二人は人通りの多い商店街をゆったりと歩きながら会話した。いつまでも同じところにいて、先ほどの強盗たちに追ってこられても困る。人ごみの中に紛れてしまえば、奴らも手出しが難しいだろうという算段だった。
ガヤガヤとした雑踏の中で、バロンの話に耳を傾ける。
「世界ってのは、本当はたんげあるんだ。パラレルワールドみたく、ほぼ同じに見えて微妙に何かが異なる世界や、違う歴史をたどったことで枝分かれした世界、そもそもの成り立ちからまるで違う世界・・・・・・・一人の人間だば到底すべて把握しきれない数が存在する。そして、自由自在に異世界を行き来できる能力を持つ『異世界移動能力者』がいるんだ。それが俺や美空ちゃんのおじいちゃん」
「おじいちゃんが、異世界移動能力者?」
のっけから切り込まれて、美空はピタリと足を止めて聞き返した。うすうす感じ取ってはいたが、改めてはっきり告げられると信じがたいものがある。
「おじいちゃん・・・・・・・そんなこと、一言も教えてくれなかった」
大の仲良しだった祖父に秘密にされていた事実は、少しさみしかった。美空がしょんぼりすると、バロンが補足した。
「異世界管理局ってところが、法で定めてらんだ。異世界移動能力を持たない者さは、たとえ家族であっても異世界の存在ば教えればまいねって」
「異世界にも法とかあるんだ。・・・・・・えっ、待って。それなのにこんなところで堂々と喋っていいの?」
美空は焦って周囲を見渡したが、バロンは笑って言った。
「だーいじょぶ、大丈夫。かえって堂々と喋ってるほうが気づかれねぇもんだし、聞こえたとしてもなんのことだかわがらねぇよ」
確かに、商店街を行きかう人々はそれぞれ自分のことに集中している。食料品店や洋装店、本屋などの軒先で、誰もが品定めや連れとの会話に夢中だ。美空たちにわざわざ目を向ける人物など、いそうもなかった。
納得して、美空たちは再び通行人に紛れて歩き出す。
「あれ? でも私は異世界移動能力なんて持ってないのに、この世界に来れたよ」
「この世界さ来るとき、どこを通ってきたか覚えてる?」
「おじいちゃんの家の本棚が、からくり扉みたいになってた。そこを通って気が付いたらこの世界にいたの」
美空は思い出しながら言った。赤や青の風船を握った子どもたちが、はしゃぎながら脇を通り抜けてゆく。
「あー、そりゃ多分、おじいちゃんが開きっぱなしにしてた”ゲート”を通ってまったんだな」
「ゲート?」
「うん、異世界移動能力は瞬間移動みてぇにどこでも好きな世界へ行けるわけでねぇんだ。“ゲート”って呼ばれる、異世界への出入り口ばまず探さねーば。例えば、トンネルだったりマンホールだったり、用具入れの扉だったり・・・・・・ゲートとして使える場所は、能力者が見ればすぐわかる。で、普通なら単純にトンネルやマンホールでしかないものを、能力者はゲートとして開く。そうして異世界さつながるんだ。能力者が開いといたゲートは、一般人でも通れば異世界さ行ってしまう。まれにゲートが自然発生することもある。いわゆる神隠しなんかは、そうやって偶然開いたゲートから異世界に迷い込んでまった例も多いんだ」
どこかでガランガランと鐘の鳴る音がした。キャンディー売りのワゴンの形をしたロボットが、商店街を自走しながら、人集めのために鳴らしているらしい。
バロンの説明を頭の中でじっくりかみ砕いて、美空はゆっくりと口を開いた。
「そっか・・・・・・。おじいちゃんは、自分の家の中に異世界への扉を隠しておいたんだ。そうして、この世界へやってきて、エトランローとして絵を描いていたってことなのね?」
「んだ。ただ、もうひとつ大事なことがあって・・・・・・・あ、ちょっと待って」
急に立ち止まったバロンは、近くの日用雑貨店らしき店に小走りで入ってゆく。五分ほどして、手にサンダルを持って戻って来た。
「はいコレ。家ん中から突然こっちに来てまったはんで、ずっと靴なかったっしょ?」
「あ、ありがとう」
革でできたシンプルなサンダルだ。少し大きいが、ようやく裸足でなくなり落ち着くことができた。
