完璧で究極なアイドル様に執着されて 作:肉ぶっかけわかめうどん
あまり気持ちの良くない曇り空の日曜日、朝早くから姉に連れ出されてきた先はカフェテリアのテラス席だった。
先についていたアクアとルビーが並んで座っていた向かいに座り、何はともあれ折角来たのだから一杯頼もうかとメニューを探しつつ、アクアに今日は一体何の用なのか尋ねる。
「別に無いが」
いや、休日に呼び出しておいて用は無いとはどういう事か。
詳しく話を聞こうとしたところで、アクアの手にあったコーヒーの容器が一つ、姉の手元へと滑っていくのが見えた。
「これでよかったか?」
「うん、ありがとう。じゃあ、私達行くから」
つい先ほど座ったばかりのハズの姉とアクアがすっと席を立った。
流れが読めずにいる私を放置して、二人はルビーと手を振り合いながら街角の向こう側へと消えていった。
4人で集まると言っていたから、4人でこれからどこかへ移動する予定なのかと思っていたがそうではないらしい。
残された私と、残ったルビーが向き合うと、ルビーはあわあわと手を振った。
「あ、実は……」
まだ私は何も言っていないが、ルビーは自分から進んで今日の説明を始めてくれた。
曰く、今日はルビーが私と二人きりを希望したらしい。今まで兄や義姉経由での繋がりしかなかったので、こういう機会が欲しかったとか何とか。
「私、あおいさんとあんまり話した事ないなぁ、って。学校違うし、仕事中はなんか忙しそうだし……」
学校違うのはその通りだが、仕事中そんなに忙しくはしていないと思うのだが。もちろん忙しい時もあるが、そこまででもない時の方がはるかに多い。話しかけたいなら話しかけてくれて結構なんだけど。苺プロは業務中の少々の雑談も許さないような厳しい組織じゃない。良くも悪くも社員の距離が近い小さな会社ならではの緩さがある。
まあ、距離を詰めたいというなら歓迎するとも。拒む理由もないし。私は構わないが、ルビーこそ良いのだろうか。現役アイドル兼女子高生のルビーにとっては今日のような丸一日遊べる休日は貴重なものだろう。
まあ、当人がそれを希望しているのだからそれでいいか。どこに行くにせよ、今日一日が彼女の良い思い出になるよう頑張るとしよう。
注文したコーヒーが届いたので軽く口を湿らせながら、私はそれで納得する事にした。
「えっと、あおいさんはどこか行きたい場所とか、ってある……?」
常のブラックではなく、ミルクと砂糖で甘くしたコーヒーでまだ十分に目覚め切っていない脳味噌に水分と糖分とカフェインを流し込みながら暫し無言の時間を過ごしていると、おずおずと遠慮がちにルビーに話しかけられた。
「……申し訳ありませんが、今は特に思いつきませんね」
今日はアクア達に呼び出されたつもりでいたから予定は何も入れていない。仮に呼び出しが無くても何もしなかっただろうけど。
特に買いたい物も無いし、気軽に行ける範囲で行きたい場所と言われてもなあ。これで車なりバイクなりの便利な足があればまた話は変わるのだけれども。
車やバイクがあれば行動範囲が広がる、というのもあるが、あの手の乗り物は定期的に使ってやらないとバッテリーが上がってしまう。出先で遊ぶのが目的ではなく、どこでもいいから出かける事自体が目的になるのだ。
「ルビーさんはどこかありますか?」
「私はー……」
どうやら向こうもノープランか。
でもそれも仕方ないかもしれない。アクアのような親密な相手であれば一緒に行きたい場所ややりたい事はいくらでも思い浮かぶだろうが、私のようなのが相手ではそうもいくまい。私だって、彼らと一緒にどこかへ行きたいか、と問われても困るし。
