完璧で究極なアイドル様に執着されて 作:肉ぶっかけわかめうどん
これは本当に素晴らしいお酒ですね。味と香りはしっかり芋なのに、後味は水のようにすっきりとしていて残らない。アテ要らずでいくらでも飲めそうでした。
お値段の方も素晴らしく、会計の際に危うく目が点になりかけるところでした。
さて、アイさんを起こすと決めたはいいが、具体的にどうすれば起きてくれるだろうか。霊を祓ったり弱らせたりならやった事あるが、その逆に起こしたり強化させたりは経験が無い。
「アイさーん」
まずは普通に声を掛けてみる。反応はない。
次は鞄から紙巻きタバコとライターを取り出し、一本火をつけてみる。穴に向かって紫煙を吐いてみるも、これまた反応なし。
ならばと巾着からアクアとルビー、二人分の身代わり人形を取り出し、だらりと伸びる真っ白い手に触れさせてみる。頭髪、つまり体の一部を使っているんだからここからも彼らの気配は僅かながら感じられるはず。
物理的に触れるわけではないので単に手のあるあたりに人形を持っていくだけだが、くすぐるようなイメージで人形を擦りつけていると、少しだが身じろぎした気がする。やはり我が子からの呼びかけは特別か。
しかし覚醒までもっていくには刺激が弱いようだ。もうひと押し要る。
やはり直接呼びかけしかないのか。
アクア達と顔を合わせたり声を聞かれるような事は出来る限り避けたかったが、仕方ない。当初のプランからどんどん外れていくが、今は自己の都合よりも優先しなければいけないものがある。予定変更もやむなしだ。
バタバタと玄関から転がり出た一行を待っていたのは、彼らもよく知る社長でありマネージャーでもある二人の男女だった。
「ミヤコさん」
「大丈夫、怪我は無い?」
「ミキさん!」
「災難でしたね……さて、皆さん!」
ミヤコがルビーに駆け寄り、片寄の呼び声にカミキは軽く手を上げて応えるなどそれぞれの交流が玄関先で繰り広げられる。
しかしそれもそこそこに、カミキが全員に届くように声を張り上げたことでその場の全員の意識が彼に向いた。
「お話ししたい事はたくさんあるでしょうが、今はそれより先にしなければいけない事があります。それは……」
集めた視線の一つ一つに目を合わせ返し、何を言う気かと誰もが息を潜め耳をそばだてたのを確認してから、カミキはくるりと身をひるがえしその全員に背を向けた。
「逃げる事です。取り敢えず門の外まで行きましょう」
突然走り出した背中に呆然とする視線がいくつも突き刺さるが、気に留める様子はまるで見られない。
小走りで駆け出したその背を見送ること数秒後、我に返った稲垣やカメラマン、片寄が走り出し、さらに遅れてミヤコ、最後にミヤコを追ってアクアとルビーが動き出す。
因みにマネージャー控え所になっていた車両はもう返されている。もとよりスタッフと撮影機材の分しかスペースは無い。機材を積むならカミキ達は乗れないので、外に停めてある自分の車まで向かう必要があった。
門扉を越え道路上まで出てきたところでカミキは止まり、後続を待っていた。
この辺りは車通りが皆無な上近くに街灯も無い。隣通しの互いの顔すら不鮮明な暗い歩道で、塀にもたれ掛かる態勢をとったカミキの背に最初に追いついた稲垣が話しかける。
「あの、撮影は……?」
外の空気を吸って少しばかり冷静さが戻ってきたのだろうか、撮影の事が気になりだしたらしい。
逃げている最中はディレクターからの連絡は全て無視していたし、ルビーを突き飛ばした事もある。終わった後で何を言われるか分からない。いや、言われるだけで済めば御の字だ。暴力なんて解雇の理由としては十分すぎる。
「ああ、それならもう中止ですよ。ほら、片付けしているでしょう?」
カミキに促されて門から中を覗けば、確かに稲垣とカメラマンを除いたスタッフ達が大急ぎで機材を片付けていた。次々と機材や机が畳まれ、車に積み込まれていっている。
「あのディレクターが?」
稲垣はその光景がにわかに信じ難かった。撮影中止に撤収、それらを言い出したとすれば黒川あおいだろう。しかしあのディレクターが部外者、それも未成年の子供の言う事なんかに素直に耳を貸すとは思えなかった。
「信じられませんか? 私はむしろあのディレクターならそうするだろうと確信していましたが」
