完璧で究極なアイドル様に執着されて   作:肉ぶっかけわかめうどん

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郷愁

 

 初のルビーの演技披露が行われた翌日、ルビーは会社に来ていなかった。朝から調子が良くなさそうなのでアクアが学校を休ませたらしい。

 

 そんなにダメージが大きかったのか?

 

 その事をミヤコさんから聞いた私の脳内で、星野ルビーの耐久力に大きな不安が寄せられた。今からこんな事では先が思いやられるのだが。

 人間というのは良くも悪くも慣れる生き物。原作ルビーは1人でも戦おうとしていた期間がそれなりにあったから、ストレスに対する感覚が麻痺して表面上取り繕う程度なら問題無かったのかもしれない。

 

 いや、単に季節の変わり目だから寒暖差で風邪ひいただけという可能性もまだある。決めつけは良くない。

 

「そんなに悪そうなので?」

「私が家を出る時はまだ起きてきてなかったから分からないけど……アクアが言うには1日寝かせれば大丈夫だろうって。ちょっと疲れ気味みたい」

 

 元医者がそう診断したならやっぱり風邪じゃないな。

 

 となると直接の原因は昨日のあれか。

 病は気からという言葉の通り、メンタルが崩れれば体調にも影響が出る。一応、原因を作った側としては気に掛けておくべきか。後で顔でも見に行こう。

 

 

 

 いつもより早めに仕事を上がらせてもらい、1度家に戻って準備をしてから定時で帰るアクアと合流して星野家に向かう。

 どうでもいい余談ではあるが、星野家の玄関に掛かっている表札は『星野』ではなく『斉藤』である。今私の目の前で玄関のインターホンを鳴らしているこの男の戸籍上の本名は『斉藤 愛久愛海』だ。普段名乗っている星野アクアというのはあくまで芸名扱いなのである。

 事務所で書類上にこの文字列を見かけた時、こんな名前のヤツこの会社にいたっけ、としばし悩んだのは記憶に新しい。

 

 インターホンの気の抜けた音が鳴ってから約十秒後、ドアの向こうで人が駆け寄ってくる足音がした。靴を履くような音、ドアチェーンやカギを外すような音が聞こえた後、ゆっくりと目の前でドアが開いた。

 

「……おかえり、お兄ちゃん」

「ただいま。大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

 

 顔を覗かせたルビーは随分と元気そうだ。本当に今日病欠してたのか? まあ仮病でも別に構わないが。自分の人生なんだから、今日仕事に行くかどうかも自分で選択すればいい。

 私は人が正当な理由無く仕事を休んでも怒りはしない。でないと私も好きな時に休めなくなるからね。

 

「あれ、あおいさん?」

「どうも。体調が優れないとお聞きしたので様子を見に来ました」

「あ、ありがとう……大丈夫だよ、明日はちゃんと行くから」

 

 そうか。まあ重大な事態でないのなら安心だ。アイさんも娘の元気そうな様子に心なしか喜んでいるようだ。

 私は持ってきた買い物袋をルビーに差し出した。

 

「そうですか。あ、これ良かったらどうぞ皆さんで」

 

 袋の中身はルビーが寝込んでるものという想定で色々買ってきた食料やら何やらの物品だ。本当に調子が悪いならいくらかお節介でも焼いていくつもりだったが、元気そうであるなら必要ない。買ってきたものはそのまま星野家に押し付けていくとしよう。

 

「では、私はこれで」

「いやちょっと待て」

 

 用は済んだし、兄妹水入らずを邪魔する理由も無いからさっさと帰ろうとしたらアクアに呼び止められた。

 

「何ですか?」

「せっかく来たんだ、上がっていけよ。外歩いて冷えただろう」

 

 いやいや、お構いなく。

 私は職業柄、寒気には慣れている。そう返せば、アクアは攻め口を変えてきた。

 

「お前が良くてもオレが気にする。寒い中、家族を見舞いに来てくれた客に茶も出さんなんて恥ずかしいだろ。飲んでいってくれ」

 

 なるほど、あくまで自分の面子、オレの為に譲歩してくれ、と。上手い言い方をするなぁ。

 

 そう言う事なら、とお言葉に甘えて上がらせてもらう。そろそろ秋が終わり冬が見え始めるこの頃の気温は低めだ。元々どちらかと言えば暑がりな私にとってはこの時期が最も快適に過ごせる気温なのだが、まあ固辞する意味もないし、少しルビーと話してから帰るとしよう。

