完璧で究極なアイドル様に執着されて   作:肉ぶっかけわかめうどん

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天王山

 

 アクアとルビーが日光への小旅行からの帰宅する頃には辺りは既に暗くなっていた。

 

「おかえり。ちょうど晩ご飯できたところよ」

 

 エプロン姿の斉藤ミヤコが廊下の奥から顔だけを見せて2人を迎えてくれた。今日は早く帰れたようだ。

 リビングでは家でもサングラスを外さない斉藤壱護が机の上にノートパソコンを広げてせっせとタイピングに励んでいる。こちらは仕事中のようだ。

 

 追加で色々と食べていたアクアはまだ腹の具合に余裕はあるが、ゆば料理だけだったルビーはとうにお腹が空いた頃だろう。すぐ食べると返事を返し、手を洗いに行く。

 

 

 斉藤夫妻と星野兄妹、計4人で食卓を囲みながらミヤコ謹製のシチューを味わって飲む。アクアは昼にもビーフシチューを食べているが、昼と夜で些かの被りも許さぬほど食に対して神経質な男ではない。技巧を凝らしたプロの味とは違う、市販のルウを用いた簡素な物だがこれはこれで良いものだ、と家庭的な味を楽しんでいた。

 

「おい、ルビーにあの話したのか」

 

 やれ今日はどうだった、やれここが良かったと、今日の土産話に花を咲かせるミヤコとルビーの傍らで、相槌と補足に徹する壱護とアクアは隣の邪魔にならない静かな音量でひっそりと仕事の話を始めていた。

 

「いや、まだだ」

 

 あの話というのは映画の主役の話である。

 建前上、まだ主役は未定という事になっているが、既に宮崎行きの日は目前。五反田監督は黒川あかねにスケジュール調整の要請をしたが、星野ルビーには言わなかったという時点でその意思はもう明白である。黒川あかね主役という前提でプロジェクトは動き始めており、もはや何も知らぬはルビーだけと言っても過言ではない状態だった。

 カントクとしてもこういうやり方は不本意だろうが、時間という最強の敵の前ではどうしようもない。これ以上の遅れは許容できなかったのだ。

 

「どうすんだ。言いにくいならオレから言おうか?」

「……いい。自分で言う」

 

 憎まれ役なら任せておけ。既にアイの住所の件という特大の恨まれネタがあるのだ。今さらひとつ増えたところで誤差でしかない。

 アクアは壱護なりの気遣いを察したが、あえてそれを固辞した。

 あれだけ思い入れがある人の役なのだ。己を出し尽くして戦った結果の負けならまだ慰めにもなろうが、戦いもせず負けを言い渡されるのは辛いだろう。傷付き落ち込むルビーを見るのも、ましてや己の手でそこへ追いやるのも苦痛だが、それでもアクアは自分で言うと告げた。それが最も傷が浅くなると考えての事だった。

 

「そうか」

 

 アクアとて、こんな事口にしたくはない。墓まで持っていける見込みがあるならそうしていた。だが、どの道あと数日でバレてしまう可能性が高いのだ。ならその前に言うしかない。

 アクアの覚悟を見て取ったのか、壱護はそれ以上何も言わなかった。

 

 

 食事と入浴を済ませ、アクアはソファーの上でルビーの髪を乾かしてやる。最近はもっぱら日課と化したこの作業をこなしつつ、アクアは傍目から見ても幸せそうに顔をとろけさせるルビーに向けておずおずと言いそびれていた例の話を切り出した。

 

「なあルビー」

「なあに?」

 

 ドライヤーの熱風も長時間当て続けると髪を痛める原因になるので、まずはタオルにしっかりと水気を吸い取らせる。

 微に入り細を穿つように、毛先の一本一本まで繊細にふき取りながらアクアは膝の上に座ったルビーへと頭越しに話しかけた。

 

「オレ、来月また宮崎の高千穂に行くんだ」

「えっ、いいなー私も行きたい。前は全然お兄ちゃんと一緒にいられなかったし」

「旅行じゃなくて仕事だ。病院まで撮影しに行くんだよ」

「撮影?」

 