ほっと気が緩む感覚と同時に、安心したせいだろうか、美空のお腹が盛大になった。たちまち真っ赤になった美空を見て、バロンはからっと笑う。
「ちょうどいいや。靴も手に入れたことだし、どっかで何か食べるか」
◆
二人は商店街の端にある最寄りのレストランへ入った。高い吹き抜けの天井にはファンライトが回っていて、おしゃれな雰囲気だ。席ごとにパーテーションで区切られた空間は半個室のようで落ち着けた。
店の中央の柱には大きな時計がかかっていた。何気なく目をやって、美空は驚く。
「えっ、十時?」
祖父の家にいたとき、すでに正午を回っていたはずだ。
「異世界だからね、時差があんのよ。日本時間じゃ、今午後二時半ぐらいかな」
ちらりと腕時計に視線を落としてバロンが答える。どおりでお腹が空くはずだと美空はうなずいた。
メニュー表を開いたが、よくわからない単語ばかりが並んでいた。
『スクランブルエッグ風タンパク質合成 加水式』
『ステーキ 人工肉 放射線照射済』
『ほうれん草風スープ ビタミン六種配合 温度安定式』
美空は首を傾げながら、バロンが頼んだのと同じものを注文した。合成サーモンステーキ・付け合わせブロッコリー風と、オニオン風スープ。
「驚いた?」
料理が出てくるのを待ちながら、頬杖をついてバロンが言う。
「うん。合成とか人工とか何々風とか、どういうこと?」
「美空ちゃんは気づいてら? この町には空がない」
美空は黙って目を見開く。あの灰色の天は、そもそも空ではなかったのか。
「この国全体が、巨大なドームで覆われてらんだ」
「何のために?」
なんとなく、良い理由ではないことを察しながらも美空は聞く。
「この世界では、五百年ほど前に大規模な科学事故があった。それ以来空気も土壌も全て汚染されている。その有害物質から逃れるために、人々がシェルターの中さ国を作ったんだ。シェルター内には常に浄化した空気や水を送り続けることで、人間の健康が保たれてる。だから、太陽の光も雨も届かない。さっき見た池も人工物だ。植物は自然に育たず、動物も大半の種が絶滅した。その中で、活用できる有機物だけで味を再現した、もどきの食事がこの世界では主流だんだ」
「こんなに豊かな国に見えるのに・・・・・・」
「ここまで豊かさなったのは、割と近年になってかららしいよ。今も貧しい国の人間は、シェルターの外で生きてる。その人たちの平均寿命は三十歳だ」
そんなのひどいと言いかけて、美空は口をつぐんだ。自分の生きる世界にも、紛争や貧困で苦しむ人々がたくさんいる。それを棚に上げて、この世界のことを非難する資格はないと思った。
配膳用のロボットが音もなく静かに席へ現れる。テーブルに並べられた料理を見て、美空は息を吸い込んだ。
サイコロのようにキューブ状のサーモンに、緑のペーストが敢えてある。スープは見覚えのある姿をしているが、クルトンも玉ねぎのカケラも入っていない。
「ディストピア飯って思った?」
バロンがにやりと笑った。片方の目だけがキュッと猫のように細くなるその表情は、まるでいたずらっ子だ。美空のリアクションを楽しんでいる。
「そんなことは・・・・・・・。いや、思った・・・・・・」
ごちそうしてもらう身で失礼なことは言えないとためらった美空だが、結局は正直に言った。バロンが声をたてて笑う。
「でも結構イケるよ。最近は味の改良も進んでるから」
美空は恐る恐るサーモン風キューブを口にした。ほろほろと口の中で崩れ落ち、鮭の旨みと塩気が広がる。緑のペーストも、ブロッコリーらしい歯応えは味わえないが味は本物そっくりだ。オニオンスープは、インスタントのような味ではあるが、十分おいしかった。
「クセになる味かも。意外と、っていったら失礼だけどおいしい」
お腹が空いていた美空は、最初の戸惑いも忘れて食べ進めた。
「だべ? 安いファストフードとかカップ麺とか無性に食べたくなる感じするよな。まあ毎日食べてれば絶っ対ぇ米と味噌汁欲しくなりそうだけど」
美空は顔を上げて、前々から気になっていたことを尋ねた。