「そうなのですか?」
「想定外の事態ではありますが、これはこれでテレビ的に美味しいと言えなくもないですからね。下手に当初の予定に拘るよりも、この流れに乗っかるのが吉と判断するでしょう。どの道もう撮影どころじゃないんですし、ね」
軌道修正できないのなら、いっそ行くところまで行ってしまえ。何事もなく探検を終えるよりずっといい絵が撮れるはず。それにここで功績を稼いでおけば、後に部下の問題行動の責任を問われた際に多少なりとも罪を減じてもらえるかもしれない。最悪なりにベストは尽くした、と言い訳できるようにしておくのだ。
「あちらは今は心配ないでしょう。彼女から連絡は?」
「ありません……」
稲垣は心配そうに家を見上げた。スタッフの撤収が終わったら彼女はここに一人残されることになる。あの気配と正面から一人で対峙するなど自分なら絶対にやりたくない。ただ何となく感じるだけでもこれなのに、はっきり目に見えるとなればどれ程の恐ろしさであろうか。
「すいません、稲垣さん」
今更ながら、まだ何か自分にできる事は無いのだろうか、と考え始めた稲垣の耳朶を静かな声が打った。
「斉藤社長から話を聞きました。スタッフの方だったのですね」
声の主はアクアだった。稲垣は最初はどう誤魔化したものかと目を泳がせたが、バレてしまったものは仕方ないと思い直し、正直に答えた。
「はい。私はただのスタッフです。それまで番組にご協力してくださっていた方と急に連絡が取れなくなってしまって……それでほんの少しですが霊感の有った私が代役を命じられました。その話をカミキ社長にしたところ、それなら自分に当てがあるから任せてほしい、と」
え、ミキさん霊能者の知り合いなんていたの、なんて声が後方から聞こえた。
「ええ。私の知り合いでは唯一、本物だと信じられる方がね。最初は嫌そうにされてましたが、星野兄妹の名前を出したら渋々ながら引き受けて下さいました」
こいつの知り合いとか信用して大丈夫なのか、と後を継いだカミキの言葉を聞いたアクアは密かに思った。
「何かあったら無線で指示を出すという形で、実際あの一番奥の部屋以降は指示を出していたのですが、もはや状況は稲垣氏で対処できる限界を超えたと判断されて自身も現場に入られました」
「じゃあ、あの時聞いた足音はその本物の方だったのか……」
「状況的に見て間違いないかと」
そこでカミキはふと何かを思い出したような表情をすると、稲垣へとその顔を向けた。
「ところで、例の中間ほどの気配とやら、今どこにいるかわかりますか?」
「はい、それなら……っ、ちょっと待ってください!」
問われた稲垣は何も考えずただ答えようとしたが、突然ヘッドセットを押さえて黙り込んでしまった。邪魔をしないよう周囲も十秒ほど黙り込む。
二、三言話しようやく顔を上げた稲垣はヘッドセットを取り外すと、ルビーへとそれを差し出した。
「ルビーさんに代わってくれ、と」
「わ、私?」
おずおずと受け取ったルビーは自分の頭にそれを付けると、細い指をマイクへと添える。
「えっと、もしもし、代わりました」
『星野ルビーさんですね。今すぐ叩き起こしたい人がいるので手伝ってください」
「手伝ってって、何をすれば……」
どこかで聞き覚えのある声がするが、これだけではまだ確信までは至らなかった。それに状況も己が何を求められているのかも理解が追い付かない。
『そのマイクに向かって呼び掛けてください。寝てる人が前にいると思って』
「なんでもって言われても」
『早く』
「お、起きろーっ!」
夜の町に響いたルビーの声に、皆の注目が集まる。
『あ、良い感じです。もう一回』
「起きろーっ!」
傍目に見ても何をしているか分からない光景。アクア達はそれでも静かに推移を注視していたが、それを一人だけ、笑いを堪えながら見ている者がいた。アクアはそんな傍らの人物に不快そうな目を向ける。
「何がおかしいんです?」
笑っていたのはカミキだった。見られていた事に気付いたカミキは、にやにやと笑っていたその顔をアクアへと向ける。
「状況がようやく飲み込めてきたもので。私があそこに加われないのが本当に残念です」
「仰る意味がよく分かりませんが」
