数時間後、誰もいないマンションの一室。要するに私の下宿先だ。
「ここが貴様の部屋か。存外広いな。……いや広すぎないか? ここを一人で使っているのか!?」
「えっ……!? いや、そんなに広くないと思うけど?」
6畳の部屋に驚愕するヨミ。こいつの広いという感覚は何処から来ているのだろうか。案外化物の住処は猫の額みたいな間取りなのだろうか? そんな下らないことを考えながら、ドロドロになった服を着替える。その様子を、ヨミは興味深げに見つめていた。
「着替えってそんなにまじまじ見つめるものじゃないよ……。」
「そうなのか?」
彼女はきょとんと首を傾げる。……よく考えてみれば、服と聞いて真っ赤なドレスを真っ先に出すような奴だった。思ったより知っている知識が偏っているのかもしれない。
「そういえばヨミ、あんた、何か食べるの?」
「食べる? ふむ……食べずともどうにかなるが食べたほうがいい、のか?」
「ずいぶんと曖昧な……。」
「正確に説明するのは難しいな。現状、貴様が我と契約したおかげで我は死ぬことはない……が、それは死なぬだけだ。形容するならば、人間でいうところの命の源を注いだ桶に空いた穴が塞がっているだけだ。現状かなりの力を失っているからな。出力を要する願いは少々難儀するやもしれぬ。」
「現状は応急処置を済ませただけで本調子でないってことでいい?」
「そうだ。何か食えば多少はマシになるだろうな。」
「……何でもいいの?」
私は部屋に置いてあったコンビニのエクレアを彼女に投げ渡した。袋に入ったそれを、そのまま齧ろうとしたので、私はそれを取り上げて、包装を開き、再び彼女に手渡した。
「これは……なんだ?」
小さな口で一口齧り、彼女は小さく呟いた。
「エクレア。」
「エクレア、エクレアか。良い味がする。快い味だ。これはどういう味なのだ?」
「エクレアだったら……甘いんじゃない?」
「甘い、甘い味か。なるほど。これは欲しがるものもいるわけだ。」
リスのように甘味を齧る彼女を尻目に、私は小さく溜息を吐いた。――どうしてこうなった? そう、最初は山中で身投げするつもりだったのに、のこのことこんな得体のしれない奴を連れ帰ってきてしまった。『ネガティブな考えに固執した人間にはとりあえず話を逸らせ』とか、昔何かで読んだ記憶があるが……。
「どうした?」
「……いや。別に。」
見ると、彼女はビニールを口にくわえて咀嚼していた。あまり美味くないな、などと呟いたが、消化できるのであろうか。
「エクレア、良いものであった。感謝するぞ。」
ヨミは外見に似つかわしい、満面の笑みで感謝を述べる。私はどうしていいかわからず、とりあえず曖昧に笑っておいた。
「で、だ。ここに至るまで我は貴様からもらってばかりだ。なにか返さなければ気が済まぬ。何が欲しい……いや貴様、そういう望みはあまりないのであったな? ではあれか? 仕事を手伝うか? それとも趣味の相手でもするか? あれだ、あの……将棋とかいう奴。あれならわかるぞ。」
あれこれと提案するヨミをみて、私は少し落ち込みながらも一つの候補を見出した。彼女なら、或いは、私の目下最大の悩みをどうにかしてくれるかもしれない。私は緩慢な動きでノートパソコンを取り出した。
「これは……なんだ?」
「パソコンって言って……いや、パソコンの説明じゃなくて、大事なのは中身。」
電源を立ち上げ、中からファイルを読み込む。シンプルな文章作成ソフトの中には、これでもかというほどに書き連ねられたテキストが。
「文章?」
「うん。私が書いて――いや、いい。とにかくこれを読んで、感想を教えてほしい。」
ヨミは怪訝な顔をしながら文章を読み始める。スクロールの仕方を教えると、つらつらとそのまま読み進めていく。……こいつ結構読むの早いな。このペースだと読み終わるまで……。
「読み終わった、ぞ?」
――早すぎない? いや、うん。確かに。あの速度で読めば当然こうなるのだろうが……。
「それ、読み終わった反応なの?」
ヨミは明らかに首を傾げている。あの速度で読んでいてこうなることが果たしてあるだろうか。というか理解できていないのにあの速度で読んでいたのか?
