完璧で究極なアイドル様に執着されて 作:肉ぶっかけわかめうどん
あっという間にやって来たその翌日は、どんより暗く重い雲の海から大粒の飛沫が振り散る強い雨の日だった。
こういう日は気分まで重くなりそうなものだが、これからやる事を思えばむしろこれぐらいでちょうど良いのかもしれない。
会社に着いたら、まずはルビーを探す。今日はB小町は昼から仕事だったはず。昼に学校を早退し、夕方まで仕事。それが終わる頃にはもう学校に戻るには微妙な時間帯になるので、まっすぐ苺プロに戻ってくる予定だと聞いていた。この時間ならもう来ているだろう。
探すとまたいつぞやの倉庫にそのB小町の3人の姿を見る事が出来た。ルビーとMEMちょが横に並び、その前で有馬かなが台本片手に仁王立ちしている。
「お疲れ様です」
盗み見ていても仕方ないので中に入らせてもらうと、3対6つの目が一斉にこちらに注がれる。何をしているのかと問えば、演劇のプロでもある有馬かなに稽古をつけてもらっているとの事。ルビーは当然のこと、MEMちょも出演メンバーに入っているからついでに練習しているようだ。
「今から練習しても付け焼き刃だろうけどね……」
「いいじゃないですか付け焼き刃。やらない理由探しばっかりで何もしない輩より、今からでも行動しようとしているMEMちょさんの方が百倍素晴らしいです」
「そ、そうかな。ありがとう」
たとえ付け焼き刃であっても、研がれてもいないただの鈍器よりは良い物だろう。少なくとも切る事はできる。私が今からルビーに要求する物とは真逆だけれど。ルビーには今回、ただの鈍器でカントクと姉に殴りかかってきてもらう予定なのだから。
「ルビーさん、ちょっと来てもらえますか」
「いいけど……何かあったの?」
「今から30分後に例の主役争いの第1回を始めますので、その準備に」
出社30分後。急すぎる話だと自分でも思うが、今日のカントクのスケジュールはそこしか空いていなかったのだから仕方ない。
「……30分後?」
「はい」
「今日の?」
「はい」
何を言っているのか理解が追い付かない、といった風にきょとんとしていたルビーの顔が少しづつ驚きへ、そして緊張へとグラデーションしていった。表情豊かで可愛らしい。
「いつ決まったの?」
「昨日です。カントクには昨日の仕事中、姉には帰宅後に日取りとルールについて了解を取りました」
「な、何で教えてくれなかったの?」
「言わない方が良いと思いまして」
あわあわと泡を食い始めたルビーへと、有馬かなの困惑した視線が降り注いだ。その視線を、ルビーが非難がましく見つめ返す。
「みんな知ってたの?」
「全員知ってる」
「……なら教えてくれたっていいじゃん」
「一番の当事者が知らないとかまさか思わないでしょ……知った上で平然としてると思ってアンタに大物感感じてた私がバカみたいじゃない」
全員知ってるのはカントクあたりから漏れ出たのが広まったのだろう。別にそれは構わない。口止めするほどのものでもなし。
「さ、ルビーさん。時間がありませんので早くこちらに」
まだ泡を食べ終わらないルビーの手を引き、倉庫外へと連れ出す。これから余人にはとても聞かせられない話をするのだ。人の耳目の心配をしなくて良い場所を探さないと。B小町がいなければあの倉庫で話する予定だったのに。
