完璧で究極なアイドル様に執着されて   作:肉ぶっかけわかめうどん

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巻末おまけ漫画も小説版も実在しない。いいね?


それは悪魔のように黒く

 

 出社してこれまたミヤコさんとカントクを探すが、今日はカントクはいるがミヤコさんが不在だ。聞けば今は外回りの最中らしい。営業も自分でやってるからこういう事は普通に起こりうるか。

 私は営業はできないが、取引先との接待にだったら行ってもいいぞ。業務後の飲み会を嫌がる人は多いが、私はそういう仕事をむしろ率先してやりたいと思っている。

 気分よく飲めるよう酒を注いでやるし、煙草の匂いは私は気にならない人だから好きなだけ喫えばいい。酔っ払いの中身の無い話に相槌も打とう。多少のセクハラは笑って流してやる。

 

 優しさとお金には共通点が多い。これがあれば大抵のことはできる。そして、使えば無くなる。

 他者の優しさに付け込んで好き放題していたら、その内優しさの貯蓄が尽きて見放される。それが嫌なら、適度に稼がなければいけない。

 

 楽して優しさを稼ぎたければ、皆が嫌がる仕事を進んでやるべきだ。それによって職場でオンリーワンの立ち位置を築ければ、他の仕事が不出来だったり、急に休んだりしても大目に見てもらえるようになってくる。

 

 前世で昔、昼は保母、夜はキャバ嬢とかいう人から依頼を受けた事がある。その嬢曰く、幼児も酔っ払い中年も大して変わらないと。

 子供同然の相手をたかだか数時間してやるだけでお金も皆の好感度もがっぽりなんて最高じゃないか。こんな楽な仕事でこんな荒稼ぎしちゃって良いんだろうか。

 

 

 それはさておき、夜までに帰ってくるのかな。私が勤務中の間に帰ってくるなら色々話がしたいが、そうでないならまた先延ばしだ。電話で話してはいけないというルールがあるわけではないが、こういうのはやはり面と向かって話すべきだろう。別に急ぐ話でもないからのんびりチャンスを待っていればいい。

 

「あ、待って待って」

 

 配信部門所属の正社員、笹野さんがデスクに向かおうとしていた私を呼び留めた。

 

「実は今日から新しいバイトが入ったんだ。黒川さん来たら紹介しといてって社長に頼まれてたんだよ」

 

 笹野は私についてくるよう手招きすると、そのまま倉庫代わりの部屋へと向かっていく。

 扉が開きっぱなしになっているその中へずんずん進んでいった笹野に気付いた室内の人物は、作業していた手を止めて顔を上げた。

 

「なんだ……げっ」

 

 スーツの上からエプロンと三角巾を身に付けた前社長、現バイトな斉藤壱護氏が私の顔を見るなり何故か嫌そうな顔をした。

 おや、いつ間にか戻ってたのか。

 

「何でここに……」

「ああ、新しいバイトと言うのは前社長でしたか。ご無沙汰しております。実は私もここのバイトでして」

 

 笹野は私と前社長を交互に見た。

 

「あれ、既にお知り合いな感じで?」

「以前に一度お会いしました」

 

 お元気そうで何よりです、と私が言うと、斉藤壱護はため息をついてサングラスを外した。

 

「これが元気な顔に見えるか?」

 

 黒いサングラスの下に隠されていた目の下には、濃いクマがべっとり張り付いていた。昨日は寝かせてもらえなかったのだろうか。

 

「昨日からずっと働かされっぱなしだっての。何時間もネチネチ説教されて家事全部やらされて、会社に来てからは延々掃除と荷物整理だ」

「家でも会社でも雑用扱いなんですね」

「全く……なーにが今の時代は5S、だ。5Sは唱えれば職場が綺麗になる魔法の呪文じゃねぇっての。しかも自分が帰るまでに終わらせとけって言いやがったし」

 

