「美空ちゃん、美空ちゃん」
呼ばれて、美空は目をこすった。風鈴と潮騒の入り混じった音色。
せっかく片付けのために朝起きたのに、結局疲れが取れずいつの間にか寝てしまったらしい。海辺の縁側は最高のお昼寝スポット。吹いてくる海風が心地よい。
「・・・・・・・ん?」
今この家にいるのは自分一人のはず。思い出した美空は、はっと目を開けた。
「あ、やっと起きた」
庭先にバロンが立っていた。仰向けに転がる美空の顔をのぞきこんでいる。
「ウワーッ!」
「そった化け物でも見だみてぇに」
言いながら、バロンはかはかは笑った。
なんでこんなところにバロンが。上体を起こし、のけぞった体制のまま美空は言葉を失った。今朝起きた瞬間から、昨日のことは夢か幻だったのではとすら思っていたのだ。
「美空ちゃんのおじいちゃんのアトリエのことで、思い当たるふしがあんだ」
「思い当たるふし・・・・・・? でも、アトリエってどこか遠い異世界とかにあるんじゃ」
「美空ちゃんのおじいちゃんが描くのは、この世界の自然風景だぜ? したらわざわざ他の世界さアトリエ持たないっしょ。灯台下暗し、たぶんこの家のどっかさあるよ」
美空は八の字まゆになって、家の中を見渡した。ずっと片付けているが、そんな場所は見当たらない。
「美空ちゃんが異世界へ飛ぶときに使ったっていう、本棚に仕込まれた隠し扉。あれ、そのあと開けた?」
「ううん。少しはゲートの使い方の感覚はつかめたけど、まだちゃんとコントロールできるわけじゃないし。また異世界に飛んだら困るから、あのあとは触ってない・・・・・・・あ」
美空は気が付いた。美空がゲートを開いたトイレのドアや鏡。それらは”ゲートとして使うなら”異世界の出入り口となるが、そうでなければ単なるドア、単なる鏡。だとすればあの隠し扉は、ゲートとして使わなければ、どこに通じる?
黙り込んだ美空を見て、バロンがにやっとした。
◆
「じゃあ、やってみるね」
美空は深呼吸し、本棚へ触れる。いまだにこの扉は、祖父が開いたゲートの状態になっているのだ。ゲートの開き方と閉じ方は昨日、異世界管理局で教わった。
目を閉じて、集中する。慣れればこれほど意識しなくても、扉を開閉するのと同じぐらいかんたんにゲートの開け閉めができるようになるが、今の美空にはまだ時間が必要だ。
ゆっくりと指先にふしぎな力が流れてゆく感覚があり、本棚からゲートの気配が消えた。
「よし、できた」
本棚に手をかけ強く押すと、何かがガタンと外れる音。本棚を半回転スライドしながら開くと、そこには地下への階段があった。
バロンが懐から取り出したライトで足元を照らす。一歩ずつ階段を降りながら、美空は胸がドキドキするのを感じていた。
一番下まで降り立ったとき、辺りは真っ暗で何も見えなかった。階段脇の壁にスイッチがあったので、押すと、カンカンと音を立てながら蛍光灯がついた。
「わぁ・・・・・・!」
思わず美空は声をあげた。辺り一面、絵で埋め尽くされている。おそらく今年も変わらず発表する気で、前々から準備を進めていたのだろう。
大量のイーゼルスタンドや、額に入れられて壁にかざられた絵。天井からは吊り下げられたポスター。
そこに描かれていたのは、この世界では日常のように目にする自然の姿。
冬の湖で連なって泳ぐ白鳥。ぷっくりと雨粒を浮かべたアジサイ。桜の花びらで埋め尽くされた河。初夏の陽が降り注ぐ菩提樹、沈んでゆく夕陽に染まる原っぱ・・・・・・。
「どの絵も、まるで光ってるみたいだ」
絵をじっと見つめて、ささやくようにバロンが言った。
「美空ちゃんのおじいちゃんの目には、この世界はこんなふうに映ってらんだな」
今なら、美空にも、祖父がどれだけ染みる想いで自然の景色を見つめていたかがわかる気がした。
息をのみ、一枚一枚絵をながめていた美空は、壁の一番端に飾られている絵の前で足を止めた。
「この絵・・・・・・・」
これは祖父の描いた絵ではない。折り紙ほどの大きさの紙、いや、実際に折り紙の裏に描かれたものをわざわざ額縁に入れて飾っているようだ。
それはどうやらクジャクらしき動物の絵。へたくそだが、黄色と青の目玉模様が連なる羽根のおかげで、かろうじて見分けがついた。
クレヨンで描かれたこの絵に美空は見覚えがある。
ひっくり返して、額縁の留め具を外した。蓋を取ると、やはり折り紙の赤が顔を出した。そこに書かれた、祖父の字。
『みそら 五才 公園でみたクジャクをえがく』
その瞬間、美空は降り注ぐ光の雨にうたれたような心地になった。
「ずっと大事に持っていてくれたの、おじいちゃん・・・・・・・」
ほおを大粒の涙が伝い、あごの先からボロボロこぼれおちてゆく。
「・・・・・・・おじいちゃん・・・・・・!」
たまらず美空は叫んでいた。
