完璧で究極なアイドル様に執着されて 作:肉ぶっかけわかめうどん
演じる事は私にとって生きる事だ。
勉強、家事、習い事。小さい頃から何一つとして妹に敵わなかった。まるで経験者のような慣れた手つきと歳に似合わぬ理解力を見せるあの子に唯一勝てた世界がここだった。名声、お金、仲間、そして素敵な人。演じる事で私は満たされてた。
だけども、どんなに演技が上手くとも、偽物は本物には敵わない。縮める事は出来ても、その差がゼロになる事は絶対に無い。
もしも彼の心が本物だったらどうしよう。本物には絶対に勝てないのだから、偽物は消えるしかない。
もしも本物ではないのならどうしよう。偽物同士なのに選ばれない。たった一つの得意分野ですら負けるのか。
都内のとある飲食店で、アクアは悩んでいた。テーブルを挟んだ対面ではあかねが先ほど撮影したツーショット写真をせっせとインターネットに上げている。
アクアの目下の悩みは彼女との関係をどうするか、である。
黒川あかねは役に入り込む天才だ。手に入る限りの資料を読み込み、その人物像を自身の中に作り投影する。彼女に『星野アイ』をシミュレートさせれば事件の真相に近づく強力な手がかりが手に入ると信じた。つまるところただ利用する為だけに近づいた彼女であるが、交流を続けるうちにいくらか情の湧きつつある自分を、アクアはもう自覚している。
脳裏で呟く声がする。
黒幕と睨んでいた父親、上原清十郎は事件と無関係だった。父親を捜すという当初の目的が果たされたのだから、もう彼女をこれ以上己のエゴに付き合わせてはならない。彼女の才覚は、彼女自身の輝かしい未来のために使われるべきであり、何も生まぬ復讐、それも他人のために浪費されてよいものではない。
それに、情報源ならこいつの妹がいるではないか。代替可能になったのだから、もう彼女はこんな暗い感情に囚われた醜い男からは解放されるべきだ。
また別の方向からも声がする。
たとえ上原清十郎が無関係であったからなんだというのだ。黒幕は星野アイと近しい人物であるという事に変わりはないだろう。ならばまだまだ彼女は有用、切る必要などない……あかねは己に好意的でいてくれるし、こちらも彼女を離したくないと心の隅で思っている。双方が関係の継続を望んでいるのだから、引き続き利用することに何の問題があろうか。別れはあかねがこの関係を嫌がるそぶりを見せ出してから考えれば良い。
一つだけ確実に言えるのは、早く決断すべきだという事だ。どっちつかずのままでいるのは時間の無駄である。
「アクア君?」
いつの間に作業を終えたのか、あかねがこちらをじっと見ていた。
「どうしたの、じっと壁なんか見て。聞いてる?」
「ああ、すまん。ちょっと考え事をしていた。何の話だったっけ?」
「宮崎に行くって話。私、同世代で旅行とか、全然した事無いからいいなー、って」
そうだ、旅行の話をしてたのだった。
あかねは幼少期から演劇漬けの日々だったせいで同世代の子と遊んだ経験が乏しい。修学旅行すら仕事で行けなかったと言っていた。
「……じゃあ、あかねも宮崎行くか?」
「良いの!?」
「ああ。『東ブレ』慰安も兼ねてるらしいからな」
有馬かなはアクア以外の出演者については一言も言っていないが、それでも慰安旅行というのならあかねも行くことに問題はない。一人ねじ込むくらいは造作も無いだろう。
「それに、あかねとは一度じっくり話をしなきゃいけないと思っていたしな」
別れるにせよ、続けるにせよ、一度話し合いの場は必要だ。別れ話をするか、身の上話という名の捜索依頼かはまだ決めかねているが。
「じっくり話……」
先の喜び顔とは打って変わり、訝しむようにあかねはやや下からアクアの目を覗き込んだ。
「アクア君は、そろそろ私と別れたいんだ」
あかねは手に持っていたドリンクをテーブルに戻し、一拍置いた。
「まて、なんで別れ話になる」
「違うの?」
「……違う」
ウソだ。半分はそのつもりだった。
せっかく向こうからこの話題を振ってくれたのだから、流れに乗ってしまおうかと迷った自分もいた。
「ふーん……実は私も、アクア君に聞きたい事があるの。旅行といわず、今から話そうよ」
会計を済ませ、店を出る。
店から少し歩けば、思い出の歩道橋がある。かつてあかねが飛び降りようとしたあの歩道橋だ。
誰が言い出したわけでもないが、自然と二人の足はその歩道橋に向いた。あの日と違い良く晴れた目下の道路は多くの車で混み合っていた。
「それで、別れ話でないなら何なの?」
かつて柵を乗り越えた、ちょうどあの辺りにあかねが体を預けた。都内の街並みに目を向けて、淡々と話すあかねの表情はこちらからはうかがい知れない。
「……話したくない」
「どうして?」
「まだ心の準備ができてないんだ。旅行の時までには決心しておくつもりだった」
今度はウソじゃない。
「そうなんだ。じゃあ今は聞かないでおくね」
「そうしてくれると助かる……そういうあかねこそ、オレに聞きたい事ってなんだ」
「私?」
こちらからも聞き返す。露骨な話題変更に思われただろうか。しかしあかねは気分を害した様子も無く顔を背けたまま淡々としている。