 うんうん、仲は悪くなさそうで何より。

 彼がいつ帰ってきて、その後何があったかは知らないが、まだ身内として受け入れてもらえてるだけ幸運だろう。家事全部やってもらえるならミヤコさんも助かるだろうね。

 

「もう知り合いなら、紹介はいらない感じかな。じゃあ、後よろしく黒川さん。先輩なんだから遠慮なく顎で使ってやってって社長から言われてるから、何でも頼んでいいと思うよ」

「はい。分かりました」

 

 ぐちぐち言い出した前社長には目もくれず、笹野は自分の仕事に戻って行った。

 残された私は疲れた顔の新人バイトと向き合う。

 

「では、これから同じ会社のバイトとしてよろしくお願いします。斉藤さん」

「ああ、よろしく……とりあえず、これ手伝ってもらっていいか?」

 

 壱護は自分の背後を指さした。保管と称して積み上げられた書類や古い衣装、修理待ちの機材その他の物品が山となって部屋を埋め尽くしている。

 

「雑用係が雑用を頼まれたとあっては断れませんね。何をすればいいので?」

「要る要らないはオレが見て判断する。要らない物を片っ端から捨ててきてくれ。とりあえずそこの山はもういい」

 

 はいはい、この古びた紙束は全部シュレッダーしてきますね。

 

 それからひたすらゴミ捨てに奔走させられた。腐ってもさすがは前社長、要不要の見極めが早い。どんどんゴミ袋が増えていく。

 

 雑に保管されていたくたびれた古い衣装を新しいごみ袋に押し込みながら、休憩がてらの雑談を振ってみる。

 これ勿体ないなぁ。旧B小町の衣装とかそういうマニアに売れば喜んで買い取ってくれそうなのに。惜しむらくは保存状態の悪さよ。

 

「斉藤さんがいた頃からこうだったんですか?」

「いや、オレの頃はもっと綺麗だったよ。日頃から整理させてたからな。オレが辞めてから一気に増えてる」

 

 壱護は次の新しい山を切り崩しながら、目だけをこちらに向けた。

 

「そういう余裕すら無かったんだろうな。今月をどう乗り切るかで頭がいっぱい。そんな状態が何年も続いてればこうもなる。こういう地味な仕事は上が音頭取らない限り下はやらないもんだ」

「それもそうですね。私だってこんなの面倒くさくてやりたくないですし」

 

 いつだって有能な人間から辞めていく。地味な仕事の重要性を理解していて自主的にやってくれるような有望株はアイの事件の混乱でだいたい出て行った。

 前社長時代を知っている古株もいるにはいるが、その面々は言っては悪いが壱護からの評価はそこまで高くなかった社員達のようだ。

 

 そもそも壱護が急に辞めなければここまで酷い混乱にはなってなかっただろうし、そう考えればかつての惨状の責任の8割ぐらいはこの人にあるんじゃないかと思うが、わざわざ本人に向かって言う事でもないので黙っておく。

 

 傍から見れば嫁に子(アクアとルビーは名目上は斉藤夫妻の子供扱い)も責任も全て押し付けて、自分だけ真っ先に泥船から逃げたようにも解釈できちゃうとか、転職の当てがあるならそんな会社からは自分も逃げるとか、思っても言ってはならない。

 朝、この新人を紹介された古株社員達の反応、見てみたかったな。歓迎されたのか、それとも……。

 

「前社長から見て、現社長の働きぶりはどうですか?」

「……ミヤコはよくやってるよ。よくここまで立て直したもんだ」

 

 壱護は掴み取った書類の山をパラパラとめくる。

 

「小さな仕事ひとつの為にどれだけあいつが走り回ったのか、これ見てるだけでも想像はつく」

 

 めくり終わった書類から何枚か抜き出して横に避け、残りはまとめて私に押し付ける。今度は違う山を手に取った。紙の劣化具合からして比較的最近の物のようだ。

 

「……これはあまり良くないな。駆け出しはとにかく顔売らなきゃ始まらないから、どんな小さな仕事でも受ける価値はある。だが、中堅にまでなってから受けるような仕事じゃない」

 