「いや、どう表現すべきか……理解が追い付かなかったというか……。」
「うっ……。」
『駄文じゃん。』『原作ちゃんと読んだ?』『何を書きたいかわからない。』『なにこれ?』『クソ。』そんなかつて見た文字列が脳裏をよぎる。
「これは、現実にあった事実なのか?」
――吹っ飛んだ。脳裏に過った罵詈雑言が全部吹っ飛んだ。
「この……スライムとか、竜とか、実在するのか!?」
「いや、しない。しないよ。これは小説って言って、全部ありもしない空想の話だ。」
「なっ……!? ということは貴様、これを全部頭の中で考えて――」
「いや、二次創作だから設定もキャラも全部借り物だよ。」
「……何故だ?」
なぜ、その問いかけに。私の思考が止まる。
問いかける彼女の眼は、憐憫でも嘲笑でもなく、ただ、純然たる疑問を抱いた眼であった。
「この物語が空想であれ現実であれ、借り物であれ貴様が紡いだものであれ、何故貴様はこれを書いたのだ?」
「それは――。」
「
それはあまりにも軽率で、単純で、そして、正確な推測であった。
「……そうだよ。書いて、ネットに上げて、そして酷評された。だからもういいかなぁって……。」
そう。それで終わり。夢見て、憧れた舞台の上から突き落とされてお終いだ。仮想空間でこっぴどく切り刻まれた私は、結果、やけになってあの夜死に場所を探していたのだ。
「もういいのか? ……ではなぜ我に読ませたのだ?」
「……それは。」
「正直我には全くわからぬ。感想を聞かれても理解が追い付かなかったとしか言えぬ。だが、だがもし貴様が、これを承認して欲しいというのであれば、我は全力で手を貸そう。」
彼女の言葉はあまりにも真っすぐで、直視できないほど眩しくて、私は、本棚から一冊の本を取り出した。
「『黒騎士は空に啼く』――黒啼くはダークファンタジー小説で緻密な設定と繊細な心情描写が凄くて……読んだ時にもうすごい衝撃を受けたんだ。ちょっと展開が陰鬱で主人公の大切な人が死にがちで読んでるとめちゃくちゃ気分が凹んじゃうんだけど……。」
「……? 気分が落ち込むというなら何故貴様はそんなものを読んでいるのだ?」
あまりにも正論だった。思わず一瞬言葉に詰まった。
「いや、うん。わかってる。一般受けはしなかったからさ……。途中で打ち切られちゃって……。けど、うん。だからかな。これが誰の目にも留まらずに忘れ去られるのだけは嫌だって思ったんだ。」
私の言葉をヨミは神妙な顔で聞いていた。
「私は、この物語にさ、魅入られたというか、目が離せなかった。だからさ、皆に見てほしかったんだ。」
私はヨミに本を手渡す。相も変わらずすさまじい速度でページを読み進めていく。が、途中で何度も、何度も頁を前後し、途中で私の書いた文章も読み直す。
「ああ、そうか。貴様は、なるほどな。ああ、そうか……。理解した。その上で我の感じたことをいくつか述べてやる。……ああ、これ借りるぞ。」
ヨミは私の机からノートとペンを取り出した。真新しいページを開くと、そこにいろいろと書き込み始める。
「ふむ……。まず理解できなかったのは登場人物だ。貴様らにとっては馴染みの人物かも知れんが、我にとっては誰が誰かもわからぬ。原作とやらを読んでようやくこの銀髪の槍使いと緋色の目を持つ呪術師の名前と関係性を理解したのだぞ。最初からエリシアとセリスと書いて、明確に設定を提示しておけばよかったのではないか?」
原作本を片手に、彼女はノートにメモを取る。
「う”っ。」
真面目に出ない方がいい声がした。……文学に造詣がない初心者のような彼女から言われるとなんというか……数倍ぶっ刺さるというか……。
「名前を出さぬのであれば十分に読者に理解できるようにするべきだ。ふむ、そうだな。例えば――。」
ふむ、といいながらヨミは私のPCのキーを叩き、動画サイトを開く。そのうち、真っ先に目についたであろう動画の人物を指さした。
「そうだな……。こいつを文章でどう表現する?」
「この人……エリ?」
切り抜き動画に登場する女性。見覚えがある。ネットアイドルの『エリ』だ。歌がめちゃくちゃ上手いとか何とかで最近ちょっと話題になってる人。私も何度か配信を見たことがある。
「うーん。顔がいい女性?」
「流石にそれだけでは読者に伝わらないのではないか?」
「……深紅の革ジャンとジーンズ生地のホットパンツを身に纏ったその女性の容貌はとても整っており、暗い茶髪にピンクのメッシュが入った長髪はまさしく絹のよう。……あと胸が大きくて……あとは……うーん。これなんかおかしいな。このまま小説に出すとおかしくなりそうな気がする……。」