無難な遊び場として、比較的近くにあるショッピングセンターへと移動する事にした。
日曜日のショッピングセンターは当然の如く人で溢れかえっているが、ルビーにはこれぐらいの方が良いかもしれない。木を隠すなら森の中、身バレを避けるなら人混みの中。これだけ混雑していれば周囲の人間をじっくり観察する余裕は無いだろう。
それからは目につく店に片端から入っていくウィンドウショッピングの時間だった。一番時間が潰れたのはやはり服屋で、ルビーが試着してくる服の数々に感想を述べたり、私にも何か着ろと言うので冬用の上着を見繕ったりした。
「あおいさんって、あんまりこういうの好きじゃない?」
「ファッションに興味が無いという訳ではないですけど……」
着れれば何でも良い、というレベルで女を捨ててるつもりもないが、そんなに毎回着る物に頭悩ませたいほど着道楽でもない。前世では組み合わせを考えるのが面倒だから大したことない外出の時はスーツ着てたりとかもしてた。
「あんまり有っても置く場所に困りますし、季節毎の定番の組み合わせを最低限用意したら後はひたすらスーツとかの無難な服装で済ませてましたね」
「……仕事じゃない時でもスーツ?」
「あれ楽なんですよ。カジュアルスーツなら大抵の場所に溶け込めるので。今は土日祝日でも仕事してる人なんて珍しくもないですし」
さすがに家族連れ行き交う行楽地までは厳しいが、ちょっと近所に買い物に行く程度であれば何の問題もない。取り敢えずこれ着ておけば様にはなる素晴らしいアイテムだ。
出張です、忙しいです感を出しておけば旅行にだって堂々と行けるぞ。平日に寝台列車に乗り、早朝の出勤しようとする会社員達を肴に寝そべりながら飲む酒が美味い、という話を聞いたので、自分も新幹線の中で本当に仕事しているサラリーマンの隣でスーツを着て缶ビール片手に寛いでみた事がある。隣から何とも言えない哀愁が漂ってきたよ。何か可哀想になったから一度しかやらなかったけど。
フードコートで休憩を挟みつつ、回れる店はほぼ回り終えただろうか。最後に目に入ったのは正面入口付近にあったスーパーマーケットだった。その煌々とした食品群と陳列棚を遠目に見ていると、脳裏に一つ思い付きが浮かんだ。
原作だと星野家の家事はほぼ斉藤ミヤコに任せっきりらしいが、この世界でもそうなのだろうか。
「ルビーさんのところは、食事の用意はミヤコさんが?」
「うん、朝ごはんと昼のお弁当は作ってくれてるんだ。晩ごはんは外で食べたり、買って帰ったりとか色々、かな」
なるほど、朝昼は用意してくれるが、晩は外食なり買ってくるなり適当に済ます、といった感じか。星野兄妹とミヤコ氏の3馬力の収入があれば全て外食でも問題ないぐらいの金があるだろうし、自然とそうなるか。各々仕事もあるから時間が合わない事もよくあるだろうし。
そもそもミヤコさんでは夕食の用意はできないだろう。あの多忙な人が帰宅してから調理を始めて、なんてしていたら食べられるのは何時になる事やら。
「それなら、たまには自分達でやってみる、というのはどうでしょう。料理にご興味は?」
「あるけど……でもほとんどやった事なくて」
「なら今日の夕飯、作ってみます? 私で良ければお教えしますよ」
自分もそこまで出来る方ではないが、人任せで自炊経験ほぼゼロの素人には負けないぞ。何年も独身して培った独学でよければいくらでも伝授しよう。