今は劇団ララライの面々もいるせいでとにかく人が多い。聞かれる心配の無い、人が近くにいない事を確信できる場所を探しに探し、最終的に屋上前の階段まで出てきてしまった。ここなら上は気にしなくていいし、下から上がってくる人がいれば音で分かる。
最初はトイレも考えたが、目の前で入られたので断念した。
「ここらでいいでしょう。時間も無いですし単刀直入に言いますね」
踊り場から階下を気にしつつ、対面するルビーへ見せたい写真と台本の準備をしながら問い掛ける。
「前に私は貴女に演技をするな、素の自分で行けと言いました。もちろん覚えてますよね……ああ、その前に2つ聞いておかないと。主役になりたい。本気で目指したい。その夢に変わりはありませんよね?」
「……なりたい。今頑張らなかったら絶対後悔する」
「それは結構」
やる気に陰りは無いのを確認した私はまず携帯に保存しておいた写真を見せる。顔を見やすいように大きく拡大しておいたものだ。
「では次です。この方が誰か、ご存知ですか?」
液晶を覗き込んだ紅が大きく見開かれた。良かった。ちゃんと誰か分かってくれたようだ。
ルビーの記憶にある彼女の姿は21年前のもの。老け込んでるから誰か分からない、なんてオチにならず一安心だ。
「……お母さん」
「お母さん、ですか。実は今回の映画、この方からもご協賛をいただいておりまして。もしかしたら、貴女とも顔を合わせる機会があるかもしれませんね」
画像の拡大をやめて、元のサイズに戻す。彼女の54歳の誕生日をお祝いする3人の家族。しっかりしていそうなお父さんと、母に寄り添う明るく優しそうな2人の子供。よく懐いた大きな犬。見ているだけで心温まる家族の団欒。
「たまたま手に入れた写真ですが……厳父慈母に一男一女。家庭とはかくあるべき、を絵に描いたような4人ですね」
ルビーは何も言わない。ただ写真をじっと見つめていた。
「あれ、そういえば天童寺家にはもう1人、早世した娘さんがいらっしゃったような気がするのですが、この写真からはそんな情報は読み取れませんね。どうせ家族で撮るなら一緒に並べてあげればいいのに……いや、これは目出度い祝いの場。遺影なんてネガティブなものは相応しくないと除けられてるだけかも」
ここで一緒に遺影か位牌でも写っていれば、いくらかは心の救いになったかもね。今でもちゃんと、天童寺さりなは家族の一員としてカウントされていると確信できたのだから。
「存在ごと無かった事にされてるなんて、まさかそんな話があるわけ……証拠もなしに憶測で人を悪く言うなんて最低な行為ですね。今のは忘れてください」
液晶を消して、携帯をポケットにしまう。代わりに台本を持ち、付箋でマークしておいたページを開く。
「確認事項はそれだけです。では、今日の本題の方に入ります。これをご覧ください。今日実際にやってもらうつもりなのはこの場面です」
話が聞こえてるのかどうか不安になってくる態度のルビーへと、喋ってもらう予定の台詞を指さす。
アイの役を演じるからには、やはりアイの心情を想像して、彼女になりきる力が大事なのだろう。だがアイの気持ちとか、アイならどう動くとか、そういうノイズは今は横に置いておいてほしい。そういうのはそれが得意なヤツに、ウチの姉にでもやらせておけばいい。
星野ルビーなら、天童寺さりななら、ここでどうする。どう動く。どう感じた?