「遥。読者に伝わる伝わらないは外見の問題ではないだろう。貴様が何を伝えたいかがわからない方がまずいのではないか?」
ヨミはノートに大きく『エリ』と書くと、さっき私の言った情報を列挙し始めた。
「これは外見情報だ。これだけ見てもこいつがどのような人物かは一切見えてこない。」
その横に『ネットアイドル』や『歌が上手い』などの情報が書き加えられる。
「この小説という媒体、このような視覚以外の情報の方が重要なのではないか?」
真っ当な正論であった。あまりに真っ当すぎて言葉に詰まるほど。本当に小説を始めた読んだ人間――いやこいつは化け物だった。人間ではなかった。
「貴様の文章が酷評された第一の理由はこれであろうな。まず第一に理解しやすい文章を考えねばならぬ。せっかく良い物語を書いているのに理解されずに酷評されては台無しだろう?」
「そこまで理解してるのにこの手の文学のことを知らないってどういうことよ。」
キーを叩く手を止め、ヨミの方を見る。……うわこいつ、いつの間にか見やすいようにノートに時系列と人物の場所と持ち物をまとめてる。助かる。
私の言葉を聞いたヨミは数秒、言葉を選ぶように考えていた。
「我々と人間の知覚機序は異なる。我々のコミュニケーションではあらゆる情報を圧縮せずにそのままやり取りできる。故に視覚情報を文字に圧縮するという必要性が薄いのだ。貴様らもわざわざこの距離で文字でのやり取りはせぬだろう? よほどのことがない限り貴様らの音声でのやり取りのような――貴様らの音と区別して表現すると――聲でのやり取りで済むのだ。貴様らには聞き取れないような、音のようなものだ。」
「うーん……。蝙蝠とかイルカみたいな超音波でのコミュニケーションってこと?」
「超音波。人間が聞き取れない音のことだな。概ね理解としては正しいだろうな。我らの聲は人間の技術では感知できぬ。我々の本来の姿も同じだ。遥。あの日の夜、我の姿を見ただろう? 貴様はそれをどう表現する?」
「……孔?」
「孔か。なるほど。そう見えたのか。どういう理屈かはわからんが、貴様は我の姿をその言葉に落とし込んだらしい。圧縮というのはそれだ。複雑な情報をより手短な情報に変化させる。言葉はその最たるものだ。孔という字の情報は貴様の見た視覚情報と必ずしも一致するわけではないだろう?」
うーん、わかるようなわからないような。情報が落ちる、ということ?
「要は我らの聲は情報を落とさずに保存できるので文章に頼る必要がない、ということだ。必然的にこの手の文化も発展しなかった。先程の動画サイトが十分発展したから文章表現サイトが発展しなかった、と形容した方が理解が早いか?」
なんとなく理解した……ような気がする。けどなんとなくそれは寂しい気がする。多様性というものがあまりないのだろうか。
「ついでに参考までに聞きたいんだけどさ。貴方の生態ってどんな感じなの?」
「聞いて何になるのだ?」
「そりゃ魔物の生態の参考にするんだよ。」
「生態、生態か……。そうだな。貴様ら人間の言うところの単為生殖に近い。一体の親から無数の仔が生まれる。」
ヨミはノートの端にその様子を書き表す。字は上手いが絵は下手ならしく、ぐちゃぐちゃとした、子供の描いた動物のようなイラストが丁寧な時の解説と併せて載っているのは、どこかおかしささえ感じられる。
「生まれたばかりの仔は小さく力も弱い。が、この世界の常識として、食えば大きくなるというものがあるであろう? 適切な餌を食らうことで徐々に力を得て大きくなっていく。」
なんというか……ミミズのようなイラスト? これが子供なのだろうか。
「幼虫みたいなもの?」
「その認識でいいだろう。積極的に動物を食らう段階は我らにとっては幼年期だ。奴らを食ってもあまり大きくはなれんのでな。それが終われば次は人間だ。十分成長した個体は人間から畏れ――感情を取り込むことができる。人間の肉体ごとな。」
これは……犬だろうか。猫にも見えるし牛にも見える。とにかく四足歩行の何かだ。
「肉体ごとって……要は頭から丸呑み……?」
「ああ。――安心しろ。何度も言うが貴様は食わぬ。我らにとって食うのはそいつの持っている意思を取り入れるためにすぎぬ。」
ヨミはノートに文字を並べていく。