 

 

 

 淹れたての緑茶を貰って、私はまずアクアとルビーに仏壇の位置を尋ねた。忘れないうちに、前回来た時はやりそこねたアレをしておかないと。

 

「せっかく来たのですし、先にアイさんの仏壇に手を合わせてきても良いですか?」

「ああ、仏壇ならそっちの部屋だ」

「因みに、星野家は何宗ですか?」

「アイに信心とか、寺との付き合いとかあったと思うか? 好きなやり方で良いぞ」

 

 そういう事なら遠慮なく。

 アクアが指さした先の部屋にあった星野アイの位牌が置かれた仏壇の前に座ると、まずは鞄の中からお供えとして持ってきた缶ビールを置く。135ミリ入りの最小サイズの缶ビールは小さな仏壇の狭いスペースにもすっぽり収まった。

 

「おいそこの高校生。さも当然のように酒を出すな」

 

 後ろで見ていた誰かから何かツッコミが飛んできているがもちろん無視する。

 置いてあった使い捨てライターで蝋燭に火を点け、蝋燭から火を移した自前の線香を3本供える。次にお鈴を2回鳴らしたら手を合わせる。お経は今回は省略。最後に蠟燭を消したらこれにて終了。

 

 お高い線香と酒で故人のご機嫌取りも済んだ。じゃあ私も冷めないうちにお茶を頂くとしよう、と立ち上がったところで、私はずっとアクアの背中に付属していたアイさんが自分の仏壇の近くに移動していたことに気づいた。

 

 アイさんはじっと真っ黒な眼窩でお供えのビールを見ていたかと思えば、今度は私の方をじっと見てくる。

 

 おう何だ、私のお供えに不満でもあるのか。

 森伊蔵が良かったか? いくら私でもあんなものそう気軽に何度も買えないぞ。月給20万余のシングルマザーは下町のナポレオンで満足してなさい。霧島シリーズでもいいぞ。

 

 至近距離でこっち見ないで。邪魔。

 

 

 

 リビングに戻ってから、茶を啜りながら双子に今日の経緯を尋ねてみた。そこから判明した事実は至極単純だった。ルビーの体調不良というのは要するに寝不足だったのだ。

 仕事を終えて家に戻ってからも自分の前世に関わるあれこれが頭に浮かんで離れず、意味も無くかつての生家や親の会社やSNSを調べたりする眠れぬ夜を過ごしたらしい。

 それでも流石に朝方には眠気に襲われたそうで少し眠ったが、寝起きの顔は酷いものだったようだ。そこをアクアに見られて今日は休むよう言いつけられたのが事の真相である。

 

「……病気じゃなさそうならいい。どの道、これからもっと売れて休めなくなるんだ。休める内は休んでおけばいいさ」

 

 アクアもまた朝は忙しいのでその辺りは確認しておらず、顔色だけを見て休むよう言ったようで、理由が判明して安堵したやら呆れたやら複雑な表情をしている。

 

 うんうん、私も気持ちは分かるよ。私も深夜なのに、もう寝ないといけない時間なのに眠気が皆無で焦る事あるから。

 夜は全く眠くないのに、外が明るみ出したら途端に死ぬほど眠くなる現象は何なんだろうね。人間は古来から昼に活動し夜になったら眠る昼行性の生活をしてきたのではなかったのか? 設計者がいるならこれは人体の欠陥だと文句を言いたいところである。

 

「ルビー。昔の事を忘れろとは言わない。それが出来たら苦労はしないからな。でも、いつまでも昔に囚われ続けるのもよくない。今をもっと大事にするんだ。分かったな」

「……うん」

「分かればいい。じゃあ、この話はこれで終わりだ」

 

 アクアがルビーの頭を荒々しく撫でた。休んでいたからセットもされていなかったのだろう、直しきれていない寝ぐせの跡がある髪がさらに乱れたが、ルビーはそれでも嬉しそうに兄の手を受け入れてはにかんだ。

 

 

 

 それから夕食はどうするかという話が2人の間で始まった。今日もミヤコさんの帰りは遅いので2人で食べるようだ。

 しかし外食しようにもルビーは出かける準備を一切していない。髪を整え、変装に使う服を決めていたら時間が掛かる。何か買ってくる手もあるが、学校、仕事帰りの今からまた出かけるのは正直面倒くさい。家に何か残ってなかっただろうか。

