完璧で究極なアイドル様に執着されて   作:肉ぶっかけわかめうどん

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【推しの子】完結おめでとうございます。

内容については……うん、もう何も言いますまい。後4話で完結とアナウンスが出た時に大半の読者が既に「あっ…(察し)」状態になったと思われますし。


『完璧で究極の偶像(アイドル)が完成するまでの物語』という表現をネットで見つけたのですが、これが個人的には一番しっくりくる表現だと思いました。
ママ以上に完璧なアイドルになれて良かったね。ルビーが望んでた方向性とはちょっと違うと思うけど。


借りたバイクで走り出す

 

 秋も本番へと差し掛かり、冬の兆しも近づき始めるこの季節。潮の混ざった寒風が吹き抜ける堤防をアクアは黙々と歩いていた。

 深くかぶったフードで寒さと風から身を守りながら、遠く見える男の背中へ向かって歩みを進め、その隣に足を投げ出して座り込んだ。

 

「……」

 

 平日の真昼間。暇人の貸し切り釣り場と化していた至福の空間に無遠慮に入り込んできたアクアへと、釣りをしていた男がぶっきらぼうに口を開く。

 

「久しぶりだな。元気にしてるか?」

 

 首だけをアクアへと向け、年季の入ったサングラス越しに柔らかい視線を投げたこの男の名は斉藤壱護。苺プロの前社長である。職を退いて早13年。現役時代より少し痩せた気がする。

 

「ああ、いつも通りだ。そっちはどうだ?」

「見ての通りよ」

 

 壱護は足元のバケツをつま先で小突いた。その中身は空っぽであった。

 

「今日はさっぱりだ。ま、時間帯も悪いし、最初から期待してなかったけどな」

 

 垂らしていた糸を巻き取り、釣竿を傍らに置いてアクアへ向き直った。

 

「で、今日は何の用だ。オレは朝からずっとボウズで機嫌が悪い。手短に用件を言え」

 

 最初から期待してないんじゃなかったのか、と心中で呆れながらもアクアは今日の要件を簡潔に言い放った。

 

「苺プロに戻ってこないか?」

「断る」

 

 しかし、返ってきたのはきっぱりとした拒絶だった。

 

「今更どの面下げて帰れってんだ。苺プロの業績は悪くない。新しいB小町だっていい感じに売れてる。ミヤコはオレよりずっと上手くやってるよ。もうあそこはオレの居場所じゃ無いんだ」

 

 だがアクアもこの程度は想定内である。

 

「確かに表面上は問題無いように見えるかもな。だけど、これからもっと会社は大きくなる。これ以上仕事が増えたらミヤコさんだけじゃ捌けないぞ」

「なら人を雇えばいいじゃねぇか」

「それができないから困ってるんだよ。人増やすってのはそう簡単な事じゃない。元社長様には言うまでもないだろうけどな?」

「尚更の話だな。事業拡大するつもりがあんなら、ヒマな今のうちに新人雇って育てとけよ」

 

 はん、と壱護は苛立たしげに鼻を鳴らした。

 

「一丁前に権利ばっか叫ぶ今時のガキには分からんかもしらんけどな、会社への忠誠心ってのはそう馬鹿にできるもんじゃない。金で転ばせた即戦力なんか信用できるか。そういうヤツは、もっと良い条件のとこが出てきたらまた転職するぞ。お前が望む次世代は、お前自身の手で育てるしかないんだよ」

「その忠告は受け取っておく。だが、今のミヤコさんにはもうその育てる余裕すら無いんだ。今苺プロは、忠誠心があって、かつ安い給料でも文句言わず働いてくれる即戦力が大至急必要なんだ。この条件に合うのは1人しかいない」

「1人しかいない……誰の事だ?」

 

 自身を真っ直ぐに見つめてくるアクアに、壱護は思わず目を逸らしかける。

 

「もしオレの事を言ってるんなら、お前の目は節穴もいいとこだ。オレに会社への忠誠なんてあると思ってんのか。オレの何処を見たらそんな結論になる」

「あるさ。今でも置いてきたミヤコさんや会社のこと、ずっと気にしてるんだろう?」

「……ただ未練がましいだけだ。自分で捨てておいてな」

「それだけじゃない」

 

