完璧で究極なアイドル様に執着されて   作:肉ぶっかけわかめうどん

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何かが足りてない

 苺プロでのアルバイトは日曜日が休みという契約になった。契約一日目にして一回目の日曜日は例外であったが、二回目の日曜日はちゃんと休日になった。そのタイミングでちょうど副業の依頼も入ったのでいつもの住職のお寺にお邪魔させてもらった。

 

 こちらの仕事自体はすぐに済んだ。夏の終わりから秋にかけてよく現れる、心霊スポットに遊びに行ってから体調が悪い、というものだ。肩が重くて仕方ないようだが、私が見る限り何かが肩に乗ってたりはしていない。

 その肩を治したいならお寺じゃなく整体に行け、と依頼者を返したらもう仕事が終わってしまった。たまに来る面倒な依頼さえ無ければ副業としては本当に効率がいい。

 

 仕事が終わったからといってすぐお暇するのも何なので、少し世間話でもする。

 

「ほう、免許をお取りに」 

 

 冷房の効いた和室の中で常温まで冷まされた緑茶を片手に住職夫妻と世間話をする。中型二輪の免許の話をしたところ、住職がすごく興味深そうに身を乗り出した。

 改造しまくりの軽自動車を愛用してる車好きの住職ならバイク方面の知識も期待できるんじゃないかと思ったが、大当たりのようだ。

 

「車種はもうお決まりに?」

「いえ、まだ何も。高速乗れるラクで軽くて安くて荷物がたくさん積めるような車種を知りません?」

「ううむ、二輪で楽さを追求するならやはりビッグスクーターなんでしょうが……私はスクーターはあまり乗ってこなかったので、その方面はあまりアドバイスできそうにありません。最近はPCX160とかいうスクーターが大変人気らしいと聞く程度ですかね。何度か挑戦しましたが、やはり足の間にタンクが無いとどうにも落ち着かなくて」

 

 PCXという車種か。覚えておこう。排気量が160あるなら高速道路にも乗れるし。

 

「どんな場所を走る想定で?」

「高速道路から地方の狭い山道まで、ほぼ全部ですかね」

「スクーターはよく知らないのでバイク前提で話しますが、高速乗るつもりならやはり大型を選ぶべきですね。時速100キロ出すだけなら小型でもできますが、その速度を何時間も維持し続けると振動と騒音でひどく疲れますから。バイクと言うのは体のすぐ下にエンジンがある乗り物なので、振動が凄く響くんですよね。低回転でも十分なパワーが出る大排気量に勝るものはありません」

「ほうほう、では高速以外では?」

「酷い道や険しい道も走りたいなら、逆に小さめのバイクでしょうね。大型二輪は繊細な乗り物なので。センスあるライダーなら物ともしないでしょうが」

 

 その後も住職はバイクに関する話を暫く語ってくれたが、私ではその全てはとても理解しきれなかった。

 結論。大型と小型の中間、中型400CC級なら国内の大抵の道路に対応できる。乗りたい憧れの車種が無いのであればとりあえずこれから始めるべき。そう住職は締めた。

 

「お詳しいですね」

「それほどでも……私も黒川さんぐらいの頃から乗り回していたので」

「私ぐらいという事は、高校生から免許を?」

「あ、いえ、免許取ったのは高校出てからですね。無免許運転してました。あまり大きな声では言えませんが」

 

 住職は大きな声で朗らかに笑った。

 

「……昔はヤンチャだった系の人ですか?」

「そうなります。本当に昔の話ですが。深夜に先輩のバイクを使って、キズつけたら殺すぞとか言われながら練習してました。ある程度乗り方覚えたら、自分のバイク買って皆で走り回って……今となってはそれも懐かしい思い出ですね。ご近所さんは大迷惑だったでしょうが」

 

 それはともかく、と一つ咳払い。

 

「時代は変わったものですね。私らの頃はそれこそ余程学校から離れたところに住んでる、みたいな理由でもない限り原付免許の許可すら下りなかったものですが、今は学生が中免取れるとは」

「私も無許可ですよ?」

「はい?」

 

 しみじみと何かを思い出している住職だが、それは勘違いだ。それを指摘すると、ハトが豆鉄砲を食ったような顔になった。

 許可なんて下りるわけないんだから学校には届け出などしていない。今の世の中、普通免許は持ってて当たり前な風潮があるので満18歳になる年になると余程の理由が無ければ教習所入校の許可は下りるが、二輪には必要性なんて無いからね。

 

