完璧で究極なアイドル様に執着されて   作:肉ぶっかけわかめうどん

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春にやってきたものは

 

 真相の一部が判明したからといって、今すぐに何かが変わるというわけでもなく。

 冬が終わり、季節が春に移り変わった今も特に蠢動などが起こる事もなく、私は自宅のキッチンで油をなみなみと湛えた鍋に向き合っていた。

 

 春は揚げ物。ようようきつね色になりたる山菜は、少し明かりて。泡立ちたる油の中を細くたなびきたる。

 

 飯を作ってくれる人がいる家庭であれば夕方の恒例の光景でもある一言。今晩何食べたい?

 母からの何か提案しろという圧力をかけられた私はしばし考え込んでいた。いつもなら特に思い浮かばないところであるが、その日は一つだけ頭に浮かんだ答えがあった。

 

 山菜の天ぷらがいいな。

 

 春らしい答えが出せたと己が脳に賛辞を送っていたら、ここでまさかの母からのNGが。揚げ物は面倒くさいとか何とか。どうしてもというならセルフでお願いとか言って財布が押し付けられた。

 確かに準備も後片付けも面倒なのは揚げ物の宿命だが、リクエストしておいてやっぱなしはひどいだろう。というか最初から夕飯の支度押し付ける気だったな母よ。

 

 丁度良いタイミングで家のインターフォンが鳴り、はいはいと母は玄関に向かっていった。

 仕方がないので私はキッチンに向かい、在庫のチェックをする。必要なものをあらかた書き出し出かける準備をしていると、通販で届いた荷物らしき小さな段ボールの包みを抱えた母とすれ違い、お願いね、とにっこり笑顔で言われてしまった。

 

 

 

 そんなこんなでタケノコを筆頭に春の食材やら天ぷらの常連たる芋や野菜を適当に買い込み油に向かっていると、昔の記憶がほんのり甦ってくる。揚げ物とか自分でやるのはいつぶりだろうか。揚げ物や煮物は少量だけ作るには向かないから、独り暮らしだと本当に縁がない。一人分だけ欲しいならスーパーで出来合いの総菜買ってくればいいんだし。

 

 すくい上げられた揚げたての根菜たちが並ぶ皿を、アイさんもじっと見ている。エプロン姿でキッチンに立つアイさんという光景もなかなかに絵になっている。まだ生きていた頃もこんな風に子供達の為に包丁を振るっていたのだろうか。腹部が血で汚れて真っ赤な点を除けばこのまま原作のワンシーンなのだろう。

 

 

 

 メインの天ぷらに合わせる味噌汁の味見をしていると、誰かがキッチンに入ってきた気配がした。ちらりと見れば、そこにいたのはあかねだった。右手にハーフヘルメット、俗に半ヘルとも呼ばれる頭だけを防護するタイプのヘルメットを抱えている。劇団からの練習帰りだろう。原付だから大して速度は出ないとはいえ、まだ二輪で走り回るには辛い季節。さぞ寒かろう。ライダーにとってはまだまだオフシーズンだ。

 なおもう少しすると今度は花粉のシーズンが始まるためこれまた二輪乗りには辛い季節が始まる。

 

 左手には茶色の段ボール。さっき届いた荷物はあかねのものだったか。

 

「ただいま。ちょっといい?」

「おかえり。なに?」

 

 味見用の小皿を置き、さらに味を濃くするべく追加の調味料を手に取る。私的には今でも十分だが、家族はもう少し濃い味の方が好みだ。役者とかいうガチガチの肉体労働者が一人いる影響も大きいだろう。世間一般基準で見ても黒川家は全体的に濃い味付けをする家に分類されるに違いない。

 

「次の週末、アクア君が家に来るんだけど。予定ある?」

「ふーん」

 