 アクアは壱護へ向かって距離を詰めた。

 

 

「アイの住所を教えたのは、アンタで間違いないのか」

 

 

 冷たい怒りを秘めた両の瞳が、壱護の顔を深く射抜いた。

 

「……あの黒川とかいう胡散臭い女から聞いたか。ああ、そうだよ。全てはオレのせいだ。それを知ってて、どうしてオレに忠誠なんてあると思えるんだ」

 

 1の動揺と、99の観念がこもった吐息を、壱護は大きく秋空へと吐く。

 

「それは、会社を守るためじゃないのか。アイという1と、会社という100。どちらもは守れないから、泣く泣く1を切り捨てたんじゃないのか」

 

 斉藤壱護が流出元であるとするなら、その理由は脅迫しかない。アイのスキャンダルを知っていた何者かに、住所を教えるか秘密をバラされるかの2択を要求されたのだろう。

 

「仮にそうだったとして、それでお前は納得できるのか」

「できるわけがない。アイを切り捨てた事を、オレは一生許さない」

 

 声こそ荒げてはいなくとも、そこにはしっかりと怨嗟の色が浮かんでいた。いかなる理由があれども、切り捨てられた1の側がそれを許す事は無いのだ。

 

「でも、理解はできる」

 

 アイを捨てた事は許せない。だが、アイを守る為に会社を、そこで働く自分の妻も含む全従業員とその家族を切り捨ててくれ、だなどと言えるはずもない。それは責任ある者がして良い決断ではない。

 また、その場合でも守られるのは命だけであり、スキャンダルをばらされたアイがそれ以上アイドルを続ける事は不可能。詰まる所、ここまで事態が進行してしまった時点で詰みだったのだ。

 

「それに、そうやって苺プロを残してくれたおかげで、今のルビー達があるのも事実だ。だから、オレはもう、この件については何も言わない」

 

 アクアは壱護の両肩を掴んで揺さぶった。その拍子にサングラスがずり落ちてしまうが、どちらもそんな物には目もくれず、ただ互いの瞳を映し合っていた。

 

「なあ、こんな所で腐ってないで、もう1度だけ戦ってみないか。今度こそ、B小町でドーム公演をやるんだ。その為にはアンタが必要なんだ」

「アクア……」

 

 とうに枯れたと思っていた何かが、胸の奥で燻ぶっているのを感じる。

 僅か4年とはいえ、それでも成長を見守ってきた愛する子供だ。その子に助力を乞われて、過去を不問とするとまで言われて、何とも思わない大人がいるだろうか。

 現役時代に積み上げてきた人脈はまだ生きている。これを全てアイの忘れ形見の為に捧げれば、少しは罪滅ぼしになるだろうか。

 こんな自分が必要だと言うのなら、最後の奉公をすべきは今なのだろう。天国のアイに、少しでも顔向けできるように。

 

 その当のアイはまだ天国に行っていない、という話は今はしてはいけない。

 

「ま、嫌だと言っても無理やり連れて行くんだが」

「え?」

 

 寄せては返す波の音に混じって、人の足音が近付いてくる。

 

「オレは今日、ここまで車で送ってもらったんだ。つまり、護送車と運転手はずっと、裏で待機してたという事だ。いつでも取り押さえられるようにな」

 

 壱護は何だか寒気を感じながら背後へ振り向いた。背後にいた人物とばっちり目が合った。

 

 13年前と何も変わらない……いや、隠す努力はしているが、流石にあちこち老けてるな。でも、やっぱイイ女だよなぁ……。

 

 逃避という訳ではないが、13年ぶりに見る妻の顔に感じる懐かしさで心がいっぱいになっていた壱護は、妻の次の行動に全く対応できなかった。

 

 その右頬に叩きつけられた全力の手の平で、彼の視界は真っ白に染まったのであった。

 

 

 

 

 苺プロまで出勤してきたのはいいものの、肝心のカントクもミヤコさんも不在とは。カントクは今日は外で仕事しているようだが、ミヤコさんはどうしたのだろうか。他の社員に聞いたが、昼前に出て行ってそれっきりらしい。