 私からでは紙の内容は読めないが、彼がそう言うのならきっと割に合わない仕事なのだろう。

 

「お金の問題ですか?」

「ギャラの額じゃない。次に繋がるかどうかだ」

「つまりお金ではなくコネの話、と」

「そうだ。結局最後にもの言うのはコネなんだ。時間ってのは有限、旬の時期はもっと短い。あいつらが本気でアイドルとして上目指す気でいるんなら、価値の低い仕事なんかやってるヒマ無い」

 

 売れ出した段階が勝負。ここでどれだけ高く売り込めたかで今後が決まる。営業マンの腕の見せ所……といきたいが、あまり上手くいっていないようだ。

 

「でも、いわゆる大御所のような人たちでも、仕事を選ばないと評される方もいるんじゃないですか?」

「それは誰もが認める大物だからこそだな。既にブランドとして確立されてるから、たまには安売りしたって良いんだよ。中堅以下が同じ事やったら安物扱いで買い叩かれて終わりだ」

 

 それもそうか。1回受けたら次からも同じ条件で仕事が来るようになるのは芸能界も同じだろう。前もやったじゃないですか、今回はどうしてできないんですか……下手に安請け合いすると後が面倒くさい。

 昔にあったな。前と同じでお願いします……いやいや、今回だけだからと言うから泣きの1回を聞き入れてやったのに、何でしれっとまた同じ案件持ってきてんのお前って。

 

「ミヤコが帰ってきたらスケジュール確認してみるか。削れるところは削らないとな」

 

 多分、この人が雑用扱いなのは後数日程度だろうな。最低限の顔合わせと現状把握が済んだら外回りに勤しんでほぼほぼ社内にいない状態になるだろう。そしてまた私が雑用係に回帰する。

 まあそれは仕方ない。世の中適材適所だ。この人に掃除だけさせとくのは流石に会社の損失。

 

 では、雑用を代わりにやってくれる残り数日のうちにできる限り自分の仕事を進めておこう。

 

 

 

 この辺りで今日は終わりにしよう、どうせ1日で終わる仕事じゃない。大物はある程度片付けたからミヤコも文句は言わないだろう、と掃除を切り上げた後は、次の仕事を求めて2人で社内をふらふらとうろついた。掃除とかは隣にいる期待の新人がだいたい終わらせてたので私の仕事もない状態なんだよね。

 

 会社の片隅、レッスン用にも供される部屋で有馬かなコーチによる演技指導が行われていたので私たちもついでにルビーの演技を見物したりもした。

 しばらく見ていたら、いつの間にか現れたカントクが遠巻きにルビーを見ているのに気付いたので、アピールチャンス到来と私もルビーの演技に口を出す事にする。カントクが見てると伝えてから、ちょっとここの場面やってくれと頼めばルビーは応じてくれた。後の2人は、ルビーがやると言うなら仕方なく、といった感じだった。

 

「おっはよー!」

 

 楽屋に入ってきた、という想定で、同じくB小町役である有馬とMEMちょにルビーが挨拶を送る。

 

 ただの挨拶だが、されどこれは映画の1場面。声を出すタイミングや表情など、有馬が事細かく修正点を上げていくのが終わる頃を見計らって、私は有馬とMEMちょに耳打ちする。

 

「次、ルビーさんが挨拶したタイミングで、思い切り嫌な顔をしてくれませんか」

「嫌な顔?」

「旧B小町の皆さんがギスギスしてた事も、センターの事がとにかく憎かったのも、台本を読めばお分かりでしょう。お前なんか死ねばいいのに、とルビーさんに無言の声をぶつけてみてください。周囲にどう思われていようがものともしない、飄々とした態度……心の中で悲しみつつも表面上はすまし顔。そういう演技が必要なので」

 

 ここでせずとも、本番でカントクが同じことを遠まわしに要求するだろう。ちょっと前倒しにするだけだ。

 

