完璧で究極なアイドル様に執着されて 作:肉ぶっかけわかめうどん
「良いですよ。どうせ私も日没まではヒマです。少し自分語りでもしましょうか」
母の母、つまり私から見て母方の祖母にあたるその人は、こんな感じの山奥の家に祖父、離れの長男夫婦の計4人で住んでいた。
年2回、盆と正月に顔を出していた祖母宅は見た目通り大層不便だった。
夏の夜に屋内で明かりをつけていると飛んできた虫達で窓ガラスの向こうが気持ち悪い事になるし、冬は冬で虫こそいないが雪が降る。行き来に使う峠道が雪で通行止めになる年もあり、来たのは良いが帰れないなんて事態になる時もあった。
祖母宅には電気もガスも電波も有ったが、一部近代化が遅れている個所もあり、例えば風呂は昔ながらの薪で沸かす物だった。
前世は良家の生まれ、今世は現代の都市暮らしで過保護な家族持ちのルビーは自分で風呂を沸かした事なんてきっと無いだろう。
「そんな事ないもん」
ルビーは電話越しに不服そうな声を届けてきたが、どうせボタンを押しただけだろう。ボタンひとつ押せば全自動で温かいお湯を張ってくれる現代の電化風呂なんてカウントに入らないぞ。
ところで風呂と言えば、沸かし過ぎて入れない熱湯風呂を何とか入れる温度まで下げるために冷水を足す行為を『埋める』と呼ぶのだが、この表現って現代の電化住宅で育った若者にもまだ通じるんだろうか。
薪で沸かすと火加減が難しい上に追い炊きもそうそうできないし、そも老人特有の鈍感な温度感覚もあって大抵は若者は入れたものじゃない激熱熱湯風呂が出来上がるし、そこから進化したガス炊きの風呂にしても、火を点けたは良いがタイマーのセットを忘れて沸かし過ぎてしまった事など誰もが1度は経験している話だと思う。
「まあ今更私もあんな時代に帰りたくはないですが」
でもやっぱり現代の便利な家の方が良い。たまにやる分には焚火も良いが、毎日やれと言われたらきっとげんなりする。
そんな不便ながらも静かな場所で穏やかに暮らしていた祖母だが、特に人と変わった所がある人間という訳ではない。どこにでも居そうなお年寄りだし、家系的にも何か重大な秘密とかがあったりはしない。聞いた事がある家系にまつわる話なんてひとつだけだ。
私の先祖は特に語る事も無い平凡な庶民の家系だったのだが、ずいぶん昔に駆け落ちだかなんだかでかなり力のある人を迎え入れた事があったらしく、それ以来3、4世代に1人ぐらいの割合で視える人を輩出するようになったという。
そんな私ももう記憶にないくらい幼少の頃にイマジナリーフレンドの存在を何度か訴えた事があるようで、霊感ならぬ零感な両親は幼子あるあると思い軽く流していたようだ。
しかし祖母が私の話を聞いた時の反応は違った。
祖母は視える人だったと言ってもぼんやりと感じ取れる程度の弱い霊感で、それも子供の時だけで大人になる頃には消えてしまった程度のものでしかないが、それでも私が指差しているモノがイマジナリーなどではない、この孫娘も自分と同じなのだと直ぐに気付き、幼い私でも分かるようにゆっくりと辛抱強く、それは良くないモノだから相手にしてはいけないと教え込んでくれた。
私が祖母の家に遊びに行ったり、祖母が私の家に来たり。町と山とで家が離れていることもあり、年に数回しか会う機会のない人だったが、それでも教えられる限りを教えようとしてくれたと思う。
曰く、あそこには行っちゃダメ。それは人じゃない。あんまり見てると家まで憑いてくるよ。もし憑いて来ちゃったらこうしなさい、これで大抵はどこか行ってくれるから……。
もう記憶に無いぐらい昔の話だが、夜中に祖母に会いたいと泣いてぐずる孫娘の為に、自分も眠る時間だろうに電話でずっとあやしてくれた事もあったらしい。
ひとしきり電話で話して、祖母に言われた通り背中を叩いていたらいつの間にか寝ていた、きっと怖い夢でも見たのだろう、と両親は懐かしそうに話していた。
「でも今思えばそれは多分夢じゃなくて、恐いナニかが家に居たんでしょう」
「ははは……あおいさん、お祖母ちゃんが大好きだったんだね」
さてそんな祖母であるが、生前の頃繰り返し私に言っていた言葉がある。
あいつらと私らは住んでる世界が違う。関わっても良い事なんかないよ。
この世のモノではない、自分達とは『住む世界が違う』存在と関わるとろくなことが無い。
いくら可哀想に見えても助けてあげようだなんて思うな。もう死んでしまっているのに、それでもまだこの世にしがみついている存在を、本当の意味で救済してあげる事などできない。中途半端に寄り添って却って恨まれるぐらいなら、最初から関わり合いにならない方がお互いの為。