「じゃあ聞くね。アクア君さ……あおいと、私の妹とどういう関係? 連絡先交換してさ、会いたいとかメッセージ送って呼び出したりしてたよね?」
妹とも会っているのがもうバレていたか。黒川あおいが教えたか? いや、そんな事をするようにも思えないから、恐らく偶然。そもそも共に住んでいれば必然的に行動圏は被る。会っているところを見られる等、遠からず知られることになっていただろう。
それ以前にバレたからなんだというのだ。別にやましい関係でもないのだから堂々としていればいい。
「黒川あおいなら、以前ジャパンアイドルフェスっていうイベントで会った。それ以来、たまにやり取りをする程度の関係だな。特に親しいとは思ってないし、向こうも同じだろう。昨日のはちょっとした相談事だ」
「アイドル? そういうのに全く興味なさそうだけど」
「それはオレに聞かれてもな。実際会ったんだし。とにかく、そういう関係じゃないって」
まるで浮気の釈明現場のようだ。まあ、彼女に黙って他の女性と会う事も浮気の内と定義するならば確かにそうかもしれないが。
「……本当に、あおいの事はなんとも思ってない?」
「本当だって。誤解を招いたなら謝る。オレはあかね以外に彼女を作った事はないし、作る気も無い」
今世では、と頭に付くが。
「そうなんだ……」
ゆっくりとあかねがこちらへ振り向いた。
「でもね」
笑っている。しかし、今の彼女から喜びの類の感情を全く感じない。
「正直に言うと、そこは好きだって言ってほしかったかな」
「……あかねをか?」
「違うよ……私と君は、ただテレビの都合でくっついただけの偽の恋人。もし本当に君が本気で好きになったんだったら、私は引き下がったよ。辛いけどね」
あかねは一歩アクアへ向かって歩を進めた。
「君ってさ、ずる賢いところあるよね。私に近づいたのも、私を何かしらに利用したかったからでしょ?」
「そんな事は……」
「私は君に救われたから、君の都合の良い女扱いでも別に良かった。それで君に少しでも何かを返せるなら。君の背負ってるものが一つでも減らせるのなら。アクア君の助けになれるなら、私はいくらでも利用されたかった。だけど」
また一歩、あかねは近づいた。
「あおいまで都合よく利用しようとしてるのなら」
もうあかねはアクアと触れ合う距離まで来ている。風に揺れる髪が、指先が、鼻先が微かに触れる。
何も知らぬ他者が傍から見れば、往来で若い男女が人目もはばからず抱き合い唇を重ねているようにも見えるかもしれない。
「私、怒るよ」
静かに耳朶を打つ一言を置いて、あかねはそっと一歩下がった。空いた空間に冬の寒風が少々の排ガスの匂いを乗せて吹く。
「そういう事するなら、私にしてよ。私、アクア君にだったら何されても嫌じゃないよ? それとも、もう私は用済み?」
「……」
「教えてよ。好きでも親しくもないなら、なんであおいに近づくの。あの子に何があるの。それは私じゃ駄目なの?」
アクアはもう頭を抱えたくなる思いだった。
産婦人科医として、また一人の男としても精神的に不安定な女性の相手なら前世でそれなりにこなした経験があった。しかし今目の前の女性に適用できそうな前例が検索しても出てこない。怒り突き放すも、宥めすかすも、ただただ至らなさを詫びやり過ごしを図るも、いずれも効果のありそうな気がしない。
理知的に事情を説明し理解を請うのが良いと思われるが、しかしアクアもまた黒川あおいという人間の事をまだ十分に理解できていない。半端な事をすれば却って火に油を注ぐ結果になるかもしれない。
「最初に一つ言っておきたいんだが……もしオレが一方的に利用してるように思ってるなら、それは誤解だ。どちらが一方が、ではなく互いに利用し合う関係といった方が近い」
そもそもアクアからしてみれば、自分が近づいたのではなく向こうがやって来たのだ。
「前にオレが言った事を覚えてるか。オレは人を殺すために芸能界に入ったって」
「うん、言ってた。でも、それに何の関係があるの?」
「最後まで聞いてくれ。オレが探していたのは、オレの母親を死に追いやった男。おそらくはオレの父親。だから、手当たり次第にDNA鑑定やってずっと父親を探していたんだ。そんな中で、あいつはオレの前に現れたんだ。オレの母の死について、個人的に調べていると言ってな」
「個人的な理由って?」
「知らない。聞いても回答を拒否された」
「なにそれ……アクア君はそれを信じたの?」
「信じざるをえなかった。ただの部外者では知りようのない事をいくつも並べ立てられた。独自の情報源を持ってるらしい」
黒川あおいの提示した説を、アクアは切って捨てる事が出来なかった。アイについて知っていたのみならず、前世についてすらちらつかせてみせた。特に後者はどう調べても絶対に出てくるはずの無い情報だ。アクアとルビーは赤子の時から共にいたからこそ、お互いの異常さに気付いたのだ。たとえ黒川あおいが自分達と同じだったとして、それを見抜けるとは思えない。まるで最初から全て知っていたかのようだ。
まだまだ隠している事があるのは間違いない。アイの事件に強い関心を示すという事は彼女も以前はアイの関係者だったのだろうか?