 同じく理由不明でアクアもいない。こっちはむしろ好都合だ。こいつは知ったら邪魔してきそうだし。

 営業マンとかが時折持ち出す最強の必殺技『もう約束しちゃったから』であらゆる反対意見を粉砕して強行するだけのシンプルな計画だったのに。

 

 仕方ないから今日は普通に働くか、と諦めて仕事に戻ろうとしたら、物陰から急に現れた黒い何かに道を塞がれた。

 

「よっ」

 

 黒いしぬるりと現れるのでツクヨミかと思ったが、疫病神にしてはシルエットが大きい。

 というか、これよく見たら姫川大輝じゃん。他のララライ組今日来てないかカントクと一緒に外出てるのに、何でこいつだけいるんだ。

 

「何か御用ですか、姫川さん」

 

 長い前髪をかき上げ、眼鏡のポジションを直している姫川をじっと待つ。普段全く絡みの無い相手だし、本当に何の用件なんだか。

 

「いや、用って程のもんでもないけどな……今度の週末、ヒマか?」

「別に忙しくはありませんが」

「じゃあオレとドライブ行かね?」

 

 はい?

 

 遊びのお誘い? なぜ私に。もっと一緒にいて楽しめそうな相手に振りなよ。

 

「最近免許取ったんだ。走りに行きたいんだが、独りじゃ虚しくてな。誘う相手探してたんだよ」

 

 あー、そういえばそんな回もあったな。納車したての車をとにかく走らせたくて仕方なくて、アクアや不知火フリルに声かけてドライブに出かけたんだったか。で、その後は……たしか事故った。

 

「どうして私なんです。もっと仲良い人がたくさんおられるでしょうに」

「君の事をもっと知りたいから、じゃダメか?」

「そのお気持ちは嬉しいのですが……私ってそんなに人の目を惹くような存在ですかね? 見てくれは悪くないかもしれませんが、姫川さんほどのお方なら本物の美人がより取り見取りでしょうに」

 

 容姿に恵まれたのは前世との比較で理解しているが、上澄みぞろいの芸能界で目が肥えた業界人基準ならこの程度は飽きるほど見ているだろう。興味をもたれるほどとは思わないが。

 

 しかし相手はそう思わないようだ。目の前でため息をつかれた。

 

「主役争いの件であれだけ派手に暴れたってのに……本気で言ってる?」

「そっちで注目されるのは分かりますが、そこから何で遊びに行こうという話になるのかが」

「互いを理解するには、飲んで騒いで楽しく遊ぶのが一番だと思わないか?」

 

 飲んで騒いで……お酒もあるんですか? それなら喜んで参加するぞ? 姫川大輝始め劇団ララライの面々相手なら、多少酔ったところで身の心配もしなくていいだろうし。

 

 なんて冗談は置いといて。

 

 ちょっとナンパっぽい雰囲気になってるけど、実態はおそらく違う。可愛い弟たちが困っているのを見ていられず、自分なりの行動を起こそうとしているとでも見た方が良いか。憎い父親と仲良さそうなのも関連あるか?

 私としては仕事さえちゃんとやってくれるなら、こいつに好かれていようがいまいがどうでも良いというのが本音だし、突っぱねるのは容易い話なのだが、果たしてそれが正解なのだろうか。

 

 適度な好意は有った方が仕事はやりやすいだろうし、適当に付き合う選択肢もある。付き合った結果逆に嫌われる可能性もあるが、それはもう人の相性というものなので致し方なし。

 別に若葉マーク君のドライブに付き合うぐらいなら全然構わないのだが、その場合こいつが高確率で事故るというのが問題なんだよなぁ。事故ると分かってるヤツの隣なんて乗りたくないぞ。

 

 私だけ別の車両で後ろから付いて行くか? でも私自分の車なんて無い……いやまて、あるじゃん車両。住職が貸してくれるって言ってたバイクがある。あれを使う時が来たか。

 あのバイクの件もいい加減何とかしないといけないヤツだからなぁ。バイク欲しいなら家族にちゃんと正面から言う事、と条件を付けられているが、結局話し合いが面倒でずっと先送りにしてた。住職もそろそろ続報を欲しがっている頃だろう。