「おや、思ったより察しが悪いですね。凄く賢い子供、と聞いていましたが」
闇夜のような見る者を引き込む黒と、月明かりに照らされ美しく輝く青が互いを映した。
「万が一の場合は君たち双子の傍から離れるな。霊能者からの指示です。そして、君にも一人、憑いていることはもう教えられたでしょう」
「……」
「君たち双子と共にいてくれて、かつ窮地に立ちあがってくれそうな故人。思い当たる候補は何人いますか?」
問われてから数拍間をおいて、青い瞳に動揺が走った。しかしすぐに目を見られないように視線を外す。
「今日を無事に終われたら彼女に聞いてみましょうか。死者に一目会う方法は無いものかと。それとも、綺麗な思い出を壊さぬよう見ざる聞かざるでいるのが吉かな?」
堪える口の端から漏れる小さな笑いは、誰にも届かず消えていった。
やはり実子の声なら反応するようだ。二度、三度と声を掛けさせたら指先が動いた。ついでにもう一行は外まで出れているという情報も得られた。
スタッフの撤収も始まっているのであればもう時間を稼がなくてもいいだろう。これでまだ何分も必要だと言われたら辛いところだった。
さてもう一息だ、なんならアクアにもやらせるか、と腕の生えた柱を注視していると、柱の穴の周囲に亀裂のようなものがある事に気付いた。穴が広がっているのか、黒い線が次々に増えては延びて……そして亀裂の中から白い点が見えた。
黒い海の中にある一点の白。あれ、これもしかして旋毛か?
頭やもう片方の手、肩、胴体がぬるぬると這い出てくる。片手すら入れられない小さな穴から大人が滲みだしてくるという、猫は液体とかそういう次元じゃない見ていると正気を失いそうな光景だ。
まあ幽霊だし。物理的な存在じゃないから物理的制約にも当然縛られない。霊には霊の世界があり、縛られる霊のルールがある。
気配がかなり弱まっている。生物じゃないので物理的な欠損とかはしないがダメージは深そうだ。
「よしよし、起きてくれました。ご協力ありがとうございます。ではそこでしばらく待機していてください」
ルビーとの通信をここでいったん切る。何はともあれアイさんを起こせた。第一段階は達成だ。
続いて第二段階。出てきたはいいものの床で伸びっぱなしのアイさんの前に神棚の上に載っている物ごとそっとスライドさせる。
体を治すには食べる事が重要。人間も幽霊もそこは変わらない。失った分を少しでも補填する為にこれを取り込んでもらおう。
「ほら、ルビーさんが待ってますよ」
家の外に出られれば一安心とは言ったが、絶対に安全とまでは言えない。家に縛られているのなら外には基本出たがらないだろうが、それでも絶対に出て来ないとは限らない。うっかり人形を持ち帰ってしまった大学生のように、何か理由があればしつこく追って来ようとする可能性はあるのだ。
人形に執着した理由が家の中にある財産、つまりこれもまた家の一部という扱いになっていたからであるなら、一度は自分のものになったはずであるルビーにも執着し続ける事は考えられる。
まだ娘は危機的状況だが、今のままでは動けまい。働くために必要なエネルギーをここから摂取するといい。
そっと白い手が神棚に伸び、直後に嫌な気配が部屋から一つ消えた。
よし、食べたな。
その瞬間、どこからともなく視線が一つ突き刺さるのを感じた。
そうでしょう、許せないでしょう。私が神棚に置いたお供え物を横から勝手に食べてしまったのだ。供物泥棒がここにいますよー。
私が食べさせたんだろうって? いやいや、私は娘の名前は口にしたが、食べて良いとは言ってないぞ。止める間もなくアイさんが勝手に食べただけ。
言い訳はともかく、これで標的がもう一人追加された。方や既に外まで逃げてしまっているが、もう片方はまだ中にいる。しかも相当に弱っている状態だ。どちらを先に狩りに行くかとなればそれはもう当然、より容易く狩れる後者だろう。
後は私がさっさと逃げるだけ。外に出ようとしていたはずの気配が急速に近づいてきているのを意識の片隅で感じながら、再度通信を繋ぐ。
「あー、星野ルビーさん?」
『は、はい、ルビーです』
「もう一度呼びかけをお願いします。今度はこっちに来て、と。ああ、今じゃないです。私が指示をしたら、で」
