なかば引きずられながら、美空は先ほど兄弟が会話していた書斎まで連れ戻された。
「兄貴! こいつは異世界移動能力者だった! 非能力者なんて嘘だ!」
美空なりに抵抗するが、それなりに体格の良い大の男には痛くもかゆくもないらしい。どれだけ暴れても美空をつかむ手がゆるむことはない。
「そいつは面倒なことになったな・・・・・・」
おもむろに、ライティングデスクで腕を組んでいた兄が立ち上がる。デスクをぐるりと回って、美空の目の前に立ちはだかった。
「恨みはないが、お前には消えてもらわなければならない。異世界管理局にわずかでも我々が疑われる情報が漏れては困るんだよ。これでもそれなりの役職についていてね、上層部からの信頼も厚い。それに亀裂をいれるわけにはいかない」
局員は、おだやかな微笑みを浮かべてそう言った。オールバックにした白髪交じりの茶髪、優し気な茶色の瞳。まさに紳士といったその風貌は、確かに、何も知らなければ好感をもてるだろう。いかにも周囲の人々から慕われそうだ。
しかし、そのことがかえって美空の心を冷え切らせた。ぞっとするような気持ちになって、美空は彼を見返した。
―――世間の目に映る姿ばかりを気にして生きるということは、究極、こういうことなのだ・・・・・・・。
彼の姿が、自分自身と重なった。
上っ面ばかり取り繕って、中身の誠実さなどどこにもない。自分の保身をするばかりで、そこには何の信念もない。
だからこそ脆く、むなしい。
ずっと抱いてきた心の空洞の正体を、まざまざと見せつけられたような気がした。
「・・・・・・あなたたち、むなしくないの?」
美空はまっすぐ目を見つめてそう告げる。
「どういう意味だ」
今の今までおびえていた女の急な落ち着きように、さしもの彼も面食らったらしい。紳士の仮面にわずかな亀裂が生じた。
「・・・・・・わけのわからないことを言って、時間を稼ごうとしても無駄だ。もういいだろう。迷いこんだ非能力者は、不幸にも異世界にて事故に巻き込まれて死んだ。そういうことにしようじゃないか。残念だがこの際絵はあきらめよう」
冷酷な瞳になって、兄のほうが弟へと鞘付きの短剣を放り投げた。
弟が鞘を抜くために手を離したので、そのすきに走り出そうとしたが、すぐさま兄が美空を羽交い締めにした。
抜き身がぎらりと光るのを見て、美空は観念した。
もう、だめだ。・・・・・・こんなことなら、もっと自由にやりたいことをやればよかった。大人になってからだって、やろうと思えばできたじゃないか。ピアノだって、絵だって。どうしてそれらを人生の無駄だと思い込んだんだろう。結果にならないものは無意味だと思ったんだろう。今になって、こんなに後悔するなんて・・・・・・。
そのときだった。
「イヤッハアァァァー!」
奇声とともに、部屋の窓ガラスが突然割れた。何者かの影が勢いよく部屋に飛び込んでくる。
「Woo-hoo!」
陽気な叫びとともに、ライティングデスクの真上に着地したのは、バロンだった。
バラバラと降り注ぐガラスの破片が太陽の反射で輝く中、美空は声もなく彼を見上げる。
外の樹木からこの屋敷の壁までワイヤーを渡し、それを滑り降りてここに飛び込んできたらしい。
「オーディ兄弟、おまえらが噂の非能力者狩りか。非能力者が異世界へ関わる力がないのを良いことに、家まで送り届けた手数料だのなんだのと、不正に金や財をせしめる悪徳異局員! さしずめ、美空ちゃんからはエトランローの絵を奪いとる算段だったんだろう」
デスクの上で仁王立ちし、王様のようにバロンは言った。訛りのない口調だった。
「な・・・・・・、なんだ、おまえは! 何者だ!」
オーディ弟が、驚きに声を震わせながら叫ぶ。
「俺? バロン!」
バロンが笑顔で言い放つと、オーディ弟が今度は怒りに声を震わせ叫んだ。
「名前を聞いてるわけじゃねぇ!」
「わかってるよ、冗談冗談。俺は異世界中を飛び回る大泥棒だ。美空ちゃんをいただきに参上っ」
そう言って、ひらりとデスクから飛び降りる。
「泥棒・・・・・・?」