 まあ、恋人なのだ。家に遊び行くこともあろう。

 なら週末は私はどこかへ出かけるとしよう。他の家族がいたら羽を伸ばし辛かろう。邪魔者はどこかへ消えておくので思う存分じゃれ合っているがよい。いつまでその偽りの恋人関係が続けられるかも分からないのだし。

 

「じゃあ、私は家を空けておくね。父さんと母さんも連れて行こうか?」

「何言ってるの。来るから予定空けといてって言いたいの」

「はあ?」

 

 どうして邪魔者をわざわざ家に置いておこうとするのだ。挨拶的な何かも兼ねてるのか? 別に結婚決めたわけでもあるまいに。たかが付き合っている程度で一々報告など不要だと私は思うし、うちの両親だって会いに来いなどど言う様な人たちではなかろうに。

 

「とにかく、伝えたからね。あとルビーさんも来るかもしれないから」

 

 言いたいだけ言うと、あかねはさっさと奥へ身を隠してしまった。追いかけようにも火を使っている今ここから離れるわけにもいかず。

 いったいどういう話の流れでそんなことになったんだ……?

 

 

 

 時同じくして、苺プロダクションの事務所でルビーは有馬かなとMEMちょを相談があると呼び止めた。その後すぐ、事件性のありそうな大きな叫びが事務所全体に余さず轟き渡った。周囲の者が何だ何だと駆けつけるが、大したことではなさそうだと察するとすぐに興味を失ったように仕事に戻る。

 

「アクアとあかねが、お、お泊り……!?」

 

 わなわなと、有馬かなが震えながらルビーに詰め寄っている。MEMちょもその隣で叫びこそしないが興味深そうにルビーの話に聞き入っていた。

 

「そ、そうなんだけど……」

「な、なんで急にそんな事になったの?」

「えっと、お兄ちゃんとお姉ちゃんって、もうそろそろ会って一年が経つじゃん?」

 

 幾人もの運命に大きな影響を与えたであろう『今ガチ』の撮影開始からもうすぐ一周年。言われてみればあれも去年の春ぐらいだったかもしれない。

 

「あー、もうそんなに経つんだ……」

 

 光陰矢の如し歳月人を待たず。いつの間にか一年経ってしまっていたことに気づいたMEMちょは過ぎ去った一年を振り返ろうとして、止めた。一瞬で過ぎ去った過去を振り返るなんてこんな年寄り臭い事をしてはならない。過去ではなくまだ見ぬ未来に目を向けよう。

 物は形から、病は気から。実際の年齢はどうあれ、心は錦ならぬティーンエイジャーのつもりでMEMちょはいたいのだ。

 

「それで、付き合って結構経つのにまだお互いの家すら行ったこと無いよね、って話になったらしくて。じゃあ遊びに行こうって流れになって、それがなんかいつの間にかお泊りになっちゃったとか」

 

 恋人が互いの家に遊び行くなんてさして珍しくもない当たり前の話だ。しかし、初めてのお家訪問がいきなり宿泊になるなんてのは勢いがありすぎる。アクアが自分からそんな事を提案しそうなイメージもないので多分あかねの側から言い出したのだろう。見かけによらずぐいぐい行く娘である。

 この積極性の半分、いや、三分の一も有馬かなにあれば、二人の関係ももっと違ったものになっていただろうに、とMEMちょはそう思った。

 

「そんでね、お姉ちゃんから私も一緒にどう、って誘われたんだけど、これ行っていいのかな、って相談をしたかったんだけど……」

「あー、なるほどね。邪魔になるかもって事だよね」

 

 有馬かなはわなわなと震えるばかりで何も言えないマナーモードと化していたのでMEMちょが代わりに相談を聞く。

 いくらルビーがお兄ちゃんとお姉ちゃんが大好きっ子とはいえ、さすがにそれは迷うらしい。普通は社交辞令のようなものだと判断して丁重にお断りするだろう。いや、普通は誘いすらしないからこれはあかね的には本気で誘っているのかもしれない。