「この世はまだ生きている人の為の場所で、死んだ人の居場所じゃない。この世にいちゃいけない存在が何言ってても相手にするな」
「……?」
「人の欲望ってエスカレートするんですよね。未練という欲むき出しの霊も例外じゃないんです。構ってやってると付け上がるんです。寂しい、一緒にいたい、死んでくれ、って。だからとにかく無視する。幽霊相手ならこれが最も無難な対策だと、祖母は何度も私にそう言いました」
私には祖母がいたが、祖母には教えてくれる先達はいなかったようだ。私に教えてくれたものは全て、祖母が自分の経験を通して学んだ事なのだろう。きっと過去に霊を哀れに思って手を差し伸べてみたが、その手を噛まれてしまった事もあったに違いない。
駆け出しの霊能者にもたまにいるのだ。成仏できない魂を救ってあげようとする無駄な慈愛と正義感に溢れた新人が。
そして逆に向こうに連れていかれるか、上手く成功させられても次は自分もと蜘蛛の糸に群がる亡者の群れに辟易して投げ出すかのどちらかになる。
一度死に、今度は私が違う世界に住む事になってしまった今でもその基本は変わらない。
「私も、普段は視界に何か映った気がしても見なかった事にしたり、何か近くにいる気配を感じたら離れたりと無視するように心がけているつもりです。私、これでも察知する事に関してはそれなりに自信あったんです。アイさんにみつかるまでは」
真後ろに来られるまで気付かなかったの、正直今でもちょっと引きずってる。気を抜いてたつもりはなかったんだけどな。一生の不覚とはこのことか。
「あおいさんって優しいんだね」
あそこで早期に察知するか、あるいは動揺せず平常心でいられたなら、と何度も繰り返した遅すぎる悔やみをしていると、急にルビーから優しいと言われた。何か優しそうな事したっけ?
「無視する無視するって言ってるけど、それでもママやお兄ちゃんの為に色々やってくれてるんだよね。ありがとう」
色々やってくれてる、か。結果としてそうなってるだけなんだけどな。
もし私にもっと霊能者としての実力があって、このクラスでも真っ向から叩き潰せる自信があったら間違いなくこの母を即刻あの世へ強制送還している。
暴力で対処できないから仕方なく平和的解決に勤しんでいるだけなのだが、まあそれはその娘に向かって言う事でもないので黙っておく。
「ありがとうございます……」
優しさ故という事にしておいて、次の話題で誤魔化す。
誤魔化そうとしたのだが、話題が思い浮かばない。
「……ルビーさんは私に何か聞きたい事はありますか?」
年に数回会うだけの関係。色々教わったり遊んでもらったり、お年玉をもらったりした覚えはあるが、それらは特筆するほどの話でもなかろう。
早々に話題が付きそうなので、ここからは自分よりはるかにお喋りが得意であろうルビーに任せる事にする。
「ええと……じゃああおいさんは何で霊能者になろうと思ったの?」
「私が霊能者になった理由、ですか?」
「うん。お祖母ちゃんからそんなに言われてたのに、あおいさんはそれでもこういう仕事をしてるんだよね?」
ルビーが最初に問うてきたのは霊能者になったきっかけだった。
まあそれは突っ込まれるか。言ってる事とやってることが違うもんね。
ここまで何度も無視しろとか関わるなと言っておいて、なのに今の私は霊能者なのだ。自分から関わりに行っている。
「まあ、そうなります。祖母が見たらきっと呆れる事でしょうね。霊能者やろうと思った理由ですが、強いて言うなら……味を占めた、というやつですかね」
「あ、あじ?」
なんかドラマチックな話でも期待しているのかもしれないが、そういうのは無いぞ。私の私利私欲100%のエピソードだ。
「そうです。昔、私も電車で通学していた時期がありまして。ある日、私のすぐ横でサラリーマンらしき人が電車に飛び込もうと……」
駅のホームで電車待ちをしていたあの日、私はすぐ隣で飛び込みしようとしていたサラリーマンの男性の襟首をつかんで引き留めた。
私がこれから乗ろうとする電車に何をするか。遅刻の責任お前が取ってくれるのか。
え、次の電車に乗ればいい? 次の電車は30分後だ。遅刻確定。
もっと時間に余裕を持って? 前の電車は30分前だ。そんなに早く学校行きたくない。
それから私は、電車が目的地に着くまでの間、そのサラリーマンの話し相手になってやった後、今日仕事が終わったら連絡入れろとメールアドレスを渡した。もちろんその背中に背負ってるヤツを払い落としてやる為だ。
なぜ見ず知らずの相手にそこまでしてるのかって?
