ・・・痛いかよ。俺はもっと痛かった!苦しかった!」
「ファンの事蔑ろにして、裏ではずっと馬鹿にしてたんだろ!この嘘つきが!!」
この男は何でこんなに怒ってるんだ・・・?アイが嘘つき?
茫然自失の俺をよそに、母さんと男の会話は続いていく。ようやく俺が事態を把握できた頃には、男は逃げ出していた。
ドンッと音を立てて、母さんがリビングの扉に倒れこむ。お腹は血で真っ赤に染まっている。前世が医者でなくたって分かる。この出血量はマズい。
「母さん!!!きゅ・・・救急車呼んだから!!」
「いやぁ油断したね、こういう時のためにドアチェーンてあるんだ。施設では教えてくれなかった。」
こんな状況だというのに、母さんはいつもと変わらない気の抜けた口調で喋っている。しかしこの出血だ。腹部大動脈が切れている。早く止血しないと・・・!
でも、どうやって!?止血できそうなモノが、手段が、無い。
このまま出血が続いたら・・・!
「ごめんね」
不意に母さんに抱きしめられる。ぐちゃ、と血がしみ込んだ服の感触を胸のあたりに感じる。
こんな状況だというのに、母親に抱かれて安心感を感じてしまう。
「多分これ、無理だぁ。大丈夫?アクアは怪我とかしてない?」
「・・・してない。」
「今日のドームは中止になっちゃうのかな・・・皆に申し訳ないな。映画のスケジュールも本決まりしてたのに、監督に謝っておいて。」
無理ってなんだよ。そんな遺言みたいなこと言わないでくれよ。これじゃ、本当に・・・
「ねぇ、どうしたの・・・?そっちで何が起きてるの・・・?」
「来るな、お姉ちゃん・・・」
「ねえってば!」
異常を察知したお姉ちゃんがやってきて扉越しに聞いてくる。こちらの状況は良く分かっていないらしい。
「ルビーのお遊戯会の踊り・・・良かったよー。私さ、ルビーももしかしたらこの先、アイドルになるのかもって思ってて。いつかなんかうまく行ったら親子共演みたいなさ、楽しそうだよね。」
残された時間は少ないと悟ったのか、ゆっくりと母さんは語り始めた。
俺は一言一句聞き逃すまいと、母の最期を記憶に刻み込む。
「アクアは役者さん?二人はどんな大人になるのかな。あーランドセル。小学校の入学式も見たいし、授業参観とかさー。ルビーのまま若すぎないーとか言われたい。二人が大人になってくの、側で見てたい。」
抱きしめる腕から力が抜けてきた。俺に語り掛ける声が震えている。母さんが死ぬ瞬間は着実に近づいている。急激に弱っていく。
それでも母さんは話すのをやめない。
「あんまり良いお母さんじゃなかったけど、私は生んで良かったなって思ってて。えっと他に・・・。あ・・・これは言わなきゃ。」
「ルビー、アクア」
扉の向こうのルビーと、腕に抱かれる俺を見て、それぞれの名前を呼ぶ。
直感した。次の言葉が、母さんの最後の言葉だ。
「愛してる」
「ああ、やっと言えた。ごめんね、言うのこんなに遅くなって。あー良かったぁ。この言葉は絶対、嘘じゃない。」
そう言い残して、母さんは動かなくなった。
血に濡れた母さんの右手が、俺の頬からぬるりと落ちていく。もう瞳からは光を感じない。
「母さん・・・。母さん・・・?」
母さんは死んだ。たった今、俺の目の前で。呼びかけても返事をすることはない。
動かなくなった母親の前で、俺はただ立ち尽くすしかなかった。
目の前にある母さんの身体からはまだ血が流れている。どんどん冷たくなっていく。ついさっきまで生きていたのに、もう生気を感じない。
お姉ちゃんが扉の向こうで泣いている。
・・・警察に保護されたとき、俺はすっかり冷たくなった母にしがみついて離れなかったそうだ。
筆が進まないし肩がこる。
やっぱりこのシーンは辛い。