完璧で究極なアイドル様に執着されて 作:肉ぶっかけわかめうどん
拙作主人公はアクルビと同級生設定でしたが、よくよく思い出したら黒川あかねってアクルビよりひとつ年上でしたね。
そのあかねの双子である主人公も年上でないとおかしいという事で、急遽高2から高3に変更されました。なおこの変更による本編への影響は一切ございません。
翌日の土曜日、私は出勤するなり社長の許に突撃した。今なら居るのであれば今行くしかない。確か今日はアクアが仕事でどこかのテレビ局に行く予定だった。であるならミヤコさんもマネージャーとして付いて行くだろうから、もたもたしてたらまたチャンスを逃す事になる。
私は今日は半日で帰るつもりなのだ。昼から住職と一緒に買い物行く事になってるんだから。
バイク用品揃えるための買い物に、金は出さないが車と口は出してくれるというのでお言葉に甘える事にしたのだ。ベテランライダーの助言付きで選べる上に送迎付きとは何とありがたい話であるか。
さてさて本日のミヤコさんのご様子は……朝からやけに忙しそうだ。隣には壱護の姿もある。夫婦2人して机いっぱいに広がった広げた手帳やらパソコンやらとの睨めっこに勤しんでいる。心なしか機嫌も悪そうだ。
えー機嫌悪いのかー。天童寺家絡みはデリケートな話題だし、虫の居所が悪い時はなるべくしたくないんだけどなあ。
「……あら、お早う黒川さん」
話し掛けようか躊躇っていたら、向こうに気付かれて先に話し掛けられてしまった。
「丁度良いところに来たな」
サングラスを眼鏡のようにくいっと指で持ち上げながら、壱護が朝から疲れてそうな声を出す。
「どうかされましたか?」
「来月の頭、宮崎に行くぞ。映画の撮影の交渉がまとまったんだ。宮崎で撮影する場面があるのは知ってるだろ? 向こうがこの日だったら病院内で撮影していいって急に言い出したんだよ」
おっ、宮崎で撮影という事は病院回か。アイの入院、アクアとルビーが生まれる場面を撮りにあの病院まで行くのだが、当然だが病院側の協力が要る。その交渉が急にまとまったのか。
私が裏でお願いしてきました、と脳裏でツクヨミがドヤ顔を披露してくれた気がする。
しかし来月とは。今月はもう半分以上過ぎているから本当に急だな。実質1週間後みたいなものだ。
もっと早く言えよと言いたい気持ちはよく分かる。社会人やってれば誰でもそういう経験の1つや2つあるものだ……病院だしな。人命といういつ事態が急変するか読めないものを扱っている以上、長期的な予定が立てづらいとかそういう事情があるのかもしれない。
「おかげでロケの準備で大忙しだ。今必死でホテル探してる」
「飛行機とレンタカーもお願いね」
「言われなくても分かってるっての。そっちこそ大丈夫か」
「こっちは何とかなりそうだから任せて」
壱護が必要なモノの手配担当で、ミヤコさんは皆のスケジュール調整中か。1週間先ならホテルもスケジュールも色々埋まってて厳しい修羅場だろうが、頑張ってほしい。
ところでカントクの姿が見えないが彼はどうしているのだろうか。自分の映画なのだからロケーションの段取りを手伝うのが普通なのでは。それは監督の仕事じゃないと言われるかもしれないけれど。
しかし修羅場の真っ最中とあっては私の話を切り出す余裕はなさそうだな。またしても次の機会待ちになるのか。
「お忙しいところにお邪魔してすみませんでした。では私はこれで……」
「待て。丁度良い時に来たって言っただろ。お前にも用がある」
物事には優先順位がある。後回しになるのも致し方なし、と機嫌が悪い人をこれ以上刺激しないよう身を引くつもりだった私だが、すぐさま壱護に呼び止められた。
「来月の頭空いてるか? もし来れるならメンバーに入れたい」
私も行く? なぜ。関係ないでしょ私。
壱護はカレンダーを私の前で広げた。来月に入って最初の週、水曜日から日曜日までに線が引かれている。ここがロケ予定のようだ。
「水曜に移動、木金土が撮影、日曜が帰りの移動日兼予備日の予定だ」
「がっつり平日じゃないですか。学校あるので無理です」