 そこで目をつけられたのが今しがた買って帰ってきた見舞い用の品だ。丁度よい所にあるし、今日はもうこれで良いか、という結論に収まったようだ。

 

 

 2人の話し合いを横で聞きながら、私は安堵する。不眠は一時的なもののようだし、食欲もちゃんとある。なら大丈夫だ。

 食事が喉を通る間は大丈夫という考えは医療も霊能も変わらないはずだ。食べれなくなると人間は恐ろしい勢いで弱りだす。自力で噛んで飲み込むという行為には単なるエネルギー補給だけでなく、精神を健康に保つ意味もあるのだ。

 

 問題無いようならなら私はそろそろお暇を、と切り出すつもりでいたのだが、なぜかあれよあれよと私まで一緒に食べる方向で話が進みつつある。

 

「金は2人で出しただろ? なら食べる権利も半分そっちにある。無理強いはしないが」

 

 最初から全部あげるつもりだったし、別に気にしなくて良いんですけどね。まあ、貰えるというなら貰っておくか。

 

 調理は自分がするとルビーが言うので、買ってきたものを彼女に渡す。買ってからある程度時間が経ったが、未だ変わらずよく冷えている冷凍の讃岐うどんだ。

 

 調理は至って簡単。沸騰したお湯か電子レンジに入れるだけ。1度茹でてから冷凍してあるものなので、解凍すればそのまますぐ食べられるのだ。

 汁は付かないので醤油かめんつゆでもかけるか、自分で作ってください。温かい汁が良いならいりこ出汁用に煮干しも買ってあるのでどうぞお使いください。

 

 このすぐ食べられるという点が重要。うどんとはこうでなければ。 

 人口当たりの軒数日本一。安くて、早くて、どこにでも店がある。コンビニよりうどん屋の方が多い香川県において、うどんとはファストフード扱いなのだ。飲食店において、商品の提供の早さは重要な点。店やメニューによっては、注文してから商品が出てくるまで1分以内とかもありうる。混んでるなら少々は仕方ないが、長く待たされるのはNG。

 

「あかねも言ってたな。よく買ってきて食べてるから好きなんだろうって」

 

 アクアが開封されたうどんの袋を見て言った。

 

「もしかして、出身もそっちなのか?」

「そうですよ。私は元々香川の出です。社会人になってから転勤を機に上京して……そこからまあ、色々あって死んだのでここにいます」

 

 前世の親はさぞ驚いた事だろう。独立していった子供が死体になって帰省してきたんだ。ただの事故とかならまだしも、他殺体だ。深夜の廃神社で武器持った男に死ぬまで殴られたから、死体もそれなりに酷い状態だったはず。人気の無い場所だったから発見も遅れてて腐乱状態だったかもね。

 親には悪い事したなあ、と思う気持ちが無くはない。

 

「香川へ来られたご経験は?」

「オレはないな。研修医の頃にあちこち行かされたが、四国は無かった」

「もし来られる機会があるなら案内しますよ。香川に限らず、四国地方の道路事情はあまり良くないので山の方には行かない方が賢明ですが、海沿いだけでも十二分に楽しめるかと」

 

 四国の中央を横断する四国山地。こいつがいるせいで四国4県を往来する際には海岸沿いを迂回するか、山越えをするかの2択を強いられる。各地にある峠道には十分な整備がなされておらず、狭く険しい初心者お断りルートな場所も多い。

 山沿いは高速道路ですら狭いからね。片道1車線、制限速度70キロ、みたいな道路が延々と。そしてそういう時に限ってとろい車が前を塞ぐ。もうこれ下道で行った方が早いじゃん、な展開になりがち。

 

 まあ四国に限らず山間部の道路事情なんてどこも似たり寄ったりだろうけどね。

 

「宮崎も山の方は酷いものだが……自分で走った事は全然ないな。やはり大変か?」

「何度も酷い目に遭いましたよ。ナビがここを走れとしつこく言うので信じて車で突っ込んだら、途中で道路が無くなってた事もありますよ」

「山崩れでもあったか」

「いいえ。本当に道が途中で消失してました。手入れされなさ過ぎてとうとう自然に還ってしまったようでしたね。いやあ、途中から嫌な予感はしてたんですよ。舗装は荒れてるし、たまに見える建物は明らかに朽ち果ててるしで……」

 

