完璧で究極なアイドル様に執着されて 作:肉ぶっかけわかめうどん
カラスが一匹残らず飛び立つ前は鳴き声や羽ばたき、微かな身じろぎの音で騒がしかった洞窟だが、今ではしんと静まり返っていた。
「……」
アクアは手に持った名札をそっと裏返した。そこには記憶にある通り、かつて居た入院患者からプレゼントされたアクリルキーホルダーが付いていた。今日までずっと野ざらしになっていたキーホルダーは酷く劣化している。手荒に扱ったらすぐに壊れてしまうだろう。
余計な衝撃を与えぬよう、上着のポケットにそっと入れ、アクアは右を向いた。隣で片時も目を離さず見つめてくれていたルビーと目を合わせる。
「さりなちゃん」
「!」
本名と全く違う名で呼ばれたルビーがびくりと体を震わせた。
先日アイの墓参りに行った時、黒川あおいはルビーの事を30未満だと言った。つまり30から現年齢である16を引いた数、14歳未満で前世のルビーは亡くなっている。享年14未満でB小町、とりわけアイの深いファンであり、かつこの雨宮吾郎の名札に強い反応を示した。
これを揃える人物が記憶に一人だけいる。天童寺さりな。あの丘の病院にかつて入院しており、そして12歳で亡くなった幼い少女。
そう言えば彼女とは生前、もし生まれ変わりがあるとしたら、もし生まれ変われたら何になりたいかという話をした事が有った。アイドルの子として生を受け、今また自身も輝ける場所に立とうとしている。今のルビーの姿はまさしくさりながかつて思い描いた理想そのものだ。
自分もまた、意識が無くなる前に思い描いたのはアイの事だった。担当医として、元気な子を産ませてやると約束した。無事に生まれてくれと願った。
もし自分たちを転生させた神様とやらがいるのだとすれば、その神様は自分たちの最後の願いだけは聞き届けてくれたらしい。そこだけは評価してやりたいところだ。その後の事が大きすぎるので合計すれば大きくマイナスだが。
「お兄ちゃんが、せんせい、なの?」
「ああ。オレは雨宮吾郎だ……過去形で言うべきだな。雨宮吾郎だった。こんな事になるなら、もっと早くお互いの前世の事に踏み込んでおくんだったよ。まさか、ルビーがさりなちゃんだったとは露にも思わなかった」
「……ずっと、探してた。アイドルやってれば、B小町って名乗ってれば、いつかきっと、会いに来てくれるって」
靴底と地面の擦れる音がする。ルビーが一歩分、足を前に進ませた。
「アイドルになったら推してやるって約束だったな。すまない」
「ずっと待ってたのに」
黒いダッフルコートに包まれた両腕が、背中に回された。
「君と一緒にいた雨宮吾郎という人間はもういない。でも、今のオレでもよければ、これからもずっと君を推すよ」
「せんせ」
小さい頭が、胸の上にそっと乗せられた。こちらからも手を回して抱き寄せれば、こちらの背中にかかる力も一層強くなる。
背中を数度さすってから、こちらの腕をルビーの腕にかけ、優しく引きはがした。
「あ……」
「お互い、言いたいことはたくさんあると思う。でも今は後にしよう」
遺体をそのままにはしておけない。今から警察を呼ばねばならない。そして当然、その後には取り調べが待っているだろう。それらが終わってようやく寝床に入る事を許されたとき、時計の針がどこを指しているか想像もしたくない。早く動かねば、冗談抜きで夜が明ける。自分はともかく、明日も仕事がびっしり詰まっているだろうルビーと話をしているヒマなんて本当に無いのだ。
引きはがされて不安げに見上げるルビーに、できる限り優しい表情を作って向けた。
「そんな顔をするな。皆心配してるから、後にするだけだ。話は帰ってからすればいい。家族なんだから、時間なんてこれからいくらでも作れるさ」
「……うん」
実際、今もアクアの上着の中で小さな金属板が絶え間なく震え暴れている。ここまで走ってくる最中もずっと震えていた。不在着信の件数が大変なことになっているだろう。相手があかねか、有馬か、あるいはMEMちょやミヤコさんかは見ないと分からないが、突然いなくなった二人を探す電話である事は見なくとも分かる。
「ねえ」
「どうした?」
電話に出るためポケットを探っていると、ルビーに袖をくいと引っ張られた。
「誰が、先生をこんな目に合わせたの?」