「我らは望まれるままに進化する。が、それだけでは足りぬ。生物の『生きたい』という望みを食らい、己のものにすることで生をより強固なものとする。ついでにその直前に『恐ろしい化物』と認知されれば自己強化もできる。我らにとっては鉄板の成長ルートだ。……最も貴様はその面では全く逆であったがな。我にとっては幸運であったが……。」
確かに、彼女の言葉を聞く限り、生きたいだなんて微塵も思っていなかった私は餌として不適だし、正体不明の化け物は嫌だ、なんてことも考えた気がする。
「……これ、成長に限界はあるの?」
「さあな。一定まで成長すれば自切して仔を増やすのだが……成長するペースの方が早ければ無尽蔵に成長する……のか? いずれ忘れ去られ風化する方が早いと思うがな。だが……。問題なのは他の概念と結びついてしまった場合だ。我ら以外の種の中には既存の信仰と結びつき、より強固な力を得てしまったものもいるらしい。悪魔だとか、亡霊だとか、そういう穢れの概念と結びついてしまえば人類に見境なく災いを齎す災害になるであろうな。」
彼女は一番大きな親の個体をペンで擦り、周りに靄のようなものを浮かべた。穢れ、うーん。ネタにはなりそう。人間の風評で悪魔になってしまった存在とか……。
「うん、参考になった。良い感じの敵を作れそう。」
ならいい。とヨミは呟いた。……よく考えればヨミは私の望みが反映された存在になっている、ということだろうか? 私がヨミを最強だと思えば……いや、やめておこう。ヨミが大暴れして全部滅茶苦茶になったら嫌だし……。
「というか貴様。物語の結末はどうするつもりだ? あの物語も中途半端な位置で終わっていただろう?」
「それなんだよね。原作も中途半端に打ち切られちゃったからなぁ……。いまいちどう終わらせていいかわかんなくて……。」
他の物語の例を考える。ラブコメならヒロインと結ばれてハッピーエンド。アクション映画なら悪党を倒して。じゃあ私のこれは?
「……とりあえず、何か倒すのが一番それっぽいかな。幸い魔物には事欠かない世界だし。つよい魔物を倒してお終いとか……?」
……なんとなく腑に落ちない。なんとなくあってる気はするし、なんとなく間違ってる気もする。そう、漠然としている。
「うーん……。」
「納得できないのか? ……どうすれば納得できる?」
納得、納得か。……そうだ。必ずしも何かイベントを起こす必要はない。納得だ。私自身がそれで終わりだと納得できる物語。だから納得を逆算すればいい。
主人公が物語の終わりに魔物を倒すのであれば、倒したことでなにかを得られればいい。何か……ものでなくてもいいな。動機だ。倒すために必要な動機だ。魔物を倒そうとする人の動機か。私はちらりとヨミの方を見る。
「ヨミ。あなたが、仮に、誰かに倒されるとして。」
「我がか?」
「うん。あなたが誰かに倒されるなら、その人は何を考えていそう?」
「……邪魔?」
ヨミは首を傾げながらそう答えた。邪魔、邪魔?
「それだけ?」
「そういうものではないのか? ただ邪魔だから、不要だから。それだけで十分ではないのか? 実際そうであろう?」
ヨミが開いていたページは山から下りてきた害獣を駆除するニュース記事だった。……確かに、立場としては同じようなものか。
「うーん、そうじゃなくて……。こう、主人公と魔物の因縁の参考になるような……。」
「因縁か。ふむ……かつて片腕を食われ、目を抉られたとかはどうだ?」
随分と実体験が籠っていそうな例だ。
「主人公は剣士だから片腕ないと困るなぁ……。彼女が襲われてその復讐とか? あ、いいこと思いついた。」
私は指を走らせ設定を練り直す。主人公は恋人を失った騎士。恋人は邪竜に襲われ、現場には牙と鱗が残っていた。主人公はそれから剣と鎧を作り、邪竜に復讐を誓う。うん。原作にも邪竜は登場するし、何代も世代交代してることが明言されてる。これなら設定に矛盾はない。軽く数行、書き出しを書いてみる。――うん、いけそう。
「もう書き始めるのか? 人間はそろそろ眠るのではないのか?」
時計を見ると針は10時を指している。……消灯時間にはいくら何でも早過ぎはしないだろうか。いや。それはどうでもいい。
「ほら、今度はちゃんと完結させたいからさ。頭の中のアイデアは先に出し切ってしまいたいんだ。先に寝てていいよ。」
私は再びキーを叩く。背後からヨミの声が聞こえる。
「我に睡眠など不要だ。必要なものがあれば言え。それまでは、そうだな。続きを読んでおくか……。」
部屋には頁をめくる音とキーを叩く音だけが響く。夜が更けていく。