 もしかすると、いきなり彼氏とお泊りなんて親が了承しないかもしれないから、まずは妹も巻き込むことを考えたのかも。

 

「んー、迷惑や邪魔にならないなら、行きたい?」

「……うん、私も、お姉ちゃんやあおいさんに会いたいし」

「じゃあ、行けばいいと思うよ。アクたんだって一人きりの完全アウェーじゃ落ち着かないだろうし、一緒に居てくれた方がうれしいんじゃないかな」

 

 話を聞く限り、あかねは両親と妹の四人家族らしい。他の家族もいる家でまさか恋人らしい行為などする気はないだろう。ならばルビーがいたところでさして邪魔にはなるまい。

 

「そ、そうよルビーも行くべき!」

 

 MEMちょがそう結論を出しルビーの背中を押そうとしていると、誰がマナーモードを解除したのか、再起動した有馬かながルビーの肩をがっしりとつかんだ。

 

「いい、絶対にアクアとあかねが二人きりにならないようにするのよ。アクアだって一皮むけばきっと狼なんだから、あかねの寝室で二人きりになんてなったら何が起きるか分からない。しっかりルビーがあかねの妹とやらと二人で見張っておいてね!」

「はいはい、この大人げないのの言う事は気にしなくていいからねー」

 

 MEMちょはすかさずその肩から有馬かなを引きはがした。

 他人の進展に一喜一憂するぐらいならさっさと自分でアタックすればいいのに。MEMちょはため息をついた。

 

「あ、そういや邪魔と言えばさ。いきなり二人も行って寝る場所は大丈夫なの?」

「大丈夫だって。普段使ってない客間があるから二人ぐらい余裕で寝れるってお姉ちゃん言ってた」

 

 家族人数分の部屋にプラス客間まで備えた『普通の一軒家』を東京のど真ん中に構えてるのか。金持ちだなぁ、とMEMちょは今度は別の意味でため息をついた。

 

 

 

 

 週末の土曜日、事前の予告通り本当にアクアとルビーの兄妹が泊まりにやってきた。

 まずは挨拶を、と双子と両親の間で自己紹介が始まったが、特に恙なく進行している。うちの両親も年齢不相応なレベルで大人びて理知的なアクアの事を普通に気に入ったようだ。ルビーには兄ほどの機知はなくとも元より美人で愛嬌もたっぷりと、こちらも嫌われる理由などあるわけない。

 

 六人で食卓を囲んでの夕食では、あかねが死ぬほど気合い入れて拵えたであろう洋食フルコースが振舞われた。店ならともかく、自宅で本気のコース料理だなんて私でもちょっと引くレベルで気合が入りすぎである。

 食事の場には私が急遽用意した大量の酒も投入してやった。

 酒にあまり強くない両親でもスルスル入るよう飲みやすそうな梅酒やワイン、スパークリング日本酒などをチョイスし、グラスとともにそっと出してやった。

 

 酒に強くはないが酒嫌いでもない両親に一杯だけと飲ませてやれば、あとは火のついた両親が二杯、三杯、と勝手に酒を進めてくれた。

 気分の良くなった両親による、主に私ら姉妹の昔話を披露しまくる会が始まってしまったのだけは計算外だったが。

 

 

 

 食事も終われば後はもう自由時間である。常夜灯のオレンジ色の仄かな明かりだけに照らされたリビングは、先ほどまでの賑やかさの欠片も感じない静寂さに包まれていた。

 親はもういない。あれだけ飲ませてやったのだ。もう朝までぐっすりだろう。よく眠れこそすれ二日酔いまではいかない程度の量に調整したつもりだが、もしなってたら冷蔵庫の中のスポーツドリンクを進呈しよう。

 

「私はあと二時間ぐらいは部屋じゃなくてここにいるつもりですから、ちょっとぐらいうるさくしても大丈夫ですよ」

 