その胸の内を声に乗せて吐き出すのだ。それができれば勝てる……かは分からないが、勝負の土俵に立つぐらいまではいけるはず。
あ、この写真いる? 最初からあげるつもりだったから遠慮しなくていいよ。後で送っとくね。
苺プロの会議室には、この映画に関わるほぼ全ての人が集まっていた。
こんなに大勢来るのは想定してないぞ。撮影はどうした撮影は……監督がいないのに撮影も何もない? それもそうだ。で、する事ないから皆こっちの見物に来た、と。まあいいや。
部屋の中央には机があり、机を挟んで向かい合えるように置かれた2つのイスがある。
これは今回する予定の場面をイメージして置いた物だ。置いた自分が言うのも何だがちょっと雰囲気が合ってないな。喫茶店のつもりだったが、これではどっちかというと取調室だ。
私が心ここにあらずなルビーを伴って室内に入ると、待ってましたと言わんばかりにカントクが近寄ってきた。
「遅かったな」
「申し訳ございません。想定よりも長引いてしまいました。すぐに始めますので」
ルビーと話をする場所探しに時間がかかってしまったせいで予定より少し遅れてしまっていた。カントクへと私が頭を下げると、カントクは慌てたように手を振った。
「い、いや、別に怒ってるわけじゃないぞ。時間にはまだまだ余裕あるから慌てなくていい」
私が頭を上げると、カントクは自分のイスに座りながら、居並ぶ一同を見渡す。その時に壁際に俯き気味でもたれかかっているルビーに気付いて目を細めたが、何も言わず視線を戻した。
「あー、それじゃあ今から例のアレを始める」
例のアレ、呼ばわりなのはこれはオーディションではありませんよ、というアピールか何かだろうか。
「そこの黒川が台本の中からワンシーン指定するから、黒川あかねとルビーは実際にその場面をやってみてくれ。ルールはこれで良いんだよな?」
「はい。ではそのシーンですが……台本のこのページを開いてください」
今回使用する場面は、アイと斉藤壱護の出会いのシーンだ。
施設から脱走して上京してきたはいいものの、行く当てもなく空きっ腹を抱えたまま街をさ迷っていたアイを斉藤壱護が見つけ、スカウトを試みようとする場面。
「ここか……で、どっちからやるんだ?」
カントクの問いかけに、すぐさま手を上げたのは姉だった。
「私からでお願いします」
「黒川あかねか。よし、じゃあやるか」
言うが早いが、もう姉は中央のイスに座っている。その向かいには、作中で斉藤壱護役を務める劇団ララライのみたのりお氏が座る。
誰も何も指示せずともスムーズに事が運ぶ当たり、もうララライ側はもう全員一通り台本は頭に入れてあるのだろう。この時点でもうルビーとのレベルの差が見えてきてしまっている。悲しきかな。
オレは首突っ込まない、とか言ってたくせに見るからにやる気満々のカントクが、カチンコを打ち鳴らしてさっそく開始の号令をかけた。
ねぇキミ。パフェとか食べたくない? 話だけ聞いてくれたら何でも奢っちゃう。
そんな小さな子供でも引っかかるかどうか怪しい誘い文句に釣られて、カフェに入ってしまったアイ。そこで斉藤壱護からアイドルの世界に来ないか、と誘われたアイが、諦めさせようと自分の身の上を語る場面だ。
「お母さん窃盗で捕まっちゃって。ちょっとだけの間だからって施設預けられちゃってさ」
黒川あかね演じるアイは、同情を引くに足る身の上を、さも何でも無いことのように淡々と語っている。
「だけどお母さんは釈放されても迎えに来てくれなかった」
母に捨てられてた。それだけの話だ。
何とも思ってない。どうせ来ないだろうと自分でも思ってたんだ。
迎えに来てくれなかった、と話した時、抹茶ラテを握る手に僅かに力が入ったのか、プラスチックの容器がパキりと音を立てた。
「……やっぱ安定感はあるのよね」
私が指定したページを演じ終えたあかね達に向かって、有馬かながぽつりと零した。隣ではMEMちょが小さく頷いている。
