停電。
オークション会場は一瞬のうちにざわめきに包まれた。
非常用の電源に切り替わったとき、ざわめきに悲鳴が混じった。
先ほどまでステージの真ん中に展示されていたはずの絵が消えている。
すぐさま辺りに警報が響き渡った。
「待て!」
非常電源の行き届かない、薄暗い通路を数名の警備員が走る。その前を行くのは額縁を抱えた男の影。時折、警備員のライトに照らされてその銀髪が光る。
(バカめ・・・・・・この先は行き止まりだ)
警備員の一人が笑った。
突き当りには、倉庫の扉しかないのだ。
男が倉庫の中へと飛び込む。警備員は倉庫を取り囲むと、勝利を確信してドアを開けた。
だが、そこには誰もいなかった。古びた段ボールが山積みになっているだけ。
中に入ってあちこちを照らすが、男の姿は影も形もない。
「僕、あれを思い出しましたよ」
若い警備員が口を開いた。
「ナルニア国物語。衣装ダンスの奥から、別世界へ行ってしまうってやつ」
「・・・・・・・映画の見過ぎだ」
年かさの警備員が不機嫌に答える。
「やだなあ、僕は原作小説派です」
「とにかく、監視カメラを確認する。何人かは残って辺りを探せ」
しかし、監視カメラの映像を見ても同じことだった。男の姿は、このせまい倉庫に飛び込んだきり、完全に消えている。
それこそ、まるで異世界へと飛んでしまったかのように。
◆
かつて、星の数ほどある異世界を飛び回る義賊の一族がいた。
「あるべきものを、あるべき場所へ、あるべき形で」
何千年も受け継がれたその流儀のもと、世の裏側を縦横無尽に駆け抜けた。
しかし今、彼らの存在は幻である―――
<オフ・ザ・ウォール>
「はぁ~あ、つまんねぇな」
「志村けんか、おまえさんは」
助手席のリクライニングシートを倒し、大きく寄りかかりながらバロンは言った。それを運転席に座る相棒があきれたように横目で見る。
「だってあの絵ガンサクだったし。ナチスに略奪されて以来、行方不明だった幻の絵。あの異世界でオークションさかけられてるって噂聞いてたのに、ガセネタだべな」
訛った口調でバロンはいい、新聞を広げた。
「なんかおもしろいことないかなー。・・・・・ん?」
がばっと身を起こして、バロンは新聞の一か所を見つめる。
「エトランロー・・・・・・」
相棒にさえ届かない声で、小さくつぶやく。
それから、覇気の戻った声で相棒を振り返った。
「よし、次の仕事はこれだ! ちょっくらA7210世界まで行ってくる!」
「あわただしい奴だ」
そう言いながらも、相棒は笑った。
◆◆
涼しげな風鈴の音色に、美空はハッと目を覚ました。一瞬ここがどこかわからなくなり、辺りを見回す。
良い香りのする畳の部屋に、古い縁側。目の前に広がる海景色。
ああ、田舎の祖父の家だったと思い出して肩をすくめる。十五年ほど前に伴侶を亡くした祖父は、以来この平屋にずっと一人で暮らしていた。その祖父の葬儀が、昨日終わったところだ。
こじんまりとした家族葬だったため、さほど疲れていないつもりだったが、いつのまにかうたた寝していたらしい。
会社規定の忌引き休暇三日を越えて、有給まで申請してしまった。祖父宅の片付けをする、というのは名目で、本当はしばらく一人になりたいというのが理由だった。
両親はそれならちょうどいいから貴重品の整理をお願いと言い残し、今朝にはもう東京へと発った。美空だけがこの家に未だ残っている。
明後日には業者が来る。貴重品だけはこちらで回収したのち、あとは全て業者に処分してもらう予定だ。そのあとは、家を取り壊し土地を売る――思い出の詰まったこの家で過ごせるのは、あと数日だ。
「よくここでスイカ食べたなあ・・・・・・」
美空は木製の縁台を撫でた。祖父に会えるのは、夏休みか冬休みだけ。それさえも、昨年の春に就職してからはなくなっていた。
「幸せだなぁ、なあ美空」
スイカにかぶりつきながら、すきっ歯を見せる祖父のしわくちゃの笑顔を思い出す。美空と過ごす何気ない時間に、祖父はしょっちゅうその言葉を口にした。
「さ、もう動かなきゃ」
にじんだ涙を振り払うように美空は立ち上がった。
◆
「あ、この絵も持って帰ろうかな」
本棚の上の壁に飾られた絵を見上げて、美空はつぶやく。午前中いっぱい書類の片付けをして、一息入れようかというときだった。
祖父は絵を描くのが上手かった。美空も絵を描くのが好きだったので、小さいころはよく一緒に絵の具まみれになって遊んだ。
そんな祖父の描いたポストカード大の絵が、額縁に入って飾られていた。縁側から見える海を描いた絵だ。
つま先立ちになり、本棚に寄りかかりながら、絵へと手を伸ばす。あと少しで届きそうだ。踏み台を持ってくるのを横着して、美空はさらに本棚に体重をかけた。
「届いた!」
絵をしっかりとつかみとった瞬間、ガッコンと何かが大きく外れる音がした。そして、本棚がまるで忍者屋敷の隠し扉のごとく、くるりと回転した。