 あかねとアクアが去ろうとしていたのでその背中に向けて言ってやったらなぜか怒られた。

 私としては一向にかまわないのに。歴史上に数多いる傾国の美女をインストールして、もう復讐とかどうでもよくなるぐらいアクアを骨の髄までとろかしてやってもらえないだろうか。やってくれたら本当に助かるんだけど。仕事が一つ減るし。

 

 

 ここは東京のど真ん中。空を見上げたところで奇麗な星空など望むべくもないが、その代わりに家々やビルの照明、街を行き交う車のヘッドライトが織り成す人工的な光のプラネタリウムが夜を彩ってくれる。

 飲み残しのワインを流しに捨てるのももったいないので、自分の胃で処分することにする。同じく残っていた一口大にスライスしたチーズと共に口に放り込む。

 ワインとチーズと言えば昔から愛されてきた王道の組み合わせだ。ワインは渋いからと嫌がる人も多かろうが、そこにチーズの持つ濃厚な旨味と甘味をぶつけるのだ。チーズがワインの嫌なところをかき消し、良いところのみを引き立ててくれる。王道はやはり王道、愛され続けるだけの理由がそこにあるのだ。

 酒の肴と言えば肉類が真っ先に思い浮かぶだろう。しかしあえて甘い物だって立派なお供になれるのだ。

 甘い物と言えば、濁り酒とみたらし団子とかいう組み合わせもまた良いらしい。ああ、早く大手を振って酒を買って飲める年にならないものか。

 

 

 

 窓際までイスを動かし、大都市特有の夜景をお供に残り物の処分をやっていたら、一緒に夜景を眺めていたはずのアイさんが急に後ろを振り向いた。アイさんがこういう反応をするときは大抵、双子のいずれかが近くいる時だ。

 

「あおいさん……?」

 

 通路の陰から顔を覗かせていたのはルビーだった。暖色系の可愛らしいパジャマの袖が入口付近の壁をもそもそとうごめいている。電気のスイッチならもう少し上だと教えてあげれば、見事探り当てたルビーの手により再び一帯が眩しいぐらい白く照らされる。

 

「ルビーさんですか。どうしました。眠れませんか?」

「えーっと、そういうわけでもなくて……あおいさんこそ、こんな暗い中で何してるんですか?」

「特に何かしていた、というわけでもありませんけど。ルビーさんは暗いところはお嫌いですか?」

「うーん、別に好きでも嫌いでもないかな……」

 

 ルビーはもう一つイスを持ってきて私の隣にやってきた。

 

「あおいさんは暗いところが好きなんですか?」

「好きですよ。よく見慣れたはずの場所でも、昼に来るのと夜に来るでは全然違うでしょう。夜に来ないと味わえない特有の雰囲気が堪らないんですよ。これ、周りに言ってもあんまり理解してもらえたことないんですけど」

 

 通いなれた安心できるはずの通学・通勤路でも、明かりがなくなるだけでちょっとした非日常感溢れる道になる。昼は人で溢れかえる場所が夜は人っ子一人いないゴーストタウン状態だったり、逆に昼は閑散とする場所が夜は大賑わいだったり。しかし深夜にもなるとそれらの人々もいなくなって代わりに一風怪しげな人が路上に現れていたり。遅くまで飲んでいたのだろうお兄さん達にマッサージどうですかー、だなんて声をかけて、早く帰りたいお兄さん達にお断りされていたり。あれついていくとどうなるんだろう。

 副業の関係で夜中に活動する事も度々あった私はそういった夜の顔を見る回数も多かった。そも暗い場所が怖かったらこんな仕事やれてない。昼の顔と夜の顔。一粒で二度おいしい。

 

「という事はあおいさん、夜中によく一人で出歩いてるってこと? 危ないよ……」

 

 まあ、それが普通の反応ですよね。

 最近別の人に似たようなこと言われたし。え、お前の辞書に用心なんて言葉あったんだ、だなんて。

 

「ま、それはさておき……うん?」

 

 そういえばアイさんどこにいるんだろう。ルビーがここにいるんだから近くにいると思っていたが姿が見えない。ぐるりと辺りを見渡せば、アイさんはまだ部屋の入口付近にいた。廊下側へ一歩外に出てドアの陰を見ているようだ。

 ははあ、つまりあそこにアクアが隠れているって事だな?