「最初から分かってた、期待なんてしてない……でも、もしかしたら、って心のどこかでほんの少しだけ思ってた。最後、ちょっと手に力入れたの、そういう表現かな」
どうやら有馬かなによるMEMちょへの指導の一環でもあったようだ。百聞は一見に如かずというが、その一度見ただけでは分からない事も、解説付きであればより理解が深まるだろう。
演技を終えて立ち上がったあかねにいくらかの拍手の音が届いた。それらに軽い一礼で返しつつ、私とルビーに一瞥をくれてから人の海の中に戻っていく。
その始終を見ていたカントクが、満足そうに頷きながら近くにいた私に顔だけ向けて話しかけてきた。
「なあ……何で抹茶ラテなんだ?」
あの抹茶ラテは私が小道具代わりに買ってきた物だ。台本ではここはパフェになっているが、そもそもこの辺でパフェが手に入りそうにない、というのが1番の理由であるが、もうひとつある。
「この辺りには売ってなかったので代用です。やはりパフェじゃないとダメでした?」
「別に本番じゃないから小道具なんて何でも良いけどよ。ただ何で水やコーヒーじゃなくてあれをチョイスしたのか気になった。好きなのか?」
「私は別に。嫌いじゃないけど特に好きでもないですね……この場面、台本ではパフェですが実際に斉藤前社長が提供したのは抹茶ラテだったらしい、と伝え聞いたので、それに合わせただけです」
本当は伝え聞いたのではなく、原作でそう書かれていたのを覚えていただけだけどね。
「へぇー……そうなのか、アクア?」
カントクはアクアの方へと問い掛けたが、アクアからの返事は無かった。
見ればアクアは先ほどからずっと壁際で携帯の画面を見つめて動かないルビーに気もそぞろな御様子で、カントクから話しかけられたことにも気づいていないようだった。
「アクア?」
「えっ……ああ、ゴメン、何の話?」
「社長は本当は抹茶ラテでアイを釣った、って話を今聞いたんだけど、アクアなら知ってるんじゃないか、って聞きたかったんだよ」
「抹茶ラテ? オレは知らないけど、そいつが言うなら本当かもしれない。パフェじゃなくてそっちでもいいんじゃないか?」
さて、次はいよいよルビーの番か。
「出番ですよ。さ、あの席へどうぞ」
そっと腕を引いて、人混みに避けてもらいながらルビーを机まで運んで座らせる。写真を他人に見られないよう携帯だけ没収しようとしたが、ルビーが抵抗したのでそれは断念。
着席したルビーの前に抹茶ラテと、カンペ代わりの私がいろいろ書き込んだ台本を置いて私は下がる。
「ルビーさん準備OKです。始めてください」
「OKって……本当にいいんですか?」
「構いません」
「……分かりました。始めます」
明らかにいつもと違うルビーの様子に観衆がざわめきだす中、それでもみたのりお氏は己の職責を全うせんと自分の台詞を読み上げ始めた。
「話だけ聞いてくれたら何でも奢っちゃう」
「……」
しかし、ルビーの台詞の番になってもルビーの口からは何も紡がれる気配が無い。ただ俯いてじっと台本を見つめている。
「あの……」
「おかあさん」
さすがに心配になったみたのりおが声を掛けようとしたのと、ルビーがようやく言葉を発したのは同じタイミングだった。
その一言にざわめきが静まり返り、次の一瞬を見逃すまいと揃って息をのむ。
「おかあさん、窃盗で捕まっちゃって、ちょっとの間だからって、施設に預けられて……」
一言で言うなら、それはただの棒読みだった。
だが上手く抑揚をつけられないが故の棒読みではなく、声に抑揚や感情を乗せないように抑えつけているような棒読みだった。
最後の台詞を言う前に、ルビーは2度、台本を見ながら大きく深呼吸をした。
「おかあさん、私のこと、迎えにきてくれなかった」
部屋の温度が少し下がったような錯覚を覚えたのは、きっと気のせいではないのだろう。背中にぞくりとした感触を感じてそうなのが周囲に幾人もいた。
私がペンで塗り潰して少しだけ短縮した最後の台詞を読み終えた後も、誰も何も音を発さなかった。せっかく頑張ったのに無反応なのも可哀想なので私が拍手を送る事にする。