ルビーは大好きな家族に手料理を振舞える。私は彼女に感謝してもらえる。良い取引になりそうだ。
「アクアさんやミヤコさんが家に帰ってきた時に、ルビーさんが温かいご飯と一緒に出迎えてくれたらきっと喜ぶと思いますよ。やってみませんか?」
夜、仕事から帰ってきたら、家族が温かい食事やお風呂と共に出迎えてくれる。古今東西男女を問わず、あらゆる世界で一度は夢見られる一つの理想形だろう。普通の暮らしと縁遠かった天童寺さりな、あるいは星野ルビーにだって、誰もが思い描く『普通』に対する興味はきっとあるはずだ。
「……じゃあ、やってみる」
「ではあそこに入りましょうか」
了承を得たので早速ルビーと共に、目の前のスーパーへと乗り込むとする。
今日はマイバックは持ってきてないが、まあ別にいいか。毎日買うのでもなければレジ袋なんて大した値段じゃないし、使用後の袋にも使い道はたくさんあるから置いといて困る物でもない。
陳列棚の商品を見ながら、献立を考える。
買い物をするにあたっては、まず家に何が残っているのか確認するのが定石だが、これは必要ないだろう。だいたい予想つくし。
朝食と弁当しか作らないなら、家にある目ぼしい食品はおそらく弁当用の冷凍食品と米と卵、そのまま使えるカット済み野菜ぐらいの物か。弁当に申し訳程度の色どりを添える用のブロッコリーやミニトマトぐらいはあるかもしれない。
忙しいミヤコさんの朝に凝った調理なんてしてる時間無いだろうから生の野菜や肉、魚はほぼ無いとみて間違いない。
つまるところ、早急に消費しないといけないものは無いだろうから、要る物は全て買って帰ればいいのだ。余ったらそのまま星野家に置いておいて消費してもらえばいいし。
「今日はアクアさんらは外で食べてくるんですか?」
次に確認しなければならないのは食べる人数だ。まずこれが判明しないと分量が決まらない。ミヤコさん、アクアと姉が夜も外で済ませてくるなら今夜家で食べるのはルビーだけ。しかしこの3人が家にくるなら、作るついでに食べる私も合わせて最大5人分用意する事になる。
「ちょっと聞いてみる」
ルビーが携帯を取り出してアクアに連絡を取り始めた。
その間に私もミヤコさんに連絡をとってみる。日曜だからそこまで忙しいわけでもないだろう。他社に連絡を取ろうにも担当者は概ね不在だろうし、基本的に自社内で完結する仕事ばかりのハズ。時間の融通は利くと思うのだが。
誰だって日曜に仕事なんてしたくない。不急のものは皆平日に後回し。私がアルバイトになったその日もお客さんが来た気がするが、あれはたまのイレギュラーだろう。
「もしもし、黒川です。今よろしいですか?」
電話を掛けたら直ぐに出てくれた。
そのまま今日の夕食事情について説明すれば、あっさり今日はまっすぐ家に帰る旨の返事が来た。もとより今日は早く上がれそうだったらしい。この場合の早く、とは早上がりではなくあまり残業しなくてよさそう、という意味なのが悲しいが。
「あおいさん、お兄ちゃん達も家で食べるって」
私がミヤコさんとの通話を終える頃には、ルビーも兄との連絡を終えていて、その結果を伝えに来た。アクアと姉も追加、と。
そりゃあアクアはそうするか。妹絡みとあれば予定の切り上げくらいやるだろう。もしアクアが夜まできっちりプラン組んでたとするなら、デートを途中で切り上げられる事になる姉には悪い事したかもね。
いや別に、切り上げて帰ってこいだなんて言ってないよ? 外で食べるから今日はいらない、と一言伝えてくれれば、こっちも了解の一言返して終わる話なんだけどね?