朝の電車で一緒になったという事は生活圏が被っているという事だ。今日はたまたま近くにいたからこうして直前で止める事ができたが、次もそうとは限らない。なので他ならぬ自分の為に、取り敢えずその背中のソレだけでも何とかしてやろうと考えたのだ。
「その幽霊ってどんなのだったの?」
「やたら首が長いスーツ姿の男性でしたね」
「……」
部下か取引先かは知らないが、思わず首に全体重をかけてしまうぐらい誰かを追い詰めた事があるのだろう。そのサラリーマンもぼかしてはいたが、どこまでも憑いてくるその幽霊に心当たりがありそうな感じだった。
ちゃんと仕事終わりの連絡をくれたサラリーマンを人気の無い場所に呼び出し、背中のモノを払ってやってから数日後。
見違えるように活力を取り戻していたサラリーマンとまた再会した私は、サラリーマンからお礼と言われて結構な額のお金をもらった。
「いきなりお金渡してくるって怖くない?」
なんかルビーから常識的なツッコミが来たが、そのサラリーマンも口先だけでお礼を済ませるのはどうかと思うが、かといって高校生って何を送れば喜ぶのか分からない、と色々考えた結果、何にでも使える現金を渡して『お気持ち』とするのが無難だと判断したらしいし。実際私にはこれで正解である。
「まあ、それで小遣い稼ぎできるんじゃないかと味を占めたのが切っ掛けでして」
霊能者としての能力はそこまで大したことない私でもこうして稼げるのだと知ってしまった私はそれからこうした活動を度々行うようになった。
小遣いや月給が大した事なくてもそれなり以上の生活を送れたり、活動が親や周囲にバレかけてひと騒動起きるも必死に誤魔化したりと嬉しい事もそうでない事も色々あったが、まあ全てひっくるめて前世の思い出だ。
関わるなと言われてたのに自分から率先して足を踏み入れ、そして前世の末路に繋がってるのだ。愚か者と言われれば返す言葉が無い。しかし悪くない人生だったとは思ってる。
「経緯としてはこんな所ですかね。思惑通り、良い小遣い稼ぎになりました。この副業はこの先10年に渡って私の懐を大いに潤わせてくれましたよ」
「10年?」
「この10年後に死んだので。客のふりして近付いてきた男に襲われたんですよ。大切な人の教えより目先の小銭を取った愚か者らしい末路ですね」
電話の向こうで息をのむような音がした。病院のベッドに寝たきりで、病気で苦しみぬきながら12歳で死んだルビーには到底かなうべくもない自業自得の末路なのだ。いっそ笑えとまでは言わないが、そこまで反応するほどのものでもあるまいに。
とはいえ反応に困る類の話題である事には変わりない。何か別の話に変えようとしたところで、ようやくルビーから反応が返ってきた。
「あおいさんはそれでも、まだその仕事を続けてるの?」
「……? はい、続けてますが。それが何か」
「ずっと続けてたら、また同じ事になるかも、とか、考えない?」
「あー……、そういう可能性は無くも無いです。というか多分なります。女1人で深夜に出歩いて、何の危険も無いと思う方がどうかしてます。でもまあ、その時はその時ってやつで。世の中、ノーリスクで手に入る幸せはありませんからね」
日夜口座残高とにらめっこな普通の社会人生活なんて今さら送れる自信は私にはない。人は1度生活レベルを上げてしまうと2度と元には戻せないのだ。
あおいさん、昔の話する時何だか嬉しそう。
切れた電話を見つめながら、ルビーはそう感じた。
いつになく感情の乗った声だった。彼女は前世の己を大して語る事も無い普通の人間だったと言うが、それでも昔話をするときの彼女は楽しそうだった。
ここに彼女が言った先の言葉を組み合わせると、ひとつの推測が浮かび上がる。
もしかして黒川あおいは、2度目の人生を詰まらないものと感じているのではないか。
この世に居てはならない存在の中に、自分自身も入れてしまってはいるのではないか。
死んでないから生き続けているだけの孤独な人生。
それは奇しくも、前世の己と重なるものだった。アイとゴロー先生という生き甲斐と出会えなければ自分はどうなっていただろう。ただ病院のベッドの上で、日がな一日虚空を見つめ続ける人生だったかもしれない。