 有言実行は大事な事だ。あんな話をした以上は、いつかどこかでやらざるをえない。

 

 あくまで先送りであって、逃げてるわけじゃないぞ。実際に話し合った時に起こるであろう各種問いに対する想定問答集作ってたけど途中で面倒くさくなってきただけだ。

 

「あー、やっぱ嫌か?」

 

 私が返事をしないものだから、乗り気じゃ無いものと思われたか。いやいや、別に嫌じゃないよ。

 

「いえいえそんな事は……その気持ち、分かりますよ。新しい遊び道具は使いたくなりますよね。かく言う私も最近そういうのを手に入れたんです。2台で一緒に走りに行きましょう」

 

 せっかくだから姫川さんには口実になってもらおうか。

 なんでバイク乗りたいの? ……想定される質問の1つだ。趣味性しかない乗り物なんだし、実際乗ってる人達に聞いても「乗りたいから乗ってるんだよ!」の当然すぎる答えしか返ってこないだろう。

 

 しかし、今までバイクはおろか乗り物全般に全く興味を示さなかった娘が急にそんな事を言い出したら親は怪しむ。実際、私は車なんてただの道具と思ってる派だし、安くて壊れにくくてちゃんと走れば文句ない人間なのだ。バイクだって、遠方への移動手段でしかない。

 その私がこの車種に一目惚れしてー、だのバイクの魅力がどうのこうのと心にも無い戯言を並べ立てたところで説得力などあるまい。

 

 うちの専業かつ車持ちの母の「行きたいところあるなら、言ってくれればいつでも送り迎えするよ?」の代案を退けるには姉のように、仕事で必要だという大義名分か、どうしても乗りたいんだという熱意のいずれかが無ければ突破は難しい。

 

 そこでもう1つの定番『友人に誘われて』の出番だ。今までその分野に興味なかった人が新しい趣味を始める切っ掛けとしてはありきたりだが、だからこそ効果がある。

 だが私にはバイク趣味の友人などいない。住職は友人として紹介するには年が離れすぎだ。親子ほどの年の差があり、実際向こうには独り立ちして働いている息子がいるようだし。何より出会った経緯が説明できない。

 

 となると架空の友人をでっち上げる事になるのだが、そうなると親に詮索された時に困るんだよね。

 今時は学生ライダーという存在は多少増えつつあるようだが、一昔前、親の世代だと高校生+バイク、の計算式で暴走族が出力されるような人も多かろう。

 悪い友達でもできたのか、と無用な心配をした親にあれこれ突っ込まれると面倒極まりない。

 

 というか部屋に帰れば酒も煙草もある私の方がそこらの不良よりよっぽど不良してる。

 

 その点、劇団ララライ構成員であれば最低限の身元は保証されている。同じ劇団員として姉もあれこれ聞かれるだろうが、同僚の事を悪くは言うまい。娘の彼氏のお兄ちゃんであるという事実もお付けしよう。

 姫川大輝ご自慢の愛車の前で撮った写真の1つも送れば、向こうが両親の危惧する類の人物ではないと証明できるだろう。

 

 これ車じゃん、バイクに誘われたんじゃないのかって? 良いんだよ細かい事は。車もバイクも入り混じった異種混合ツーリングしたって良いじゃないか。

 

「え、いや、オレの車で行こうって話だったんだけど……まあいいや」

 

 何か思ってたのと違う、とでも言いたげだ。悪いね、貴方が嫌なんじゃなく、貴方の運転が嫌なだけなんだ。

 

「他の方も誘われるのですか?」

「そのつもりだけど、君が2人っきりが良いと言うならそうする」

「私はどっちでもいいですよ」

 

 私に探りを入れたいのが目的なら向こうとしては2人きりがベストなのだろうが、私としては別にどちらでも。

 

「分かった。じゃあ、連絡先交換しよう」

「はい、どうぞ」

 

 私の携帯に姫川大輝の連絡先を登録した。この先使う機会があるかどうかは分からないが。

 自分だけの足で自由に走り回る気持ちよさを彼には存分に語ってもらおう。私が感化されても仕方ないと思うほどに。

 