「よくできました。私が思い描いていた通りのものが見られて嬉しいです」
「……よくできた?」
「はい。それはもう。辛かったでしょう、後は私の仕事ですから、先に事務所にでも戻ってゆっくりしてください」
拍手を終え、またルビーの手をとって部屋からそっと優しく追い出した。今の明らかに様子がおかしいルビーをあまり衆目に晒すべきではない。
「……黒川」
ルビーが離れるのを待っていたのか、たっぷり10秒は間をおいてから、カントクが口を開いた。
「お前が見せたがっていたのは、これか」
「その通りです」
その口調にはどことなく非難の色が含まれていたが、それは最初から予想していたので私は気にしない。文句そのものは当然だし。
「これのどこが『アイ』なんだ?」
そう、これはあくまで星野アイ役を決めるオーディション。ここで求められるのは、観客、スポンサー、そして監督が求める『アイ』が何なのかを察して、その通りに演じる事。今回のルビーの演技はその要求されたものとは真逆のものだ。
飲食店に入って注文したものと違うものが出てきたら、客は困惑し、店を非難するだろう。いやいや、こんなの頼んでないよ、と。
違うメニューを持ってきた私と、ほぼ注文通りのものをお出しした姉。カントクからの評価なんて言うまでもない。
「私なりの解釈には沿ってますよ。ちょっと大げさにはしましたが。勝負ですからね、そこはインパクト重視というやつで」
「これがお前の思う、アイの本当の姿か?」
「そう思っていただいて構いません……元より、大衆がイメージする通りの『アイ』の再現で勝負したって勝ち目ゼロなんです。私にもルビーさんにも演技力はありませんが、幸いにもアドバンテージと呼べるものはありました。それを最大限に利用するための作戦が『新説の開陳』です」
「……続けろ。お前にとっての星野アイは、どういう人間なんだ」
「普通でありたかった。普通でよかった。でも、できなかった。個としてあまりに優れ過ぎていたから」
全盛期のアイのファンはいったいどれぐらいいたのだろう。ドームの定員が5万、実際には公演に来れない者がその数倍はいただろうから、何十万といたのは確定か。
その笑顔で、愛してるで、誰も彼も虜にした稀代の嘘吐き、星野アイ。
もし彼女にもう少し悪意と欲望があったなら、犯罪史にその名が残る一流の詐欺師にだってなれただろう。その美貌と、不幸な生い立ち、そして嘘。世の男どもから援助と称して金を巻き上げるなんて赤子の手をひねるより簡単だ。
「普通になりたい。普通になれない。周囲もそれを望まない。世間と接し続けていれば、世間で言う所の『普通』とは何かがイメージできるようになってくる」
それは創作の世界で描かれるような、普通と銘打っているが普通とは程遠い恵まれた素敵な物語だが、他に判断材料が無い彼女にとってはそれこそが目指すべき普通なのだ。
「でも、普通を目指して頑張れば頑張るほど普通から遠ざかる。どんなに頭が悪くても、この道が夢から遠ざかる方へと伸びていることは嫌でも気づく。だけど、もう引き返すなんてできない。他に歩ける道が無いから」
金も美貌も、無いと困るのは当然だが、あり過ぎてもまた別の問題が生まれてくるものだ。彼女が放っておいてくれと望んでも、周囲が放っておかない。来るもの拒まずか、徹底して拒絶するかの2択。いずれにせよ、ありふれ過ぎて埋もれてしまうような普通にはなれない。
「普通になれない自分を、普通でいさせてくれない他人を、普通を認めてくれない世間を恨んで、怒って、憎みながらも、最後まで仮面の下を誰にも見せなかった愚かな嘘つき。あーあ、誰か1人でも、本当の意味で彼女を理解し、手を差し伸べてあげられる他人がいたら、変われた未来もあったかもしれないのに。可哀想」
普通に生きる才能は無いが、普通じゃない道に進む才能には満ち溢れていた不幸な女。頭脳労働できる学も守ってくれる保護者もないが、容姿だけはあったアイが生きる道は限られてる。それこそアイドルにでもなるのが最善だろう。本当にこの道が正解だったかどうかはもう考えてもしょうがないが。