「水曜は移動だけだ。学校終わった夕方でいい。すまんが木曜と金曜は休んでもらうしかない」
「じゃあ無理ですね。そもそも何で私が行く必要があるんですか?」
バイトあるから学校休みます、なんて通る訳ないでしょ。親にも教師にも雷落とされて終わるだけだよ。
役者でもないただの雑用がロケーションに付いて行って何をするのさ。
「実は、前に五反田監督と話はしてたんだけど……」
私が求めた説明は、壱護ではなくミヤコさんの方からなされた。
「人手が足りないから黒川さんも連れて行きたいって」
私にカメラマンでもやれと? 私にはそういう技能は無いし撮影の作法も知らないぞ。役に立てるとは思えない。
「私をスタッフとして?」
「スタッフじゃなくて、キャストとして」
ますます意味が分からなくなった。
私はさらなる説明を求めた。すると今度は壱護の方から答えが返ってきた。
「ほとんど出番の無いちょい役やってくれって事だ。プロを呼ぶと金が掛かるだろ? だからちょい役にはその辺の適当なスタッフを充てたり、他の役者に1人2役させたりして予算ケチるんだ。よくある話さ」
「よくある話なんですか」
「実写以外でも、舞台にアニメにゲーム……探せばいくらでも出てくるぞ」
よくある話なのか、なら仕方ないな……とはならないぞ。そも私は本来雑用バイトとして雇われている身のハズ。明らかに雑用がするものじゃない仕事が日に日に増えてくるのはどういう事か。
それにちょい役とはいえど、全国公開する予定の映画に出ろというのはなあ……。背景同然の雑踏担当ならともかく、何かしらの台詞ぐらいはあるだろうし。全国に顔を晒すのは覚悟が要る。
「……」
「まあ、急に言われてもそうなるわよね」
私が返事に困っていると、ミヤコさんがため息をついた。
「私としても、ただのアルバイトの黒川さんにそこまでさせるのは申し訳ないと思ってるの。代わりといっては何だけど、もし行ってくれるならその間の時給は色を付けさせてもらうわ」
ほう、時給に色を付けてくれると。いかほど頂けるので?
気乗りはしないが、一応聞くだけ聞いておこうか。
私の問いに、ミヤコさんは右手の指2本でピースサインを作った。
「2倍。もちろん交通費や宿泊費は経費扱いだし、それ以外の向こうで使ったお金も全部会社が持ちます。これでどう?」
時給2倍とはこれまた大盤振る舞いじゃないか。しかもその他の全費用が経費で落ちるだなんて。
「それ以外の、とはどこまでを指すのですか?」
「全部といったら全部よ。食べ歩きでも名所めぐりでもお土産選びでも何でも。レシートもいらない。後で合計金額だけ教えてくれたらいいから。空き時間は好きに旅行を楽しんで頂戴」
ほうほう、これはまた何とも好待遇である。
隣で聞いていた壱護が引き攣った顔をしている。たかがバイトに出す待遇ではない。何か裏でもあるのか。
「お、おいミヤコ、いくら何でもやりすぎだろ。調子に乗ってうん十万とか使い込まれたら……」
「お金の事なら心配しないで。埋め合わせは壱護がするから」
「え……?」
壱護が口をあんぐりと開けた状態で固まった。
なんだ、ただの旦那いじめの一環だったのか。
「いくら使ってくれてもいいわ。壱護がその分タダで会社に奉仕してくれたら済む話だし」
「お、横暴だ……社長が社員に給料払わないのは違法だろ!」
「何言ってるの、給料は払うわよ? 減るのはお小遣いの方。妻の私が、夫の給料を管理するのは当然でしょ?」
「その妻が雇用主なんだが」
「そうね。だから何?」
「……」
ああ、壱護さんが黙ってしまった。おいたわしや。
「そういう訳だから、近いうちに返事頂戴ね」
「分かりました」
条件は非常に良い。時給2倍で4泊5日となればかなりの稼ぎだ。映画に出る決意さえ用意できればそれも悪くない話である。
これも一応親に聞くだけ聞いておこう。却下されたら断る良い理由になるし、どちらに転んでも悪くない……でも映画出演かぁ。お金は欲しいがやっぱりカメラに写って全国へ送られるのは抵抗が……場面が切り替わった2秒後には忘れられてそうなモブ役だったらありか?