生き続けたところで何になる。苦しみながら、終わりを待つだけの人生に何の意義がある。でも、死にたくなんかない。
他の人たちとは異なる方向から兄や己を助け続けてくれている先輩で、転生という秘密を共有するたった2人の仲間が、生に意義を見出せない虚無な毎日を送っているのだとしたら、それは悲しい事だろう。
もし彼女の孤独に寄り添える人がいるとすれば、それは己か兄だけだ。何かできる事は無いのか、真っ黒な液晶の前で考え込まずにはいられなかった。
もうすぐ日が暮れる。ひと雨降りそうな怪しい雲と沈み始めた夕日が何とも言えぬコントラストを描く空を後にして、私は膳藤さん宅に戻った。
それにしてもルビーは話し上手だな。霊能者周りを除けば平凡そのもの、アクアやルビーとは比較にもならない山も谷も無い人生の話をさも楽しそうに聞いてくれる。
恋愛絡みの話になると特に食いつきが良いのは青春というものか。向こうからアプローチしてきたから何となく付き合ってみて、でもやっぱり長続きしなかった盛り上がらない恋バナしか語れる事ないんだけどね。
夜中は外に出てはならないとされているこの日。日没の時間が迫ると膳藤宅では淡々と戸締りが進んでいた。全ての戸と窓は施錠され、カーテンが閉められる。
締め切ると同時に消灯も行われ、後は仏間に皆で布団を並べて朝まで過ごす事になる。昼の食事で大量に酒が用意されていたのは早すぎる時間に無理矢理眠る為でもあるのだろう。
仏間の一番端に用意してもらった客用の布団に潜る。
家ではずっとベッドだったから、布団で寝るのなんて20年、下手すれば30年ぶりか? 少し手を伸ばせば手に触れる、畳のひんやりした感触がまた心地よい。
私の隣にいるのはりく少年だった。
帰宅してからさらに自家製の梅酒で飲み直し、無理矢理眠りについた父親たちと違い、まだまだ眠れないようで布団の中でスマホを触っている。こちらに背中を向けているので見ているものは窺い知れない。たまにこちらを向くが、私と目が合うとすぐにそっぽを向いてしまう。
まあ初対面の年上で異性なのだ。距離のある対応なのは仕方なかろう。私もどう接すればいいか分からないし、どうせ明日になればおさらばな関係なので無理に話し掛けはしない。
そろそろ私も休むことにする。
正直私も全然眠くないのだが、横になって目を瞑るだけはしておこう。夜中に何か起きる可能性はゼロじゃないし、何もなくても明日は撮影の仕事に戻らないといけないのだ。体力は温存せねば。
そうしていつの間にか寝てしまったのだろう、夜の何時かもわからぬ真っ暗な中でふと妙な気配と物音で目を覚ました時、視界に入ったのはもぬけの殻となった隣の布団だった。
そして先の聞き慣れぬ物音の正体は、玄関の引き戸の音だったんじゃないかと思い至った時、私のまだ寝ぼけていた意識は完全に覚醒したのだった。
所は変わって高千穂の夜の病院では、夕暮れ一杯まで時間の許す限りの撮影が続けられた後、このまま夜中のシーンまで撮り進めるつもりでいたのだが、食事休憩中に空模様が怪しくなってきたので止む無く撤収の運びとなっていた。
雨降る中での撮影機材の片付けに追われ、夜の病院特有のおどろおどろしい雰囲気に包まれ出したロビーを動き回っていた一同の前に新たな来訪者が現れた。
「皆さまお疲れ様です」
最低限の明かりが灯るだけの薄暗いロビーに紙袋を手に現れたのはカミキヒカルであった。
好意的な視線、突き刺すような視線、いずれでもない中立な目のいずれも意に介さず、カントクの元に歩み寄って皆でどうぞ、と手にした紙袋を差し出す。
紙袋の中身は多人数でも食べやすい個包装されたお菓子の詰め合わせだった。
「おや、斉藤社長……ああ、元社長。大変ご無沙汰しております」
差し入れをカントクに預け、次にカミキが目を向けたのは斉藤壱護である。
「……よくオレの前にそのツラ出せたな」
色々と言いたい事を堪えて、ようやく絞り出したようなその一言にも、カミキはまるで動じたような様子は見せない。
「はは、その節は申し訳ありませんでした」
顔だけは済まなさそうにしているが、歓迎とは真逆の視線など痛痒にも感じていないのは明白。糠に刺した釘でももう少し手ごたえがありそうな態度に壱護は閉口させられた。
「何しに来た」