やはりアクアにとってはその程度の話なのだろう。黒川あかねとの交際には復讐の為に利用したいとか、本命と付き合えないが故の妥協だとか、そういった側面が存在している。本人がどれだけ否定しようとも、心の奥底にはあるはず。そうした心の中での格付けが予定が被った時の優先順位として現れるのだろう。
勿論面と向かって言ってはいないだろう。今夜は家で一緒に食べない、みたいな感じで相手にポジティブに捉えてもらえるような言葉を選んでるはずだ。
あくまでも、ここまでは予定を切り上げたに違いないという私の思い込みを前提にした話であって、本当に飯時前に解散する予定であった可能性も否定はできないけれど。
まあ、原作基準で考えても、協力して捜査してるようでいて、情報や成果はいっさい共有しない程度の信頼感しかないカップルなのだ。今だって、別れる切っ掛けが無いから交際がだらだら続いてるだけな部分もあるだろう。それぐらい蔑ろでも不思議じゃないけどね。
「5人分あればいんですね。さて、じゃあ買い物を始めますか」
色々思う所はあるが、今は気にしてもしょうがない。そんな事より今日の夕飯だ。
両手に大きなレジ袋を下げ、タクシーも利用しつつルビーの案内で星野家にお邪魔させてもらう。
お茶を貰ってちょっと一休みしたら、早速支度を始める。ルビーがどこまで出来るか分からないので、本当に基礎的な事から始めながら、時間のかかる物から順に取り掛かる。
事前にルビーから聞き出しておいた、星野家での夕食の時間が迫る頃、タイミングよく帰ってきたアクアやミヤコさんをルビーが笑顔たっぷりのエプロン姿で出迎えたりしたりしながら何とか調理を終えた。
「ほ、ほとんどあおいさんが作ったようなものだけど……」
「いえいえ、ルビーさんこそ、初心者とは思えない筋の良さでした。経験さえ積めば直ぐに一人前の主婦になれますよ」
5人分の皿に料理を盛って、ルビーに配膳してもらう。
今回は秋らしさをイメージして、主食に栗ご飯、主菜に鮭とキノコのホイル焼きを採用した。主役の脇を固めるのはきんぴらごぼう、もやしのナムル、玉ネギのスープ。これで一汁三菜。
私は基本面倒くさがりだし、自分しか食べないものなら雑に済ますことも多いけど、他人、それも家族以外の人間にお出しする物となればそれなりに気合は入れる。今日は人手も余分にあるから、普段は皮むきが面倒だから絶対やらない栗ご飯を主食に採用できた。
配膳された料理を見て、アクアとミヤコさんが固まっている。目線はやはりスープだ。同じものを自宅で出した事がある姉は特に驚いていないが、初見だとそうなるか。
「これは……?」
「見ての通り、玉ネギのスープです」
「見ての通り過ぎないか」
一般に玉ネギのスープと聞いて思い浮かぶものとはかなり違うだろう。私のは玉ネギを切らずに丸ごと鍋にぶち込むスタイルなのだ。
皮むき、へた落としと隠し包丁を入れただけのまん丸玉ネギ。これを半分に切ったものをひとつずつ目の前に並べている。視覚的なインパクトは大きかろう。
因みに薬も過ぎれば毒になるというが、玉ネギも過剰摂取はよろしくない。一日の接種の目安は4分の1個らしいが、これは平均的なサイズのものを生食する際の話だ。だが玉ネギの代表的成分たるアリシンは水や熱に弱い。このスープは小ぶりなものを長時間煮込んであるのだから何の問題もない。
「私は切るという工程を省けて楽ができる。貴方は野菜をたっぷり取れる。良い事尽くめじゃないですか」
添えた小さなウィンナーと一緒に一時間余り煮込んだスープ。野菜たっぷり食べれるし、旨味のしみ出したスープもまた良いしで、家では定期的に作ってる。
自炊の難点の一つなんだよね、野菜不足は。意識しないと中々量食べない。
因みに姉の方に玉ネギのスープを作れというと、丁寧にカットされた美しいオニオンスープが出てくる。ろくに切りすらしない私とは大違いだ。
「きんぴらに入ってるこの緑って何?」
ミヤコさんがごぼうやニンジンと一緒に細切れになっている緑色のものを指して聞いてきた。
「それはブロッコリーの茎ですね」
今回は茎の部分だけ使用し、小房の部分は使ってないので冷蔵庫にしまってある。弁当のおかずの定番なブロッコリーだが、一本丸々入れると流石に大きい。しかし小房の部分だけ使うと余った茎の処分が問題になる。なので茎を消費できるレシピを一つ覚えておくと意外と出番がある。今回はきんぴらに少量混ぜた。
房の方は余っても問題ない。それこそ弁当に突っ込めばいくらでも消費できる。
もやしのナムルは言っちゃ悪いが数合わせだ。どうせ真面目に作るなら一汁三菜の体にしたかったが、二品目の副菜に悩んだので取り敢えずこれを添えた。
「ささ、せっかくルビーさんが腕を振るってくれたんです。冷めないうちにどうぞ」
ルビーと共に食事後の洗い物を済ませ、夕食という一大イベントが片付いた後の和やかな気の抜けるひと時を過ごす。
初心者ながら、基本的な動作は一通りこなせる事が分かったルビーに、いくつかメモ用紙に書いたレシピを渡す。内容は私が好んで作ってた料理の数々で、主に丼ものと炊き込みご飯と漬物に偏っている。
丼ものは主婦の心強い友だ。その特徴はご飯とおかずが同じ皿の上にある事。洗い物が一つ少なくなるという点が良い。
炊き込みご飯はさらにその上を行く。材料を炊飯器に入れるだけ。調理すらほとんどしなくてよい点が本当に素晴らしい。
漬物はご飯のお供にも、酒のお供にもなれて日持ちもする万能食品。常備菜として冷蔵庫に置いとけば食卓の品数水増しや昼酌晩酌に大活躍間違いなし。店で買うのも良いが、たまに自分で作るのも意外に楽しい。
楽する事ばかり考えてないかって?