ルビーに準備をしてもらいながら、食べ終えられたであろう箱とお酒を回収する。ここで床に落ちていたもう一つのヘッドセットも目についたのでついでにこれも拾う。ルビーが付けていたが、突き飛ばされた際に外れてそのままになっていたものだ。さっきまで身に着けていたのだから、多少なれども匂いとかがついているはずだ。使えるかもしれない。
私はルビーのヘッドセットと身代わり人形を手に持ち、開きっぱなしのドアから距離を取るように柱の陰に隠れる。
立ち上がったアイさんが逆にドアに近づいていこうとしていたので身代わり人形を持った手で肩を叩いた。手は触れることなくすり抜けるだけだが、それでも反応してこちらを向いたので、こっちへ来いと手でジェスチャーを送る。
ルビー人形を目の前で振り続けていると、素直に私の背後まで来てくれた。そうそう、今は逃げるターン。応戦とかしようとしなくていいから。
そのままドアを睨みつけていると、ついにあれがやってきた。二倍速、三倍速で再生している動画のような気味の悪い早回しぶりで歩を進める腰の曲がった老人が見えたと思えば、わき目も振らず真っ直ぐこちらへ向かって来ようとしてくる。
ここはタイミングが重要だ。柱から一歩、二歩と後ずさり、目こそ合わせないが首から下をしっかりと見ながら機を窺う。
遊具などの障害物の周りをぐるぐる回って逃げる。幼少の時代に鬼ごっこで遊んだ経験がある人なら一度は体験したであろうシチュエーション。この部屋は中央に邪魔で仕方ない大きな柱があるお陰で鬼ごっこの常套戦術がそのまま使えるのだ。
よし、今だ。老人が向かって来た側と逆から飛び出し、ドアに向かってダッシュ。目くらましとばかりにルビーのヘッドセットと人形を後ろに投げるのも忘れない。匂いと気配がする物があれば、思わず目で追ってしまうぐらいの反応は期待できるだろう。
ちゃんと釣られてくれたか確認しようと走りながら振り返って、そして自分のヘッドセットを外して宙に掲げて叫ぶ。
「ルビーさん!」
『こっち来て!』
いや、なんで貴女まで釣られてそっち見てるんですかアイさん? 投げるところ目の前で見てたじゃないですか。
よそ見していたアイさんを呼びつつ、鞄の中身を片端から取り出す。アイさんが出てきたら急いでドアを閉めお札を張り、さらに上から神社の象徴にして神域の内外を区切る印である注連縄を張り付ける。
この部屋がお前の居場所だ。頼むからここから出てくるな。
後はドアが破られないうちに全力で逃げるだけだ。ルビー達にももっと遠くに逃げるよう指示した。
ひたすらに廊下を走り、階段を駆け下り、玄関に体当たりしながら外を目指した。
もう誰もいなくなっていた庭を抜け、門が目の前まで来たところで少しだけ足を緩めた。学校の授業や行事以外で全力で走るなんていつぶりだろうか。普段は体型維持のための軽い運動とかしかしないからこういう時すぐ息が上がる。
まさか追ってきてないよね、と門を越える瞬間に後方を少しだけ見やり、そしてその判断をすぐさま後悔した。真後ろにいたそいつとしっかり目が合ってしまった。
でももう体は門を越えている。このまま振り切れないかと次の一歩の為に足を振り上げようとして、しかし私の足は私の意思を実行に移さずその場にとどまり続けた。足は動かず、足以外は前に進もうとした結果、私の体は宙に浮き、そのまま地面に倒れる。
ひざ下の辺りに枯れ木のように細長い腕と指がしっかりとからみついている。
走っている最中の人の足を掴むな。百歩譲って掴むならもっと上か下にしてくれ。服で隠しづらい位置に手の跡が残ったら面倒だろう。
てかなんでアイさんじゃなくて私に来るんだ。アイさんの憑りつき先が私である事や、今日一日邪魔しまくってたのは多分いい加減バレてるだろうけど、それだけじゃないか。私まで標的にしないでほしいものだ。というかもうあそこ突破してきたのか。
私は自分が霊能者としては大して力のある方じゃないのは自覚しているが、それでもこうもあっさり突破してこられると自信無くしそうだ。
何か使えるものはないか探そうにも在庫はもう粗方掃いてしまった覚えがある。力づくで振りほどくしかないのか。
だがまだ余っていたものがあった。悪足掻きがてらもう一度鞄に手を突っ込んでみた時、空になった鞄の中に押し込んでおいた巾着袋に手が触れたのだ。