 まだ通れる道というのはやはり誰かが使っている物。進んで行くと時折、なんでこんな所にあるのと言いたくなるような集落に出るものなのだが、そういうのが全く無いから嫌な予感がしていたのだが案の定だった。泣く泣くバックで引き返したのも今ではいい思い出。

 

 そうこう話している内にルビーの方も調理を終えたようだ。煮干し出汁の香り漂う温かいうどんを人数分運んできてくれた。

 

「いただきます」

 

 わかめと油揚げを浮かべた白いうどんを口に入れ、喉越しに影響が出ない程度に少しだけ噛んだら飲み込む。

 うんうん、ちゃんとした店のものには敵わないが、この値段で全国どこでもこの味が食べれるんだから技術の進歩とは素晴らしいものだ。

 

 

 

 うどん屋とは長尻する場所ではない。さっと食べて、終わったらさっさと出て行くもの。早々に食べ終えた私達3人は温かくなったお腹を抱えて和気藹々と食後の1杯と団欒を……楽しめそうになかった。箸を置いたルビーが意を決した質問をしてきたせいで部屋の温度が下がってしまったのだ。

 

「家族に会いたくならないか、ですか?」

 

 昔の家族に、会いたくなったりしないのか。それがルビーから私への問いだった。

 原作のルビーも、時折前世の家族に会いに行こうと試みた形跡があった。前世を強く意識させられたここ最近のルビーにもまた、前世の家族に再会してみたい気持ちが生まれてきたのだろう。それで同じ転生者仲間の私にもそういう事があるのか相談してきたのか。

 

「……」

 

 アクアもじっと重い視線をルビーへと向けている。過去に囚われ過ぎるなと言った傍からこういう話をされて何かしら思う所があるだろうが、じっと黙っている。一言注意して終わりなら、それこそそれが出来たら苦労はない話なのだからある程度は仕方ないのだろう。

 アクアには存命の前世の親族がいないからこの問題では妹の力になれないし、向こうも私を頼りにしている感じか。そもそもさっきまで目の前で散々やった前世の話を最初にふったのもアクアだったしな。

 

 いや、私を頼りにされても困るんだけどね。私、見方次第ではアクアと同じ境遇と言えるんだから。私だって前世時代の知り合いなんかこの世界にいやしないよ。

 

 まあ、それは置いといて。私がB小町のライブ前に買い出しで四国に行った時、私の感覚では大方20年ぶりだというのに、記憶の中のそれとほぼ変わらない景色や地名の数々に懐旧を感じなかったかと言うとウソにはなる。

 

「その質問には否とお答えします。仮に会いたくとも会えないですし」

 

 だが、土地への懐旧と家族への懐旧はまた別の話だ。

 この世界は、私が生まれ育った世界ではない。ここに、私の知る人々はいない。同姓同名のよく似た人はいるかもしれないが、ただそれだけだ。

 

「この世界に、私の家族はいませんから」

 

 存在しない人間には会えない。どうしようもない事を考えたって仕方ない。そのリソースは他の事に使った方がよっぽど人生有意義だよ。

 

「ルビーさんの気持ちが分からないとまでは言いません。しかし、会ってどうしたいんです? 温かく迎え入れてほしいんですか? まだ生きていた頃、全くと言っていいほど会いに来てくれなかった人の温かい言葉を、貴女は信じられますか? 娘を愛していたかと問えば、愛してたと答えるでしょう。何故なら、そんな質問に馬鹿正直に答える人間はいないからです」

 

 ルビーは俯いて黙ってしまった。ルビーもきっと、分かってはいるのだ。生まれ変わった今の姿で会いに行っても無意味だと。もう、後戻りはできない。親子としての最後の一線はとうの昔に越えてしまった。

 

 原作アクアが死を迎える前に最後に見た夢の中で、奇跡的に回復し退院した天童寺さりなを、母が迎えに来た場面がある。

 アクアの夢の中では全てがお目出度いハッピーエンドだったようだが、現実はそう甘くはなかろう。もし奇跡が本当に起きてさりなが生き延びたところで、さりなの心に1度入ったひび割れまでは癒えないのだ。

 

 まさかの時の友こそ真の友。

 

 己が苦しい時に離れていって、回復した途端に戻ってきた……母の真意がどうであれ、縋れない相手なのだと、子供の目に1度そう映ってしまった事実は重い。もう2度と、あの親子の仲は入院する前には戻らない。