「……よく親が許しましたね」

「親にも無許可です。本当は一人暮らし始めてからのつもりだったんですが、色々あって前倒しに。とりあえず一番時間かかる免許だけ先に取って、何をいつ買うかはこれから決めるつもりでした」

 

 私の説明に住職が眉間を抑えるような仕草をする。

 

「どうして話さないのです」

「面倒なので。ウチの親、あまり二輪車をよく思っていないようで、私の姉が仕事の都合で原付免許取りたい、となった時も危ないからって中々認めなかったんですよね。仕事で必要な物ですらこれなのに、私が中免持ちたいと言ったところで聞き入れてくれるとはとてもとても」

「まあ、二輪が車より危ないのはどうしようもない現実ですが……何とかして親を説得するか、我慢するという選択肢は?」

「面倒なので」

「もしかして、親御さんとあまり仲がよろしくない?」

「そんな事は無いと思いますけど。でもそれはそれ、これはこれ、というやつで」

「はあ……」

 

 ため息ともとれる返事を共に、住職は窓の外に目をやってしまった。

 

 良い天気の外を見ながらしばし考え込んでいた住職は、ふと何かを思いついたように手を叩いた。

 

「そうだ、私から一つ提案なのですが。実は家にも一台、ほとんど使ってないバイクがありまして。黒川さんがよろしければお貸ししましょうか?」

「使ってないバイクですか。住職さんの昔乗ってたやつ?」

「いいえ。今年納車の新車です。350ですから中免で扱えますよ」

 

 今年買ったばかりなのにもう車庫の肥やしなのか。じゃあなぜ買ったんだ。

 

「出先でたまたま見かけたバイクを我慢できず買ってしまいまして。しかし買ったはいいものの……この年になると遠出する時間と体力も中々湧きませんし、休日が合わず一緒に行く仲間もいない有様で」

 

 あの時は大層怒られた、と住職は傍らの奥さんを振り返る。奥さんはじっとりと笑い返していた。

 

「バッテリーが上がらないよう電源に繋いで放置、というのも勿体ないですし、自分のバイクが決まるまでの間、あれを使ってもいいですよ。もちろんタダで。あ、ガソリン代ぐらいはご自分でお願いします」

「それはありがたいのですが……いいんですか?」

 

 バイク使わせてくれるというのは確かにありがたい。使いたいときに手元にないと意味がないし。レンタル料を取らないというのも。流石に維持費は自分持ちだろうけど。

 でもこんな破格の条件、いいんだろうか。

 

「せっかくの新車です。乗ってもらえた方がバイクも嬉しいでしょう……それに、お金は取りませんが条件は付けるつもりです」

「条件、ですか」

「ちゃんと親と話をする事です。霊能に関しては、内容が内容ですから無暗に話せるものでもないでしょうから仕方ありません。しかし、バイク乗りたい、ぐらいならいけるでしょう。一度正面から望みを訴えてみては?」

 

 ううん、でも仕事で使う上に速度も出ない原付であれだけ渋ったうちの親が下手な乗用車より速い趣味100%の乗り物を認めてくれるかは……やはり期待できないと言わざるをえない。

 

「そう決めつけず、実際やってみてからでも良いじゃないですか。どうしようもないダメ親ならまだしも、子を想ってくれる常識的な両親のようですし。家族をそう蔑ろにするものではありませんよ」

「……まあ、一度話してはみます」

「それがよろしい。ダメだったら、その時は必要な時だけウチに来てこっそり乗りましょう」

「ダメでも貸してくれるんですか?」

「私が出した条件はあくまで話し合う事だけなので。それに私は学生時代がアレだったので、人の事言える立場ではありませんし。何にせよ、話し合いは大事です」

 

 我が子に本音で話されて疎ましく思う親はいませんよ、と話す住職に、私は生返事を返すだけだった。

  

 

 

 

 苺プロでアルバイトを始めてから三週間目の土曜日。アクアから聞いていた予定ではそろそろ撮影を開始するらしい。

 

 今日はメンバーの顔合わせという事で朝から社内もピリピリしている。始業前だろうがお構いなく既に集まって仕事を始めたり始めてなかったりする正社員の皆さんに挨拶してから席に着き、自分の荷物を置く。プロジェクトの運営はカントクとアクアの役割であり、私はただの雑用。特に指示がない間はする事がない。ほぼ顔合わせだけで終わるだろうから今日はいつも通りで良いだろう、と思っていたのだが。

 