巾着袋の中には回収した箱とワンカップの酒がある。そうだ、まだこれが残ってたじゃないか。箱の方はもう中身が無いからただのアンティーク小物でしかないが、酒は未開封だ。
すぐにワンカップの蓋を開け、中の日本酒を掴まれている方の足に振りかけた。ひとしきり振りかけたら、残った中身をビンごと老人の顔面目掛けて投擲。少しだけ怯んで拘束が弱まった隙に足に力を籠める。
こちらが逃げようとしているのを察したか、向こうも一度は弱めた掴む力を再び強めてきた。
互いのみを視界に入れた綱引きを覚悟した時、急に足を掴む手が離された。
老人が顔に激しい苦悶を浮かべている。さらにその後ろには無表情のアイさんが立っている。まさか後ろから殴りつけてくれたのか。
なんにせよ好機だ。すぐに立ち上がってまた全力で走る。今度は門前だからと油断せず、体力の続く限り走って距離を取るぞ。
もう流石に追ってきてないよな、と気配を探りながら夜道を呼吸を整えながらとぼとぼ歩いていると、前方から人工的な光が見えた。車が近づいてきたようだ。
特に気にもせず歩いていたが、その車は私の横を通り過ぎてすぐに停車した。どうかしたのかと目をやれば、運転席から下りてきた人影がこちらへ向かって手を振ってきた。
「黒川さん。こちらにおられましたか」
その人影はカミキだった。
「入れ違いにならなくて良かったです。そちらはもう大丈夫ですか?」
「ひとまずは。他の皆さんは?」
「ここから少し進んだ先にあるコンビニの駐車場に。黒川さんもお乗りください」
カミキに促されるまま車に乗り込み、暫く走った先には言った通りのコンビニがあった。都内では見られない、地方特有の大型トラックが何台も入れる広い駐車場の隅に見覚えのあるミニバスと、その周囲に出来た人だかりの近くに車は停まった。
コンビニには時折客が出入りしていたが、店の前ならともかく隅っこで屯している集団には興味も持たないようで、一瞥はするが気に止めず通り過ぎていく。
正直降りたくないのだが、先に降りたカミキが無駄にスマートな身のこなしでドアを開き、すっと手を差し出してエスコートの構えを取ってきたので仕方なく降りた。
皆の注目が集まる中、カミキの隣を歩いて一団の前へと進み出る。
心を落ち着けるためにもあえてゆっくり歩く。一団の中にアクアとルビーの姿を見つけたのでそちらへ歩を進めると、ズボンのポケットへ両手を入れたアクアと、その彼の肘に自身の腕を絡めたルビーもじっとこちらを見つめてきた。
「どうも。こんな場所で会うとは奇遇ですね」
「……」
何か言ってよ。
「代役の霊能者、というのは本当か?」
静かにこちらを見下ろしてくるだけだったアクアが唐突にそう口にした。
誰かから聞いたかな。まあもう知ってるなら話は早い。
「御存知でしたか。そうです。今回の撮影で出た霊能者の指示は全て私が出したものです。ルビーさんを突き飛ばせ、と言ったのも、ね。緊急時とはいえ、あのようなやり方になってしまった事は申し訳なく思います。お怪我はありませんか?」
「あ、大丈夫です……」
隣の方に問えば、ルビーは小さく答えた。
「念のため、東京に戻ったら一度お祓い受けましょうか。スケジュールを教えてもらえれば、他はこちらで手配します」
怪我がないのは何より。これで何かあろうものならアイさんに怒られるかもしれないし。答えに満足して視線をアクアの方へ戻す。そのアクアは視線を宙に泳がせたり、かと思えばまた合わせてきたりと落ち着かない態度をとっている。
「アクアさん?」
「聞きたいことは山ほどあるが、何から聞くべきか迷うな」
しばらく目をさ迷わせていたアクアは。意を決したのか唇を薄く開き、空気を灰に吸い込んだ。
「オレに憑いている霊が一体いると聞いたが、それは今もいるのか?」
「いますよ。そこから右に120度ほど回って、一歩前へ進んでください」
アクアは素直に指示に従い、右に回った。アクアからは何も見えないだろうが、アイさんがすぐ目の前にいる。今から手を取り合って社交ダンスでも踊り始められそうな距離でじっと黒い眼窩が見上げていた。片方が見えていないせいで微妙に視線がかみ合っていない。