「……分からない。人を追いかけて山に入って、見失ったと思ったら突然目の前が真っ白になった。そして気が付いたら赤ん坊の姿だ。そもそも自分が何をされたかすら分かってない」
「そうなんだ。じゃあもう一つ教えて」
電話に出ようとした手をいったん止めて、ルビーを待つ。
着信中の画面に表示されていたのは有馬かなの方だった。交互に並んだあかねと有馬の名で着信履歴が埋め尽くされていたので、二人でこぞって回線の奪い合いでもしたか。居ても立っても居られなくなっている二人を想像する。まあ心配されるのは素直に嬉しい。
因みにルビーの携帯電話は他の手荷物と一緒にスタジオに置き去りにされている。
「さっきあの烏の女の子が言ってた『あの子』って誰の事?」
ルビーのこの問いに、答えても良いのだろうか。
返答を催促するように、袖はくいくいと引かれ続けていた。
翌朝もB小町のMV撮影は続けられた。昨晩の出来事、カラスを追いかけていたら偶然にも死体を見つけてしまった事は既に皆の知るところとなっている。事情を知らぬ者には教えられない部分は全てアクアがカットし、名札に反応した理由も、自分たちが生まれる前、母の担当医だったが急に失踪したと聞いている……などと虚実織り交ぜ、残りはあくまでも偶然で押し通した。
遅くまで起きていなければならなかったルビーを考慮し開始を遅らせるべきでは、という声も上がったが、元より二泊三日。移動時間を除けば実質一日半で二本撮影するという詰め詰めのスケジュール。一分たりとて遅らせる余地など無い。遅らせる事は中止と同義だ。
最終的にはルビーの状態を見て続行か中止か判断する、とお茶を濁したが、アクアに連れられてスタジオ入りしてきたルビーは誰が見ても好調だった。ほぼ徹夜も同然だった人とは思えない。流石に化粧の下にクマの一つぐらいはあるのだろうが、とにかく今日も元気いっぱいといった調子である。今もアクアをぴったりとくっつかせた状態でスタッフに挨拶回りをしている。
「何があった!?」
一団を代表して有馬とMEMちょが尋ねた。グループセンター、即ちリーダーとして、または今回の旅の言いだしっぺにして年長者として、もしルビーが危ういようなら代わりに全スタッフに頭を下げる覚悟もしてきただけに肩透かしも良いところである。
「え?」
「え、じゃない。昨日の、その……大丈夫? 無理してない? なんでそんなご機嫌なの?」
「ずっと探してたものが、やっと見付かった。それだけだから、大丈夫です。撮影始めましょう!」
妙に針の振り切れた態度に疑問を覚える二人であるが、本人が大丈夫というのだからやるしかない。
その疑問も、一度仕事が始まってしまえばあまりの忙しさにいつの間にかどこかに飛んで行ってしまっていた。
今回宿泊先に選んだ旅館には自慢の露天風呂がある。奮発して宿のグレードを上げてくれたミヤコ社長の決断に感謝しつつ、一同は二回目の入浴を楽しむ。一回目は予想外の事態で時間が押していたのでゆっくり味わう余裕が無かったのだ。
「終わったーっ!」
宿の露天風呂に肩まで浸かって脱力するはMEMちょである。B小町の三名にあかねを加えた、旅の女性陣四名の他に客のいない貸し切りの大きな風呂で手足と羽を存分に伸ばしていた。
熱い湯に浸かっていない顔には冬の夜の冷たい空気が当たり冷たい。しかし今はその冷たさがむしろ心地よい。
「あーこれで風呂上がりのビールでもあったら天国なのになぁ」
「……」
「う、ウソウソ。MEMちょは花の女子高生だからお酒なんて一滴も飲まないよ?」
熱い湯でしっかり体を火照らせ、湯気で喉を乾かしてからの冷たい麦酒。思わず口に出た願望に周囲の白い目が刺さる。未成年アイドルなのだから人前で飲酒など御法度である。飲みたいなら家で飲むか、その手の人達御用達の口が堅いお店に行くしかない。
「ビールって美味しい?」
一番寝ていないハズなのに一番元気なルビーがMEMちょの横まで移動し、飲酒OKな女子高生である彼女に質問をし始めた。
「お、もしかしてお酒興味ある感じ? ビール美味しいよー。いつかこのメンバーで飲みとか行ってみたいねー」
「私、芋焼酎っての飲んでみたい!」
「い、芋!? 初心者にはちょっとハードル高くないかなぁ。まずはもっと軽くて甘いやつで……」
自称18歳にしてはやたら豊富なMEMちょの知識と経験談の数々に、ルビーはすっかり夢中になって聞いている。
