完璧で究極なアイドル様に執着されて 作:肉ぶっかけわかめうどん
木曜日は病院が休み。休みというのは正確な表現ではないし、最近は木曜でも診療を行っているところも多いが、世間ではそれが常識として知られている。
そんな人の少ない木曜日、邪魔の入らぬ内に撮れるだけ撮ってしまおうという魂胆で朝イチに押し掛けた撮影クルー一行を待ち受けていたのは銀髪の少女だった。
「いらっしゃい」
上等なダークスーツを着込んだ成人男性と、同じく漆黒のセダン車、センチュリーを後方に従え、小さな手を可愛らしく振って出迎えてくれた少女、ツクヨミに一同は面食らった。
「な、何でここに……」
この黒いのは何処にでも湧いて出ると知っている極一部を除き、ついこの間まで東京にいた少女が当たり前のように先回りしている事に理解が追い付かなかった。
「……今日は平日だろ。学校はどうした?」
突然現れて驚きはしたものの、何とか立ち直ったカントクがツクヨミに尋ねる。
「私が学校なんて行くと思うかい?」
「義務教育は?」
「義務教育と言うのは、子に教育を受けさせなくてはならないという親の義務だ。私のじゃない」
ツクヨミは後方にいた男性を指さした。カントクはここで、そこにいる成人男性がツクヨミの保護者である事にようやく気が付いた。
保護者の許可なく幼い子供を働かせるなどできない。ツクヨミを子役として起用するにあたり、カントクはちゃんとツクヨミの保護者と会って話をしている。その時は生真面目で堅苦しそうといった印象を受けた程度だった。
だが今そこに立っている男性が同一人物であると脳が全く認識できなかった。気配を消して佇みつつ、監視するかのような視線を一行に時折向けるその雰囲気は父と娘のそれには到底思えない。
「ついでに言うと、この義務に反したからと言って特に罰則はない。不登校でも卒業できる」
「学校行きたくない理由でも……まあ、他所の家庭に首突っ込む気はないけどよ。で、今日は何の用で来たんだ?」
保護者が良しとしてるなら外野がどうこう言うべきではない。学校に関する話はここで切り上げ、カントクは今日の目的を聞く。
問いを受けたツクヨミはカントクのさらに後ろにいた黒川あおいの元まで歩くと、その腕を自身の胸元に抱き寄せた。
「今日一日こいつ借りてくから」
「は?」
カントクの口がポカンと開いた。黒川あおいだけは何か思い出したような顔になっている。
「……ああ、例の件ですか」
「そうそう」
「急に言うの止めてもらえます? 今日私がするはずだった仕事はどうすればいいんですか」
「そんなのあそこにいるヤツに押し付けなさい」
ツクヨミは少し離れた位置にいるアクアをあごで指した。
「そいつはデートシーンの為に来てるから、病院の撮影終わるまで出番は無い。あの病院の事なら勝手知ったる男なんだから効率的に使ってやればいい」
「……それは良い考えかもしれませんけど、話し通すのはご自分でやってくださいね」
自分で行けと黒川あおいが答えると、ツクヨミは彼女の腕から離れて今度はアクアの腕に絡みつく。
「聞いてたと思うけど、明日の朝まで借りてくから仕事代わりにやっといて」
「どうしても今日じゃないとダメなのか?」
「今日中に終わらせてもらわないと困る」
「……なら仕方ないな」
もの凄く嫌そうな顔をしながら、アクアは肯いた。
「やってくれるかい?」
「嫌だと言ったら止めてくれるのか? 分かったからさっさと行け」
元より今日は暇なので撮影の手伝いをするつもりで来たのは事実。病院の構造を熟知している自分の方が動きやすいのもそうだろう。何より、抗議したところでこの疫病神が聞き入れるわけがないのでアクアはさっさと了承した。
「おいおいちょっと待て」
アクアが仕事の押しつけを受け入れたので早速ツクヨミは彼女を連れて行こうとしたが、今度はそれに壱護が待ったをかけた。
「オレらは遊びに来てるんじゃないんだぞ」
壱護はツクヨミの前に立ち塞がり、黒川あおいを睨みつけた。
「私としても仕事を投げるような形になるのは不本意ですが、何か言い出した時のツクヨミさんはもう止めようがないので……」