「今、ちょうど目と鼻の先におられますよ」
「それは若い黒髪の女性だったりするか?」
おや、もしかして、もう予想がついているのだろうか。アクアに憑いてると教えたり、ルビーに呼びかけさせたりとあれだけヒントがあればその名前にたどり着けてもおかしくはないが。とはいえ、これもまた面倒な展開ではある。その名前を聞いたこの双子が食いつかないわけがないのだ。
「概ね、予想通りかと。亡くなった時の事は覚えてますか? あの日の姿そのままですよ」
「コミュニケーションは可能だろうか?」
ほら来た。一目会いたい、一言話したい。親しい人の霊がいると知った依頼者からよくされる質問だ。我々霊能者にとっては定番で、そして困る質問。気持ちは分かるだけに返しづらい。
「どのレベルを要求するかによります。生前の頃のような温かいふれあいがご希望ならノーと言わざるをえません。まあ、話しかけたければご自由にどうぞ。耳を傾けて、時折相槌を打つぐらいはしてくれますよ。もっとも、されたところで貴方の目には見えないでしょうが」
墓参りに行った時も話はちゃんと聞いてたしね。ただ、反応していたからといって内容まで理解できていたかは不明だ。
幽霊というものに高度なコミュニケーション能力を期待してはいけない。所詮は残滓。既に知性はほとんど残されておらず、未練という名の心に強く残った感情や使命に突き動かされているだけの魂の残りカスでしかない。短い単語やジェスチャー程度なら解してくれるアイさんなどかなりマシな方だ。
知り合いの、声を聞ける霊能者から聞いた話はもっと悲惨だった。未練の内容を探ろうと小一時間ほど対話に臨んでみたが、何を聞いても見せても『しね』の二文字しか返ってこなかった。もう埒が明かないから強引に祓った、と語っていた。しかもこんなのは珍しくも何ともないと言う。
痴呆老人が可愛く見えるような、見る影もなく変わり果ててしまった姿を本当に見たいのか? 視えている側からすれば、それはお勧めできないと答えるほかにない。
「今ここではしたくないな」
「自宅でされるのも止めた方がよろしいかと。その人、普段は私と一緒に居ますから」
「黒川と?」
「私たちが初めて会った台風の日以来、私の方へ来るようになったんですよ。どうせ憑りつくなら、自分が見えてる人、訴えを聞いてくれそうな人が良いんですかねぇ。なので、私が近くにいない時は彼女も近くにいません」
「……そうか」
それだけ言うと、アクアはくるりと元の位置に戻ってしまった。
「もういいのですか?」
「もう少し、整理が出来たら改めて聞かせてもらう」
「そうですか。連絡はいつでもどうぞ。今日はもう早く帰った方が良いですよ」
アクアの話はいったん終わりのようだ。正直、私ももうそろそろ切り上げて帰りたい。
稲垣さんやディレクターとも軽く言葉を交わし、カミキにもう帰る旨を伝えると、カミキも周囲との話を切り上げ車を出す支度を始めてくれた。
「もう帰っちゃうの?」
そんな時だったか。あどけない声がどこからともなく聞こえてきたのは。
嫌な予感を感じながら、視線を下の方へ。
「終幕はまだだと思うけど」
黒色のワンピースを纏った少女が人の鞄に手をかけてぐいぐい引っ張ってくる。
助けに来てくれるかと期待したら結局最後まで来なかった疫病神じゃないか。ここにいるという事はやっぱり見てたのだ。
「今頃何をしに?」
「近くまで来てるから、そろそろ知らせに」
近くまで来てるだって?
何が来てるか、は聞く必要が無かった。私の霊感でも反応できる距離までそれはもう迫っていた。駐車場より少し遠くから、よたよたと歩いてくる姿がもう見えてしまっている。
私に少し遅れて、稲垣さんもまだあの気配がする事に気付いたようだ。外を睨み、そして私の方を見てきた。アイさんも私の後ろからルビーの前まで一瞬で移動していた。
この疫病神め。人の霊感レーダーの探知範囲ギリギリに来るまで黙ってたな。もっと早く言ってくれてたら悠長にお喋りなんかせずとっとと東京に帰らせてたわ。
それにしても本当にしつこい。こいつを放っておいたら間違いなく東京まで追ってきてただろう。
何とかしてくれませんか?
無邪気で満面な幼い笑みを見せる少女に、そんな願いを込めた視線を私はねっとりと送った。