 

 既に信頼関係が壊れてしまっている所に、私が家族仲睦まじい集合写真を見せてしまった。欲しても終ぞ与えられなかった母の愛を存分に与えられた、弟と妹になるはずだった子供達を見たルビーの心境は、きっと私には想像もつくまい。

 あの笑顔を、己には見せてくれなかった。それはつまり、己はそれに値する存在ではなかったという事。己は母に愛されてなどいなかった。

 

 

 だが私としては、天童寺さりなが本当に愛されていたのかどうかについては少々疑問に思っている。本当は、愛されていたかもしれない。原作の描写的にそういう解釈もできなくはないというだけの無理矢理なものであるが、それでもさりなは愛されていた可能性がある、とルビーに教える事は出来る。

 

「ですが、諦めるのはまだ……」

 

 思わずその疑問を口にしかけて、私は途中で止めた。

 私の目的はあくまで、ルビーが過去を振り切って前に進んでくれる事だ。ルビーがたどり着いた先が真実である必要など、これっぽっちも存在しない。もしかしたら愛されていたかもしれない、などと吹き込んだところで何になる。

 

 お釈迦様が気紛れに垂らした蜘蛛の糸が目の前で切れてしまった犍陀多の絶望たるや如何ほどか。こんな事なら、最初から救いなど与えないでほしかっただろう。中途半端な希望はかえって害悪だ。

 ルビーはただ、同情の余地など一切無い人でなしとして天道寺夫妻を恨み続けていればいい。少なくとも、糸とハサミの用意をするべきは今じゃない気がする。

 

「……何でもありません。それでも会って、分かりきった事実の再確認がしたいとルビーさんが仰るなら、それが出来る場をご用意致しましょう。確約はできませんが、お望みに添えるよう最大限努力致しますとも。それが仕事ですからね」

 

 明日はカントクに改めて例の件のお願いをしてみよう。一度は演技を披露できたし、ルビー本人たっての願いでもあるときた。愛する義娘からお願いされたらミヤコ社長も弱る……といいなあ。

 本当はもう少し実績を積み上げてからにしたいところだが、やむを得まい。入念で完璧な準備より、流れと勢いの方が重要だ。せっかく鉄が熱くなったんだ。打たないなんてもったいない。

 さ、このお茶飲んだら帰るとしよう。そして、明日の事を考えるのだ。次の演技をどうするか、何と言ってお願いしようか。

 

 

 

 妹の見舞客を駅まで送った帰り道、アクアは路上でふと嫌な気配を感じた。

 その気配の先にあるのは一軒の空きアパート。駅の裏手という素晴らしい立地、お値段も破格。にもかかわらず、借り手が殆どいない。たまに入っても直ぐに出て行ってしまう事で有名な寂れたアパートだ。そのアパートの前で、集まったカラスが山を形成していた。

 

 壊れかけの古びた蛍光灯が瞬くその下で、カラスが集まって何かをつついている。その異様な光景を少し離れて眺めているのは、夜の帳よりさらに暗くて目立つ闇色の少女。

 その少女を認識したアクアはすぐさま何も見なかった事にした。しかし家路を急ごうと視線を前に戻した瞬間、アクアはその少女と至近距離で目が合ってしまった。視線を戻すのに掛かったのは1秒足らずであるが、この疫病神が回り込むには十分すぎる時間だったようだ。

 

「酷いじゃないか。小さい女の子が夜道に突っ立っているのに見て見ぬふりなんて」

「あんな所からオレ達を盗み見か? ボロ家を好む疫病神とは。さぞかし神社の方もボロいんだろうな」

「家はまだ綺麗な方だよ。ただ身の程を弁えないのがいたからお仕置きしてただけさ。知ってるかい、あのアパートにはあるルールがあるんだよ」

 

 深夜の時間帯、特に午前2時前後は廊下を歩いてはならず、ドアスコープも覗いてはならない。それがあのアパートの入居者に大家から伝えられるルールだと疫病神は言う。

 過去に不審者が出たから、などと言っているが、それは表向きの話。実際は、丑三つ時前後に稀に廊下に現れる『なにか』に遭遇してしまうかもしれないから。また、そのなにかはドアスコープを外から覗き込もうとする事があるため、目が合ってしまうのを防ぐためにドアスコープも夜間使用禁止、らしい。

 