衝撃を受けたのは、悪徳兄弟二人だけではない。美空も同じだった。
「じゃあ・・・・・・じゃあ、あなたも最初からおじいちゃんの絵を狙っていたの?」
美空がショックをかくせず、目を見開いて問うと、バロンは悪びれずに答えた。
「そうだよ。黙っててごめんね、美空ちゃん」
「はっはっは!」
笑い声をあげたのは、オーディ兄だ。
「泥棒か。ならば話が早いじゃないか。要は、金なんだろう? やはり、彼女からはアトリエの場所をどうしても聞き出すこととしよう。それで得た金の半分は君にやる。どうだ? 悪い話ではないだろう。お互い闇の世界の住人、手を組もうじゃないか」
オーディ兄は勝ち誇った笑みを浮かべている。しかし、バロンは不遜な態度だった。背後のデスクに肩肘をついて、だらしなく寄りかかる。
「いや、別に金はいらない。俺ほどの泥棒ともなると、そんなもんはいくらだって盗み出せるんだ。でもいつでも手に入るって思うと、逆にそんなに欲しくならなくね?」
オーディ兄の表情に困惑の色が浮かぶ。
「金がいらない? じゃあ・・・・・・なんだ。貴様はなぜ、エトランローの絵を狙う」
「ただ見てみたいんだ。エトランローが最後に残した絵。それに、どんな名画だって価値を知られず扱われれば、たちまち歴史の波にのまれて失われることがある。そうなる前に、世に放つのさ」
「犯罪に手を染めておきながら、ただ絵が見たい? 名画が失われないよう世に放つ? 虫唾の走る言い分だな・・・・・・義賊のつもりか貴様!」
紳士らしさを完全に失い、こめかみに血管を浮き上がらせながらオーディ兄は叫んだ。しかしバロンはにっと笑った表情を崩さなかった。ゆっくりと、デスクに寄りかかっていた体をまっすぐに戻す。
「義賊? そんなもん、これだけ複雑化した世じゃ成り立たないぜ。一方から見れば正義でも、もう一方から見れば罪。すべての人間が善と賛同したように見えたとしても、時代が流れれば悪にもなりうる。真にあるべきところなんか、本当はだれにもわからない。なのにそれを公然と『義』と称して、犯した罪を正当化するのは傲慢ってもんだよ。・・・・・・だから俺の代で終わらせたんだ。今の俺は、ただ魂が動く方向へ、楽しく自由に生きるだけの単なる悪党さ」
深い海のような瞳。変わらない笑顔のまま、そのまなざしだけが強く、より色濃く見えた。それに気圧されて、しばし誰も何も言わなかった。
しかしオーディ弟が、腰にしのばせた銃にこっそりと手を伸ばしていることに、美空はハッと気が付いた。
バロンを撃つ気だ!
オーディの兄も弟も、バロンに気を取られて、美空への注意はそがれている。
考える間もなく、反射的に美空は飛び出していた。全体重をかけてオーディ弟に体当たりする。
「ぐわっ!」
ひ弱な美空の攻撃であっても、この不意打ちは効いたらしい。オーディ弟が床に倒れ、手にしていた銃が床をすべる。
美空はそのまま、走ってバロンに飛びついた。
「やるぅ、美空ちゃん」
楽しそうにバロンは言った。見上げて、美空もほほ笑んだ。
「バカな女だ・・・・・! そいつは泥棒だぞ。対して我々は異世界局員だ。おまえを泥棒の仲間として告発することだってできるんだ!」
「その前に、おまえらの悪事をバラすに決まってんじゃん」
バロンの返答に、オーディ兄の乾いた笑いが響く。
「誰が泥棒のいうことを信じる? おまえに社会的信用があると思うか? どう考えても、周囲が信じるのは我々の言い分だ!」
「私が伝えるわ!」
間髪おかず美空は叫んだ。
「私が他の局員の人たちに訴える。誰がなんて言ったって、私はバロンを信じるもの!」
否定されることが怖かった。だから本心を隠して表面だけを磨こうとして生きてきた。
・・・・・・でも、すべての人に受け入れられなかったからといって、認められなかったからといって、それが一体何だというのだろう。
自分の真実を最も知るのは、自分自身なのだ。生きる道は、自分の信念にもとづいて選ぶ。
「ありがとう、美空ちゃん。ほいっ」
やにわに、バロンが野球のピッチャーのようなフォームで何かをオーディ兄弟に投げつけた。
BOM!