お前も何言われるがままになってるんだ、仕事しろとお怒りになる壱護の気持ちも黒川あおいには分かる。仕事をバックレる形なので気持ちが分かるどころか全面的に壱護が正しい。だがそれでツクヨミが止まってくれるとは思えなかった。
「なら監督に許可を貰おう。それでいい?」
立ち塞がる壱護の脇をすり抜け、ツクヨミはカントクの前に立った。
「ねえカントク。こいつ一日借りてっても良い? 明日の朝には返すから」
無邪気に笑うその声に、固まっていたカントクが再起動した。
「いや、今から撮影だから、それは困る……」
「良いよね?」
ツクヨミが少しだけ声を大きくした。
「カントク、スポンサーや撮影の交渉たくさんしたよね? 私がたくさん口利いてあげたよね? 今度はカントクが私に口利いてほしいなあ」
「……」
「良いよね?」
カントクは折れたように小さく頷いた。
監督に許可を貰えたので今度こそツクヨミは黒川あおいを連れて行こうとしたが、そこへ再び壱護が立ち塞がった。
「何? ちゃんと許可は取ったよ」
「……監督が良いと言ったならもうオレからは何も言えん。だが目的地ぐらいは教えてもらうぞ。そいつに何かあったらオレの責任なんだよ。そいつをどこに連れてくんだ」
「ここから車で2時間くらいの山奥」
「何の為に」
「ここにある設備の保守点検をやってほしくて」
ツクヨミは携帯で地図の1点を表示した。山奥という事しか分からない緑1色の地図だった。地元民ではない壱護には地名を読んでも特にピンとは来ない。
「そういうのは業者に頼むもんじゃないのか」
「だからこそだよ。いつもやってもらってる人が行けなくなったから、今すぐ代わりが必要なんだ。専門の知識と経験を持ってて、頭のネジが外れてる、私が信用できる相手がちょうどここにいるもんだから、ね」
今しれっと私のこと馬鹿にしませんでした? と黒川あおいが呟いたがツクヨミは無視した。
「じゃあ話も纏まったし、借りてくからね」
まだ事態を飲み込めていない面々を置き去りにしたまま、ツクヨミは黒川あおいの手を引いて病院内へと一足先に消えて行った。
ツクヨミに手を引かれる事十分あまりか。されるがままに引っ張られていた私はとある1つの病室の中にいた。
ここに至るまで、面会の手続きなど全くしていないにも関わらず誰も私とツクヨミを制止する者はいなかった。
正確に言うと、声を掛けに来ようとする職員はいた。しかしそれらの職員はすぐさま近くの別の同僚に制止されていた。
あれに関わるな。
そんな声が耳に聞こえてきそうな雰囲気で腕を掴まれていた事情を知らぬと思しき何名かの職員の間を抜け、ノックへの返事の直後に個室の病室の扉を開け放ったツクヨミ……我が物顔で病院を闊歩していたクセに部屋主の許可が下りるまで入室しない妙な律儀さを発揮する幼女……の前に、頭にいくらかの白髪を散らした中年と老人の境目といった年頃の男性が現れたのだった。
「いやはや、まさかこんな若い娘さんだとは」
この人が今回の依頼人であり、また以前自分の神社に呪物を不法投棄されて困っていた例の宮司さんらしい。ベッドから起き上がって私を見ながら、何やら困ったような顔をしている。
「若いけど、場数はそれなりに踏んでるから使えるよ」
「いえ、貴女様の選択を疑う訳ではないのですが……もっと年を取られた方を想像していたもので」
ツクヨミさんよ、なんで私のこと話してないのだ。宮司さんのこの顔、単に年齢で驚いてるというより、私だと何か問題でもあるかのような顔だぞ。
「大丈夫大丈夫。ちゃんとそこも織り込み済みで選んでるから。こいつの親は警視庁の幹部なんだよ」
「なんと、それは心強い。身内に被害が出た時の警察は恐ろしいですからな……」
何で警察とかそういう話が出てくるんだ。もしかしてオカルトじゃなくて物理的な問題なんじゃないだろうな、と怪しんでいたところで宮司さんが咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」
軽く背中をさすり、落ち着いたところで近くにあった飲みかけのペットボトルのお茶を渡す。
「ありがとうございます……面目ありません。こんな大事な時期に体を壊してしまうとは」