 

「あおいさん、どうしたの?」

「いえ、何でもありません」

 

 心配そうな問いかけを軽く流すと、ルビーはイスごとこちらにこちらに向き直ってきた。細く長い指をぐっと握って、いかにも今から何か大事なことを言います、といった姿勢である。

 

「どうしたんです、そんなに改まって」

「あおいさんって、もしかして、お姉ちゃんとあんまり仲良くない……んですか?」

「仲良くない……? 私は別に不仲だなんて思ってないですけど、どうしたんですか」

「でも、前に旅行の後で喫茶店で四人で話したとき、お姉ちゃんがあんなことするなんて思ってなくて」

 

 旅行の後の喫茶店というと、疫病神からの伝言を伝えに来てくれたあの時の話か。特に不仲に見えるような要素なんてあっただろうか。

 

「もしかして、ルビーさんはあの姉が妹の味方すると思っていたんですか?」

「だって、お兄ちゃんだってお姉ちゃんがそうするだなんて思ってなかったって」

 

 別に私としては意外でもなかったけどね。『黒川あかね』ならそりゃそうするよね、としか思わなかったけれども、アクアやルビーの視点だとそうは見えなかったのだろうか。

 

「あれは惚れ込んだ男の為なら何でもする性質ですよ。お願いされれば何でも差し出すし、頼まれれば人殺しだってやる。何なら頼まれなくたって、それが彼の為に必要だと判断したら自主的に包丁持って乗り込むぐらいやってのけるでしょうよ」

 

 原作でも刃物持って単独でこっそり出向こうとしていたぐらいだ。アレに比べれば彼氏にちょっと援護射撃するぐらいは可愛いものだろう。曲がりなりにも身内である私にまで刃物向けてきたら流石に驚くかもしれないが。

 

「い、いくらお姉ちゃんでもそんな事……」

「こんな事言われたって信じられないでしょうけどね。でも黒川あかねならそれぐらいやってくれる。あの状況で妹の弁護なんかするわけない。私もはたから見ればあれこれ知りすぎで十分怪しいでしょうしね。ま、とにかく私はこの程度は何とも思ってないですし、特に姉の事を嫌っているつもりもないですよ」

 

 もしあの一件で姉妹仲が悪いように見えていたならそれは誤解だと伝えておかなければ。別に不仲だと思われていたところで不利益があるわけでもないが、不仲を解消しようと余計なお節介を焼かれた挙句本当にギクシャクする仲になっても面倒だ。私は今後の為にアクアやルビーと仲を深めるつもりはあってもその逆はないのだから。少なくともアイさんの一件が解決するまでは。

 

「……」

 

 誤解を解こうとしたつもりなのに、ルビーの顔は晴れないままだ。まだ何かあったのだろうか。

 

「……」

「……」

 

 時計の秒針の音だけが場を埋める静かな時間が暫く過ぎた。

 

「わ、私はそろそろ寝るね。あおいさん、今日はありがとう」

 

 ルビーは急に立ち上がると、イスを丁寧に元の場所に戻して足早に部屋を出て行ってしまった。何か言葉の選び方を間違っただろうか。でも私の側からはこれしかない。

 

「私は今日何もしてませんが……こんな風光明媚のふの字もない場所でよければいつでもいらしてください」

 

 その暗い廊下に消える背中に返事を返しておく。ドアの陰に隠れていたと思われるアクアには気づかなかったようだ。

 