たまにしか作らないなら手間暇かけても良いと思えるが、家事というのは日常だ。長く続けるには適度な手抜きが必要なのだ。そうしないとその内面倒くさくなってやらなくなる。
その後も色々と話し込んだり、ルビーが遊ぼう遊ぼうと誘うのでアクア達まで巻き込んでトランプやらゲームやらの遊びの時間を過ごしたが、そろそろいい時間なのでお暇させてもらう事にした。
姉は夕食前に一度家に戻って着替えやら何やらを持ち込んできていたのでこのまま泊まり込むつもりらしい。ちゃっかりしている。外デートが続けられないなら家デートに切り替えればいい、的な発想だろうか。
明日は月曜。このまま朝食と登校まで共にする気か。攻めるなぁ。
「あおいさん、今日はありがとう。友達が家来るのって、初めてだからすごく楽しかった」
「こちらこそ、久々に有意義な一日が過ごせました」
「ま、また来てね!」
「はい。また休みが合えば、その時は。友人の誘いならいつでも歓迎ですとも」
名残惜しそうにはにかむルビーに玄関先で見送られながら、アクアを伴って星野家を辞する。私は不要と断ったのだが、夜道はなるべく1人で歩くな、と怒るので駅まではついてきてもらう事にした。
夜の閑静な住宅街を2人で歩いていると、隣を行くアクアが急にこちらを向いて喋り出した。
「ルビーの事、頼むな」
「どうしたんですか急に」
「主役の件だ。オレはどちらにも、何もしてやれない立場にいる。ルビーの味方になってやれるのは、今のところ黒川だけだ。信じて託す他ない」
そんな事か。言われずとも存分にやるとも。
「そうか。これで、一緒に居るのがあの疫病神とカミキヒカルでなければ何も言う事は無いんだがな」
「あの2人は元からいないようなものですよ。どうせ何もしてくれないんですから……やっぱり、まだカミキ氏の事は嫌いですか?」
「そう簡単にはな。本当は顔も見たくないのは変わらずだ」
そういうものか。私からすれば、最近になるまで顔も名も知らなかった父親に拘る意味からして理解できないが。
疑わしいのはそうでも、父親が殺した事を決定づける証拠があったわけでなし。住所を知っているだけなら他にも候補はいたし、ストーカー男がそれこそストーキングして自力で突き止めてる可能性だってあった。
そも父が住所を知っているかどうかからしてまず分からない。アイがカミキに住所を教えたというのは、本人達と『読者』しか知りえないはずの情報なのだし。
証拠が無いならどこまでいってもそれは憶測で言いがかりでしかない。なぜかつてのアクアは事件直後に父こそ黒幕に違いないと確信して、十年以上かけて復讐を計画なんてしていたのやら。陰でツクヨミがある事ない事吹き込んで誘導してました、なんてオチじゃないだろうな。
まあそんな事は私には関係ないし、わざわざ疑問を口に出す意味もない。私はただ仕事をすればいいだけだ。
それから駅が見えるまで、私とアクアは何も言葉を交わすことなくただただ歩き続けた。