「黒川あおいさんが遂に役者になられると聞いたので。欲を言えば、先に目を付けたのは僕なので出るならウチの事務所から出てほしかったのですが」
「……事務所云々はオレの口出す事じゃねぇけどよ。今はウチの社員なんだ。何かしやがったら承知しねぇぞ」
「肝に銘じておきます」
顔も見たくない、と顔に書いてある壱護との会話は早々に切り上げ、カミキは誰かを探すように周囲を見渡す。
「あいつならここにはいないよ。私がちょっと野暮用頼んであるからね」
見渡したカミキの背後にいつの間にか立っていたツクヨミが彼の疑問に答えた。
ツクヨミの声にカミキは一瞬だけ驚いた顔を見せた。彼の背後にあるのはつい先ほど入るのに使用した自動ドアであり、通ったなら開閉音がするハズなのだが、そんな音は聞こえなかった。今もツクヨミは自動ドアのすぐ前に立っているのだが、センサーはうんともすんとも言う気配を見せない。ついでに雨に濡れている様子も無い。
「……これはこれは、ツクヨミさんではありませんか。いつもお世話になっております。貴女の頼み事という事は、そういう案件ですか」
「そういう案件だね。面倒事になるかどうかは半々と言ったところだったけど」
「だった……過去形ですね」
「悪い方へ転がったね。本職が出張らないと解決できない事態になってしまった」
車に機材を詰め込んでいるスタッフらの邪魔にならぬよう、ついでに声が聞こえぬよう2人は少し離れた。
そういう案件、の言葉の意味を理解している者は数えるほどしかいない。その数名は2人の会話にしっかりと聞き耳を立てている。
「雑に使える部下って便利だよね」
「……僕も社長ですし、任せられる部下がいると助かるのは大いに同意できますけど、勝手に部下にはしないであげてください」
「分かってる分かってる。独り占めはしないから」
「まだ僕のものでもありませんよ」
へらへらと笑顔を作って覗き込むツクヨミに、カミキはどこか芝居がかった動きで両手を上げ首を振った。
「それで、いったいどんな案件なのか、教えていただけないでしょうか?」
「ここから2時間ぐらい走った山奥に、消滅寸前の集落がある。そこでは年に1回だけ、日没後は外に出てはいけない、外を見てはいけない、という決まりの日がある。ちょうど今夜だね。そこに1晩泊まり込んで、もし異常が起きたら対処してこいって話」
「ほう」
カミキは興味深そうに薄く笑った。
「ちょっとした設備の点検じゃなかったの? 朝に聞いた話と違うけど」
「本当にただの点検でしかないならそもそもお前の妹に頼んでないから。向こうも私が依頼主の時点でそれぐらい分かってるだろうし、その上で引き受けてるんだから問題ない」
聞き耳を立てていた誰かのつっこみが入ったが、依頼主とカミキは意にも介さなかった。
「外を見るな、ですか。外で起きている事に関わるな、という話にも聞こえますが」
「おお、流石鋭い。外をうろついてるのに見つかったら大変だからね。外から悲鳴とか、助けを求める声が聞こえるかもしれないけど、決して見に行ってはいけない。見なければ、無関係でいられる」
「でも、面倒事になってしまった」
「そう。今年は代替わりの年で、初めてこの日を迎えるのが何人かいるのが不安要素だった。念のため送っといたけど正解だったよ」
相も変わらぬ薄ら笑いを、今度は西の方角へ向けた。
「今年初めて参加させられた、あの中学生の男の子も可哀想だね。1日遊んで暮らせると思ってたら、突然見知らぬ女が押しかけてきて泊まると言い出す。自分の事など気にもせず隣で平然と寝息を立てる。夕食の時間が早すぎたせいで腹まで減ってきた。眠れないストレスから逃れようと台所に食べ物を探しに行ったら、それがたまたまアレが家の近くに来ていたタイミングだった」
「それはそれは、何とも不運な事で」
「そう、とても不運だ。今晩は外に出てはいけないはずなのに、いったい誰がぞろぞろと歩き回っているのか確かめようと覗いてみたら、向こうにもしっかり気付かれてしまった事も。手遅れになる前に、探して連れ戻さないとね」
消えた男の子を探して、今からこの夜と雨の中でハイキングする事になる誰かを思って、ツクヨミは楽しそうに。何故か最低限の明かりで夜の山を歩いた経験がありそうなカミキは哀れそうに、西へと顔を向けるのだった。