 ルビーが体ごとぐるりとこちらを向いた。

 膝の上に座って抱き合う様な態勢でアクアの瞳を覗き込むルビーの髪を引き続き乾かしながら、妹の目をしっかりと見返す。

 

「映画のな。アイが出産準備で入院してるシーンを撮りに行く。本当はもっと先の予定だったんだけど、病院側の都合で急に決まったらしい」

「……私何も聞いてないんだけど。お兄ちゃんだけ?」

「苺プロから行く、という意味ならオレだけになる」

 

 本当はアクアだけでなく、B小町の3人もメンバーに入っていた。宮崎の観光協会がスポンサーにいるため、向こうでも撮れそうな場面は出来る限り向こうで撮る予定でいたのだ。しかしこう急に決まってしまっては仕方ない。全員の直近の予定を片端からキャンセルなんてしてしまったら今後の売れ行きに大きく関わってくる。

 撮影予定さえしっかり立てれていれば必要な人員だけを随時送り込む案、即ち東京と宮崎間をタレントに反復横跳びさせる力業での解決も可能だったのだが、その予定も満足に立っていない。今から何もするにも時間が足りなかった。

 

 そういえば黒川あおいも来るのだった。あれも一応は苺プロの所属だったな。

 病院なのに看護師が1人もいないのは不自然だから、看護師役をやってもらう予定だとカントクから聞いていた。だが、もしかするとその手のエキストラは病院側が提供してくれるかもしれないらしく、その場合は別の役をあてがう事になるとも。

 

「入院してるママを撮るだけなら、別にお兄ちゃんいらなくない?」

 

 この映画におけるアクアは『少年A』、要するに若かりし頃のカミキヒカルの役である。病院内での話を撮るだけなら『アイ』と『産婦人科医』がいれば事足りる。後はしいて言うなら『謎のストーカー』ぐらいのものか。つまり、ルビーの指摘通りアクアが宮崎にいる必要は全く無い。

 

「アイとのデートシーンをついでに撮る予定が入ってるんだ」

 

 しかしそれはあくまで病院のシーンだけを撮る場合の話だ。実際はそれ以外の場面も撮る。

 観光協会イチオシの冬の名所をアイ役と共に回る仕事がアクアには待っているのだ。

 

「ふーん……で、何でママの役の話なのに私は何も聞いてないの?」

「それは、な……」

 

 アクアはそこで言い淀んだ。

 ルビーの背中越しに、ミヤコと壱護もこちらに注目しているのが見える。

 

「もうカントクはお姉ちゃんに決めちゃったの?」

「い、いや正確にはまだ決まってはないんだけど、こう、事実上、的な……あー、主役の人選は大事だし、カントクだって本当はもっとじっくり決めたかっただろうさ。でも、今すぐ決めなきゃいけない事情が出来てさ。そうなるともう、な」

「……まだ決まってはないんだ」

「ルビーはよく頑張ったよ。プロ相手に勝負を成立させただけでも大健闘だ。もっと時間があれば、本当に勝てた未来もあったかもしれない。今回はただただ運が悪かっただけだ。こんなに急に撮影になるなんて誰が予測できるか」

 

 事実は伝えつつ、それでいて出来る限り傷付かないような言葉を探しながら目前のルビーへと言葉を掛ける。

 

「お兄ちゃん。まだ決まってないなら、まだチャンスはあるって事だよね?」

 

 しかし、泣くか怒るか、納得できないと喚き、今からでも文句を言いに行くか……ルビーの反応はアクアが予想していたいずれでもなかった。

 じっと、ただアクアを母譲りの大きくて美しい、吸い込まれそうな瞳で見つめていた。

 

「そりゃ、もう1回ぐらいは演技させてくれるだろうけど……」

「じゃあやる。最後までやりたい」

「勝ち目なんて最初からないも同然だぞ。プロ相手に対等……下手すりゃ向こうが有利な条件でやらされる。結果ありきの勝負なんだ」

「勝ち目がどうとか、そんなのやる前から分かってたことじゃん」

 