宮司さんは骨折で入院しているようだ。
最初はただの風邪だった。数日すれば治ると放置して、人に会わないようにする事だけ意識して仕事をしていたら、仕事中に足を滑らせて転倒、骨にひびが入ってしまい、そのまま入院するに至ったとの事。風邪を拗らせて肺炎へと進化するおまけ付きである。
「外せない用事の直前で入院とは。不運ですね」
「もう若くはないと頭では分かっていたつもりでしたが、まだまだ認識が甘かったようです」
そして弱った年寄りを仕事に行かせてくれるほど病院は優しくはなかった。
自分で行くつもりだった例の仕事に間に合わないのが確実になった時点で止む無くツクヨミの実家に泣きつき、そしてツクヨミが代理に私を選定して今に至る。
風邪ひいたまま仕事するのは褒められた行為ではない。だが、宮司さんの場合仕方ない部分もある。
宮司さんの世代だと、まだ高熱に魘されながらそれでも出勤した、みたいな無茶が美談扱いされていた世代だろう。若い時の価値観に従って無茶してしまうのはあり得るかもしれない。
「おっと、貴重なお時間をこれ以上頂くのも申し訳ない。早く仕事の話に入りましょう」
ベッドから起き上がり、宮司さんは傍らの紙袋を手に取った。
それを渡された私が中をのぞくと、そこには何枚かの小さな鏡が入っていた。他にはお札らしきものと、鍵と、地図だ。地図には赤いペンで何か所かに丸印が付けられていた。
「集落の見取り図です。地図のその点に祠がありますから、その中の鏡とお札を新品に交換して欲しいのです。祠には鍵が掛かってますから、それで開けてください。それが終わったら、最後に集落の奥に古いお墓がありますから、供養してあげてください」
「それだけですか」
「それだけです」
集落の中心と、集落内外の境界線上に祠が配置されているらしい。仕事内容が本当にこれだけなら、数時間で終わるというのも頷ける。
とはいえこれはツクヨミが持ってきた案件。まだ何かあるはずだ。というかこれなら専門家呼ばずとも地元住民でやればいいレベルだし。
「で、本当にこの為だけに私を呼んだんですか?」
「疑い深いね。それだけだよ」
私の疑問にはツクヨミが答えた。しかしどうにも信じきれない。必要な情報はちゃんと事前に渡してもらいたいのだが。
「じゃあ、時間も勿体ないし行ってらっしゃい。説明は行きながらしてやるから」
「よろしくお願いします」
しかし私の疑問は解消される事なく、頭を下げる宮司さんと手をふるツクヨミによって病室から追い出されてしまった。
そして病室の外で待ち構えていた従者らしき人にそのまま車まで連れられ、再び車上の人になるのであった。
一度ホテルに戻って荷物を取り、そしてツクヨミの実家と思われる立派なお屋敷に立ち寄って車を乗り換え。
ご立派なセダンのそれに比べれば狭苦しくなった5ナンバー普通車の後部座席に納まりながら、私は送迎がてら運転手の話に相槌を打っていた。
「これから向かう場所ですが、道が少々狭い区画がございます。小さな車でご不便をおかけしますが、どうかご了承ください」
ゆっくりで聞き取りやすく、しかしどこか無機質な話し方をする従者は、行きながら説明するというツクヨミの言葉を忠実に実行してくれた。運転しながら集落についての説明をちゃんとしてくれたのである。
曰く、その集落は昔はそれなりに人がいたが、今ではもう立派な限界集落という、日本のそこかしこで見られるありふれた集落らしい。
集落では年に一度の祭りがある。祭りと言っても凝った催し物があるわけではなく、朝に村の神社に集まり、神様に今年も1年無事に過ごせたことへの感謝を述べ、昼になったら共同墓地へ墓参りに行き、終わったら皆で昼から酒盛り、飲み終わったら日が沈む前に各家の仏間で就寝して一日が終わる親戚の集まりレベルのもの。
昔はもう少し色々やっていたようだが、既に年寄りばかりになった今の集落にそんな体力は無かった。
「例の設備点検は毎年、この祭りの日までに終わらせるのが慣習となっております」
「その祭りというのはいつですか?」
「今日です」
今日かよ。ツクヨミさんもっと余裕あるスケジュールでお願いできませんか?