ルビーとMEMちょが話し込みだしたのを見計らい、有馬は体半分、あかねのいる方に近寄った。それに気付いたあかねがこちらに注意を向けるまで待ってから、有馬はさもお前なんかに興味のない風を装いながら口を開く。
「今度、映画の主役やるんでしょ。売れっ子なようで羨ましいわ」
「別に、そんな事ない」
実は少し前に、黒川あかねを主役に据えた映画が作られる事が決まっていたのだ。特に大物の名前があるわけでもなく、上映館数もさして多くない、世間の話題に上る事は期待できそうにない小さな作品だが、それでも主役は主役だ。
「十分すごい事じゃない。主役やったってのは大きな事よ。どんなに小さくて売れなかった作品でも、その経験が将来の助けになる日が来るかもしれない」
「……そうかもね。今こうしてアイドルやれてるのもピーマンのお陰だもんね」
「うぐっ……!」
確かに、ピーマン体操で学んだ歌唱のイロハが役立っているのは否定のしようがない事実である。当人的には嫌な思い出でも、間違いなく今日の自分を形作る土台の一つなのだ。これが無ければB小町が今どうなっていたか分からない。歌が下手なのしかいないアイドルグループなんてデビュー初日でコケること間違いなしだ。
「と、とにかく、アンタはこれからが一番大事な時期。ここで今後の一生が決まるかもしれない。なのに旅行についてきたり。いつまでもだらだらと恋リア気分でいて大丈夫?」
恋リアとは恋愛リアリティーショー、つまり『今ガチ』の事である。
要するに、いつまでアクアとの偽物の恋人関係を続けるつもりなのかと遠回しに言っているのである。
「……ふふっ」
しかしあかねから返ってきたのは含み笑いが一つだけ。
「なによ。笑うとこなんかあった?」
まさか笑われるとは思っていなかった有馬がやや不機嫌そうに距離を詰める。
「確かに私とアクア君は偽の恋人だけど、だらだら続けてるだけと思ってたら大間違い」
「どういう事よ」
「私は自分の夢を叶えたいけど、それと同じくらい、いや、それ以上にアクア君に夢を叶えさせてあげたいって思ってる。これはそのための関係。アクア君がそれを掴むか、もう私を捨てる気になった時がこの関係の終わる時、かな」
ほんの少しだけ笑った顔で、あかねは有馬をまっすぐ見つめ返していた。
「夢を叶えるための関係って何……もっと分かるように言いなさいよ」
「分からないんだ。アクア君の事、なんにも知らないんだね」
何だか体の奥底が冷えてきたような気がした有馬は首まで体を沈め、ひとすくいの湯を手で頬に打ち付けた。
「私はアクア君の事、皆より知ってるし、分かってあげたいと思う。もっとよく知ってる人もいるかもしれないけど」
「……」
「先に上がるね」
啞然とする有馬に目もくれず、すっくと立ちあがったあかねはまだ談笑に興じるルビーを一瞥だけして歩き出した。
出ていこうとするあかねに気付いたルビーが手を振ると、あかねもそれに手を振り返し、湯気の向こうへと去って行った。
時間が戻る事一日。黒川家のリビングのテレビでは朝一番の撮れたて新鮮なニュースが流れていた。朝イチに階下にいて、しかもテレビを見ているという娘の珍しい姿に、母も家事もそこそこにテレビの前までやって来た。
ニュースの内容はもちろん、昨晩宮崎県で発見された白骨遺体だ。無造作に転がされていた洞窟とその表にある祠、そしてその周囲を取り囲む警察官達の勤勉な姿が画面いっぱいに映されていた。
『遺体の所持していたクレジットカードの名義から、被害者の氏名は16年前に行方不明になっていた産婦人科医、雨宮吾郎さんであると……』
キャスターの淡々とした読み上げが途切れた瞬間に、同じくニュースを見ていた母が呟きをこぼした。
「ここって確か、今あかねが行ってたところだったよね?」
「宮崎の高千穂だからそうだよ。もしかしたら姉さんが第一発見者だったりしてね」
「えー、さすがにそんな偶然そうそうないでしょ」
「どうかなー」
後で姉に確認してみようか……いや、別に誰が発見者だろうと、それで何が変わるわけでもないだろうからどうでもいいか。
この【推しの子】という物語は雨宮吾郎の殺害から始まるといっても過言ではない。それだけこの事件はストーリー上重要であり、謎を紐解く上で欠かせぬものである。
彼はあの日の晩に遭遇したストーカーと見られる男を追って暗い山に入り、見失ったと思った次の瞬間には崖下に転げ落ち、そこで意識を失った。