アイがどこまでも馬鹿で流されるままで満足できる知恵足らず女だったら、もっとマシだったかもね。自分の未来についてあれこれ考える事が出来る、馬鹿ではない程度の知能はあったのも不運の一つか。
「人は失って初めてその価値に気づくもの。持たざる者の苦しみは、同じ持たざる者にしか分からない。アイは親に捨てられた。自分の信じる、自分にとっての親を、他でもない親自身に奪われた。星野アイの苦しみを本当に理解してあげられるのは星野ルビーをおいて他になし」
星野ルビーに上手い演技は今は無理。でも、ルビーにしかできないものがある。
普通で良かった。親に愛を注がれたり、友達と遊んだり、異性と甘酸っぱい想いをしたり、いずれは素敵な人と家庭を持って、今度は自分が愛を注ぐ側に……そんな人並みの幸せを手に入れられればそれで充分だったのに、でもそういう運と才能だけは一切無かった。
そう解釈していくならルビーの方が適役になってくる。役に演者が合わせるのではなく、演者の方に役を合わせてしまえ。
合わせられる役の方? 大丈夫大丈夫、私が見る限り、これぐらいならまだセーフみたいだから。ルビーの周りでちょっと心配そうな感じは出してるけど。
「上手い演技をするのは黒川あかねで間違いありません。ですが、本物にしかできない演技に、私の説にご興味がおありでしたら、星野ルビーもどうかご検討ください。あ、私の解釈はあくまで私の解釈であり、演じていくうちにルビーさんが自分なりの解釈を見つける可能性もありますので、そこは悪しからずご了承ください」
原作でも、ルビーの演技を見たカントクが大幅な方針の変更を宣言したからあの流れになった。ここのカントクにも、そういう選択肢もあるよと示しておけば、検討だけはしてくれるだろう。
最後にカントクに一礼。はいこれにて第1回終了、解散解散。皆さん仕事に戻ってくださーい。
後はカントクに考える時間を与えつつ仕事に打ち込んでいればいい。今まで鳴かず飛ばずなホンモノ志向のカントクならば、長く深く考え込んでいれば自然と安定よりも冒険を志向するようになる可能性は高い。
カミキヒカルの受け売りみたいになるが、プロとは1にも2にも安定だ。指定された予算と納期、その他注文の内容を守りつつ、最低限のクオリティは保った製品をお届けする。筆の上手さよりも筆の速さを求められるのがプロの世界だという。カントクがここで安定を選べる人間ならもう少しお偉いさんになれてるよ。実力はあるらしいしね。
冒険志向型の監督も突き抜ければ1つの売りになる、とも聞いたけど。世の中には、1クール分として渡された予算を3話で使い果たした、なんて真偽定かではない噂が飛び交う作品とかもあるらしいし。
アクアが何か言いたげな目を向けてきているが、無視だ無視。どうせ何も言えやしない。私のやり方は事前に予測できてたはずだし。さあ事務所に帰ろう、今日も書類仕事が待っている。
最近これたかがアルバイトが触っていいのか、なんて書類も少し交ざりだしたような気がするが、気にするまい。こう見えてもそれなりに口は堅いつもりだ。情報を流した事で得られる利益が、流したと知られる事で失うものを大きく上回らない限りは喋ったりなんかしないから。口が堅いと思われてた方が色々情報手に入るから仕事しやすいし。
「お母さん、私の事迎えに来てくれなかったんだ」
そろそろ戻らせてもらおうかと考えていた矢先、何か聞き覚えのある声がした。
嫌な予感を感じながら振り返れば、姉がまたイスに座っているではないか。
「ちょっと違う……お母さん、私の事迎えに来てくれなかった」
深く集中している人間特有の開いた目と手でがっちりと抹茶ラテを捉えつつ大きな独り言を言う姉の姿は控えめに言って恐ろしいだろうが、私としてはもうひとつ恐ろしいものがある。
「お母さん、私の事迎えに来てくれなかった……うん、さっきより近くなった」