 ルビーはアクアの膝から下り、兄の前ですっくと立ちあがる。

 

「恐れなくていい。もっと堂々と胸を張って立てって」

「……?」

「まだ私が小さかった時、上手く歩けなくて転んでばっかだった私に、ママはそう言ってくれたの。どうせすぐ転ぶからって、上手く転ぶ準備ばっかりしてた私に」

 

 どうせ無理だと決めつけて、やる前から諦めて、できない時の用意だけ準備万端で。そんなのありえない。これでは転んでばかりで母に心配をかけていたあの日の自分と同じではないか。

 もう大丈夫、1人で歩けるよと、母に知ってもらうために立候補したのではなかったのか。

 

「諦めるのは、最後までやってから。どうしたらもっと良くなるか、ママはずっと考えてた。ママはずっと諦めなかった。やる前から諦めるところなんて私、ママに見せたくないもん」

「……そっか」

 

 その瞳の奥に星の輝きが見えたような気がしたアクアは、張り詰めていた肺から息を小さく吐いた。

 前世のさりな、今世のルビー。守らねばならぬ幼子のように思っていたが、兄の目の届かぬところでいつの間にか成長していたらしい。

 

「強いな、ルビーは」

「ふふん」

 

 それならばもう何も言うまい。兄として、後はただ見届けるだけだ。

 

「じゃあ、カントクに言っとかないとな。ちゃんと黒川あおいも呼んどけって。あいつがいなきゃ始まらない」

「うん!」

 

 立ち上がったままのルビーを再び座らせ、途中になっていた髪の乾燥を終わらせるためアクアはドライヤーの電源プラグを壁際のコンセントに差し込む。

 

「……なあ」

「やめなさい」

 

 リビングの反対側で2人の話に聞き耳を立てていた壱護が、よく分からなかった部分を聞こうとしかけたところをミヤコに押し止められていた。

 

 

 

 同じ頃、黒川家でもまた、家族で食卓を囲んでの一家団欒が行われていた。

 

 否、団欒というには少々雰囲気が重い。非番という事で今日は家に居た父親が醸し出す威圧感がダイニングルームを重く包み込んでいた。

 この原因は言うまでもなく娘の黒川あおいのせいである。

 

 黒川父は娘のバイク保有について、母が認めたのならもう何も言うまい、というスタンスを取っていた。一発試験で免許を取ったというのはにわかに信じ難いが、実際に免許証を持っている。ならば本当なのだろう。

 しかしまさか昨日の今日でバイクを、それも新古車を持って帰ってくるとは予想のはるか上だった。しかも多数のバイク用品もいつの間にか揃えており、そのチョイスは明らかにベテランライダー、恐らくは男性が口を出していると予想されるもの。

 

 借りた物と当人は説明しているが、新古車のバイクを1台、免許取りたての初心者に無償かつ事実上の期限指定なしで貸し出してくれるというのはあまりに気前が良すぎやしないだろうか。

 何か裏が、或いは悪しき下心でもあるのでは、とその元の持ち主を色々と疑わしく感じてしまうのが警察官として、ひいては父親としての心境であった。

 

 実際のところは裏など無いし、精々がこれを機にバイク好きの若者が1人増えてくれると嬉しいな、といった布教程度の下心しか存在しないわけだが。

 さらに言えば貸主である住職は黒川あおいが小金持ちであるのは知っているので、万が一の事があっても修理代くらいは余裕で払えるし、そう遠くない内に自分の単車を買うだろうとの判断もある。もしくは実際に公道を走ってみた結果、自分に二輪は向かないと感じて引退するか。

 

「なああおい。あのバイクは誰から借りたんだ。教えなさい」

「教えない」

 

 そしてその当の本人は、父の威圧などどこ吹く風でテーブルの中央に置かれた鍋から、野菜と肉団子を自分の椀によそっていた。

 

「もう、良いじゃないのあなた。あおいは賢い子だし、本当に危なそうな人から借りたりなんてしないわよ。ほら、冷める前に食べて」

 