「えっ」
全体重をあずけていたため、美空の体はそのまま本棚と一緒に壁の裏側へ吸い込まれる。ぴかっと、目の前が青白く光った。
フラッシュをたかれたようなまぶしさで、視界が遮られる。
ゆっくりと白が消え、視覚が戻るのと同時に、聴覚のほうも動き出した。辺りのざわめきが聴こえる。ハッとして顔を上げると、美空は、見知らぬ町でぺたりと座り込んでいるところだった。
「ちょっとあんた、こんなところで座り込まないでよ。邪魔だねえ」
背後からの声に振り返ると、体格の良いおばさんが、アーチ状の通路の中に立っていた。美空はその出入口をふさぐ形で座っていた。
「あっ、す、すみません」
わけもわからず、美空はあわてて立ち上がってその場をどく。おばさんはフンと鼻息を荒くして、美空の横を通り過ぎて行った。
「何これ・・・・・」
美空は呆然と辺りを見回した。見たこともない町並みだった。何本もの巨大な柱に巻き付くように道路があり、一軒一軒の住宅や店が生えているかのごとく柱の側面にへばりついている。地面はアスファルトではなく、ツルツルした謎の素材で全てコーティングされていた。道を往来するのは、人々の他、三センチほど浮いて移動している車や丸型のロボットだ。
近未来的空間だが、看板や施設のカラフルな色彩にはどこか80年代のようなレトロさも感じた。
「まさか異世界転生ってやつ? え、私、死んだ?」
トラックに撥ねられた覚えはない。ならば本棚の角にでも頭を打ったのか? 美空は回らない頭で考え、ふと自分の格好に目を落とした。
「げっ」
思わず声が出た。ラブアンドピースとでかでかプリントされたTシャツに、下は高校時代のジャージ。片付けで動き回るため、汚れても大丈夫な服を選んでいた。こんな格好ではコンビニすら行けない。しかも裸足だ。持ち物は、さっきつかんだ額縁入りの絵がひとつだけ。
しかしこれで転生の線は消えた。さっきまでの姿そのままなのだから。
「異世界召喚だとしても、呼び出したヤツ誰もいなくない?」
美空はキョロキョロ周囲に目を向けて、ハッとした。行き交う人にじろじろ見られている。先ほどからぶつぶつ一人つぶやきながら、ぐるぐる辺りを回っているのだから、奇怪に見られて当然だ。かあっと頭に血が上り、顔が真っ赤になる。
美空は何食わぬ顔をして、スタスタ歩き出した。行く当てはないが、これ以上変なものを見る視線を浴びたくない。
妙に平静で、パニックに陥っていないのは、まだ事態をのみ込めていないせいだ。単なる夢オチで終わる可能性もある。
「それにしてはリアルだけど・・・・・・」
何気なく空を見上げると、灰色だった。曇りとは少し違う。どういうわけか、辺りは晴れの日と同じぐらい明るいのだ。
翼のない飛行機のような形をしたバスが、道路を滑ってゆく。逆さまのタマゴ型のロボットがそこかしこを走り、時々立ち止まっては、消毒中というディスプレイを表示しながら霧を噴霧している。
小学生ほどの子どもたちが、ゴーカートらしきものに乗りながら笑い声をあげて道路を走っていった。
家族連れが、"ショッピングセンター"と看板の掲げられた建物から出てくる。買い物袋を吊り下げたドローンがお供だ。
「帰れなかったらどうしよう」
じわじわと足先から不安がたちのぼってくる。
そのとき、ふいに懐かしいイントネーションが耳に飛び込んできた。振り返ると、壁に寄りかかって電話する男性の後ろ姿が見えた。白銀の髪をしているので一瞬お年寄りかと思ったが、しっかりとした背格好を見て青年だとわかった。
「んだ。そういうわけで、もう少し時間かかるびょん。うん、終わったらまた連絡するや」
間違いない。この訛った話し方は、美空の祖父と同じだ。
声をかけてみるべきだろうかと、美空は悩んだ。
――日本をご存知ですか。ここがどこか教えていただけますか。
どう言葉にまとめたらいいか、さまざまな質問が頭に浮かんでは消える。人見知りが災いして二の足を踏んでいると、電話を終えた青年がくるりと振り返った。端末を操作するうつむき加減のその顔立ちは、日本人には見えない。美空がいっそう躊躇していると、ふっと青年が顔を上げた。
目が合って美空はドキリとした。深い海の青をした、きれいな瞳だった。思わず見惚れてぼーっとしていると、青年のほうが口を開いた。
「あのさ、君・・・・・・」
美空は我に返った。
「ごっ、ごめんなさい!」
とっさに逃げ出してしまった。裸足の脚を大きく動かして、人ごみの合間を走る。
「絶対やべー奴だと思われた・・・・・・」
こんな奇妙な格好をした女が無言で見つめてきたら、恐怖である。目が合ってからもしばらくぼぅっとしてしまったので、ガンを飛ばしているように見えてもおかしくない。
「いや、どう思われてもいいから、声かけてみるべきだったのかな・・・・・・」