 私が頼んだ内容に、2人が難しそうな顔をした。有馬かなについてはそこまで心配いらないだろう。演劇やっていれば、敵意や憎悪を表現しなければいけない場面などいくらでもある。どんな作品にだって愛憎の1つぐらいはあるはず。

 

 案の定、MEMちょは続けて困った顔を浮かべられた。

 

「死ねばいいのに、と顔だけで表現しろと言われても……思いきり睨む、ってのはやっぱり違うよね」

「あんまり露骨だとかえって迫力に欠けちゃいますね」

「そもそも、アイってそんなに嫌われてたのかな。グループに後から入ってきたんだし、皆に馴染めなくて浮いてただけ、とかそんなありきたりな『あいつ嫌い』とは違うの?」

「全然違います。他のB小町の面々から見たアイとは、不俱戴天の一番星なんですよ」

 

 B小町を夜空の星々に例えよう。

 もしアイとニノその他が、ちょっと等級が違う程度の恒星であるならば、軋轢は少なかっただろう。同じ夜空、同じ星座の仲間としてやっていけたに違いない。

 

 しかし、アイはあまりにも光が強すぎた。

 太陽が昇る時間帯に、星々は輝けない。こいつがいる限り、夜が来ない。自分達に光が当たらない。

 

 ただのいけ好かないとは違うのだ。アイを一分一秒でも早く追い出さねば、アイドルとしての未来はお先真っ暗だと感じれば憎くもなる。

 

 アイドルやりたいなんていう人種なのだ、皆大なり小なり、輝きたい目立ちたがり気質だろう。

 自分達はグループであって、ソロとそのバックダンサーじゃないのだ。明るすぎるアイドルは仲間ではなく、自身の生存を脅かす敵だ。

 

「アイの加入によって、B小町はアイありきのグループに変化しました。それまでのファンも皆、アイ推しになってしまった。後からやってきた分際で、これまでの自分達の積み重ねを全て奪って食い散らかした当人は、悪びれもせずセンターに居座って笑顔で接してくる。まるで私達は対等な存在だと言わんばかりに」

 

 ほら、そう考えれば憎らしくなってこないか、とMEMちょに問うが、彼女の返事は曖昧なものだった。ずっとソロでやってきた配信者のMEMちょにはあまりピンとこない考えだったかもしれない。

 

「うーん……殺したいほど憎いって演技かぁ」

 

 まあ、別に本当に憎悪を感じる必要はない。ただ、知ってもらえればそれでいい。そしてそれを受けたルビーが、アイらしい演技とは何かを考える事に繋がればいいのだ。

 

「では、そんな感じでお願いします」

「……ちょっと待ちなさい」

 

 言いたい事は言ったので、また隅に引っ込もうとした私の腕が、有馬かなにがっしりと掴まれた。

 

「何でしょうか」

「そこまで言うなら、参考になる手本の一つも見せてよ。こういう絵が撮りたいって理想が自分の中にあるんなら、ちょっとやってみせて。下手でも良いから」

 

 私が手本を見せる?

 素人の演技なんか何の参考にもならないと思うし、そもそも監督の説明されない意図、理想の絵を察して演じるのが役者の仕事ではないのだろうか。私は監督ではないけど。

 

「あー……」

 

 さて、どう言えば穏便にお断りできるか、何か思い浮かばないかと目を泳がせた。

 

「……」

 

 視界の隅に見たくもない見慣れた銀髪が映った。

 何でこんなタイミングでやってくるんだツクヨミさん。見世物じゃないぞ。

 

 よく見たらちゃっかりビデオカメラまで構えている。もう1度言うが、見世物じゃないぞ。

 

「その手に持った物は何ですか?」

 

 私が突然明後日の方を向いて喋り出したので、その方向に顔を向けた私以外の全ての人間が驚いていた。

 気が付いたらそこに居る。まるで屋内に湧く害虫のような現れ方だ。

 

「後でいろんな人に見せてあげようって思って。ほらほら、早く早く」

「笑いものになると分かってて、それでもやれるほど強い心臓は持ち合わせておりませんので」

「下手だからって笑いものになるとは限らない。大事なのは気持ちだよ」

 