「バロンって、日本の人なの?」
「ん? 俺?」
きょとんとして、バロンが自分の顔を指差す。美空はうなずいた。腕組みをして少し考えてから、バロンはまばゆい笑顔で言い放った。
「あんまし自分が何人だとか深く考えたことねぇな!」
「そ、それでいいの・・・・・・?」
「何人だとかどこの国の人間だとか、そんなことは俺にとっちゃ大した問題でねぇんだ。育ててくれたおばあちゃんが日本人だったから、一番影響は受けてっけどね」
フォークでぐさりとサーモンキューブを刺し、ああそうだとバロンは再び顔をあげる。
「今ので思い出した、さっき言いかけたもう一つの大事なことってヤツ。美空ちゃんのおじいちゃんはさ、日本人じゃなくて、元々こっちの世界の生まれなんだ」
「えっ? 嘘でしょ?」
美空は思わず立ち上がった。スプーンが派手な音を立てて床に転がる。
「あららら、スプーンが。スタッフー!」
一台の配膳ロボットが近づいてきて、バロンが拾い上げたスプーンを受け取った。すると、下部の引き出しが自動で開いて新しいスプーンが渡された。
「賢いロボットだな」
のんきにロボットに関心しているバロンに、美空はテーブルに手をついて詰め寄った。
「ねえ、どういうこと? だっておじいちゃんは確かに日本人だった!」
「落ち着きなよ。まぁ座って座って」
バロンのノンシャランな態度に、鼻息を荒くして美空は席に着く。
「エトランロー氏の身体的特徴は、日本人とさして遜色なかった。だから移住先に日本ば選んだんだ。エトランロー氏は十六歳までこの世界で生きたあと、異世界で暮らすことを決めたらしい。今から六十年以上前だから・・・・・・・そのころはまだ発展途上で、かなり苦労ある生活だったんでねぇかな。それこそ、異世界に移り住みたいって思うぐらいにはね」
それが本当だとしたら、自分は異世界の血をひくクォーターということになる。美空は呆然とバロンを見つめた。
「でもエトランロー氏は、ずっと罪悪感を持っていたらしい。故郷である世界を捨てて、自分だけが空や海、豊かな自然のある国へ移り住んだこと。せめて自然の美しさを伝えたいと思ったみてぇだけど、異世界の写真を見せるのは法に触れる。だから絵を描くことにしたんだ」
「あ・・・・・・、この世界の人が言っていた幻想的で神秘的な絵って、そういうこと・・・・・・」
美空にとっては当たり前の景色でも、彼らにとっては見たこともない幻の景色なのだ。
「そう。んだから、この世界の人たちにエトランロー氏の絵は大ヒットした。エトランロー氏も、みんなが楽しみにしてるのを知ってらから、必ず年に一度は新作展を出してらんだ。でも今年はそれがない。そしたら、異世界新聞のお悔やみ欄に彼の名前が載ってるのを見つけたんだ。彼は異局の登録者だったからね。もしかしたら、エトランロー氏が生前に残した絵があるんでねぇかと思って、俺は君を探してらんだよ。エトランロー氏のアトリエがどこにあるか知ってるんじゃないかと思って」
「そういうことだったんだ・・・・・・」
美空は小さくうつむいてつぶやいた。
自分は祖父のことを何も知らなかった。
手の中のカップに残ったオニオンスープの水面を見つめる。一口ごくりと飲み込んで、美空は再びバロンを見た。
「ごめんなさい。私、おじいちゃんがそんなにたくさん絵を描いてたことすら知らなかった。だから、アトリエがあるかどうかすらわからないの」
「うん。多分、そうだろうなとは思ってらんだ。でも君と話ができて良かったよ」
なんの役にも立てなかったことには心がちくりと痛んだが、バロンは気にした風もなくおだやかに笑っている。美空はホッとして、テーブルの隅に置いていた絵に目を向けた。
「でも、おじいちゃんの絵にどのぐらいの価値があるの? さっきの強盗たちは五千カロとか言っていたけど」
美空は残っていたスープを一気にあおった。
「うーん、そうだな・・・・・・・五千カロっつったら、日本円で大体二千万ぐらいかな」
「ヴッ」
あやうくスープを吹き出すところだった。ギリギリのところで口をふさいで抑える。