確かに美空は思い出した。幼稚園の年長だったころ、祖父と一緒に公園でクジャクを見た。羽根を広げたその美しさに感動した美空は、家に帰るなりすぐにクレヨンを取り出したのだ。
『美空は絵がうめぇなあ、ほれ、こったにきれいだ。いいなあ』
祖父との思い出の数々が、鮮明によみがえってくる。
そうだ。普段から、目に入れても痛くないほどかわいがってくれた。『美空』という名も、祖父の発案だったという。時に美空が嘘をついたり、何かズルをしたりして叱られることがあっても、そこには愛情があった。祖父が美空の人格を否定することは決してなかった。
この世の中には、無償の愛というものが本当に存在するのだと思った。
善も悪も、有益も無益もない。すべてを包み込み、存在そのものをただ信じる愛。
そのままで生きていい。人はそのままで愛されていい。
あふれる涙をぬぐいもせず、美空は祖父が大切にしてくれたクジャクの絵を胸に抱いた。
「ああ、でも」
与えてもらったこの愛に応える生き方がしたい・・・・・・。
だから人は道を見失わずに済むのかもしれない。美空はしゃくりあげながら、そう思った。
「美空ちゃん」
あたたかみのこもった声で、バロンが言った。
「この絵をどうするかは、君が決めたらいい」
美空は辺りの絵を見回した。やっとのことで涙をぬぐう。
「お願いがあるの」
ぐちゃぐちゃに泣きぬれた顔で、美空はまっすぐバロンを見た。
「ここにある絵、全部・・・・・あの異世界に届けてほしい。毎年楽しみにしてくれている人がいるし、きっとそれがおじいちゃんの望んだことだと思うから」
「わかった」
バロンがほほ笑む。美空も、真っ赤な目をしながらにっこりとほほ笑んだ。
◆
それから・・・・・美空は東京の生活へと戻った。
いくら異世界へ自由に行き来できる能力を手に入れたといっても、それ以外の何かが変わったわけではない。美空は美空のままだし、現実の生活が待っている。働いて生活費を稼ぎ、食べて、生きていかなければならないのだ。
異世界を使って稼ぐことは、異局の定める法によって不正がないよう規制されている。どこの世界へ行ったところで、楽して儲ける術などない。
田舎の祖父宅も、予定どおり取り壊された。土地もすぐに売却された。どれだけ思い出の詰まった家といえども、今の美空にあの家を維持できる力はない。
だけど、変わったことが二つある。
『・・・・・・エトランロー氏の新作が発表されました。しかしながら、今作は遺作でもあるということ。先週よりエトランロー展が開催されている美術館には、連日長蛇の列ができ・・・・・・』
このラジオは、いろいろな異世界のラジオの電波を拾える特別製。ふんぱつして買った。
美空は休日、時々異世界へ行くようになった。これは人にはいえない、ひそかな楽しみだ。今ではすっかりゲートも使いこなすことができる。
『・・・・・・・そして絵の売り上げは、例年どおり、ドームの外で暮らす人々へ全額寄付されたとのことです。では、続いてのニュースです・・・・・・』
美空はほほ笑んで、ラジオのスイッチを押す。日本のFMラジオへと切り替わり、パーソナリティが楽しげにリスナーからのメールを読み上げる声が聴こえてきた。
そして、変わったことの二つ目。
ずり落ちてきた袖をたくし上げ、美空は床へと這いつくばった。せまいアパートの床いっぱいに広げてあるのは、古新聞とキャンバス。そばには絵具のパレットと筆洗いのための大きなバケツ。
美空は、祖父を追って画家を目指すことにしたのだ。
当然、かんたんな話ではないことはよくわかっている。それでも、いつか、あの世界の人々が喜ぶ絵を描きたい。祖父と見た自然の美しさをキャンバスに描きたい。
それに今は、描いている時間がただただ楽しい。
以前ほど人の目を気にしなくなったおかげだろうか、気疲れが減ったし、仮に疲れていてもこれから絵を描くと思うと俄然やる気になってしまう。
絵具にまみれてカラフルになった手やエプロン。そういうものがふと目に飛び込むたび、胸の奥に熱いものがこみ上げる。
ちらりと窓の外を見やると、夜空に美しい満月が浮かんでいた。
幸せだなぁ、なあ美空・・・・・・・
思い出す、祖父の言葉。
「・・・・・・うん。幸せだよ、おじいちゃん」
夜空をじっと見つめながら返事をして、美空は再び絵筆を握る。
『それでは続いてのリクエストです・・・・・・・』
おりしもラジオから流れだした曲は、オフザウォールだった。
美空の物語は、これで完結です。
ここまで読んでくださった方、お気に入り登録してくださった方、本当にありがとうございました。
小説をネットに投稿するのは人生初でしたが、無事に終わりまで書けてホッとしています。
もしよろしければ、評価や、一言だけでも感想をいただけるととても嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。