 こちらに向けたレンズ越しに喋るツクヨミの表情は読めないが、きっと楽しんでいる。

 

「自分の都合だけでなく、相手の気持ちも汲んであげたら? 自分が教えてたのに、横から入ってきた仲間でも監督でもない素人が偉そうに仕切ってくるなんて面白くないよね。売り言葉の1つも言ってやろうって気になっても仕方ないと思わない?」

 

 えっ、いや私は……と有馬が呟いたが、私もツクヨミも聞き流した。

 

「上手い下手じゃない。演劇に口出ししたいなら、せめて舞台に上がってきなさい。己の姿が周囲にどう見えてるか、少しは省みるべきだ。君がどういう人間で、星野アクアとどういう繋がりなのか気にしてる人は君が思っているよりずっと多い」

「……はあ」 

 

 ため息ひとつついて、軽く後頭部を掻いた。

 ツクヨミの言葉ならいくらか誇張はあるだろうが、基本的に嘘はあるまい。私だって、霊能者としての仕事中に客でも同業でもないヤツが横から指図してきたらいらつくだろう。たとえ指図の内容が正しくても、不愉快ではある。

 有馬かなにとってこの映画は惚れた男がずっと温め続けてきた肝いりの一作。それだけ身が入る仕事に口出ししてくる私のような存在にどんな印象を持つだろうか。

 

 口だけじゃない所も見せろ、でなければ認めないというならば、私もここはぐっと堪えて素人なりの精いっぱいの演技をするべきか。これも仕事一環、致し方なし。

 

「参考になるかどうかは分かりませんが……」

「お、やる気になった?」

 

 死んでほしい。殺してやりたいほど憎いという気持ちか。私はそこまで強く他人を恨んだ経験は無い……と言いたいが、死ねと念じた事なら1度だけあった。前世の最後の時、ただ無抵抗で殺されてやるのも癪なので、せめて道連れにしてやろうと呪ってやったあれだ。あの夜をイメージしよう。

 

 目を閉じて、下を向いて。あの夜の光景をできる限り鮮明に思い起こす。

 

「じゃ、始めます」

 

 夜の山上、連れて行かれた先は朽ちた廃神社と思しき場所。付近に民家は確認できず、人の気配もまた無し。

 前門と後門に明らかに正気じゃないと分かる成人男性。廃神社の中にもこちらを見る人ならざる気配を感じるが、あれは関わらない方が良いと直感が知らせてくる。

 

 一か八か逃げようとはしてみたが、叶わず捕まってしまった。漫画やアニメのようには上手くいかないね。

 

 現実逃避のような思考をしていられたのはここまで。後はただ、ひたすら痛かった。

 泣いたり叫んだりするヒマもない。痛いと訴えようとする声は、次の痛みで潰れてかき消された。

 無意識に頭と顔をかばいながら、蛙の潰れたような音を吐くしかできない。

 

 少しすると、急に痛みを感じなくなった。

 痛覚は危険を知らせるシグナルらしいが、あまりに痛すぎると逆に痛くなくなるという。交通事故で大怪我しているにも関わらず、痛みなど感じていないように平然としている人間の話などが有名か。

 危機的状況におかれた事により脳が極度の興奮状態に陥った結果の麻痺だとか、耐え難いショックに対する防衛反応として自分の心を切り離す『解離』と呼ばれる精神症状だとか言うが、まあそんな事はどうでも良い。

 

 痛みは無い。ただ鈍い衝撃だけをぼんやりと受けていると、色々とどうでもよくなってきた。

 もう助からないと、ふと思った。どこをどれだけ殴られたか数えてはいないが、後戻りできない一線を越えたと感じた。たぶんあの瞬間に致命傷を負ったんだろう。

 

「……っ」

 

 肩が震える。何だか笑えてきて、口元がニヤつく。もうすぐ死ぬんだと確信した時、私の心にあった感情は哀ではなく楽だった。後のリスクを考えなくていいから、今なら何でもできる。これが無敵の人の心境というやつなのかな。