「そ、そ、そんな・・・・・・そんなわけ・・・・・・」
全身がガタガタと震えた。寒くもないのに震えが止まらなくなる体験をしたのは初めてだ。
「あっはーははは、ナイスリアクション」
「笑いごとじゃないよ! えっ、何? 冗談なの? だってそんな大金・・・・・・おじいちゃんはそこまでお金持ちに見えなかったんだけど」
「んだ。美空ちゃんのおじいちゃんは、絵を売って得たお金は一銭たりとも自分のためには使わねがったらしいよ。全額、ドームの外で生きる人々のために寄付してた」
美空は黙り込んだ。複雑な感情が全身を濁流のように駆け巡った。
「・・・・・・おじいちゃん、そんなに立派な人だったんだね。すごく、誇らしい」
にっこり笑ってそう言ったのに、次の瞬間に笑顔が崩れた。
「どうした?」
美空のくもった表情を見て、バロンが聞く。そのとたん、頬が引きつり、言うはずではなかった言葉が口をついた。
「・・・・・・急に情けなくなって・・・・・・。家族みんな優秀なのに、私だけがずっと落ちこぼれ。両親も、世間に誇れる学歴で、大手の会社に勤めてて・・・・・・。それなのに私だけ、なんにもないの。おじいちゃんだけは、自分は小学校も出てないんだぞって、気にするなって笑ってくれてた・・・・・・・けど・・・・・・。なんで私だけみんなみたいに立派な生き方できないのかな。私は、普通に会社で働いているだけで毎日精一杯・・・・・・それだけで、もう、しんどい」
ずっと抱いてきた自己嫌悪。それが急に胸の奥から飛び出してきてしまった。身近な人のあまりに偉大な姿、それがとどめになったらしい。
しかしバロンは、けろっとした口調で言った。
「別にいいじゃん。世間から見て優秀かどうかなんて。美空ちゃんは、それだけ一生懸命がんばってらんだから」
美空が重苦しく抱えていたものを、あまりにもサラリと受け止めるものだから、胸がスッと楽になったような気がした。祖父本人がいたら、きっとこんなふうに言ってくれたに違いない。そう思ったとたん、美空の目にぶわりと涙が浮かんだ。
「わ、私、ちょっとトイレ!」
「いっといれ。あっ、トイレはそっちでねぇよ」
美空はあわてて立ち上がり、バロンが指さした方向にあったドアへと駆け込んだ。
両開きのドアを入ってすぐ、目の前には大きな鏡と洗面台。右側に女子トイレ、左側に男子トイレ。
美空は洗面台に手をついて、深呼吸をして心を落ち着かせた。視線をあげると、鏡の中には少し目が赤くなった自分の顔。凡庸な顔立ちに、伸ばしっぱなしの髪。ヘンテコなファッション。
「・・・・・・はは」
滑稽さに小さく笑って、美空は涙をぬぐった。
がんばってなどいない。自分は大した能力もないし、人に誇れるほど努力もしていない。
仕事だって、確かに繁忙期なんかは残業が続くこともあるが、世にいうブラック企業の基準からはほど遠い。特別いじわるな人だっていないのだから、むしろ恵まれているほうだと思う。
ただひとりずもうしているだけだ。電話応対のあと、粗相がなかったか自分の受け答えを心配してみたり、上司や先輩にチェックを頼みに行く際、相手の顔色をうかがいすぎて疲れたり。そんな些細なことを積み重ねて、一人で勝手にしんどくなっているだけなのだ。
「おじいちゃんはすごいなぁ」
つぶやいて、もう一度頬の涙をぬぐう。
自分にはとてもそんな行いはできそうもない。こんな孫でごめん、という想いが湧いてくる。
「でも、おじいちゃんのこといろいろ知れてよかった」
声に出して、自分で納得した。そうだ、これでいいのだ。自分には異世界移動能力などないのだから、あとはもうこの世界へ来ることもないだろう。祖父の家だってもうじき取り壊される。それからはいつも通り、東京の日常へ戻るだけだ。二年目だというのに、大して会社の戦力になっていない気がする。早く戻って、せめて周囲に役立つ人間ぐらいにならなければ。
「・・・・・・・よし」
鏡の前で頬を叩き、美空は気合を入れなおした。
さあ早くこの世界から出なければ。そう思いながら美空は両開きのドアを押し開けた。
目の前が青白く光った。