「アクアさん、そこは寒いでしょう。そろそろ入ってきたらどうですか」

 

 アイさんが動かないので、まだアクアもそこを動いていないはず。声を投げてみれば、今度は入れ替わりにアクアが入ってきた。

 

「気づいてたのか」

「ほぼ最初から聞いてましたよね」

「盗み聞きがしたいわけではなかったんだけどな。ただ出るタイミングがなかっただけだ」

 

 妹に代わり、アクアが私の隣までやってきた。

 寒色系で纏められたパジャマは明らかにルビーと色違いでお揃いのものだ。どちらがこれを買おうと言い出したんだろう。

 

「話はだいたい聞いた。あの場にあかねの同席を認めたのはオレだ。今更だが、すまなかった」

「さっきも言いましたが、気にしてないので大丈夫です」

 

 隣に立っているアクアはルビーのようにイスを持ってくる気配がない。隣に立たれているのも落ち着かないので、私も立つことにした。

 

「それで、アクアさんの用件はやはりアレですか?」

「まあ、そうなるな。社長に聞いても教えられないの一点張りでな。仲介したんだから、少しぐらいマージンをもらえてもいいんじゃないか。成果はあったのか?」

「十分に。でも犯人の名を告げるわけにはいかないんですよ。いずれは知らなければならないでしょうけど、まだその時じゃなさそうです」

「そうか」

「あっさり引き下がりますね?」

「問い詰めたら吐いてくれるのか?」

 

 アクアは鼻を鳴らしてそう言った。それで吐くのならとっくにそうしている、と。

 

「正解は言えませんが、まあ、ヒントぐらいなら出してもいいですよ」

 

 ヒント出したところで、彼が自力で正解を出せるはずがないし。

 

「ヒント?」

「宮崎の病院でストーカーに彼女の居場所を流せたのは誰なのか。入院先と予定日を知るのは患者本人、担当医、そして患者の保護者の三名しかいない」

「担当医は絶対にありえないぞ」

「それはもちろん。では、あと二人のいずれかという事になりますね。さて、どちらだと思います?」

 

 原作では二人のいずれにもそんな描写はない。しかしこの二人以外はありえないのだから、このどちらかなのだ。

 

「アイさんはカミキと連絡をとれたようですが、父親をひた隠す一方、わざわざその父親を出産の場に呼んで衆目に晒そうとするのはありえない」

「入院中の世間話の中で出たという可能性は?」

「完全に否定はできません。けれど、二人が世間話をするような、そんな頻繁に連絡を取り合う間柄とも思えない。アイさんの遺品の中に、彼に繋がりそうな手掛かりはありましたか?」

 

 答えはない。定期的に連絡を取り合う間柄なら、携帯に連絡先が登録されているのが普通じゃないか?

 しかし、そんなものが残っていたらアクアはこんなに真実探しに苦労していない。つまりアイは携帯の電話帳に登録していたり、メモに書き残しておいたりはしていない。見られると不味いものという認識はあったようだ。パスコードでロックをかけられる携帯の中にすらないのだから徹底している。

 

 それに、原作でカミキに連絡をとった時にしても、あれは子供達が父親について気にしていた。だから実際に会わせてやろうという切っ掛けあっての話である。逆に言えば、切っ掛けが無ければわざわざアイの側から掛けるような事はない。

 今更だがこれ、アイの側に切っ掛けができずいつまでも掛けてこなかったらカミキはどうするつもりだったんだろう。

 

 

 そして最大の疑問が実際にカミキに連絡を取り、住所を教えているシーンだ。この場面で彼女は携帯ではなく町の公衆電話を使用している。なぜ手間と金が余計にかかる手段をとっている?