「向こうはオレのコネを要求してきた。事件の関係者はそのままオレの関係者になるからな。ならオレも代わりに情報の開示を求めようとしたんだ。昨日呼び出したのもそういう話でな。ようやく見つけた父親について聞いてみたら、そいつは事件とは無関係だと証拠付きで返された」
「……アクア君がウソついてるとは思わないけど、やっぱり信じられないよ。私の知ってるあの子と全然違う」
身内から見ても信じられない言動か。やはり彼女はそういう事をする性格ではない。頼まれてもいないのに他人の家庭の泥沼に足を突っ込んで得られる利益もないだろう。立ち位置の分からぬ彼女をどこまで信頼してよいか、アクア自身もはかりかねている部分がある。上原清十郎の件については他に答えを持っていそうな人物に心当たりがなかったから尋ねたが、必要でないならあまり借りは作らない方がいいかもしれない。
となるとやはり、あかねを手放すのはまだ時期尚早なのか?
「でも、もしアクア君の言う通りなんだとしたら、何も知らない私より、あおいの方がいいよね。やっぱり、私はもう居なくなった方がいい?」
そうだ。そもそも妹がいれば代替できるという考え自体が間違っていた。彼女は事件を調べているとは言ったが、復讐を手伝うとは言っていない。向こうは向こうの思惑で動いているのだ。
彼女が人を陥れようとするような悪意ある人間だとは思わないが、それでもいつか方針や利害が対立
する時が来ないとも限らない。そうなった時、立場が弱いのはこちらの方だ。手札の量が違い過ぎる。
利用し合う、とあかねには言ったが、実際は一方的に恵んでもらっているに近い。
これは己の復讐。手を下すのも、全てが終わった後で咎を受けるのも己でなくてはならない。いざという時に主導権を奪えない関係に依存するのは得策ではない。
「オレは、あかねの事を必要だと思っている」
あかねの力を借りられるのならばまだまだ借りていたい。鏑木プロデューサーの言によれば、劇団ララライにいた頃に星野アイは大きく人が変わったらしい。真実に近づく為には劇団の内側から調べられる協力者が必要だ。外部者であるアクアや黒川あおいではアクセスできない資料にもあかねならば触れられる。
「だったら、どうして私を使ってくれないの?」
「……後ろめたかった。どう取り繕ったところで、オレのやろうとしている事が最低な事だという事に変わりはない。こんなものに付き合わせたくなかったんだよ」
「あおいは良くて私はダメなの?」
「あいつは分かった上でやっている。でもあかねは何も知らないだろう。騙して片棒担がせるなんてしたくない」
「じゃあ、知ってれば良いんだよね?」
常にない押しの強さをあかねは見せる。音も無くアクアの背後に回り込み、背中からそっと抱き着いてきた。
「教えてよ。君の事。そうしたら私もそこにいていいんだよね?」
「……分かった。全部は無理だけど、話せる限りは話すよ。場所変えよう」
あかねとのこの関係は今後も継続できそうだ。結果良ければ、でよいのだろうか。
「これからもよろしくね。アクア君」
なんだか思い描いていたものと違う気もするが。
深夜、帰宅したアクアが玄関を開けて真っ先に目にしたものは、廊下の奥から突き刺さる視線とその主だった。電気の消された暗闇の中でも金糸の髪と白磁の肌で構成された頭だけは目立っていた。ドアから頭だけを突き出しているのでまるで人の頭が浮いているかのようだ。
「……」
夕方には帰ると出かけて行った兄が日が暮れるどころか日付が変わろうかという時間にようやく帰って来た。カノジョさんと随分仲がよろしいようで。
「ただいま」
「……遅い」
お帰りすら返してくれない。視線の主、ルビーは黙って部屋に引っ込んでいった。
アクアは妹の部屋の前まで歩くと、手にしたレジ袋を扉越しに感じる気配に向かって掲げた。
「遅くなって悪かった」
「……」
「この前欲しいって言ってたアレ、見つけたから買ってきたんだ」
「……明日食べる」
袋の中身は以前ルビーが見かけて興味を示していたが、その時は運悪く売り切れていた洋菓子だ。帰りにたまたま見つけたので買っておいたが、反応は悪くないようだ。
今も音も無く扉がわずかに開き、隙間から眠そうな眼が袋を凝視している。
「……お兄ちゃん」
「なんだ?」
「ちゃんと責任は取らなきゃだめだよ?」
遅くなった理由を何だと想像しているのだろうか。この妹は兄の事を獣か何かだとでも思っているのか。
「これは冷蔵庫入れとくから早く寝ろ。明日早いんだろ」
「……お休み」