どうしよう。
これで話は終わったという事で社長夫妻の許を辞そうとして踵を返し……そもそもここに来た本来の用件を忘れていたのを思い出した私はもう1回回れ右でミヤコさんの前に戻る。話している内に少しばかり機嫌も回復したように見えるし、この流れで言ってしまおう。
「ところで話は変わりますが、以前お話させて頂いたスポンサーの方々との交流会の件についてですね……」
私が切り出した話に、ミヤコさんは苦虫を嚙み潰したような顔をしてくれた。またこの話か、とでも言いたげだ。
一方で壱護は何の話か分からない顔をしている。
「それとなくルビーさんのご意向をお伺いしたところ、前向きな反応を得られました。つきましては、この会の実現に向けて今一度、五反田監督と斉藤社長にご協力いだたきたく存じます」
えっ、ルビーに交流会の話はしていないって?
ルビーは天童寺家の事を今でも気に掛けているし、私もそんなルビーの為の場を用意すると口約束を交わした。だから良いんだよ。交流会の目的はルビーと天童寺家の再会であって、それ以外は全ておまけなんだから。丸っきり嘘という訳ではない。
「うーん……」
ミヤコさんは悩ましげだ。
「ルビーが良いと言うなら……いやでもアクアが」
ぶつぶつと呟きながら悩むミヤコさんを、私と壱護はじっと見つめて待っていた。
たっぷり考え込んでから、何かを決断した顔つきになったミヤコさんはその顔を上げた。
「ルビーがやる気で、アクアが許したなら、もう私から言う事は無いわ」
ふんふん、アクアの許可さえ取り付ければOKと。これは言質取ったも同然と思って良さそうだ。
アクアの許可は難関そうに思えるが、そもルビーとこの話をした時アクアもその場にいて聞いていたのだ。だが特に何も言ってこなかった。なら話せば意外といけるかもしれない。
「黒川さんに難しいお願いしてる立場なんだし、五反田監督も代わりに少しは頼みを聞くべきよね。ちゃんと伝えておくから」
代わりにだって?
これもしかして私の映画出演とバーターになってる? 出演とアクアの許可の2つが条件なのか?
どうするのが正解なのか……うん、とりあえずいったん持ち帰って考えるとしよう。後回し後回し。
昼過ぎを迎え、無事に半日退勤が認められた私は、心に迷いを抱えたままビルを後にした。
「浮かない顔だね」
げっ。昨日の今日でまた疫病神が湧いて出た。
「映画に出るかどうかで迷っているようだけど……そんな事よりもっと重大な問題があるのに気付いてる?」
「……どういう事ですか?」
のんびりと歩きながら、私はツクヨミの話に耳を傾ける。重大な問題だって?