「祭りの日を過ぎたからと言って直ちに致命的な影響が出るとは思えませんが、可能なら本日日没までに作業を終わらせてください」
「仕方ありませんね。間に合うよう努力します」
「さて、この祭りですが、この日に限り守らなくてはならないルールがあります」
日没までに、全ての戸と窓を閉め切る事。カーテン等の視線を遮れる物があるならそれも用いる。
日没後は翌日の日の出まで、誰も外に出ない事。
夜間、外で何か見えたり聞こえたりするかもしれないが、決して相手にしない事。
「気付いた事に気付かれなければ問題無い類ですか」
「そのように伝え聞いております」
1年に1回、特定の日だけか。山から何かが下りてくるから、それをやり過ごすとかのパターン?
でもさっき貰った地図だと、例の仕掛けは集落の境界に置かれている。そして祠の中の鏡。うーん、まだちょっと情報が足りない。
「また先に述べた理由の為、夜間は村に立ち入れません。お迎えは明日の朝になります」
「じゃあ私は今晩どうすれば?」
「村長のお宅に宿泊させてもらえるよう交渉済みです。あの宮司も、仕事の仕上がりのチェックも兼ねて宿泊してから帰っていますので、寝泊りと食事はご心配なく」
今晩はホテルに帰れないらしい。まあこれも仕方ない。霊能者は夜に働く事も多い。仕事先でそのまま休むなどよくある事だ。
朝食ビュッフェにありつけないのだけが少し残念。別に食事が売りのホテルではないし、ラインナップは知れたものだろう。だが、それでもビュッフェという単語には特別感があるのだ。
「では、次にこの祭りが行われるようになった経緯ですが……」
祭りの起源は意外と新しく、明治の世に入ってからだという。
元号が変わり、新しい時代に向かって日本が動き始めた激動の時代。しかし文明開化が叫ばれたと言ってもそれは都市部だけのお話。地方、それもこの集落のような寒村は未だ前時代の暮らしをしていた。
その村では、夜な夜な現れては村民を驚かせ、追いまわし、時には憑り殺す女の霊に悩まされていた。なけなしのコネと金で外部に助けを求めた村民たちの声に応えたのは若い僧侶だった。
若い僧侶は集落を調べ、その女の霊が正攻法では対処困難だと判断すると、集落の境界線にいくつかの祠を建て、村民にこう言い残して去って行った。
村長の一族は子々孫々に至るまで、命日の供養を欠かさぬ事。
女の墓を除いた全ての墓を村の近くに移し、それが終わったら誰も女の墓に近寄らぬ事。
祠の管理は寺でするので、村民は手を触れぬ事。
「この命日の供養が後に村の祭りに変遷し、今に至ります」
「その後はずっとその僧侶が管理されていたのですか?」
「この僧侶なのですが、後にこの時の処置が寺側に問題視され、破門されております。管理そのものは寺が引き継ぎました」
破門、つまり処罰されるような処置だって?