さて、ゴロー先生はここで早速一つ読み違えている。先生はあの男はアイのストーカーであり、彼女に会うためにここにやって来たと判断した。
こいつがストーカー男なのは正解なのだが、ターゲットが星野アイであるという部分は間違っていると思う。
中の分からない建物を、詰めているだろう複数のスタッフや他の入院患者、有るかもしれない監視カメラや警備員の目を盗んで移動し、彼女に会い、犯行を為し、そして離脱する。そんな事が現実にできるとは思えない。最初からゴロー先生こそがターゲットだったと考えた方が自然だ。
誰が担当医か特定し、殺害し、死体を隠して隠蔽する。一連の練られた計画の元行われた口封じ作戦だったのだろう。
それにしてもおかしいのは死体の隠し場所である。
あの場所が具体的にどこなのかは原作では描写は無いが、カラスの道案内付きとはいえ姉とルビーが徒歩で簡単にたどり着けているのだから町からそう離れていないのは確か。険しい道を通っている感じも無いので道路もしっかり整備されており、アクセスの容易な場所のようだ。
それでいて今日の今日まで誰にも発見されなかった。B小町が撮影に来なければ、きっとこれからも見つからないのだろう。アクセス容易でかつ誰も来ない理想的な場所だ。
死体の隠し方が完璧すぎる。完璧すぎてそれが逆に問題になっている。
もし私が犯人だったら、絶対にここは選ばない。祠という人工物があるのだから、それを管理している人や拝みに来る信心深い人がいて、その人らが定期的にやって来ると予測される。その人らがふと裏を覗き込んだらどうするのか。あの洞窟は大して奥行きは無いようだし、覗かれたら一発だろう。
普段覗く人がいないにしても、放置されていれば死体は腐り、腐れば臭って虫が湧くものだ。白骨化する前に通りがかった人はいなかったのだろうか?
ここを隠し場所に選ぶ度胸は私には無い。人に見られたくない物を隠すなら、人の来そうにない場所を選びたくなる。山奥か、海か、あるいは自分の家とかか。
カミキは間違いなく余所者だし、ストーカー男も出身地は不明だ。地元民以外がこんな穴場を知っているとは思えない。入念に下調べをしたのだろう。
隠し場所の時点で驚きだが、驚く点はもう一つある。それは死体が移動している点だ。
隠されてる時点で何をいまさら、と思うかもしれないが、死体を隠す作業は大変なのだ。手ぶらなら歩ける距離でも、成人男性の死体という重量物を抱えてというのは中学生には無理だ。乗せる車が必要になる。しかしカミキは車を用意できないため、代わりに用意してくれる共犯者がいなければならない。
状況的に共犯者になれるのはストーカー男しかいないのだが、彼にはゴロー先生を殺す理由が無い。先生はアイの担当医。ただそれだけの、今日初めて会った赤の他人なのだ。カミキが殺したのであれば、その理由は口封じの他に無い。だがアイに子供がいる事は秘密だから当然ストーカー男もそれはまだ知らない。つまりストーカー男視点で見ると、これは特に理由のない殺人という事になる。なおさら協力する理由が無い。
百害あって一利ない要求を押し通す手段となると脅迫だが、これもまたリスキーな手段だ。人殺しも辞さぬほどの大きな弱みとなると、逆に開き直られる可能性がある。無関係の一般人と、今まさにこちらを脅している相手。同じ一人を殺すなら、目の前の相手を殺した方が良いのだから。そうすればもう二度と脅される事は無くなる。方や大学生、方や中学生。暴力合戦ならほぼほぼ勝てる相手なのだし。
カミキに暴力団や権力者といった強大な後ろ盾でもあったなら話は別だが。
当時のカミキだけでは犯行が成立しない。しかし唯一の協力可能だった相手は犯行に加わる理由がない。これにどう説明をつけるか。
まあ、今抱えてるあの仮説ならクリアできるんだけど。そもそも説明する必要が無くなるからね。
皆が旅行から帰ってきたら、いよいよ斉藤社長へ連絡取ってもらえないか頼んでみよう。二つの事件について、この人はまだまだ隠してることがあるはずなのだ。
事件直後に失踪したようでいて、アクアとは連絡を取り合っていたようだし、そもそも釣りだったり紹介してもらったバーの常連客として飲み明かしてたりと、ずいぶん優雅でヒマな暮らしぶりに見える。放浪暮らしの復讐鬼というより、なんだか精魂尽き果てた御隠居のようだ。
さて、今のうちに手土産は何が良いか考えておこう。