「やれやれ、どうやら自分の事で頭がいっぱいなようだ。こんな簡単な事にも気付かないなんて」
ツクヨミから馬鹿にしたような顔を向けられた。私が何かしたか。
「主役が不在のままじゃないか。アイ役が決まってない状態で病院ロケなんてできる訳ない」
あっ、と思わず声が漏れた。病院での場面、入院中のアイを撮る為に、早急に主役を決定する必要がある。
ロケが超前倒しになったから、だらだらと主役争いしてる場合じゃなくなったんだ。もうルビーのスキルアップがどうのこうのと言っていられない。
「期限はあと1週間ですか。今の状態で勝負するしかありませんね」
「1週間じゃないよ。もう終わり」
もう終わり、とはどういう意味か。あまり直前過ぎるのはダメだろうが、それでもあと1回ぐらいはやらせてもらえるだろう。
「確かにあと1回は演技させてくれるだろうけど、形だけだろうね。あの監督の意思はもう黒川あかね起用でほぼ固まってる」
あー、やっぱりダメか。まだ余裕があるならともかく、今すぐどちらか選べと言われたらそりゃ黒川あかねを選ぶ。私でもそうする。
「残念だったね。監督も星野ルビーが素晴らしい原石であるのは認めたよ。磨く時間が無いのが残念だってね」
ツクヨミがねぎらうように私の肩に手をおいた。
お気持ちは嬉しいが……そもそもロケが超前倒しになった原因は十中八九ツクヨミだろう。なぜこんな事をしたのか。
「そりゃどうも。で、何のためにロケをこの日にしたんです?」
「証拠も無いのに私を黒幕扱いとは酷いね……病院の都合とか、天候の都合とか、色んな都合がたまたまかみ合った結果でしかないのに」
目を伏せ、口元を隠したツクヨミがわざとらしく泣き真似をする。
「他には?」
「ちょっと仕事頼もうかと思ってて。この為だけに宮崎まで呼び付けるのは気が引けるけど、どうせ来るんだったらついでに片付けといて」
ほらやっぱり自分の都合で病院を動かしてるじゃないか。もう泣き顔やめてニッコニコの笑顔になってるし。
「ご自分でどうぞ」
「やだ」
「私じゃなくても、誰か適当に現地の人行かせればいいじゃないですか」
「もう約束しちゃった。前にあの箱の処分やってくれた人に頼むって言ったら宮司さんも喜んでたよ。それなら安心だって」
あの箱に宮司って……またそういう面倒な代物持ってくる気じゃないだろうな。呪物の相手はもうごめんだぞ。勝手に約束するな。
「内容自体は大したものじゃない単なる定期点検だよ。いつもの担当者が入院しちゃって行けなくなったから代わりを探してる。たった数時間の簡単な仕事で高額報酬……」
怪しさしか感じない謳い文句の後、ツクヨミは私の耳元で口を寄せ、報酬の額をこっそり耳打ちしてくれた……サラリーマンの月の総支給ぐらいはあるな。
「興味出た? 因みに依頼人が入院してるの例のあの病院だから、撮影のついでに会いに行けるよ」
「……まだ映画出演を受けるとは言ってません」
「間違いなく君は受けるし、受けた方がお得だよ。星野ルビーの脇役化が確定したなら、彼女のレベルアップは急務ではなくなる。つまりそれを名目にしてるスポンサーとの交流も優先順位が大きく下がる。まだ確定してない今のうちに滑り込みしておくのが良いと思うけどね」
そういうものかねえ。
別に映画も交流会も、私の目的に必須ではない。やった方が良い事には違いないが、無いなら無いで他の手を考えるだけの話だ。間違いなく受けると断言できるのは何故だろう。
「それは家に帰ってからのお楽しみ。じゃ、私は皆にビデオを見せて回る仕事で忙しいから」
ツクヨミはここまで私の横を歩いていたが、急にふらりと横道に逸れていった。言いたい事はこれで全部だったようだ。
時を遡ること約3時間前。
劇団ララライ内の無機質な一室でタブレットの画面をじっと見つめているのは黒川あかねである。
妹に関する面白い絵が撮れたよ。監督に渡しておくから見せてもらうといい、とふらりと現れた謎の子役少女に吹き込まれたあかねは早速カントクの元に足を運んだ。