 笑い声を出せるほど喉が動いてくれないから、単に肺から残り僅かな空気が漏れるだけの呻き笑いだけど。

 

 このまま黙って殺されるのもつまらないなぁ。

 

 そうだ、こいつら道連れにしよう。呪詛を返すのではなくかける側は初めてだが、一応は呪いの仕組みを知っている本職なのだ。素人よりは上手くやれるハズだ。

 

 生者には生者の、死者には死者のいるべき場所がある。

 私はこれから死者になる。生きながらにして堕ちているようなお前らだって近く死ぬだろう。何かヤバいものに魅入られてるタイプの壊れ方したヤツが長生きした事例はそう無い。その時が少し前倒しになるだけさ。

 死者がこの世にいてはいけない。これから死ぬ私、もうすぐ死ぬお前ら、皆で仲良くあの世に行こうじゃないか。

 

 最後にこれから呪う相手の顔をしっかり目に焼き付けておこう。この先何があってもこの顔だけは忘れないように。

 よく見えるように動かない頭を近づけて、重い瞼をしっかりと見開いて。この胸の思いを目の前の紅玉のような少女に……あれ、男じゃなかったけ? まあいい、とにかくぶつけるのだ。

 

 

「死ねばいいのに」

 

 

 白い耳元で、絞り出すように言霊を吐き出す。

 小さい肩がびくりと震えたが、私は逃がす気はない。あと何秒生きていられるか分からないが、意識が残っている限り呪い続けてやる。

 人を呪わば穴二つ? 既に傷だらけだよ。今さら穴がもう一つ増えたところで問題なんてないさ。穴を掘るでも増やすでも使うでも、好きにしろ。

 

「はーいカットー」

「……あ」

 

 その間延びした幼い声で、私は我に返った。

 慌てて掴んでいたルビーの肩を開放し、距離をとる。

 

「……失礼しました。大丈夫ですか、ルビーさん」

 

 口でルビーを気遣いながら、目で周囲を確認する。

 

 探していたものは壁際にあった。それは少し離れた位置から私を見ていた。

 

 あれ、アイさん怒る気配ない感じ? 本心ではないとはいえ、愛する娘に向かって死ねと言ったのに。

 以前、冗談でもういっそアクアの事壊してやろうかと考えただけで明確に怒りを見せていた。あれがアウトで今回のはセーフ?

 アイさんの中での線引きがよく分からないな。

 

「お眼鏡には適いましたでしょうか」

 

 まあ怒ってないならいいや。気を取り直して有馬かなに演技の感想でも求めよう。

 

「……ねぇ。あんたって昔何か辛い事でもあった?」

 

 しかし、返ってきたのは辛口の評価ではなく優しい声だった。

 

「どうしてそう思われるのですか」

「初心者にしちゃやたらと感情乗ってたし、本当にあった辛い事とかイメージしたのかなって……」

 

 有馬かなは私の肩をそっと優しく叩いた。

 

「何かあるならあかねに……いや、こういうのって身内には逆に言いづらいか。私で良かったらいつでも相談乗るから」

 

 だから何なんだ急に。さっきまでのちょっと険のある声はどうした。

 とりあえず合格扱いにはしてもらえたと思っていいのか?

 

 そういう事にしておこう。次はツクヨミの声も聞いてみる。

 

「素人にしては悪くない。その人として大事な何かが壊れてる異常者の眼、刺さる人にはとことん刺さりそう」

 

 壊れた異常者とは失礼な。世の中の普通から外れてる自覚はあるが、そこまで言われるほどだろうか。

 

 

 

 その後は優しくなった有馬かなと、怯えるMEMちょとルビーにすっかりペースを乱されてグダグダになりながら、時間の許す限り有馬演劇教室を続けた。何故か私まで生徒に加えられて。

 

 最近、全然自分の仕事が進められてない気がするのだが、こんな調子で大丈夫なのだろうか。

 

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