 

 公衆電話が携帯電話に勝る点は二つ。公共インフラとして整備されているが故の災害時の繋がりやすさと、匿名性だ。

 前者は平時だから無視でいい。後者の利点を重視する、つまり、自身の携帯番号を晒すことなく通話するために公衆電話を選んでいるとするなら。携帯にも非通知設定はあるが、今時非通知なんて掛かってきても出ないか、そもそも拒否する設定にしている人が大半だろう。

 アイがそこまで考えたうえで行動しているとするなら、ここに一つのとんでもない仮説が出てきてしまう。

 

 そう。『カミキさん、実はアイの連絡先知らない説』だ。

 

 まあここまで行くのはやり過ぎだし、四年前の段階でも同じだったという保証はないが、二人が電話で世間話を気軽にするような関係じゃないと推測する材料にはなる。

 それにこのシーンでアイは手帳片手に電話をかけている。番号を暗記しているなら手帳を持つ意味がない。それにこの手帳も当然死後にアクアが調べているはずだ。ならばここに書かれていたのはカミキの連絡先ではないのだろう。本人ではなくその所属先か何かにかけて、そこから代わってもらっているとも考えられる。

 

「アイさんが自主的に流出させたというのはどうにも考えにくい」

「だから社長が怪しいと?」

「社長だとする根拠もありませんがね。しかし、この二つの事件に社長が一切関わっていないとは思えない。だって事件後の社長の行動は不可解に過ぎます。そもそもなんで失踪する必要があったのか。本気で事件を調べる気があるなら、たとえ何があろうと社長のイスにしがみ付かなければいけなかった」

 

 アイの元上司にして現社長の立場を使えば色んな成果が望めただろう。ただの住所不定無職に何ができる。話を聞こうにも、アポ一つ取るのもままならないだろう。社会的地位の持つ力なんてそこらの子供でも理解しているだろうに。

 なのに事件の直後に失踪し、13年間も姿をくらまし。そして彼は何かしらの成果を得られたのか?

 

「もし社長が二つの事件に無関係とするなら、黒川あかねが一年足らずで父親までたどり着いた一方で、13年成果なし。ただひたすら嫁に迷惑と心配かけただけの無能になってしまう。まさか彼はそんな無能ではありますまい。何かしらの『できない理由』がそこにあったのでは?」

「誰だって得手不得手はあるだろう。もちろん、全てミヤコさんに投げて逃げたことを許す気はないが」

 

 証拠はない。原作でも描写はない。しかしそう考えでもしないと斉藤壱護の失踪に説明がつかない。黒川あかねなんかよりよっぽど多くの情報を抱えていたであろうあの人が、本当に13年も手掛かりなしなのか?

 事務所の中に裏切り者がいるかもしれないと疑うなら、なおさら会社に残って調べる道を選ぶだろう。外に出てしまったらもう部外者だ。

 本当に、斉藤壱護に犯人探しなんてする気はあったのか?

 

「それにしても13年ですよ。しかし、ここにある前提を加えると社長の行動に整合性が出てくる。それは『もう犯人を知っている』です。もう調べるという段階は終わっていて、後は復讐のみという状況なら、もう社長の肩書はただの重荷にしかならない。迷惑をかけぬため捨てるのは当然」

「犯人を知っている理由は、自身こそが流出犯だから、と」

「そうですね。それしか考えられない。では、どんな相手なら社長は流出せざるをえないでしょう。そして、未だにその人物を殺せずにいるのはなぜか。では、ここから先はご自分で。まあ、正解を出せるとはとても思っていませんが」

 

 さて、私もそろそろ寝るか。

 さっさと寝支度を整え、二階にある自分の部屋に上がる。階下の電気は消えていたので彼ももうそこにいないのだろう。

 

 部屋に入ると、不用心に机の上に投げ出しっぱなしの財布が目に入る。長財布にはアクアから進呈された宮崎土産の厄除けのお守りが付けられている。このお守り、前に疫病神に見せたら鼻で笑われた一品である。一個じゃ、あるいは一回じゃ足りないみたいなので個数を増やし、今後も会う度に突き付けてやろうと思う。

 

 

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