アニメの効果音のような爆発音。辺りが真っ白な煙に包まれる。
軽く咳き込みながら美空が顔をあげると、少しずつ晴れてゆく煙幕の中に、立ち尽くすオーディ兄弟が見えた。
しかし、髪はちりちりの巨大なアフロ、体中は煤まみれという、およそコメディでしか見ないような姿に成り果てている。
「何を投げたの?」
「ギャグマンガ爆弾!」
得意げにバロンが答えた。
「とある異世界で、子どものあいだで流行ってらおもちゃだ。投げると煙が出て、当たったやつがまるで爆弾食らったギャグマンガみたいな姿になる。それさ俺が改良加えて、しばらくのあいだ痺れるようにしたんだ。十五分は動かれねぇびょん!」
口調がすっかり戻っている。でも美空にはこっちのほうがずっと親しみやすかった。
「・・・・・・・確かにこっちでガラスが割れる音が・・・・・・」
「でもこの先は立ち入るなと・・・・・・・」
「いやしかし何かあっては・・・・・・」
「旦那さまー! 入ってもよろしいでしょうか!」
途切れ途切れの声が、こちらへ近づくにつれてはっきり聞こえてくる。屋敷の使用人たちだ。
「それ逃げろっ」
わくわくするのを抑えきれない調子でバロンが言い、美空をひょいと抱え上げた。窓付近の床にはガラスが散乱しており、素足の美空が歩くには無理そうだ。
粉々に砕け散りほぼ枠だけになった窓を押し開けて、ひょいと桟の上に飛び乗る。
片手で美空を抱えたまま、バロンは懐から出したピストルを樹々へと向けた。
パシュ、と空気を切る音とともに、細いワイヤーが銃口から飛び出す。ワイヤーの先には丸い重りがついていて、ぶつかった木の枝に遠心力でぐるぐる巻きついた。
ワイヤーのもう片方の先、つまりピストル部分は変形するとクサビと滑車に分解された。クサビを壁に強く突き刺して固定する。
「しっかりつかまってて」
言われて、美空はあわててバロンの肩にしがみついた。バロンは片腕で滑車にぶら下がり、勢いよく床を蹴った。
地上三階の高さから、百五十メートルは離れた樹木までを走る人間ロープウェイ。命綱もない、生身の状態で全身に風を受ける。
視線を下に向けると、はるか遠くに地上が見えた。むき出しの足が宙に浮き不安定に揺れている。
恐ろしいはずなのに、気がついたら美空は大声で笑っていた。目と鼻の先でバロンも笑っている。
心拍数が上がり、全身が脈打つ。そのたびに体中にエネルギーが充満するようだった。指先、足先にまでドクドクと熱い血がめぐるのがわかる。
生きている実感を、今、すべての神経で味わっていた。
私――狂ってる。そう思いながらも、美空はこの瞬間を心の底から楽しんでいた。
木までたどり着くと、バロンは幹を軽く蹴って体勢を整えた。サルのように枝から枝へと身軽に飛び移る。木々が揺れ、しなった枝からパラパラと葉が落ちる中、バロンは地上へときれいなフォームで着地した。ゆっくりと美空を地面に降ろす。
「おもしろかった?」
片目をきゅっと細める、いたずらっ子の笑みでバロンが聞いた。
「うん!」
思わず美空も正直に答え、二人で顔を見合わせてまた笑った。
◆
ふと、辺りが騒がしくなっていることに気がついた。屋敷の正面のほうだ。
「おっ、今回は早がったな。異局の連中だ――今度こそ、ちゃんとしてらとこのね。俺が呼んどいた」
二人で声のするほうへ近づいてゆくと、すぐにその姿が見えた。リーダーらしき男性を中心に、十名ほどの局員が玄関前に集まっている。
「美空ちゃん、あの人たちさオーディ兄弟のこと伝えてける? そのあとで異局が美空ちゃんを家まで送ってくれるはずだ。あ、もし俺のこと聞かれたときは、泥棒が絵を狙って近づいてきたけど、アトリエの場所を知らないって言ったら逃げ出したとでも言っときゃいいよ」
美空は急に心配になって、バロンの顔を見上げた。
「バロンはどうするの?」
「俺は異局の前さ出てくわけにはいかねぇもん。今日のところはこれでトンズラさ」
風が吹き、バロンの銀髪が木漏れ日に透けて光る。木の葉ずれの音の中、美空は声を大きくして言った。
「でも、これでお別れなんてそんな・・・・・・まだ何のお礼もできてないのに!」
「なんもいいんだ、礼なんて。最初っから最後まで俺が好きでやったことだ。ほら、早く行かないと、異局員たちが屋敷に踏み込んでまるや」
美空はうろたえた。確かに、異局員たちは今にも屋敷の扉を叩きそうだ。
「・・・・・・バロン、ありがとう!」
一言叫んで、美空は玄関前の異局員たちのもとへと駆けだした。一瞬だけ振り返ると、さざめく森の中で、バロンが笑顔で大きく手を振っているのが見えた。
異局員たちは、走ってくる美空を驚いた顔で出迎えた。美空が事のあらましを伝えると、リーダー男性は顔色を変え、「オーディ兄弟め、前からどこかうさんくせぇ奴らだとは思っていたんだ」といきどおった。
オーディ兄弟は、屋敷へ踏み込んだ異局員たちの手ですぐさま逮捕された。
美空も保護され、正式な異世界管理局の施設へ案内された。そこでオーディ兄弟に関する聴取を受けたが、知っていることなど微々たるものなのですぐに終わった。その際、知らぬ間にオーディ兄弟に奪われていた祖父の絵も無事に戻って来た。
しかし、美空が異世界移動能力をもっていたために、登録やらゲートの使い方やら、異世界に関する法律やらで、そこからさらに長時間の説明を受けるはめになってしまった。
クタクタになって祖父宅に帰ってきたころには、すでに深夜。
疲労と睡魔で夢うつつの中、かろうじてシャワーだけを浴び、美空は泥のように眠った。
次回で完結です。