 それは昼食後、集まった人たちの為に用意した仕出し弁当を下げ、給湯室でゴミと残飯の処分をしている時の事だった。

 仕出し弁当というものはとにかく食べ残される。ちゃんと完食してくれる人もいるが、いくらか残している人が大半だ。中にはほとんど減っていないようなのもある。好き嫌いはいけません、だなんて何を当たり前の事を、と世の素直な子供達は思うだろう。しかし、好き嫌いしないというのはそれだけで美徳なのだ。世の中には偏食の大人って子供の想像よりたくさんいるからね。

 

「こんにちは」

 

 いつの間に事務所に入ってきたのやら。カミキさんが給湯室の入口から良い笑顔を覗かせてきていた。

 

「こんにちは、カミキさん。随分とご機嫌ですね」

「ええ、人生で一、二を争うかもしれないぐらい心が躍ってますよ」

「この映画で自分が社会的に死ぬかもしれないのに?」

「それが何か問題で?」

「……まあ、それで良いなら何も言いませんよ。コーヒーでもどうですか?」

「いえいえ、お構いなく」

 

 洗い物の手を止めて客に飲み物を出してやろうとしたが、カミキに遠慮された。

 

「それにしても水臭いですね黒川さん。我々の仲じゃないですか。こんなに面白い企画やるなら教えて下されば良いのに。お金はあまり出せませんが、それ以外なら喜んで貸しますとも」

「いや、出演者やスポンサーを選ぶ権利は私にはありませんので……」

「ははは、それもそうですね」

 

 朗らかにひとしきり笑った後、急に表情を引き締め直して真面目な顔を近づけてくる。いったい何の用なんだこの人は。

 

「ところで、黒川さんはこの撮影中、雑用係を担当されるとお聞きしました。つまり何か用があれば黒川さんに言えば良い、という事ですよね?」

「そうですが、何か御用です?」

「昼からちょっとした揉め……催しがあるのですが、ぜひ黒川さんにもご同席頂きたいのです」

 

 今揉め事って言おうとした?

 とはいえ私は撮影絡みを優先すべき立場なのは間違いないのでその催しとやらに行くしかない。

 

 

 

 自分の昼食もそこそこに、通路を歩むカミキの後ろをついて歩く。

 

「この映画の主役を誰にするかで揉めているのはご存知ですよね?」

「ええ、まあ」

 

 主役の話か。その辺りはアクアから多少は聞いているし、原作にもあった。

 

「星野ルビー、黒川あかね、不知火フリル、片寄ゆら。この4候補とお聞きしていますが」

「不知火フリルなら、先日事務所からお断りの返事が来たそうですよ。スケジュールが空いてないから無理だそうで。急に予定の作品がトんだりでもすれば来られるでしょうが、まあ期待薄ですね。あと、片寄なら主役は辞退しましたよ」

 

 あれ、不知火フリル無理だったのか。いやでも、これ自体はあまり影響は無いと思うけど。でも原作と変わってきているというのは色々と不安になるな。

 

「一騎打ち、といえば聞こえはいいですが……二名が消えた結果オファーがほぼ確定している黒川あかねと、それに異を唱える星野ルビー、の構図ですね。黒川さんは星野ルビー推しと聞きましたが、本当ですか」

「ええ、そうです」

「そうですか、では私もそうします。これでルビー推しは貴女と私、後は子役担当のツクヨミさんの三名になりますね」

 

 いや、私が推すから推すってどういう事なんですか。しかもあのツクヨミまで混ざってるって。また何か余計な嫌がらせする気なんじゃないかって嫌な予感がしてきたぞ。得体の知れない三人組がバックとか私がルビーの立場なら嫌だ。

 

「因みに黒川あかね推しはそれ以外の全員です」

 

 それはひどい……いや別に酷くはないか。これはルビーの方が身の程知らずの挑戦をしている立場なのだ。

 

「私も、貴女が推していなければこんな事しませんよ。実力に差があり過ぎる。これをひっくり返すには強烈な個性が必要です」

「まあ、個性の当てが無い事は無いですけど」

「ほう、それは頼もしい……あの突き当りです」

 

 やがてたどり着いたのは倉庫代わりになっている一室だった。あそこがどうかしたのかと問おうとするのと同時に、後ろからさらに足音が二つ聞こえた。

 

「はあい、私達も来たよ」

 

 ちょっと気味の悪い笑顔を浮かべたツクヨミが、アクアの袖を引っ張りながら歩いてる。アクアはすごく嫌そうな顔をしていた。

 