「脅かすだけの大したことない無害な存在だけどね。何故か絡んできたから痛い目に遭わせてただけだよ。救いを求める相手を間違ったね」

 

 まあ、そんな事はどうでも良いじゃないか、と疫病神は笑った。

 

「今日は気紛れに、ちょっとした助言をしに来たのさ」

 

 地獄への道は善意で舗装されている。疫病神の吊り上がった口元を見たアクアの脳裏には、そんな言葉が思い浮かんだ。

 

「そう身構えなくていい。これは君にではなく、君の妹の為の助言さ。そっちにまで私は使命を課してはいないからね」

 

 疫病神が腕を1本差し出すと、そこへ1羽のカラスが音も無く舞い降りた。その艶やかな羽を愛おしそうに撫でる。

 その1羽に、何となく見覚えがあるような気がアクアはした。

 

「あの子には私の家族を助けてくれた恩義がある。そのお礼に、私はあの子に用意してあげたんだよ。健康な体と、憧れのアイドルの娘の地位……夢に挑戦できる環境をね。お前と、お前の母はそうじゃないからもう暫く借金地獄の中でもがいてもらうけれど」

「……その助言とやらを早く言え」

 

 ああ、そうか。こいつはかつてあの子が救いの手を差し伸べた1羽だったか。懐かしい日々の1シーンを思い出しながら、アクアはぶっきらぼうに先を促した。

 

「斉藤壱護は早めに引き込んでおくことだ。あれは今の君たちや黒川あおいに欠けている部分を埋めてくれる人材だよ。B小町の皆に枕営業を勧められる前にね」

「枕営業? どうしてそんな話になる」

「映画の主役に、ドーム公演。いずれも極めて短期間の内に成果を上げないといけない案件である。のんびり成長を待っている余裕は無い。ならば、お偉いさんに直接媚びを売って便宜を図ってもらうしかなくなるからさ」

 

 いくら拘りの強いカントクでも、無い袖は振れない。金を出してくれるスポンサーの意向は汲まねばならぬ。スポンサーに強くルビー推しをさせればカントクはその声を無視できない。

 ドーム公演実現にはさらなる人気が必要で、その為にはメディアやネット上での露出が欠かせない。ルビーには素質がある。後は宣伝をしてくれるその業界の大物を捕まえられれば勝利は確実と言っていい。

 

 最悪負けても問題ない映画の主役争いでそこまでする可能性は低いが、ドーム公演は話が別だ。結果を出さない訳にはいかない。

 

「後の事に責任を持つ必要はない。何故なら、それは契約に入っていないから。後でホテル入ったのが世間に知られて炎上したって、勧めた当人は涼しい顔さ。文句を言われたら言い返すだろうね。先代が成せなかったドーム公演を果たした今、君はもう名実ともに母を超えた。全て君の希望通りにしたと言うのに、いったい何が不服なのか、と」

「だからそこで先代社長か」

「そうそう。アレが短絡的な手に走らざるを得ない理由は専門知識の不足。アイドルの売り出し方を知ってるベテランが助言するなら、アレは喜んで任せる」

 

 合点がいったように頷くアクアに、疫病神はかえって怪訝そうに口元をゆがめた。

 

「……本当に理解してるかい? そんな未来など来るわけないって、君は皆を信じてるんだろうね。でも、アレは違う。本当に追い詰められた時、落ちぶれるぐらいならいっそ体でも何でも売って最後の賭けに出る気概がある相手と知っているから、大真面目に提案するよ。むしろ最初からその提案を呑ませる目的でわざと追い詰められるぐらいはやりかねないね」

 

 焦燥の果てに、とうとう最後の一線に手を掛けてしまい、そしてスキャンダルの隠蔽のために君が奔走させられる……起こりえた幾つもの未来の中には、そんな世界もあったかもしれないと、信じ難い未来の可能性を語る疫病神は、嫌らしく口角を上げた。惜しかったとでも言いたいのだろうか。

 

「枕云々は置いといても、アレは仕事が楽になる。斉藤壱護も、自分の失点を挽回できる機会があるなら欲しがるだろう。君は言わずもがな。皆得しかないから、早めに連れ戻すことだ。じゃあね、私が言いたかったのはこれだけだよ」

 

 疫病神が腕を払うと、その手に止まっていたカラスがアクアの目の前に飛んでくる。思わず目を閉じたアクアが再びその青い瞳を開いた時、そこにはもう誰もいなかった。

 

 

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