予定は未定であったはずの宮崎ロケが急遽来月初旬に決定されたという噂は既に劇団内に広まっている。
医者Aこと雨宮吾郎役を務める予定の鳴嶋メルトを筆頭に撮影に関わるメンバーも多い。ロケ予定が決まるや否やカントクは劇団ララライに駆け込み、撮影メンバーのスケジュール確保のお願いをしに来た姿が目撃されてしまった事であっという間に話が広まったのだ。
因みにツクヨミと会った事についてはあかねは誰にも話していない。
入館許可を持たない者が施設内に入り込んで役者に接触し、気付かれる事なく出て行ったというのは本来は大問題である。別の大騒ぎが始まってしまいカントクと話をするどころではなくなってしまうからだ。
長年ララライで活動する中ですっかり顔馴染みの1人となった守衛が、当人にはどうしようもない理不尽な事で叱責と処分を受けるのは忍びない。ツクヨミに関して以前少し調べたが、あれは恐らく見た目通りの存在ではない。人間の常識や物理法則を迂闊に当てはめようとするのは止した方が良いだろう。
あまりに急すぎる変更への不満を隠そうともしない担当者と、ひたすら頭を下げるカントクの間に遠慮なく割り込み、例の映像データとやらを見せてくれとカントクにお願いすれば、そこの鞄にタブレット入ってるから持っていけとぶっきらぼうに返された。やはりこういう頼みは忙しい時にするに限る。
そうしてカントクの私物のタブレットを手にしたあかねは初期設定から変更されていない0だらけのパスコードを打ち込み、漸くお目当ての映像データにありつくことができた。
映像は手持ちのビデオカメラで撮影されたらしく、時折手ぶれによる乱れがあった。それでも画質も音声も非常に綺麗で、誰が何をして何を言っているかはっきりと見て取れる。
レッスンに励むB小町と、途中から加わって他人の演技に口を挟み始めた妹、あおいの姿が星野ルビーの背中越しに撮られている。
映像は軈てかなとツクヨミに絡まれたあおいが仕方なく演技を披露した場面へと移った。
『死ねばいいのに』
こんな顔できたんだ。
あかねは妹の初めて見る一面に素直に感嘆した。
同じ家に、同じ時に生まれて。同じように育ったはずなのに『からっぽ』としか言いようのない人間になった妹が、こんな表情が出来るとは知らなかった。
死ねとは言っているが、そこに恨みつらみの類は感じない。感情的には寧ろプラスの方向に感じる。純粋に殺したいから殺す、誰でも良いから殺したかったというタイプ?
しかし誰でも良いという訳でもなさそうだ。その目はしっかりと正面を見据えている。ここにいる『アイ』でなければダメなのだ。
何であれ、死にたがりではないが、生きる目的も持っていないがらんどうだと思っていた妹にも、ちゃんと感情があったのだ。枯れていると思った井戸の底には、まだ濁った水が残っていた。
霊能者の件といい、星野家の謎の事情に精通していた件といい、今年はあおいの新しい情報が次々と出てくる素晴らしい1年である。
もしこの時、自分がアイ役としてあおいの前に立っていたなら、どんな演技をするだろうか。
私なら喜ぶだろう。無関心より、嫌われている方がずっと良い。あのあおいが、やっと私を見たのだ。
若しくは怒るかも。どうしてそんな事言うの、私の何が気に入らないの。直すから言えと詰め寄るだろう。
或いは哀しむか。愛する家族と思っていた相手から死ねと言われて、傷付かない者が何処に居るのか。
いや、きっと楽しい。ずっとずっと待ち望んでいたのだ。あおいと、上っ面だけじゃない本当のコミュニケーションが出来る日を。
妄想の種は尽きない。
こんなイベントがあると知っていたなら教えて欲しかった。レッスンなんて放り出して苺プロに駆け付けたのに。
「……お、ここに居たのか」
目を閉じ、己の世界に浸っていたあかねの耳を、カントクの声が叩いた。
「勝手に持ってけとは言ったけどな、どこ行くかも言っといてくれよ。探したぞ」
「すみません」