「どうしたんですか」

「今から面白いものが始まるから、こいつも誘って見物に来た」

「面白いものって何です?」

「物事が何でも予定通りに動くと思ってる馬鹿が予測を外して慌てふためく様」

「……?」

「いいから扉の向こうでも気にしてなさい」

 

 突き当りの倉庫のドアの前に立ち、ツクヨミは聞き耳を立てるような仕草をする。私とアクアにもするよう手で促すので、そっと耳をひんやりとした金属のドアに押し当ててみた。

 

 

 

 

 蛍光灯の発する音すら煩く感じるほどの無音の部屋にいくつも積みあがった、書類や予備の資材、もう使わないであろう衣装といった、保管という名の放置をされている荷物の山。

 滅多に人が寄り付かないこの場所で、黒川あかねは眼前の星野ルビーへと淡々と問う。

 

「主役やりたいって、本気で言ってるの?」

 

 義姉と慕った女性からの見た事も無い痛いほど冷たい視線に気圧されつつも目線は逸らさず、強く見つめ返すルビーだが、あかねは意にも介さず詰め寄った。

 

「子供の学芸会じゃないんだよ? 映画ってのはたくさんの組織や人間、何億ものお金が動く一大プロジェクト。その看板を背負う意味をちゃんと理解できてる?」

 

 ルビーが何かを言い返そうと息を吸うも、あかねは遮る事を許さず話し続ける。

 

「なんでこいつが主役なんだって、見た人は皆疑問に思うだろうね。皆を黙らせるだけの演技する自信あるならともかく、そうでないなら批判の的になるよ。主役も、そんなキャスティングをした責任者も」

 

 鏑木プロデューサーや五反田監督、そしてアクア。ルビーがやらかせばその度に彼らの立場が悪くなる。

 劇団ララライは慈善活動でこの映画に協力している訳ではない。現場の演者たちは納得していても、その後ろにいる大人達はそうとは限らない。彼らは営利活動をしているのだ。主役のイスを奪われた上にその主役が素人同然という状況に不満を覚えないはずがない。

 

 なんとか完成までこぎ着けても、今度は観客からの批判が殺到するだろう。なぜ他の名のある女優たちを差し置いてこいつを主役に据えたんだ、と。スポンサーだって黙ってはいない。元の内容が内容ゆえ、爆死に終わる覚悟はあるだろう。精一杯やってダメだったなら仕方ないかもしれないが、しかし明らかに足を引っ張ってるのがいるとなれば口も出したくなる。

 

「ああ『身内』だからか、ってアクア君の方を見る人は必ず出てくる。それを覚悟した上で、それでもやるって言える?」

「やりたい」

 

 あかねが話している間、ルビーが目を逸らす事は一瞬たりとも無かった。ただの興味本位や遊び半分では出せない力のこもった瞳を、あかねは冷めきった目で射貫く。

 

「理由は?」

「……私、ママの事、他の誰よりも知ってるつもりだった。家族だから。でも、お兄ちゃんと話したり、台本を見せてもらったりして気付いた。ママの事、知ってるようで全然知らなかったって」

 

 どんな子供時代を過ごしたのか。アイドルになるまでどんな物語があったのか。ステージに出ていない時の楽屋裏。自分が知っていたのはステージの上での姿と、家庭で母として振舞う姿だけだった。

 

 ママはいつも何かを悩み、どうすればと考えていたのを知っている。

 だけど、何を悩んでいたのかまでは知らなかった。

 これではファンを笑えない。作られた偶像を押し付けるばかりで寄り添う事を知らぬ無知で無邪気な大衆と、今までの自分。何が違う。同じじゃないか。

 

「もっと知りたい。本当はどんな人だったのか。本当はどんな気持ちだったのか」

 

 冷たい目で、だけど一字一句漏らさず聞き取ろうとしてくれているあかねへと、ルビーは思いを綴り続ける。

 

「どうすればママみたいになれるのか。どうすれば、ママのようにならないのか。それはきっと、私の夢に必要なものだと思うから」

「夢? 夢って何」

「B小町の皆とドームに行く事。ずっと見せたかった人達の前で、憧れだった場所で踊りたい。愛してる、って歌いたい。皆のお陰だってお礼を言いたい」

 

 思えばいつも何かを演じていた気がする。

 ただ寝ているしかできない前世だった。迷惑をかけまいと健気な子供を演じていた。

 悲劇を乗り越えた明るい少女であろうとした。憧れの人の娘として、そうあるべきと思った。そうであれと望まれていると思った。

 