元の世界につながる手がかりを得るチャンスだったかもしれない。人の目など気にしている場合ではないというのに。
◆
美空は悶々としながらあてどもなく歩を進める。
「・・・・・おっと」
段差につまづきそうになって顔を上げると、目の前が階段になっていた。今いる柱から隣の柱へとつながる、歩道橋だった。歩道橋はまるで水族館の水槽のように、筒状のガラスで覆われている。中には人だかりができているようだ。
興味を注がれて、美空は階段をのぼった。途中で『エトランロー展』と書かれた看板があった。ガラスに覆われた歩道橋は、画廊になっていた。人々がゆっくりと絵を鑑賞しながら通路を歩いている。
「この絵・・・・・・」
絵を見上げて、美空は言葉を失った。
まさかそんなことがあるはずない。震える手を、思わず一枚の作品へと伸ばす。
「ちょっとアナタ、展示品には手を触れないでください」
隣に立っていた片眼鏡の男性にとがめられて、美空はハッと手をひっこめた。
「すみません、あの、この絵・・・・・・誰が描いた絵ですか?」
燕尾服姿に片眼鏡の男性は、信じられんという顔で目を見開く。
「ご存じないんですか、エトランローですよ、エトランロー。あの正体不明の画家! 一年に一度、必ず新作展をすること以外、なーんにもわからない伝説の人です。見てください、この幻想的で神秘的な世界観を。みんな毎年楽しみにしているんですよ」
「幻想的で神秘的?」
よく晴れた青空の絵、海に浮かぶ白いヨットの絵。木洩れ陽の揺れる森、夏の田んぼ。
確かに美しい絵だが、美空にとっては日常的に目にする光景の風景画だ。幻想的、という表現は大袈裟な気がする。
「あっ、アナタその絵どこから取ったんです! ダメですよ、警備員を呼びますよ?」
男性は、美空の手にある額縁をのぞき込んだ。
「違います! これ、私のおじいちゃんが描いた絵なんです」
まずい。美空は手を必死で振った。
「アナタのおじいさんが? ・・・・・・確かにこの画廊は、展示品に触れたりすれば、ガラスの通路の両出口にシャッターが降りるセキュリティシステムになっている。それに、その絵はエトランローのものによく似ていますが、目録にはこんな作品は存在しない」
うっかり絵に触れなくて良かったと、美空はドッと冷や汗をかく。
男性は片眼鏡の位置を直し、ますます美空の手元の絵に顔を近づけた。
「むむ、この構図、表現、色彩・・・・・・それにこの署名。そんなまさか! この絵は本物のエトランローである可能性が非常に高い! エトランローに関しては右に出るものはいないと自負する美術評論家のこのワタシが言うんです。ではまさか、アナタのおじいさんがエトランローなのですか! アナタは、エトランローの孫娘?」
「まだそうと決まったわけじゃ・・・・・・」
自信なくつぶやいたが、一目この画廊の絵を見た瞬間に、美空も同じことを思った。ここに展示品された絵の全ては、美空の祖父が描いたものに間違いないと。
祖父の名は江藤蘭太郎という。
江藤蘭太郎、エトウランタロウ、エトランロー。
ただの偶然にしては出来すぎている気がした。
「どんな方なんです、エトランローは。ああ、この繊細なタッチからして女性の可能性も考えていましたが、男性だったのですね! しかしこの、絵全体からあふれる温かみは、人生経験を長く積んだ者でなければ出せないのかもしれない」
美術評論家は興奮してまくしたてる。声がどんどん大きくなり、周囲の人たちが何事かとこちらを見た。
「あ、あの、もしかしたら私の勘違いかもしれないですから」
どうにか落ち着いてもらおうと、美空が言葉を探していると、急に腕を誰かにつかまれた。驚いてそちらに目をやると、ハンチング帽をかぶった男性と、ワンレンの髪をした女性のコンビがいた。その手にはメモ用紙と鉛筆が握られている。
「ねえ、今の話本当? エトランローのお孫さんなの?」
「あ、僕たちは新聞社のものなんだけど、少しでいいからお話聞かせてもらえないかなぁ?」
気がつけば美空は人に囲まれていた。
これはとんでもないことになった・・・・・・。
追い込まれると、人は思いがけない力を発揮するらしい。ガッチリつかんだままの新聞記者の腕を振り払い、美空は周囲の人々を押しのけてその場からの脱出をはかった。
踏み外しそうになりながら、必死で歩道橋から階段を降りてゆく。
その美空の背中に向けて、美術評論家の声が降ってきた。
「お願いします、もしも本当にエトランローを知っているのなら、伝えてくれませんか! 次の作品を心待ちにしていると!」
ほぼゲストキャラのストーリー進行で一話が終わってしまいました。
次回はバロンが活躍する予定です。
エトランローの絵を狙ってやってきた泥棒バロンと、うっかり迷い込んだだけのエトランローの孫、美空が出会います。