何度も繰り返しているうちに少しづつさっきのルビーに寄って行ってないかこの姉。
「なるほど、これが親に捨てられた子の気持ちなんだ。捨てられたと分かって悲しいとか、もうそういう段階は通り過ぎてるんだ」
「姉さんは随分と想像力豊かだね。親を失くした子供の気持ちを5分で理解したんだ」
「目の前に最高のお手本があったからね。自分で考えるのは苦手だけど、真似するだけで良いなら何とかなるよ。どういう気持ちならそういう声が出せそうか逆算すればいいから」
わーお、そりゃ凄い。声だけでそこまで読み取れるんだ。逆算するにも膨大な知識が必要だろうし、やっぱこいつ演技する事に関しては天才なんだな、と再認識させられる。
「あおいがそう言うって事は、やっぱり本物のアイもこうだったのかな」
「さあてね。生きてる時の本人に会った事ないし……仮にもしまだ生きてたとして、本人に直接聞いても答えてくれないとも思うよ。自分の胸の内を正確に言語化できる人間なんて滅多にいないんだから。演者の数だけ解釈がある。姉さんがそう思うならそれで良いんじゃない?」
より正確に言うなら、それは原作ルビーを基にした私の解釈なのだ。正しさは保証できない。本物の星野アイの胸の内などもう知りようがないのだし、そこは本当に好きにすればいいと思う。どうせ死人に口は無い。ご本人様からの抗議がくる事だけは絶対に無いから安心するといい。仮に喋れたとしても自分役の演技の内容なんかに文句は言わないと思うが。
息子と娘役が下手な上に解釈違いなら子供自慢をしに夢枕に降臨もありうるかも……いや、その役はツクヨミがするからそれはありえないか。あれに何言っても全部右から左に流されるだけなのが目に見えてる。いや、霊に干渉できる存在だから普通に力で黙らせられるかも。
虫けらの分際で夜中に耳元で羽音を立てる。これは万死に値する重罪だからね。叩かれても仕方ないね。
「じゃあ、私も勝手にそう思っとく。次は何するの?」
次か。やっぱり次は旧B小町のメンバーかな。
ああ、旧B小町と言えば、ルビーが有馬かなに人気や才能への嫉妬をぶつけられるシーンをどうするか、も考えとかないと。この世界だと枕営業を考えるまで追い詰められたりしてないだろうから。
対等で大切な仲間と思っていたが、向こうはそうではなかった。その悲しみを知るのも大事だが、こっちの有馬かなはその役目には期待できそうにない。
ニノに根掘り葉掘り重たいものを吐かせつつ、適宜私が横からあれこれ吹き込むのがベターか?
「元B小町のメンバーとか、呼べるなら呼びたいなあ。当時の空気や心情を語れる生き証人だからね。参考になる話が聞けると思うよ」
「そう。何が聞けるか楽しみにしとく」
話は終わった。そう言わんばかりにスタスタと姉は出て行った。
私も今度こそ仕事に戻る……いや、その前にカミキヒカル探して、ニノに連絡取れないか聞いてみよう。原作でも来てたんだし、私がしなくてもカントクかミヤコさん辺りが勝手に呼んでくれるとは思うけど、一応。
「カミキさん、いらっしゃいますか?」
「はい、私ならここですが」
人海の外縁部から聞こえた返事を頼りにその姿を探す。ようやく見つけた背広姿に声を掛けようと吸い込んだ息は、吐きだされる事なく肺の中で固まった。
背中に真っ黒幼女がくっついている。
「どうしました?」
カミキの大きな背中で、ツクヨミは子供らしいにこやかで嬉しそうな笑みを浮かべていた。なんでおんぶなんかされてんだか。知らない者から見るとただの微笑ましい絵面ではないか。
周りに好感を持たれるように、わざとそういう振る舞いをしてるんだろうけど。
「……そうしているとまるでお父さんみたいですね」
優しい父親のような慈愛の笑みのカミキ、大人に構ってもらってご機嫌な幼い子供のようなツクヨミ。
ルビーの演技とは違う意味で背筋が凍りそうな光景を前に、やっぱ余計な事考えず仕事に戻っとくべきだった、と私の胸には後悔の念が浮かんでくるのであった。