 思えば自分の力で成せたと思えるものが何も無い人生だった。

 いつだって、自分の周りには頼れる人たちがいた。少しでも怪しい、危険かもしれないものは兄が遠ざけていた。必要な物は全て、大人達が前もって準備してくれていた。

 アイドルグループのセンターとして、責任を一身に背負っていたのは有馬かなだ。

 インターネットで何をいつ配信すべきか、考えていたのはMEMちょだ。

 自分はいつも守られてた。何も苦労することなく、ただ分け前だけは一丁前に。

 

 もう【星野ルビー】からは卒業しなければならない。ここからは自分の力で戦うのだ。

 今までありがとう、もう大丈夫。だからもう、休んでいいんだと伝えよう。自分や、兄を縛り付ける呪縛を解くには、きっとこれが最善の方法。

 

「私が自分の足で立たないと、お兄ちゃんは自分の人生を始められない。私とお兄ちゃんがこのままじゃあ、ママだってきっと心配する。だから私は、この映画で主役をやりたい」

 

 言葉を探して詰まりながらも、最後まで吐き出し終えたルビーは空気を求める肺を宥める様に静かに深く息を吸った。

 緊張した眼差しを向けられても尚、あかねは冷たい表情を崩さない。

 

 

 星野ルビーの過去を、黒川あかねは知らない。

 いくら調べても出てこない。探れた限りの情報を分析し作り上げたイメージと、目の前の実物が一致しない。

 まだ何か、伏せられているものがあるのだろう。人格の形成に大きな影響を与えるような深く長い一節が。同種の違和感を感じる兄アクアと、自身の妹のあおい。彼らだけが知る舞台裏。

 

 分かるのはただ一つ。決して軽い気持ちで臨んでいるわけではないという事。

 

 それを悟ったあかねは腕を組んで大きなため息をついた。

 

「分かった。もう辞退しろだなんて言わない」

「……お姉ちゃん!」

 

 あかねが渋い顔をすると、それと反比例するようにルビーの顔が輝いた。

 

「それじゃあ勝負ね。お題を用意するから、それにそった即興劇をして頂戴。私を納得させる演技ができたらそっちの勝ち」

「……え?」

 

 しかし続けて掛けられた言葉を聞いて、輝いた顔のまま固まってしまう。

 

「そのやる気は買う。でも主役を譲るかどうかは別の話。熱意だけで仕事がもらえたら苦労はないのよ」

 

 イスに座りたがる者は多いが、イスは一つしかないのだ。どれだけやる気があろうとも、選ばれなかったその他大勢はただ消えゆくのみ。

 本職対素人。技量比べでは勝負が成立しないので、即興劇で才能の片鱗でも見せられれば考えてやるという所までハードルは下げてある。これでも黒川あかね的には大サービスしているつもりだ。

 

「お題は……そうね、映画のタイトルに因んで【嘘】にしましょう。今から何かウソついてみて。はい、よーいスタート」

「え、あ、急に言われても……」

 

 スタートの合図代わりに叩かれた手の乾いた音に飛び上がりつつも、ルビーは必死に頭を巡らせ始める。

 やがて意を決して息を吸い込み、ルビーはあかねへと唱えた。

 

「あー、今月もお給料全然ないじゃん、毎日毎日レッスンばっかりでお休みもないし、お客一人も来ないし、グループの皆はギスギスしてるし、家に帰ってもひとりぼっち。あー辛いなぁ、こんなのやってらんないなぁ、もう辞めちゃおうっかなぁ」

 

 うつむき加減にぐちぐちと、そして一転して眩しい笑顔を作る。

 

「なーんてウソ。私は皆に夢を与えるアイドル。皆の笑顔と応援があればそれだけで私は幸せ」

 

 作れる限りの笑顔にピースを添えて。そんなルビーを、あかねは冷ややかに見下した。

 同時に部屋の入口のドアの向こうで何かがずり落ちた、あるいは誰かがずっこけたような気配がした。

 

「台詞が棒読み過ぎ。後言葉に実感が伴ってるように感じないんだけど。今の生活にあんまり不満持ってないって事だけは伝わってきたよ。今がそれなりに幸せだから、とりあえずそれの逆を言ってみたって感じ?」

 

 冷たい言葉のナイフでつつきながら、自分でもさすがに苦しい自覚があるのか固まるルビーの隣を通り抜けて入口のドアに手を掛ける。

 あかねが勢い良くドアを開くと、ばつの悪そうな顔をしたアクアと、引きつった顔のあおいがそこにいた。少し離れた後方に、にこにこと笑うカミキと今にも笑い転げたいのを我慢しているツクヨミの姿もあった。

 

 

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