 そして母は長年の付き合いによる慣れから、姉も慣れと、演劇で鍛えた度胸によって父親の威圧は完全に無効化されていた。

 

 黒川父の名誉の為に付け加えるが、これは決して家庭内で父親が軽んじられている証拠ではない。娘が信じた相手なら大丈夫だろう、父は心配し過ぎだという親としての信頼と楽観である。

 

「ねえねえ、今日どうだった?」

 

 母と姉は父の心配をよそに、2人でお喋りを始めてしまった。今日撮った写真を見せながら、何があったか和気藹々と語っている。

 

「……これは?」

 

 誰も話を聞いてくれず不満そうに食事を始めた父だが、あかねの撮ってきた写真の中の1枚を見た時、思わず手を伸ばして写真の一点を指さした。

 その写真は日光の駐車場で撮られた集合写真だった。2台の車と1台のバイクを背に、9人全員が集まって撮られている。父の指差した先にあったのは姫川大輝の車である。

 

「ああ、これは……」

 

 あかねから大輝の車について説明をされた父は、どこか合点がいったような顔つきになった。

 

「やっぱ売れてる芸能人は凄いんだな……レクサスとベントレー買う金あるならそりゃバイクの1台ごときはした金みたいなもんか」

 

 そう、父は娘のバイクが姫川大輝所有のバイクだと思ったのだ。

 こうした誤解に至ったのは二輪免許保有の許可を得る際に、あおいが母にバイクの貸主と遊びに誘ってきた相手を同一視させるような紛らわしい説明をし、それが母から父にそのまま伝わっていたのが原因だ。

 誤解を招いた当人は、何か知らないけど納得したみたいだからいいか、ウソは言ってないんだしと軽く考え、そして当人以外にこの誤解を訂正できるあかねも何も言わなかった。

 

「後で私には教えてね」

 

 食事後、妹の去り際にぼそりと囁く姉の姿があったとか。

 

 

 

 そんな一夜が明け、主役争いが始まった日を彷彿とさせるような曇り空の下、苺プロ内の社長室に5人の人物が集まった。

 前回のようにほぼ全員を集めるのではなく、最低限の人数のみで、社長不在により密室と化した社長室を借り受けて行うあたりにカントクの心境が読み取れる。

 

「えー、知ってるヤツはもう知ってると思うが、例の病院から撮影の許可が下りたから来月の頭に宮崎に行く事になった」

 

 遅くまで作業でもしていたのか、目の下に隈を作ったカントクが並んだ4人に向けて喋る。

 

「なんで急で悪いが今日、アイ役を決定させてもらう。前と同じように2人で演技してもらって、それを見てオレが判断する」

 

 主不在の椅子に代わりに座ったカントクに向け、聴衆の1人だった黒川あおいが小さく挙手した。

 

「前と同じという事は、演じる場面もこちらで指定して良いという事ですか?」

「いや、今回はオレが指定する」

「……分かりました」

 

 あおいは何も言わず引き下がった。全体を満遍なくは鍛えられないので、得意そうな一場面のみに注力する事でここまでルビーは何とか勝負の体裁を保てていた。それが出来ない時点で極めて不利な戦いになるのは明白だが、既に結果ありきであると知ってしまっている以上は抗議するだけ無駄と考えての事である。

 

「そっちは何かあるか?」

「ありません」

 

 カントクは続いて黒川あかねの方にも問い掛けたが、あかねは何も言わなかった。むしろ早く始めようと言わんばかりの対応である。

 カントクの隣に控えるアクアもまた、黙って場の推移を見守っている。

 

「よし、それじゃあ始めるぞ。今日演じてもらう場面はこの2つだ」

 

 私のお母さんは、私のこと嫌いだからさ

 

 私は君を愛せない

 

 2人に配られた、台本の一部分を写したコピー用紙にはそう書かれていた。

 

「お前らがこれをどう演じるか。オレはそれが見たい。じゃあ、前と同じくあかねから始めろ」

 

 部屋の外で仕事中の社員達に配慮してか、カントクは手にしたカチンコを小さく打ち鳴らした。

 

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