 

 

 

 結局社長は帰ってこなかったので仕方なくそのまま仕事を終え、家に帰る。夕食をとる。父はまだ帰ってきていなかったので、母と私と姉だけが先に食べている。

 

 黒川家が一般平均よりは裕福な家だとはいえ、食事まで毎度豪勢というわけではない。今夜は焼き魚を中心にご飯と味噌汁、野菜の煮しめ、漬物を添えたメニューだ。漬物は私が作り置きしておいたキュウリのワサビ漬けだが、残りのメニューは全て母が作っている。

 いやこれでも独身の一人飯とかとは比べ物にならないほど上等か。

 米と味噌と少しの野菜。『雨にも負けず』にもそう書いてある。

 カロリー源となる米と、米をかきこむ為のおかず1品、少しの野菜、以上。みたいなのが真の独身飯。足りない栄養素は飲み物とサプリで補給。自分しか食わん飯に手間暇なんぞかけてられるか。

 毎食コンビニ弁当? あれはブルジョワジーにのみ許される贅沢だ。

 

 結論。今世の母の主婦能力がとても高くて鼻が高い。

 

「バイトはどう?」

 

 垂れ流しのテレビをBGM代わりに煮しめをつついていたら、母がふと声をこぼした。

 

「別にどうと言われても……やる事は多いけど、ひとつひとつはそう大変でもないよ」

「そう。あかねにも聞いたけど、ちゃんとやってるみたいで母さん安心したわ」

 

 姉にも聞いたのか。変な事言ってないだろうな、と隣をチラ見した。目が合ったが、特に返事は無かった。黙々と魚の骨を取り除いている。

 

「母さん、あおいが急にバイト始めるって聞いてびっくりしたのよ。小さい時に習い事いろいろさせてみたけど、全部すぐ飽きて辞めちゃったし、学校でも部活もバイトも全然しないじゃん。趣味も無さそうだし」

「まあね。毎日何もしてないよ」

「そういうの、ずっともったいないって思ってたの。若い時にしかできない経験ってたくさんあるのよ? 今思い出作らないでいつ作るの、って」

 

 青春の価値なら言われずとも知ってるよ。こちとら学生生活2回目なんだから。

 

「だから、バイトするって聞いて母さん嬉しかったのよ。やっと年頃の子らしい事する気になったんだなって」

 

 別に若い子じゃなくてもバイトする人はいる、というのはきっと無粋なツッコミなのだろう。穏やかに笑う母へそれを言わない程度には私にも常識はある。

 しかし、たかがバイトぐらいで大げさな。こうまで喜ばれては辞めづらくなるじゃないか。そんなに長くいるつもりはなかったのだが。

 

「で、あおいはどうしてバイトする気になったの?」

 

 母の顔が、穏やかな笑いから、ニヤつくような笑いへと変わった。

 

「今まで興味なかったのに急に始めるんだから、何か目的があるのよね? 欲しいものでもできた? それとも、バイト先に気になる人でもいるの? ねぇねぇ、母さんに教えてよ、絶対にお父さんには言わないからさー」

 

 最初から娘との話に花を咲かせるのが目的だったか。いや、何を期待してるのか知らないけど、別に何もないよ。

 

 とはいえ、見ようによってはこの流れはチャンスでもある。

 せっかく何か欲しいものがあるか水を向けてくれたのだ。昼間に姫川大輝からドライブの誘いがあった事と言い、今こそバイクの話を切り出す千載一遇の好機がきたのかもしれない。

 

 口の中をすっきりさせるために味噌汁を一口。

 箸をそっと置けば、私の雰囲気が変わったのを感じたのか、母だけでなく姉も揃ってこちらを見た。

 

「欲しいものならあるよ」

「え、何、何?」

「バイクが欲しい」

 

 こういうのは下手に溜めずにさらっと言ってしまうべきだ。そして速やかに押し切る。

 ちゃんと聞き取れただろうに、意味がよく分かっていなさそうにぽかんとしている母へと私は、もう一回同じ事を言うのだった。

 

 

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