あかねは一言謝り、見終わったタブレットを返す。
カントクは特に怒る様子もなく、鞄に無造作に押し込んだ。
「で、どうだった」
「とても興味深い演技です。私ならどうするかをずっと考えてました」
「ほう……」
「ここで見てもらってもいいですか」
「いいぞ。やってみろ」
カントクの了承を得ると、あかねは1度部屋の外に出た。楽屋に入ってくる所からの再現だ。
普段はただ机とパイプ椅子が散乱しているだけのこの部屋も、心のスイッチを入れれば温かな光に包まれた穏やかなB小町の楽屋に早変わり。
一度、深呼吸をすると、あかねは心の中に作った『アイ』を呼び出して、己の表面に張り付けた。
勢いよく『アイ』がドアノブを捻り部屋に飛び込むと、自分より先に来たメンバー達が一斉に私を見た。
入ってきたのがアイだと気付くと、穏やかな空気は一瞬にして消え去り、代わりに冷えた空気が楽屋を支配すた。
鏡の前に座る者、机を挟んで談笑する者、何が理由なのか口論に夢中な者。楽屋内の至る所から冷たい目が飛んでくる。
私はそれらを全て受け止めて、真っ直ぐに見返した。
ニノ、めいめい、高峰……それらは私の中で全てあおいの姿で置き換えられた。皆が私を見ている。あおいがあの目で私を見ている。
喜びも怒りも哀しみも、楽しいと思う気持ちも全て集めて煮詰めて溶かして、ウソで作った鋳型に流す。
冷やして固めて鋳型を外せば、全てを隠す仮面の笑顔の出来上がり。
「皆、おはよー!」
貴女を理解できるよう、もっともっと頑張るんだ。理解できれば、寄り添えるから。
貴女を分かる日が、私を分かってもらえる日が、私を愛してくれる日がいつかきっと来るって信じてる。
心に被った仮面を外して、あかねは素の黒川あかねに戻る。
「私ならこうします。もちろん、これが気に入らないなら遠慮なく仰って下さい。監督が求めるキャラを演じるのが私の仕事です。完璧でも、普通でも、それ以外でも。向こうは1つの演技しかできませんが、私なら全部できますよ」
「……そうだな、ルビーも惜しいが、今はとにかく時間が無い」
もう少し実力があったら、ルビーを主役に推すのもありだったんだけどな、とカントクは心の中で呟いた。
宝石は磨いて初めて価値が生まれる。天然ダイヤの原石より人工ダイヤの方が良い物だ。星野ルビーは磨くヒマが無いのが惜しいと思える原石であるが、今回はどうやっても間に合いそうにない。
カントクの言葉に手ごたえを感じたあかねの口角が大きく上がった。
「ありがとうございます」
「来月、スケジュール空けといてくれよ」
「分かりました……あ、カントク、一ついいですか」
そのままカントクが立ち去ろうとしたので、あかねは慌てて呼び止めた。
「なんだ」
「確か、まだ決まってない空白の役がありましたよね」
呼び止められたカントクがあかねの言葉に首をひねる。
「決まってない役……そんなのあったか?」
「――の役が残っています」
あかねは聞き取れるかどうかギリギリの声量でその役の名を口にした。
「この役に私の妹を推薦します」
「おいおい……」
カントクはその発言に思わず唸った。
当人さえ良いというなら雑用兼ちょい役として連れて行こうとする考え自体はあったが、その役をやらせるとなると話が変わってくる。最早ちょい役とは言えない。
たっぷり1分は考え込んでから、役については考えておくから、当人の意思の確認と保護者への根回しだけしてくれとカントクは頼んだ。
その日の晩。家に帰るやいなや両親と姉の家族総出で役者デビューを祝われて、たかがちょい役だし、そもそもまだ受けてないと頭を抱えていた誰かが居たとか居ないとか。
この家では主に姉のせいで仕事の都合で学校を休むことが日常茶飯事と化していたのを失念していた。学校休む事へのハードルが下がりまくってる両親がこの話を知ったら諸手を上げて送り出しにかかるであろう事ぐらい事前に予測しておくべきだった、と。
あと誰か情報リークして人の外堀埋めにかかってるやついるよね、とも。