それから被害が出なくなったと言うなら良い事じゃないか。なのに設置を理由に処罰されるなんて。これから点検するのはいったいどんな設備なのか。
「その寺というのは……」
「戦災で焼失しております」
なるほど、それであの宮司さんのところに管理が移されたと。消失したのなら資料とかも期待できないだろう。
「で、肝心のその処置とは」
「見れば分かるから解説不要。そう言いつけられております」
ツクヨミさんよ、秘密主義は大概にしてほしいのだが。私もあんまり人の事言えないけど。
それから暫く車は走り、広い道を外れて山の方へと向かって行った。
普通車以上は離合どころか通行すら難しそうな狭路にはガードレールなどという文明の利器は当然ありはせず、代わりに落石や木の枝が路肩に落ちている。
なぜ最初に車を乗り換えたのかよく分かる、その手のマニアが大層喜びそうな酷く険しい道を延々走り続けていると、視界がぱっと開けた。
山と山の間、僅かに開けた谷間にへばりつくように造られた集落の入口に車が止められた。
私はもうこの時点で嫌な感じがし始めていた。何かこの土地、あんまり良くない気がする。
「黒川様。これをお渡しします。よく見える場所に付けておいてください」
少しだけ疲れたような顔を見せた運転手は車内のダッシュボードからお守りを1つ取り出した。
お守りといえば普通は何かしらの四字熟語が書かれているものだが、手渡されたお守りには何も書いていない。代わりに初めて見る家紋が刺繍されていた。
「この先、集落の方々に色々と話を聞かれる事になるでしょう。質問には出来る限り正確に答えてください。特に親の職業については」
またそれか。やっぱりなんか物理的な危険もあるんじゃないのか?
この家紋だって、確信は無いがどうせツクヨミの実家のものだろう。こいつに手を出したら家が黙ってないぞという意味のお守りに違いない。
地元の名家と警察、2つの後ろ盾を用意しておくような危険が想定される仕事。これはちょっと気合を入れないと不味いかもしれない。
「そう怯えないでください。あくまで念のためです」
「念を入れる必要があるんですね」
「人は焦ると判断を誤るものです。ここには年老いた、もう猶予が無い年寄りしかいないものですから」
ため息を一つ吐く。
まあうだうだ考えていても仕方ない。さっさと仕事にかかろう。
一方、病院内での撮影を開始したカントクは多忙を極めていた。最も仕事が多いタイミングで黒川あおいが抜けたのは痛かった。たかが雑用、されど雑用である。
監督とカメラマンその他は上司部下の関係ではない。同じ会社に所属する仲であるならともかく、そうでないならその関係は対等に近い。これを撮れと命令しているのではなく、お願いして撮ってもらっている立場である。若く実績の無い監督の場合、責任者であるはずの監督よりむしろ現場の方が偉そうにしている事も珍しくない。
今回契約している会社にはそんな横柄なベテランは見受けられなかったし、五反田監督もまた周囲に舐められるような非力な若造でもない。だがそれでも気を使って接している事は確かだ。
その中で、最初から監督の雑用係として配属されていた黒川あおいの存在は貴重だった。ほぼ唯一の気楽にものを頼める相手だったのだ。
しかしカントクはこれを耐えねばならない。何を隠そう、ツクヨミの実家はこの映画のスポンサーの一角でもある。彼女の実家は地元でかなり名が通っているらしく、その名を出すだけで地元企業や団体が露骨に態度を変えるのだ。
ツクヨミ無くしてこの映画は成り立たない。多大な貢献をしてくれた彼女の我が儘は決して無視できるものではなく、やむなく黒川あおいを手放さざるを得なかった。
現場の不満はそう大きくはなかった。スポンサーの我が儘に対応中と言えば納得はしてもらえたし、星野アクアという代替戦力が存在したのも大きい。
それなりに重量のある機材を抱え、病院内を迷いなく歩くアクアの姿はとても頼もしい。どれだけ事前調査を重ねたのであろうか、かつてアイが入っていたという病室に一直線に向かって行く案内要らずぶりはちょっと怖いレベルだ。
幸いな事に撮影は大変順調である。
こんな絵を撮りたいと言えば、ではここはどうかと即座に提案が返ってくる。提案を呑めば現地までスムーズに案内されるし、見物に来た入院患者たちの相手も率先してやってくれる。入院中の老人やお姉さん方への対応が手慣れ過ぎていて怖い。
頼もしい臨時雑用係で何より。
おば様、もといお姉さま方に囲まれているアクアという、ルビーや有馬かなにはちょっと見せ辛い光景を他所に、カントクは撮影を開始するのであった。